【第二部 シンポジウム】
コーディネーター:愛知学院大学総合政策学部准教授・村田尚生
パネリスト(五十音順・敬称略)
大久保康雄(NPO法人まちの縁側育くみ隊理事)
鬼頭弘子(NPO法人ひとにやさしいまちづくりネットワーク・東海副理事長)
白川陽一(名城大学社会連携センター 社会連携アドバイザー)
名畑恵(NPO法人まちの縁側育くみ隊代表理事、錦二丁目エリアマネジメント株式会社代表取締役)
西田知也(全国福祉保育労働組合東海地方本部書記次長)
皆さん、こんにちは。愛知学院大学で主にまちづくりを教えている村田です。まちの縁側育くみ隊には発足当時から関わっていますし、ジネンカフェも先ほど大久保さんの方から最初こういうふうにスタートしたよというお話があったように、大久保さんが「ノーマライゼーション企画をやりたい」と言った段階から参加させていただいて、実際には第一回目が開かれるまでI年半ぐらいかけてみんなでコンセプトを話しあいながら漸くスタートしたジネンカフェも17年ということで20年近く関わっています。一応今日で150回目。中締めとなるのかラストになるのか、このシンポジウムの中で皆さんともディスカッションしていければと思っています。よろしくお願いします。
大久保さんの方からパネリストさんの方に三つのお題を提示して、考えてきてねとお願いされたと思います。ひとつ目は、パネリストの皆さんはゲストスピーカーとしてもジネンカフェでお話下さった方々ですので、『外からみてジネンカフェをどんなふうに捉えられていたのか?』ということ。ふたつ目は、17年間ジネンカフェを行ってきたのだけれど、先ほども大久保さんのお話にもあったようにノーマライゼーションは「障害のある方も普通の生活ができるように」というところに焦点を置く取り組みですけれど、ジネンカフェが考えたのは「普通」でなく「自然(あるがまま・ありのまま)であること」何が違うの? と思われるかも知れませんが、我々日本人は特に常識とか「みんながしているから」とか、いわゆる同調圧力が高い国民性ですので、自分が「普通」でいなければいけないという意識が強くて、そういう中で息苦しさを感じて障がいを持っていない人でも「自分は普通でいなければいけない」「普通が良いんじゃないか?」ということにひとりひとり悩んで苦しみながら生きている。そういったことに対してジネンカフェを通して障がいを持っていようといなかろうと「普通でなくても良いのではないの?」「自然という形で生きられる社会になったらいいよね?」ということがコンセプトだったのですが、果たしてその『コンセプトに近づくことができたのか?』そして三つ目の問いは、『では、どうするの?』ということで、中締めなのかこのままラストを迎えるのかという話をしましたけれど、今後どうして行けば良いのか考えて行ければと思っています。よろしくお願いします。
【外からみてジネンカフェをどんなふうに捉えられていたのか?】
先ずは感想的な形で結構ですので、ジネンカフェをどんなふうに捉えていたのかお訊きしたいのですが、ひとりひとり自己紹介していただいて、自分はどういう立場のどういう人ですとお話していただいた後にジネンカフェをどう捉えていたのかお話し下さい。先ずは鬼頭さんからお願いします。
鬼頭
こんにちは。鬼頭弘子といいます。『ひとにやさしいまちづくりネットワーク・東海』というNPO法人で副理事長をしています。大久保さんとはお話の中に出てきた『愛知県 人にやさしい街づくり連続講座』で出会いました。ノーマライゼーション紙芝居「ツトムくんシリーズ」の誕生も見届けました。風穴一座の公演をあちらこちらでしていたのですが、初期の頃はよく一緒に活動していました。ジネンカフェをどういうふうに捉えてきたのかですが、大久保さんはノーマライゼーション紙芝居からスタートしていますので、ひとつは、福祉のまちづくり運動のひとつであると認識していました。先ほど観ていただいた風穴一座の紙芝居はいろいろな子どもたちがいて良いんだよということを、皆さんに伝えたいという内容になっていますので、そういったことをジネンカフェで表現して行きたいのだろうなと思っていました。もうひとつは車いすユーザーであり、脳性まひの障がい者である大久保さんと多様な生き方をされているゲストさんが出会う場所。お互いに出会う幾つかの場所のひとつである。そんなふうに思っていました。
白川
皆さん、こんにちは。白川といいます。初めましての方もいらっしゃると思いますが、現在は名城大学の職員をしています。社会連携センターという場所があって、簡単に言うと大学の中と外をつなぐ部署で、社会連携ということなので地域を含めたNPOさんだったり、企業さんだったりとか、地域の方たちと大学の学生や教職員とをつなぐ仕事をしています。もともと大久保さんたちとの出会いは「150回の軌跡」を見ているとジネンカフェには何回か登壇させていただいているのですが、最初に登壇したのが2012年なのでもう13年前になりますよね。出身は北海道の札幌です。大学院が名古屋でしたので札幌から名古屋に来た訳ですが、名古屋特有の暑くて湿度も高い夏を過ごしていて、日陰に入ってもどんどん消耗して行くのですよね。生きてゆくのになんて過酷なところなのだろうと感じていたそんな時に、たまたま出会った人経由で大久保さんを含めたまちの縁側育くみ隊の皆さんと出会ったんです。その時は現在の仕事をしていたわけではなく、学校や教育とか若者支援育成の領域で活動していたんですが、そうした関心を育てて現在大学にご縁をいただいているのかなと思っています。
外からみてジネンカフェをどのように捉えていたのかという最初のお題ですが、最初の説明にあったようにノーマライゼーションとか地域福祉とか僕にとっては初めて触れた言葉でしたけれど、大久保さんの人柄だと思うんですが、脳性まひの障がいを持った方に会うのが初めてだったので、皆さんの大久保さんとの関わり方が結構雑なことに衝撃を受けていました。一応大学時代に支援学級の教育実習はしたことはあるんですが、そこで出会っている「お利口さん」なコミュニケーションとは違っているんですね。だって大久保さんって現在でもそうだと思うのですが、女の子が大好きじゃないですか? そういうこともいっぱい喋るのですけども、「なに言っているの、大久保さん」みたいな感じで周りとコミュニケーションしている姿が凄く自然で当たり前な風景としてみえたのですよ。そういった大久保さんが魂ならば、関わり場所はいろいろと移り変わってきてはいると思いますが、ジネンカフェを続けられて来たということもあって、ジネンカフェはみんなの場所、みんなの会でもあると共に、大久保さん自身も自分に水をやって育まれて楽しくなっている…。そんな印象でジネンカフェを眺めていたというよりは、何回かお招きしてもらっているので会う度に気楽さを感じていて、大久保さんの拡張された身体じゃないですけど、そういった雰囲気さえ感じられるものだったかな。それがいろいろな人たちにも感染して行ったのではないかと思っています。
西田
はい。私は西田と申します。仕事としては、全国福祉保育労働組合東海本部という長ったらしい名前の組合の書記次長をしています。そもそもジネンカフェに関わるきっかけになったのは、村田先生のゼミ生として何も考えずに「大学の単位を取らないといけないからボランティア行って来い」と言われ、MOMOへ行ったら隣に座っている名畑さんが赤いワインを飲んでいたという記憶しかないのですが、良い場所だなぁ〜とは思ったんです。それで良い場所だからちょっと関わってみようかなと考えて、東区の楡の小道のほとりにあったMOMOに関わり始めてジネンカフェのお手伝いもさせてもらっていて、どちらかと言えばまちの縁側活動よりジネンカフェのお手伝いの方が多かったかな。そこで大久保さんと出会い、私初めて障がいのある方に出会ったので、障がいのある人にもこんな素敵な人がいるのだと思って村田先生に言ったら「そんなことばかりではないよ」という話もされ、長久手の障害福祉課でまちづくりをされている方に出会い、他の法人でも働いていたのですが、そのうちに福祉を支える人たちが支えられなければ駄目だなと気づきました。関わり続けてきたと言っても拡大版の時だけなので穴が空いているのですよ。でも、続けてきていることが大事でやっているなということは知っていたし、出会った時のことも憶えているので、だからこそまた参加したいなと思わせてくれる場所でもありました。自分らしく活動されている方たちと出会うことも刺激にもなったのですね。外からみたジネンカフェ、いろいろな人たちがなんとなく集ってきて、いろいろとやっていることを励ましあいながら交流できる場所だと感じていました。
名畑
白川さんのお話を聞いていて、そうか…。ジネンカフェって拡張された大久保さんなのかと思って。意外に深い話だなと思っていたのですけど、自分自身が多色刷りと言いますか、皆さんもそうだと思うのですがいろいろな顔を持っていると思うんです。例えば子育てしていて、ずっとこの子と一緒に居たくて、ずっとこの子の成長を見ていたいと思う瞬間も私だし、一方でこのままだったら私社会から忘れられてしまうのではないだろうかと思うのも私だし、いっぱいあるのですよ、私が。いろいろな私が自分の中にいて、ジネンカフェでいろいろな話を聞くと、イコールで自分を肯定された気持ちになるということも結構あって、こういう自分もいたのだ、こういう自分もいたのだと、多様な考え方に触れることによって自分自身を拡張できることがジネンカフェなのだと思います。
村田
それを受けまして大久保さん、如何ですか?
大久保
はい。ありがとうございます。僕自身もジネンカフェというのは多様なアプローチや可能性を持ったプロジェクトだなと運営しながら思っていました。でも、17年間も続けられたのは、くれよんさんと、くれよんBOXという場があったおかげであると思います。行った方はわかると思いますが、あの細やかながら親密な空間の心地よさもさることながら、僕の無理な頼みや振る舞いにも応えてくれて、本当に感謝しています。
村田
はい。次のお題。コンセプト・プランニングに一年半かかって、150回を積み重ねた中でたくさんの人たちが関わっていただいたなあと思うんですけれど、そんな中でどれだけコンセプト、理想に近づけることができたのだろうか? ということを客観的な視点で鋭く抉り取っていただきたいと思います。
鬼頭
鋭くはないのですけど、よくわかりません。数字的に言うと150回行ってきたので、最低150の「普通」や「自然」や「その人らしさ」が積み重なっているのではないかと。カレーを食べるのが楽しかったという大久保さんも含めてね。その数の分だけジネンカフェの理想に、まちの縁側的な時間、場所になったのではないかと思います。私は反対に社会側からみて150回17年間も行ったので何らかの影響を及ぼしていると思うのですね。風穴一座が世の中に風穴を開けたように、影響が絶対にあると思うのですよね。見た感じ、大久保さんの周辺、甥っ子さんや姪っ子さんを含めてジネンカフェの小さな輪だったり、大久保さんの周りの一緒に活動していらっしゃる方々の周りには「普通」や「自然」がほんわかと漂ってはいるのだけれど、その外側は違うと思うんですね。それを検証できる機会があるといいなあと思うんです。例えばジネンカフェに関わって下さった方々に「その後何か変化はありましたか?」「大久保さんに何か影響を受けましたか?」などとインタビューをするとか、アンケートを取るとか、そういうことがあってどうやって広がって行ったのか、皆さんがどんな影響を受けたのか知りたいなあと思います。
白川
現在大学にいて、大学生と関わる機会が毎日あるのですけど、「居場所」というキーワードに関心が高い人は昔からいて、相変わらずそれを「つくりたい」とか「求めている」という学生によく会うのですよね。その言わんというところには意義があると思うのですが、世の中的にその居場所が必要だという論調、鬼頭さんの話に繋がると思うのですが、外側から見た場合に、「世の中おかしなことになっている。それを何とかしたい」。その方法論として、居場所を大事にしたいという風潮が高まっている気がしています。でも何かのために何かをやるというのは、ちょっと考えてしまう自分もいて、「ジネンカフェは理想に近づけたのか」というお題に対しても、じゃあ「理想に近づけるためにジネンカフェを行っていた」という説明をしようとするのがふさわしいかは、ちょっと分からないんですね。僕はよく拡大版の後半のワークショップにファシリテーターとして関わらせてもらっていたのですけど、西田さんと同じようにある時、ある時、ある時、という出入りの仕方だったので、何かを目指しているからジネンカフェをやっていましたと説明されるよりも、自然というものを体現するためにやっています。何かを目指すための目的ありきではなく、いまそういうふうにしていて、続けられるところまで続けています。という説明の方がしっくり来ています。そういう意味で理想はずっと更新続けられるものだと思いました。社会の状況も身の回りの状況も、いろいろな人たちが集まる場の意義とか、価値とかも更新続けられるものだとも思っていて、そういった意味では理想には終わりがないとも思っています。もちろん、ジネンカフェのその回、その回が理想を体現しようとやっていたという意味においては、「できていた」のではないかなと思っています。
加えて僕自身も大久保さんやジネンカフェのスタイルに影響を受けていて、具体的に言うと現在月に一回ご飯会をやっているんですね。いろいろな人が出入りしてもいいよというご飯会を月一で二年ぐらいやっているんですけれど、人が来るからやりますではなくて、やり続けること自体に意味があるのですね。実際にそこに人が来るとか来ないとかではなくて、憶えていて貰えるということが人の希望を作るのではないかとこのジネンカフェで学んだことでもあると思っています。ジネンカフェはいつもやっているんだと思えることが自分には嬉しく思えるので、そういった効果は僕にはあったし、他の人にもあったのではないかとみています。理想に近づけたかどうかは、その過程にあると思っています。
西田
理想に近づけたかどうかで言えば、僕も正直よくわからないです。ノーマライゼーションとか、そういった大きなところで言えばどうだったのだろうなとみていますが、普通に生きる社会自体が厳しいし辛いことが多いなと思っていて、福祉の仕事をやっていたからということもあって、優生思想的な話―優れた人がいい、そういう考え方がまだ強いですよね? 規・非正規の問題もありますし、労働組合やっていますから余計に気になるのですが、正規は良くて、非正規は立場的に低いみたいな話とか、最近で言うと安い人件費で女性や障害者とか受刑者、そういう人たちを人間として見ずに安く使える道具的に見ているところがあるなと思っています。そういう経済社会の中で私たちは生活しなければいけないので、多様な人たちが自分らしく生きることが簡単に出来ない世の中だなと思っても、大久保さんと出会い、ジネンカフェに集う人たちに出会って、少なくとも僕は気づかせてもらったのです。そんな世の中ではおかしいのだな、自分らしく生きるということが出来て良いのだと気づかせて貰えたので、大きい狙いのところには辿り着けてはいないけれど、やはり続けてきたことには意味があるのだろうなと思っております。
名畑
出来たこともあるし、出来なかったこともあるし…ということだと思うのですけど、出来たことでひとつ大きいなと思うことが、違いを楽しむことは凄く大事なことかなと思っていて、すべてに共感する世界は気持ちが悪いと思うのですよね。こんな生き方をしている人がいるのだということを楽しい雰囲気の中で知ることができることが私にとって大事なことだったかなと思います。自分らしく生きるということは、ある見方をするととても勇気がいることだし、我が儘だと言う人もいるかも知れない。けれど本当は誰にも責任を負わせない、格好良いことの筈なのですよね。それを自然体の楽しい雰囲気の中で知ることが出来る。それは誰にとってもとても大事なことかなと。出来なかったことのひとつとして、これは私自身の責任でもあるのですが、もっとチーム制で企画すればよかったと言うこと。運営側として大久保さんが着々とひとりで、特に女性の援助を見つけるのが上手で、ゲストさんも見つけてきて、企画してくれて…というところなのですけれど、もともと自分も構成員のひとりなのでもっとみんなで出来るとよかったなぁ〜と思います。大久保さんの負荷が大きかったかな? あと大事な事は直接参加と間接参加があると思っていて、直接参加としては毎回それほど多くないのですよね。でも、間接参加としては大久保さんの詳細録があってブログでそれを読めるということが大きな価値だと思っています。また、「本」企画もあったのですよ。でも、私も含めて縁側チームが情けないのでなかなか形に出来ていなくて、これからでもやる価値はあると思っています。
大久保
僕もまだまだ理想には程遠いと感じています。現実はとても手強いです。
村田
西田くんの話にもありましたけど、大久保さんが言う通り現実は厳しくて、何ならジネンカフェを始めた時より厳しい現実があって、確実に17年前より後退している我々の社会があるのだろうなと思っています。そういった意味でこの17年間続けてきたジネンカフェがなにがしかの爪痕を残していたらよかったのですが、「爪痕だけかい?」と言われたら「そうだね」という話でしかない。それではどうするの? というところが次のお題になるのですが、名畑さんが言っていた出版という方向性もひとつあってもっと広く知ってもらうという事、これも大事な取り組みとしてあるのだろうなあと思います。ただ、現代は情報化の時代で大量の情報が出回っていて、皆さんもいろいろと情報源を持っていらっしゃると思うのですが、その多くはSNSですよね? でも、皆さんもご存知のようにSNSの情報というのは関心のある情報しか流れて来ないのですよ。関心のある筈の情報も大量に流れて来る情報に紛れて場合によってはスルーしてしまう。そこに何らかの気づきがあったとしても、大量の情報量に埋もれて掴み損ねてしまうというのが我々の置かれている社会の実態で、見たいものしか見ない。自分にとって気づきがあるような大切な情報が流れて来ても、結局はスルーされてしまう現状がある。そういった中でここにいらっしゃる方は何かしらの気づきを得られてこの場にお越しいただいていると思うのですが、そうではないある意味多様性を失ってゆくようなことを何となく認めてしまっている社会の実態に対して、どう次の手を打って行くのかは凄く重要な事なんだろうなと思っています。そんな中で自然(ジネン)に生きるという意味を少しでも問いかけてゆくために、何が我々に出来るのだろうということをパネリストさんから少しずつ、先ほど白川さんから「ご飯会」というヒントを与えていただきましたけれど、それも含めて次のステップとしてどんなことがあるのだろうなということを、ザックバランなアイデア会みたいな感じで良いのですけど、これでなければ出来ないという答えが見つかるとは思っていないので。ただ、こういうヒントがあるのじゃないの? 多分そのヒントは我々にとっても重要ですし、皆さんにとっても次何をする? といった時にヒントになると思いますので、パネリストの皆さんから一言ずつ、キーワードみたいなものでも結構ですので。如何でしょうか?
白川
難しい問いだなと皆さんも思っているでしょう。「ご飯会」もひとつの手段だと思うのです。よく言われるように食べない人はいないから、みんなで食べましょうというのは手段のひとつかなとは思うのですけれど、あらためて訊かれて何かなと思った時に具体的な方法はまだ思い浮かばないんですけど、ひとつヒントになってくるかなと個人的に思うのは「時間」だと思います。先ほどもSNSの話がありましたけれど、今や息継ぎが出来ないぐらいにSNSで情報がバンバン行き交う中で、自分が制御しようと思わなければコントロール出来ないほどにいろいろな情報が手に入って来る。息継ぎが出来ないと次のことが出来ない感じがしていて、かなり意識的に入って来るものに対して「休む」とか「間をとる」みたいな時間が必要ですよね。でも現状では日常の中でどんどん時間が失われて行くような感じがしていて、ある意味ジネンカフェみたいないろいろな人たちと出会えるとか、話せるとか気づける場は増えているとは思うのですが、それを新しい刺激を得るためにバンバン開催すると、また情報中毒になってゆく流れに加担してしまうのではないかと思っています。ホッと出来るとか自分の時間を大切にお互いが出来るとか、そんなようなセッティングになることが大事かなと思っています。抽象的ですみません。食べるという事は、自分のペースで食べられるとかするし、その辺りヒントになったりすると思うんですけど…。
鬼頭
ノーマライゼーションから入ったので、これはデンマークの発祥ですよね? デンマークは知的障害者の入所施設がガッチリとあり、そこに皆さんが収容されていてノーマルな生活が送れない人たちがたくさんいたのですね。それをお父さんやお母さんたちがこの子たちにも普通の生活をこの子たちにもして欲しい…ということから運動を起こし、法律化されて施設が解体されたという事がノーマライゼーションの背景にあるんです。大久保さんも幼い頃から青い鳥学園に入園されて施設経験されている方なので、そういう方がジネンカフェのような包摂された空間・時間を創ろうと活動をしていて、こういう形になって行ったことを考えると、人権無視とか差別が横行するような厳しい社会の中で当事者性を持った人、大久保さんもそうなのだけど、もし私ならば女性差別を受けたことがあるとか、そういう経験を持った人が、そう思える人が大久保さんのように自分を拡張させてスペースやら時間を提供するというような運動を続けられると、ジネンカフェの理念、縁側みたいなところに皆来ていいよというような活動が続けられるといいなと思います。ジネンカフェのやり方に洗脳されていますので、次にどうしたら良いかというのは全くわからないのですが、大久保さんのような立場の人が考えて、その人が中心になってやって行くのが良いのではないかと思っています。
西田
今日ここに来る時に『X(旧Twitter)』を見ていたら、経済学者の成田悠輔さんが「なぜX(旧Twitter)ではバカほど自信満々かのか論文を書いてみたい」という投稿をされていて、それはそういう背景があったのですが、それに「AIに応えさせてみました」というコメントが付けられていて、なかなか面白いなと思ったんです。先ほどSNSには関心のある情報しか流れて来ないという話があったのですが、エコーチェンバー効果、自分の知りたい分野の共感出来る人からしか情報が入って来ないので、そこで自分が知ったつもりになっちゃうよと。それもあるのですが、匿名性が高いとかも書かれていて「ああ、なるほど」と思ったんです。無責任な発言ができちゃうし、知った知識だと思って強目に言えちゃう。いわゆる責任感のない発言、コミュニティがあるようで実際にはコミュニティになっていないのだろうなSNSは…と思ってしまいました。始まる前に村田先生とも話していたのですが、現在は人と人とのつながりが薄れちゃっている問題があると思っています。隣に住む人の顔を知らないとか、どんな人が生活しているかとか、どんな暮らしが地域でおこなわれているかとか、コミュニティが壊れちゃっているところは再生して行くような取り組みをして行かないとノーマライゼーションもそうだけど、地域で生活をすること自体も保たないのだろうなと思っています。自治体の在り方、保育園や福祉の仕事も含めて成り立って行かないんだろうなと思っているんです。ただ結局その次に思うことは、こうやって集まって話すという場を作って行くしかないよなと思っていて、結論をここに持って来ちゃうのだけど、僕はジネンカフェをこのまま途絶えさせるのは凄く勿体ないと思っているのが正直な気持ちです。ジネンカフェだけが続けば良い訳ではなくて、ここでいろいろなことを知った方がいろいろな場で、仲間で集ってお互いのことをホッと出来る関係の中で話しあえるとか、「安心して失敗できる環境」と僕は思っていますけれど、自分のことを曝け出しても良いのだと思える場所で、交流できる場をどんどん作って行くことでみんなの居場所を作りながら、いろいろな人が生活しているから多様な人が自然体で良いのだなと思える環境が培われていくのだろうなと思っています。だから次の手と言われても、続けるしかないのではと思っていますけれど…。
名畑
先ほど西田さんが私と初めて会った時に赤ワインを飲んでいたと言われたのですが、それで思い出しました。私が時々『バレエナイト』という企画を行っていまして、私バレエを観劇するのが好きなのですね。バレエを楽しむ人の人口はそれほど多くはないのですが、自分の好きなバレエダンサーを6人選んで、その6人のダンサーをイメージしたワインをセレクトして、その映像を観ながらワインを飲むという気持ちの悪い会を行っています。私「バレエの好きな方は来ないで下さい。なんか面白そうとか、ワインが好きな人だけ来て下さい」と言っているんですが、それをやるとダイジェスト映像を観ながら、「確かにこれ合うわ〜」という声が聞こえて来たりして、私が好きなのでついつい喋り過ぎるんですね。それに対して「気持ち悪い、気持ち悪い」「キモーイ」という歓声が飛ぶんです。私はそう言われることを褒め言葉として受け取っているのですが、そんな変な会を行っているんです。共感せずとも面白がる、が、多様性かな、と。何が言いたいかと言えば、たまにはワインが飲めるところで行っても良いのではないかなとか、先ほどまでひとの多様性の話や、くれよんさんの空間の素晴らしさの話もありましたが、環境をあえて変えてみる。環境にも多様性があるということを切り口に行ってみると、ひとの繋がりも爆発的になるのではないかと思っているんです。そんなことを思ったきっかけがもうひとつあって、私は川の活動も行っています。川の活動をしている人たちの発表会に参加した時に、山から海までの活動を紹介してもらったのですが、海なら海洋プラスチックの問題ですよね。山だと木が便秘状態になっていて、森林が崩壊してゆくと…。海や山の活動をされている方々がこれほどいらっしゃるのに、負荷をかけているのは都市住民なわけですよ。負荷をかけている街の人たちがその会にはいらっしゃらないので、この川の活動の発表会に街の人たちがいたらどうだったろうなと思ったりもするのですね。そう思うと一年に一回は遠足をするとか、そういうことも入れると引き継ぐ人が大変かもしれないのですが…。川でやってみようとか、山でやってみようとか、環境の多様性という意味では良いのかなと思っています。
村田
いろいろなアイデアを出していただいたのですが、会場の皆さんからもぜひご意見をいただければと思います。
F
まちの縁側育くみ隊のFです。ジネンカフェ、先ほどから大久保さんが女の人をゲストに呼ぶことが多いと言われていますが、150回の記録で数えてみると女の人が58%ぐらいで、三分の二も行ってないのですよね。ちょっと大久保さんの名誉のために…。よく見ると僕はゲストに呼ばれていないよね?
T
呼びたくなかったのだわ。僕たちのこと嫌っているもん、大久保さん。
F
先ほどしらさんが周りの人たちの大久保さんの扱いがザツで驚いたという話をしていましたけど、僕らも「エロクソ親父」とか言ったりしているから、確かにはたから見たら虐めているとみられるかも知れないけれど、それも大久保さんの人柄でね。ノーマライゼーションというもののリアルな姿を体現させてもらったよね。綺麗な言葉を並べたり、頭の中で思い描く理念とかよりも、こうやって「エロ親父」と呼ぶことによってフラットになれた瞬間があったような気がします。
T
まちの縁側育くみ隊のTです。大久保さんと村田先生が一年半かけて凄く議論してたなぁ〜というのを思い出しましたね。僕は大久保さんに「何かやれや、やれや」っていつも発
破をかけていて、大久保さんが「う〜ん」と唸るんですよね。「自然(ジネン)」と聞いた時、いいねと思いました。自然薯もあるし、良い名前を付けたなって。150回も行うとはよもや思いませんでしたが、例え150回で終わったとしてもジネンカフェのネットワークや、ここで残したことには当然意味があるからそれを現在掘り起こし中なのでしょうけれど、こういうメンバーを組み立てて、なばちゃんはまだ全国区で行くと思うし、このジネンカフェでやって来たことを更に強くしてゲストスピーカーとして自分たちの好きなまち、綺麗な子がいるまちに大久保さんが出かけるというのはどうかと思ったんですが…。
村田
ありがとうございます。他にどなたか…。自分がしていらっしゃる活動も含めて、こんな展開もあるよねということを一言二言。純粋にこれまで聞いていて質問でも良いです。
O
今日初めて来ました。初めて来たのが最終回、あれ? みたいな…。私、趣味で畑をやっているのです。常々私畑のコミュニティを作りたいと思っているのですが、土地を持っていなくて。たまに無料で使ってくれてもいいよって言ってくれる人もいますが、メッチャ広いのです。そういうところは望んでないのです。こじんまりしていて、畑の隣に小屋があってキッチンとトイレがあったら集まれるなあ〜って。天気が良かったら外でBBQでもしながら、いま収穫したものを焼いて食べるみたいなことをやりたいなと思っているのですけれど、ずっと思っていてずっと夢が叶っていないという状態です。
T
125回のゲストでお話させていただいたTです。現在、大曽根商店街で喫茶はじまりというお店をやっています。お店を始めるきっかけもジネンカフェにゲストとして呼んでいただいて、初めてずっと頭の中に思い描いていたお店のイメージを口にしたことがきっかけで、そこから2018年だったのでもう7年経っていますが、結構あの時話したままの風景が出来上がりつつあって、この間写真を撮ったら、ジネンカフェで喋った時にイメージに合う画像が見つからなくて私スケッチブックにイラストを描いて持って行ったことを思い出したのです。その時のイラストに近い写真が撮れてよかったなぁ〜というのと、やはり私のまち、大曽根でもまだまだ本当にお客さんと喋っていると、めちゃくちゃ凄い才能や好きなことを隠し持っている人がたくさんいるので、私も地域の人たちがいろいろ喋れることが出来る場所を大曽根で作って行きたいと思っています。
B
私は緑区の有松で活動しているBと申します。私も今日はじめて来ましたが、初めてが最終回という、先ほどの方と同じ思いです。でも、来て良かったと思っています。私が今日来たのは村田先生が登壇されるということで、有松でも村田先生に凄くお世話になって、『30年後の有松を考えよう』というワークショップをそれこそ5,6年前、2019年から3年間関わって、ファシリテーションをいろいろアドバイスいただいたのです。その時にいただいた言葉が物凄く印象に残っていて「不易流行」という言葉なのですけれど、有松のまちも歴史のあるまちで、私は名古屋に生まれても仕事で関わるまで知らなかったのですが、住んでいる方々は凄くまちにプライドを持っているのですね。そういうところがいいなと思って、現在飛び込んで活動しているのですが、そういういいなと思うところも大切にしながらも新しいものを受け入れる。そんな多様性を持たないと駄目だよとおっしゃっていらしたのが印象に残っているのです。ジネンカフェが長く続いて来たのも「不易流行」を追求して、それをみんなで共有している。そんな場だったのだろうなと思います。もし150回以降、有松でもやっていただいても良いなあと思いました。
I
ジネンカフェは、くれよんBOXで結構やってもらっていたのですが、大久保さんに問いたいことが…。くれよんBOXというのは、まちの縁側なのでしょうか? 基本的にはそのような活動をしたいという想いはあってやっているのですが、そんなに地域の人が来てくれるわけでもないし、入りにくい空間であったりして、現在2階でNゲージをやっているのですが、半年やって小学生が5人ぐらいしか来なくて、なかなか地域やまちに開かれている感じではないのですね。こちらからもそんなに大きなイベントを仕掛けているわけでもなく、現在2階が空いちゃって誰か借りてくれないかなぁ〜と探してはいるのですけど、なかなかそういう人も見つからず、一緒にまちの縁側をやってくれる人はいないかなと。そこで再び問います。くれよんBOXは、まちの縁側なのでしょうか?
大久保
僕は、まちの縁側であると認識しています。あの細やかながら親密な空間もさることながら、部外者の僕なんかがひょっこり行ってもウェルカムで、そのくせ放置されることもあり、その空気感がいいのですよ。ベタベタされるよりも素っ気ない方が心地よいのですよ。まあ、その人によりけりでしょうけどね…。
村田
いろいろなまちの縁側があっても良いということですよ。うちのゼミ生に訊きたい。若い人は今日の話をどう思った?
N
村田ゼミのゼミ生のNです。今日のお話を聞いていて、私は村田先生を追って大学に入った人なのですが、村田先生の授業を聴いていてノーマライゼーションとか、まちのお話は自分の中で興味があったし、関心を持っている方だと思っていたんですよ。でも、まだまだ知らないことがたくさんあるなということを感じました。未熟さも感じましたし、もっと知りたいことがたくさんあるなとも感じました。それと同時に自分の地元・岡崎にはこういう活動はみないなと思っていて、自分はちょっと前に演劇の部活をやっていたのですけど演劇の活動もみなかったし、まちづくりのいろいろな人が集まることはあっても、その人たちの話を聞く機会ってあまりなくて、有松に持って行きたいという話もありましたが、岡崎にも持って行きたいと思いました。私はこの4月で就職するのですが、その就職先で活かせるかどうかわからないのですけれど、今後出来たら面白いなと思いました。
G
先ほどの外国人の夫は現代アートのアーティストなのですが、パレード作品を創るというアート活動をやっておりまして、それもただパレードすることが目的ではなくて、地域の人と地域の物語をリサーチして創る過程こそが大切だと。先ほどから言われているようないろいろな人が持ち寄って、違う人、違う文化が出会うことによってクリエイティビティが生まれると、彼の故郷トリニダード・トバコの文化が伝わるのですけれど…。そのパレードに大久保さんが参加して下さって、私も大久保さんに惹かれちゃって今日来させてもらっているのですが、お訊きしたかったのは大久保さんにですけど、二つあって先ほど先生が17年前に比べて状況が確実に悪くなっていると言われたのは、私はちょっと違うかなと思っています。もしかしたら私の見方が悪いのかも知れませんが、17年前に私が黒人の夫と結婚して子どもを作ろうとしたら多分物凄い障壁があったと思うのですが、現在子ども二人いて社会に出るのも理解されるようになって来ていると思うし、女性が子どもを持ちながら働くのも当たり前のこととして変わって来ていると思うのです。でも私が見えていないところで悪くなっているところも確かにあるので、やはり見えていない部分があるのだろうなあと思っているのですけれど、個人的にはどの時代にも大変なことがある中で生きていくしかないのかなと思っているのですね。そこで大久保さんが17年前と比べて悪くなっていると感じているのかと、もう一つは大久保さんのメールって、頭良いのですよ。そこが女子を惹きつけるコツだと思うのですが、読書家なのか、その豊かさはどこから来るのか? マーロンがトークショーをした時にも来て下さったのですけど、マーロンが物凄く難しい、よくわからないことを言うのですよ。アーティストだから。私はもっと分かりやすく伝えた方が良いと思っている時に、それにも食いついて来てくれてアーティストはこうして作品にしているのだと言葉にして感想を下さって、ものを受け止めて言語化する能力とか、ジネンカフェの記録も残っているそうですが、その背景となる読書の土台があるのか、どうしてそう言う能力を大久保さんがあるか? その二点をお訊きしたいです。
大久保
先ず一点目の17年前に比べて現在の社会を僕がどう捉えているかですが、僕は「変わっていない」と感じています。確かにハード的なバリアは完全ではないにしても解消されています。でも、心のバリアは相変わらずです。ただ、昔は人権侵害とか差別があっても表沙汰にされなかったけれど、今はそうではない。ちょっとしたことでも、報道機関が騒いで問題が表に出やすくなっている。だから余計に世の中が悪くなったように見えるのだと思っています。忘れられないのですが、昔は街を歩いているだけで「税金泥棒」って罵倒されたものですが、今はそんなことはありません。そういう点では良くなったとも言えますが、表面的にはそう見えるだけなのかも知れません。本質的には17年前も今も変わっていないと感じています。二点目は僕は幼い頃からこの体でしたので外に出て遊ぶということが出来ませんでした。当然のことながらインドア派になり、本ばかり読んでいました。現在でも読むのも書くのも好きですよ。地方の文学賞ですが、2度ほど入賞したこともあります。
村田
話すと辿々しく聞こえるのですけれど、文章をみると本当に…。ぜひブログのジネンカフェの記録を読んで貰うと良いと思います。
T
紙芝居の物語は最初に作った時には大久保さんが一週間で短編の物語を書いてきて、それを一週間で紙芝居として完成させたのです。そういう能力をお持ちの方です。
O
今回司会をさせてもらっているOです。私自身ジネンカフェに関わるのは15年、もっとなのかなあ〜と思うぐらいなのですが、大久保さんと知りあって20年近くになるんですかね? 先ほどお話の中に出てきた『カレーなる晩餐会』にも関わっていました。私自身いままでジネンカフェには関わっていたのですが、他のことや地域活動にも関わりもせずに生きてきたのですが、私も大曽根に住んでいますので「喫茶はじまり」さんには行けてはいないけれど、地域コミュニティの中でなんとなく知っていて、ちょっと行ってみたいと思っている場所なのです。私、子どもが産まれたこともあって地域コミュニティってすごく大切だなと思うことが増えていて、きっかけは今年町内会の組長になったのですね。自分の中では良いきっかけになったなと思っていて、地域コミュニティの大切さはそれでないとわからない部分がたくさんあるのですね。私が住んでいる地域はお年寄りがすごく多い。若い方もいらっしゃるのですけれど、マンション暮らしで町内会には表立って出て来ない方々が多いのです。餅つき大会とか現在まだそういう行事が残っています。でも担い手がいないから今後出来なくなるかも知れないとか、搗き手募集していますとか、そんな話をよくされていて、盆踊りとかいろいろまちの行事があるのですけれど、それが今後衰退して行くと思うと淋しいのです。それでは自分たちが担い手に…と思うけれど、子育てを始めると難しい反面もあって、私自身はいろいろやりたいのですが、夫がそういう活動に協力的ではない。私はこういう場によく参加していますし、町内会も私が出て行っているのですが、夫は面倒臭い、自分のためになるかどうかわからない、そういう有用性をあまり感じることがないという価値観の違いを感じることが多い。経験によって人の価値観は育って行くものだと思っているので、こういう会の有用性はたくさんあるなあと思っています。このまま続いてくれるのは嬉しいなと思っている反面、なかなか参加出来ないとか、今日も子ども連れて来てもいいよと言われたので参加出来たのですけれど、そういう子どもに優しいところ、個人的に困るのが今日は私子どもをハイハイさせていたんですけど、歩く前の子どもを連れて行くのが大変なんです。歩いてしまえば一緒に歩けばよいのですが、それまでが物凄く大変で何か会を開く時にオムツ替えのスペースや授乳スペースとか、ハイハイ出来たり遊べるスペースがあると嬉しいなと思っています。
村田
そろそろお時間なのでまとめに入りますが、その前に村田もいろいろとやっているのでひとつだけ紹介します。先ほど「食べる会」というのがありましたけれど、村田がやっているのは焚き火です。『街中焚き火カフェ』と言って長久手のイオンの前に公園があるのですが、市役所の許可を得ながらその公園で焚き火をするんです。焚き火をしながら、ちょっとしたものを食べながら、いろいろ話が出来る会をやっています。よろしければご参加下さい。村田自身は割りと田舎に住んでいて、岐阜県恵那市の里山に暮らしているので使ってない畑もあります。BBQもいくらでも出来ますし、私自身猟師もやっていますので鹿や猪の肉も提供出来ます。まあ、それはそれで…。まとめに入りたいと思います。幾つかのヒントをいただきました。ご質問の中にあった情勢について良くなっているのか? 悪くなっているのか? 日本の社会の中で現在多様性(ダイバーシティ)という言葉は割りと一般的に了解されるようになっているように思います。それは17年前より確実に浸透して来ています。ただ本当の意味でダイバーシティになっているかといえば、ちょっと怪しいのかなと思っています。何故かと言えばみんな逆にバラバラになったので自分とは関係ないからそこにいてもいいよという感じで存在が認められる社会になっているのではないかと思います。例えば大久保さんとこんなふうに出来るのかと言われると、「いや、こんな人知らないから」とか「会ったことがなかったから」と、障がい者やもう少しマイノリティと呼ばれている人たちと直接コミュニケーションしたり、関わることがないから良いんじゃないの? というような社会のような気がしていますし、確実に言える のは子どもたちの同調圧力はめちゃくちゃ強くなっている気がします。それは深いコミュニケーションをしないから、相手のことを知るチャンスがどんどん減っていて「空気読めよ」という感覚はかなり厳しいものがあるのかな。逆に関わらなければ自由だよねという選択をするように感じています。今日いろいろと話を聞いていて大久保さんという存在はすごく重要だったと改めて気付かされたのですけど、大久保さんの何が凄いのかと言えば身体性を持って我々にあたって来てくれる。言葉の辿々しさもそうですけれど、電動車いすでガーと来て我々とコミュニケーションするということ。身体性を持っているコミュニケーションが本当の意味での多様性を産むのだろうなということを改めて感じさせていただきました。大久保さんの電動車いすで足を踏まれることが多々ある中で、そういったことを改めて感じられたと思います。もう一つジネンカフェが自分も何か出来るかも知れない。自分の地域でも欲しい。というようなお話が今日何人かの人からありました。大久保さんが最後のまとめのところで「種」という話をされていましたけれど、まさにこの17年間150回続けてきたジネンカフェが「種を蒔く」活動だったのだな。そしてひとりひとりの心の中で芽を出し、花を咲かせ、更にまた次の種を育んでゆくというような繋がりがこの中から生まれて来るとすれば、その次のジネンカフェ、ジネンカフェというかどうかはわからないけれど、我々が描いてきた大きな足跡なのではないかなと思いました。お時間ですのでこれにて終了とさせていただきますが、ぜひ皆さんいろいろなところで芽が出て来ますので見逃さないように。そしてみんなでお互いに支えあい、繋がって行ければ良いなと思っています。長い時間ありがとうございました。
コーディネーター:愛知学院大学総合政策学部准教授・村田尚生
パネリスト(五十音順・敬称略)
大久保康雄(NPO法人まちの縁側育くみ隊理事)
鬼頭弘子(NPO法人ひとにやさしいまちづくりネットワーク・東海副理事長)
白川陽一(名城大学社会連携センター 社会連携アドバイザー)
名畑恵(NPO法人まちの縁側育くみ隊代表理事、錦二丁目エリアマネジメント株式会社代表取締役)
西田知也(全国福祉保育労働組合東海地方本部書記次長)
皆さん、こんにちは。愛知学院大学で主にまちづくりを教えている村田です。まちの縁側育くみ隊には発足当時から関わっていますし、ジネンカフェも先ほど大久保さんの方から最初こういうふうにスタートしたよというお話があったように、大久保さんが「ノーマライゼーション企画をやりたい」と言った段階から参加させていただいて、実際には第一回目が開かれるまでI年半ぐらいかけてみんなでコンセプトを話しあいながら漸くスタートしたジネンカフェも17年ということで20年近く関わっています。一応今日で150回目。中締めとなるのかラストになるのか、このシンポジウムの中で皆さんともディスカッションしていければと思っています。よろしくお願いします。
大久保さんの方からパネリストさんの方に三つのお題を提示して、考えてきてねとお願いされたと思います。ひとつ目は、パネリストの皆さんはゲストスピーカーとしてもジネンカフェでお話下さった方々ですので、『外からみてジネンカフェをどんなふうに捉えられていたのか?』ということ。ふたつ目は、17年間ジネンカフェを行ってきたのだけれど、先ほども大久保さんのお話にもあったようにノーマライゼーションは「障害のある方も普通の生活ができるように」というところに焦点を置く取り組みですけれど、ジネンカフェが考えたのは「普通」でなく「自然(あるがまま・ありのまま)であること」何が違うの? と思われるかも知れませんが、我々日本人は特に常識とか「みんながしているから」とか、いわゆる同調圧力が高い国民性ですので、自分が「普通」でいなければいけないという意識が強くて、そういう中で息苦しさを感じて障がいを持っていない人でも「自分は普通でいなければいけない」「普通が良いんじゃないか?」ということにひとりひとり悩んで苦しみながら生きている。そういったことに対してジネンカフェを通して障がいを持っていようといなかろうと「普通でなくても良いのではないの?」「自然という形で生きられる社会になったらいいよね?」ということがコンセプトだったのですが、果たしてその『コンセプトに近づくことができたのか?』そして三つ目の問いは、『では、どうするの?』ということで、中締めなのかこのままラストを迎えるのかという話をしましたけれど、今後どうして行けば良いのか考えて行ければと思っています。よろしくお願いします。
【外からみてジネンカフェをどんなふうに捉えられていたのか?】
先ずは感想的な形で結構ですので、ジネンカフェをどんなふうに捉えていたのかお訊きしたいのですが、ひとりひとり自己紹介していただいて、自分はどういう立場のどういう人ですとお話していただいた後にジネンカフェをどう捉えていたのかお話し下さい。先ずは鬼頭さんからお願いします。
鬼頭
こんにちは。鬼頭弘子といいます。『ひとにやさしいまちづくりネットワーク・東海』というNPO法人で副理事長をしています。大久保さんとはお話の中に出てきた『愛知県 人にやさしい街づくり連続講座』で出会いました。ノーマライゼーション紙芝居「ツトムくんシリーズ」の誕生も見届けました。風穴一座の公演をあちらこちらでしていたのですが、初期の頃はよく一緒に活動していました。ジネンカフェをどういうふうに捉えてきたのかですが、大久保さんはノーマライゼーション紙芝居からスタートしていますので、ひとつは、福祉のまちづくり運動のひとつであると認識していました。先ほど観ていただいた風穴一座の紙芝居はいろいろな子どもたちがいて良いんだよということを、皆さんに伝えたいという内容になっていますので、そういったことをジネンカフェで表現して行きたいのだろうなと思っていました。もうひとつは車いすユーザーであり、脳性まひの障がい者である大久保さんと多様な生き方をされているゲストさんが出会う場所。お互いに出会う幾つかの場所のひとつである。そんなふうに思っていました。
白川
皆さん、こんにちは。白川といいます。初めましての方もいらっしゃると思いますが、現在は名城大学の職員をしています。社会連携センターという場所があって、簡単に言うと大学の中と外をつなぐ部署で、社会連携ということなので地域を含めたNPOさんだったり、企業さんだったりとか、地域の方たちと大学の学生や教職員とをつなぐ仕事をしています。もともと大久保さんたちとの出会いは「150回の軌跡」を見ているとジネンカフェには何回か登壇させていただいているのですが、最初に登壇したのが2012年なのでもう13年前になりますよね。出身は北海道の札幌です。大学院が名古屋でしたので札幌から名古屋に来た訳ですが、名古屋特有の暑くて湿度も高い夏を過ごしていて、日陰に入ってもどんどん消耗して行くのですよね。生きてゆくのになんて過酷なところなのだろうと感じていたそんな時に、たまたま出会った人経由で大久保さんを含めたまちの縁側育くみ隊の皆さんと出会ったんです。その時は現在の仕事をしていたわけではなく、学校や教育とか若者支援育成の領域で活動していたんですが、そうした関心を育てて現在大学にご縁をいただいているのかなと思っています。
外からみてジネンカフェをどのように捉えていたのかという最初のお題ですが、最初の説明にあったようにノーマライゼーションとか地域福祉とか僕にとっては初めて触れた言葉でしたけれど、大久保さんの人柄だと思うんですが、脳性まひの障がいを持った方に会うのが初めてだったので、皆さんの大久保さんとの関わり方が結構雑なことに衝撃を受けていました。一応大学時代に支援学級の教育実習はしたことはあるんですが、そこで出会っている「お利口さん」なコミュニケーションとは違っているんですね。だって大久保さんって現在でもそうだと思うのですが、女の子が大好きじゃないですか? そういうこともいっぱい喋るのですけども、「なに言っているの、大久保さん」みたいな感じで周りとコミュニケーションしている姿が凄く自然で当たり前な風景としてみえたのですよ。そういった大久保さんが魂ならば、関わり場所はいろいろと移り変わってきてはいると思いますが、ジネンカフェを続けられて来たということもあって、ジネンカフェはみんなの場所、みんなの会でもあると共に、大久保さん自身も自分に水をやって育まれて楽しくなっている…。そんな印象でジネンカフェを眺めていたというよりは、何回かお招きしてもらっているので会う度に気楽さを感じていて、大久保さんの拡張された身体じゃないですけど、そういった雰囲気さえ感じられるものだったかな。それがいろいろな人たちにも感染して行ったのではないかと思っています。
西田
はい。私は西田と申します。仕事としては、全国福祉保育労働組合東海本部という長ったらしい名前の組合の書記次長をしています。そもそもジネンカフェに関わるきっかけになったのは、村田先生のゼミ生として何も考えずに「大学の単位を取らないといけないからボランティア行って来い」と言われ、MOMOへ行ったら隣に座っている名畑さんが赤いワインを飲んでいたという記憶しかないのですが、良い場所だなぁ〜とは思ったんです。それで良い場所だからちょっと関わってみようかなと考えて、東区の楡の小道のほとりにあったMOMOに関わり始めてジネンカフェのお手伝いもさせてもらっていて、どちらかと言えばまちの縁側活動よりジネンカフェのお手伝いの方が多かったかな。そこで大久保さんと出会い、私初めて障がいのある方に出会ったので、障がいのある人にもこんな素敵な人がいるのだと思って村田先生に言ったら「そんなことばかりではないよ」という話もされ、長久手の障害福祉課でまちづくりをされている方に出会い、他の法人でも働いていたのですが、そのうちに福祉を支える人たちが支えられなければ駄目だなと気づきました。関わり続けてきたと言っても拡大版の時だけなので穴が空いているのですよ。でも、続けてきていることが大事でやっているなということは知っていたし、出会った時のことも憶えているので、だからこそまた参加したいなと思わせてくれる場所でもありました。自分らしく活動されている方たちと出会うことも刺激にもなったのですね。外からみたジネンカフェ、いろいろな人たちがなんとなく集ってきて、いろいろとやっていることを励ましあいながら交流できる場所だと感じていました。
名畑
白川さんのお話を聞いていて、そうか…。ジネンカフェって拡張された大久保さんなのかと思って。意外に深い話だなと思っていたのですけど、自分自身が多色刷りと言いますか、皆さんもそうだと思うのですがいろいろな顔を持っていると思うんです。例えば子育てしていて、ずっとこの子と一緒に居たくて、ずっとこの子の成長を見ていたいと思う瞬間も私だし、一方でこのままだったら私社会から忘れられてしまうのではないだろうかと思うのも私だし、いっぱいあるのですよ、私が。いろいろな私が自分の中にいて、ジネンカフェでいろいろな話を聞くと、イコールで自分を肯定された気持ちになるということも結構あって、こういう自分もいたのだ、こういう自分もいたのだと、多様な考え方に触れることによって自分自身を拡張できることがジネンカフェなのだと思います。
村田
それを受けまして大久保さん、如何ですか?
大久保
はい。ありがとうございます。僕自身もジネンカフェというのは多様なアプローチや可能性を持ったプロジェクトだなと運営しながら思っていました。でも、17年間も続けられたのは、くれよんさんと、くれよんBOXという場があったおかげであると思います。行った方はわかると思いますが、あの細やかながら親密な空間の心地よさもさることながら、僕の無理な頼みや振る舞いにも応えてくれて、本当に感謝しています。
村田
はい。次のお題。コンセプト・プランニングに一年半かかって、150回を積み重ねた中でたくさんの人たちが関わっていただいたなあと思うんですけれど、そんな中でどれだけコンセプト、理想に近づけることができたのだろうか? ということを客観的な視点で鋭く抉り取っていただきたいと思います。
鬼頭
鋭くはないのですけど、よくわかりません。数字的に言うと150回行ってきたので、最低150の「普通」や「自然」や「その人らしさ」が積み重なっているのではないかと。カレーを食べるのが楽しかったという大久保さんも含めてね。その数の分だけジネンカフェの理想に、まちの縁側的な時間、場所になったのではないかと思います。私は反対に社会側からみて150回17年間も行ったので何らかの影響を及ぼしていると思うのですね。風穴一座が世の中に風穴を開けたように、影響が絶対にあると思うのですよね。見た感じ、大久保さんの周辺、甥っ子さんや姪っ子さんを含めてジネンカフェの小さな輪だったり、大久保さんの周りの一緒に活動していらっしゃる方々の周りには「普通」や「自然」がほんわかと漂ってはいるのだけれど、その外側は違うと思うんですね。それを検証できる機会があるといいなあと思うんです。例えばジネンカフェに関わって下さった方々に「その後何か変化はありましたか?」「大久保さんに何か影響を受けましたか?」などとインタビューをするとか、アンケートを取るとか、そういうことがあってどうやって広がって行ったのか、皆さんがどんな影響を受けたのか知りたいなあと思います。
白川
現在大学にいて、大学生と関わる機会が毎日あるのですけど、「居場所」というキーワードに関心が高い人は昔からいて、相変わらずそれを「つくりたい」とか「求めている」という学生によく会うのですよね。その言わんというところには意義があると思うのですが、世の中的にその居場所が必要だという論調、鬼頭さんの話に繋がると思うのですが、外側から見た場合に、「世の中おかしなことになっている。それを何とかしたい」。その方法論として、居場所を大事にしたいという風潮が高まっている気がしています。でも何かのために何かをやるというのは、ちょっと考えてしまう自分もいて、「ジネンカフェは理想に近づけたのか」というお題に対しても、じゃあ「理想に近づけるためにジネンカフェを行っていた」という説明をしようとするのがふさわしいかは、ちょっと分からないんですね。僕はよく拡大版の後半のワークショップにファシリテーターとして関わらせてもらっていたのですけど、西田さんと同じようにある時、ある時、ある時、という出入りの仕方だったので、何かを目指しているからジネンカフェをやっていましたと説明されるよりも、自然というものを体現するためにやっています。何かを目指すための目的ありきではなく、いまそういうふうにしていて、続けられるところまで続けています。という説明の方がしっくり来ています。そういう意味で理想はずっと更新続けられるものだと思いました。社会の状況も身の回りの状況も、いろいろな人たちが集まる場の意義とか、価値とかも更新続けられるものだとも思っていて、そういった意味では理想には終わりがないとも思っています。もちろん、ジネンカフェのその回、その回が理想を体現しようとやっていたという意味においては、「できていた」のではないかなと思っています。
加えて僕自身も大久保さんやジネンカフェのスタイルに影響を受けていて、具体的に言うと現在月に一回ご飯会をやっているんですね。いろいろな人が出入りしてもいいよというご飯会を月一で二年ぐらいやっているんですけれど、人が来るからやりますではなくて、やり続けること自体に意味があるのですね。実際にそこに人が来るとか来ないとかではなくて、憶えていて貰えるということが人の希望を作るのではないかとこのジネンカフェで学んだことでもあると思っています。ジネンカフェはいつもやっているんだと思えることが自分には嬉しく思えるので、そういった効果は僕にはあったし、他の人にもあったのではないかとみています。理想に近づけたかどうかは、その過程にあると思っています。
西田
理想に近づけたかどうかで言えば、僕も正直よくわからないです。ノーマライゼーションとか、そういった大きなところで言えばどうだったのだろうなとみていますが、普通に生きる社会自体が厳しいし辛いことが多いなと思っていて、福祉の仕事をやっていたからということもあって、優生思想的な話―優れた人がいい、そういう考え方がまだ強いですよね? 規・非正規の問題もありますし、労働組合やっていますから余計に気になるのですが、正規は良くて、非正規は立場的に低いみたいな話とか、最近で言うと安い人件費で女性や障害者とか受刑者、そういう人たちを人間として見ずに安く使える道具的に見ているところがあるなと思っています。そういう経済社会の中で私たちは生活しなければいけないので、多様な人たちが自分らしく生きることが簡単に出来ない世の中だなと思っても、大久保さんと出会い、ジネンカフェに集う人たちに出会って、少なくとも僕は気づかせてもらったのです。そんな世の中ではおかしいのだな、自分らしく生きるということが出来て良いのだと気づかせて貰えたので、大きい狙いのところには辿り着けてはいないけれど、やはり続けてきたことには意味があるのだろうなと思っております。
名畑
出来たこともあるし、出来なかったこともあるし…ということだと思うのですけど、出来たことでひとつ大きいなと思うことが、違いを楽しむことは凄く大事なことかなと思っていて、すべてに共感する世界は気持ちが悪いと思うのですよね。こんな生き方をしている人がいるのだということを楽しい雰囲気の中で知ることができることが私にとって大事なことだったかなと思います。自分らしく生きるということは、ある見方をするととても勇気がいることだし、我が儘だと言う人もいるかも知れない。けれど本当は誰にも責任を負わせない、格好良いことの筈なのですよね。それを自然体の楽しい雰囲気の中で知ることが出来る。それは誰にとってもとても大事なことかなと。出来なかったことのひとつとして、これは私自身の責任でもあるのですが、もっとチーム制で企画すればよかったと言うこと。運営側として大久保さんが着々とひとりで、特に女性の援助を見つけるのが上手で、ゲストさんも見つけてきて、企画してくれて…というところなのですけれど、もともと自分も構成員のひとりなのでもっとみんなで出来るとよかったなぁ〜と思います。大久保さんの負荷が大きかったかな? あと大事な事は直接参加と間接参加があると思っていて、直接参加としては毎回それほど多くないのですよね。でも、間接参加としては大久保さんの詳細録があってブログでそれを読めるということが大きな価値だと思っています。また、「本」企画もあったのですよ。でも、私も含めて縁側チームが情けないのでなかなか形に出来ていなくて、これからでもやる価値はあると思っています。
大久保
僕もまだまだ理想には程遠いと感じています。現実はとても手強いです。
村田
西田くんの話にもありましたけど、大久保さんが言う通り現実は厳しくて、何ならジネンカフェを始めた時より厳しい現実があって、確実に17年前より後退している我々の社会があるのだろうなと思っています。そういった意味でこの17年間続けてきたジネンカフェがなにがしかの爪痕を残していたらよかったのですが、「爪痕だけかい?」と言われたら「そうだね」という話でしかない。それではどうするの? というところが次のお題になるのですが、名畑さんが言っていた出版という方向性もひとつあってもっと広く知ってもらうという事、これも大事な取り組みとしてあるのだろうなあと思います。ただ、現代は情報化の時代で大量の情報が出回っていて、皆さんもいろいろと情報源を持っていらっしゃると思うのですが、その多くはSNSですよね? でも、皆さんもご存知のようにSNSの情報というのは関心のある情報しか流れて来ないのですよ。関心のある筈の情報も大量に流れて来る情報に紛れて場合によってはスルーしてしまう。そこに何らかの気づきがあったとしても、大量の情報量に埋もれて掴み損ねてしまうというのが我々の置かれている社会の実態で、見たいものしか見ない。自分にとって気づきがあるような大切な情報が流れて来ても、結局はスルーされてしまう現状がある。そういった中でここにいらっしゃる方は何かしらの気づきを得られてこの場にお越しいただいていると思うのですが、そうではないある意味多様性を失ってゆくようなことを何となく認めてしまっている社会の実態に対して、どう次の手を打って行くのかは凄く重要な事なんだろうなと思っています。そんな中で自然(ジネン)に生きるという意味を少しでも問いかけてゆくために、何が我々に出来るのだろうということをパネリストさんから少しずつ、先ほど白川さんから「ご飯会」というヒントを与えていただきましたけれど、それも含めて次のステップとしてどんなことがあるのだろうなということを、ザックバランなアイデア会みたいな感じで良いのですけど、これでなければ出来ないという答えが見つかるとは思っていないので。ただ、こういうヒントがあるのじゃないの? 多分そのヒントは我々にとっても重要ですし、皆さんにとっても次何をする? といった時にヒントになると思いますので、パネリストの皆さんから一言ずつ、キーワードみたいなものでも結構ですので。如何でしょうか?
白川
難しい問いだなと皆さんも思っているでしょう。「ご飯会」もひとつの手段だと思うのです。よく言われるように食べない人はいないから、みんなで食べましょうというのは手段のひとつかなとは思うのですけれど、あらためて訊かれて何かなと思った時に具体的な方法はまだ思い浮かばないんですけど、ひとつヒントになってくるかなと個人的に思うのは「時間」だと思います。先ほどもSNSの話がありましたけれど、今や息継ぎが出来ないぐらいにSNSで情報がバンバン行き交う中で、自分が制御しようと思わなければコントロール出来ないほどにいろいろな情報が手に入って来る。息継ぎが出来ないと次のことが出来ない感じがしていて、かなり意識的に入って来るものに対して「休む」とか「間をとる」みたいな時間が必要ですよね。でも現状では日常の中でどんどん時間が失われて行くような感じがしていて、ある意味ジネンカフェみたいないろいろな人たちと出会えるとか、話せるとか気づける場は増えているとは思うのですが、それを新しい刺激を得るためにバンバン開催すると、また情報中毒になってゆく流れに加担してしまうのではないかと思っています。ホッと出来るとか自分の時間を大切にお互いが出来るとか、そんなようなセッティングになることが大事かなと思っています。抽象的ですみません。食べるという事は、自分のペースで食べられるとかするし、その辺りヒントになったりすると思うんですけど…。
鬼頭
ノーマライゼーションから入ったので、これはデンマークの発祥ですよね? デンマークは知的障害者の入所施設がガッチリとあり、そこに皆さんが収容されていてノーマルな生活が送れない人たちがたくさんいたのですね。それをお父さんやお母さんたちがこの子たちにも普通の生活をこの子たちにもして欲しい…ということから運動を起こし、法律化されて施設が解体されたという事がノーマライゼーションの背景にあるんです。大久保さんも幼い頃から青い鳥学園に入園されて施設経験されている方なので、そういう方がジネンカフェのような包摂された空間・時間を創ろうと活動をしていて、こういう形になって行ったことを考えると、人権無視とか差別が横行するような厳しい社会の中で当事者性を持った人、大久保さんもそうなのだけど、もし私ならば女性差別を受けたことがあるとか、そういう経験を持った人が、そう思える人が大久保さんのように自分を拡張させてスペースやら時間を提供するというような運動を続けられると、ジネンカフェの理念、縁側みたいなところに皆来ていいよというような活動が続けられるといいなと思います。ジネンカフェのやり方に洗脳されていますので、次にどうしたら良いかというのは全くわからないのですが、大久保さんのような立場の人が考えて、その人が中心になってやって行くのが良いのではないかと思っています。
西田
今日ここに来る時に『X(旧Twitter)』を見ていたら、経済学者の成田悠輔さんが「なぜX(旧Twitter)ではバカほど自信満々かのか論文を書いてみたい」という投稿をされていて、それはそういう背景があったのですが、それに「AIに応えさせてみました」というコメントが付けられていて、なかなか面白いなと思ったんです。先ほどSNSには関心のある情報しか流れて来ないという話があったのですが、エコーチェンバー効果、自分の知りたい分野の共感出来る人からしか情報が入って来ないので、そこで自分が知ったつもりになっちゃうよと。それもあるのですが、匿名性が高いとかも書かれていて「ああ、なるほど」と思ったんです。無責任な発言ができちゃうし、知った知識だと思って強目に言えちゃう。いわゆる責任感のない発言、コミュニティがあるようで実際にはコミュニティになっていないのだろうなSNSは…と思ってしまいました。始まる前に村田先生とも話していたのですが、現在は人と人とのつながりが薄れちゃっている問題があると思っています。隣に住む人の顔を知らないとか、どんな人が生活しているかとか、どんな暮らしが地域でおこなわれているかとか、コミュニティが壊れちゃっているところは再生して行くような取り組みをして行かないとノーマライゼーションもそうだけど、地域で生活をすること自体も保たないのだろうなと思っています。自治体の在り方、保育園や福祉の仕事も含めて成り立って行かないんだろうなと思っているんです。ただ結局その次に思うことは、こうやって集まって話すという場を作って行くしかないよなと思っていて、結論をここに持って来ちゃうのだけど、僕はジネンカフェをこのまま途絶えさせるのは凄く勿体ないと思っているのが正直な気持ちです。ジネンカフェだけが続けば良い訳ではなくて、ここでいろいろなことを知った方がいろいろな場で、仲間で集ってお互いのことをホッと出来る関係の中で話しあえるとか、「安心して失敗できる環境」と僕は思っていますけれど、自分のことを曝け出しても良いのだと思える場所で、交流できる場をどんどん作って行くことでみんなの居場所を作りながら、いろいろな人が生活しているから多様な人が自然体で良いのだなと思える環境が培われていくのだろうなと思っています。だから次の手と言われても、続けるしかないのではと思っていますけれど…。
名畑
先ほど西田さんが私と初めて会った時に赤ワインを飲んでいたと言われたのですが、それで思い出しました。私が時々『バレエナイト』という企画を行っていまして、私バレエを観劇するのが好きなのですね。バレエを楽しむ人の人口はそれほど多くはないのですが、自分の好きなバレエダンサーを6人選んで、その6人のダンサーをイメージしたワインをセレクトして、その映像を観ながらワインを飲むという気持ちの悪い会を行っています。私「バレエの好きな方は来ないで下さい。なんか面白そうとか、ワインが好きな人だけ来て下さい」と言っているんですが、それをやるとダイジェスト映像を観ながら、「確かにこれ合うわ〜」という声が聞こえて来たりして、私が好きなのでついつい喋り過ぎるんですね。それに対して「気持ち悪い、気持ち悪い」「キモーイ」という歓声が飛ぶんです。私はそう言われることを褒め言葉として受け取っているのですが、そんな変な会を行っているんです。共感せずとも面白がる、が、多様性かな、と。何が言いたいかと言えば、たまにはワインが飲めるところで行っても良いのではないかなとか、先ほどまでひとの多様性の話や、くれよんさんの空間の素晴らしさの話もありましたが、環境をあえて変えてみる。環境にも多様性があるということを切り口に行ってみると、ひとの繋がりも爆発的になるのではないかと思っているんです。そんなことを思ったきっかけがもうひとつあって、私は川の活動も行っています。川の活動をしている人たちの発表会に参加した時に、山から海までの活動を紹介してもらったのですが、海なら海洋プラスチックの問題ですよね。山だと木が便秘状態になっていて、森林が崩壊してゆくと…。海や山の活動をされている方々がこれほどいらっしゃるのに、負荷をかけているのは都市住民なわけですよ。負荷をかけている街の人たちがその会にはいらっしゃらないので、この川の活動の発表会に街の人たちがいたらどうだったろうなと思ったりもするのですね。そう思うと一年に一回は遠足をするとか、そういうことも入れると引き継ぐ人が大変かもしれないのですが…。川でやってみようとか、山でやってみようとか、環境の多様性という意味では良いのかなと思っています。
村田
いろいろなアイデアを出していただいたのですが、会場の皆さんからもぜひご意見をいただければと思います。
F
まちの縁側育くみ隊のFです。ジネンカフェ、先ほどから大久保さんが女の人をゲストに呼ぶことが多いと言われていますが、150回の記録で数えてみると女の人が58%ぐらいで、三分の二も行ってないのですよね。ちょっと大久保さんの名誉のために…。よく見ると僕はゲストに呼ばれていないよね?
T
呼びたくなかったのだわ。僕たちのこと嫌っているもん、大久保さん。
F
先ほどしらさんが周りの人たちの大久保さんの扱いがザツで驚いたという話をしていましたけど、僕らも「エロクソ親父」とか言ったりしているから、確かにはたから見たら虐めているとみられるかも知れないけれど、それも大久保さんの人柄でね。ノーマライゼーションというもののリアルな姿を体現させてもらったよね。綺麗な言葉を並べたり、頭の中で思い描く理念とかよりも、こうやって「エロ親父」と呼ぶことによってフラットになれた瞬間があったような気がします。
T
まちの縁側育くみ隊のTです。大久保さんと村田先生が一年半かけて凄く議論してたなぁ〜というのを思い出しましたね。僕は大久保さんに「何かやれや、やれや」っていつも発
破をかけていて、大久保さんが「う〜ん」と唸るんですよね。「自然(ジネン)」と聞いた時、いいねと思いました。自然薯もあるし、良い名前を付けたなって。150回も行うとはよもや思いませんでしたが、例え150回で終わったとしてもジネンカフェのネットワークや、ここで残したことには当然意味があるからそれを現在掘り起こし中なのでしょうけれど、こういうメンバーを組み立てて、なばちゃんはまだ全国区で行くと思うし、このジネンカフェでやって来たことを更に強くしてゲストスピーカーとして自分たちの好きなまち、綺麗な子がいるまちに大久保さんが出かけるというのはどうかと思ったんですが…。
村田
ありがとうございます。他にどなたか…。自分がしていらっしゃる活動も含めて、こんな展開もあるよねということを一言二言。純粋にこれまで聞いていて質問でも良いです。
O
今日初めて来ました。初めて来たのが最終回、あれ? みたいな…。私、趣味で畑をやっているのです。常々私畑のコミュニティを作りたいと思っているのですが、土地を持っていなくて。たまに無料で使ってくれてもいいよって言ってくれる人もいますが、メッチャ広いのです。そういうところは望んでないのです。こじんまりしていて、畑の隣に小屋があってキッチンとトイレがあったら集まれるなあ〜って。天気が良かったら外でBBQでもしながら、いま収穫したものを焼いて食べるみたいなことをやりたいなと思っているのですけれど、ずっと思っていてずっと夢が叶っていないという状態です。
T
125回のゲストでお話させていただいたTです。現在、大曽根商店街で喫茶はじまりというお店をやっています。お店を始めるきっかけもジネンカフェにゲストとして呼んでいただいて、初めてずっと頭の中に思い描いていたお店のイメージを口にしたことがきっかけで、そこから2018年だったのでもう7年経っていますが、結構あの時話したままの風景が出来上がりつつあって、この間写真を撮ったら、ジネンカフェで喋った時にイメージに合う画像が見つからなくて私スケッチブックにイラストを描いて持って行ったことを思い出したのです。その時のイラストに近い写真が撮れてよかったなぁ〜というのと、やはり私のまち、大曽根でもまだまだ本当にお客さんと喋っていると、めちゃくちゃ凄い才能や好きなことを隠し持っている人がたくさんいるので、私も地域の人たちがいろいろ喋れることが出来る場所を大曽根で作って行きたいと思っています。
B
私は緑区の有松で活動しているBと申します。私も今日はじめて来ましたが、初めてが最終回という、先ほどの方と同じ思いです。でも、来て良かったと思っています。私が今日来たのは村田先生が登壇されるということで、有松でも村田先生に凄くお世話になって、『30年後の有松を考えよう』というワークショップをそれこそ5,6年前、2019年から3年間関わって、ファシリテーションをいろいろアドバイスいただいたのです。その時にいただいた言葉が物凄く印象に残っていて「不易流行」という言葉なのですけれど、有松のまちも歴史のあるまちで、私は名古屋に生まれても仕事で関わるまで知らなかったのですが、住んでいる方々は凄くまちにプライドを持っているのですね。そういうところがいいなと思って、現在飛び込んで活動しているのですが、そういういいなと思うところも大切にしながらも新しいものを受け入れる。そんな多様性を持たないと駄目だよとおっしゃっていらしたのが印象に残っているのです。ジネンカフェが長く続いて来たのも「不易流行」を追求して、それをみんなで共有している。そんな場だったのだろうなと思います。もし150回以降、有松でもやっていただいても良いなあと思いました。
I
ジネンカフェは、くれよんBOXで結構やってもらっていたのですが、大久保さんに問いたいことが…。くれよんBOXというのは、まちの縁側なのでしょうか? 基本的にはそのような活動をしたいという想いはあってやっているのですが、そんなに地域の人が来てくれるわけでもないし、入りにくい空間であったりして、現在2階でNゲージをやっているのですが、半年やって小学生が5人ぐらいしか来なくて、なかなか地域やまちに開かれている感じではないのですね。こちらからもそんなに大きなイベントを仕掛けているわけでもなく、現在2階が空いちゃって誰か借りてくれないかなぁ〜と探してはいるのですけど、なかなかそういう人も見つからず、一緒にまちの縁側をやってくれる人はいないかなと。そこで再び問います。くれよんBOXは、まちの縁側なのでしょうか?
大久保
僕は、まちの縁側であると認識しています。あの細やかながら親密な空間もさることながら、部外者の僕なんかがひょっこり行ってもウェルカムで、そのくせ放置されることもあり、その空気感がいいのですよ。ベタベタされるよりも素っ気ない方が心地よいのですよ。まあ、その人によりけりでしょうけどね…。
村田
いろいろなまちの縁側があっても良いということですよ。うちのゼミ生に訊きたい。若い人は今日の話をどう思った?
N
村田ゼミのゼミ生のNです。今日のお話を聞いていて、私は村田先生を追って大学に入った人なのですが、村田先生の授業を聴いていてノーマライゼーションとか、まちのお話は自分の中で興味があったし、関心を持っている方だと思っていたんですよ。でも、まだまだ知らないことがたくさんあるなということを感じました。未熟さも感じましたし、もっと知りたいことがたくさんあるなとも感じました。それと同時に自分の地元・岡崎にはこういう活動はみないなと思っていて、自分はちょっと前に演劇の部活をやっていたのですけど演劇の活動もみなかったし、まちづくりのいろいろな人が集まることはあっても、その人たちの話を聞く機会ってあまりなくて、有松に持って行きたいという話もありましたが、岡崎にも持って行きたいと思いました。私はこの4月で就職するのですが、その就職先で活かせるかどうかわからないのですけれど、今後出来たら面白いなと思いました。
G
先ほどの外国人の夫は現代アートのアーティストなのですが、パレード作品を創るというアート活動をやっておりまして、それもただパレードすることが目的ではなくて、地域の人と地域の物語をリサーチして創る過程こそが大切だと。先ほどから言われているようないろいろな人が持ち寄って、違う人、違う文化が出会うことによってクリエイティビティが生まれると、彼の故郷トリニダード・トバコの文化が伝わるのですけれど…。そのパレードに大久保さんが参加して下さって、私も大久保さんに惹かれちゃって今日来させてもらっているのですが、お訊きしたかったのは大久保さんにですけど、二つあって先ほど先生が17年前に比べて状況が確実に悪くなっていると言われたのは、私はちょっと違うかなと思っています。もしかしたら私の見方が悪いのかも知れませんが、17年前に私が黒人の夫と結婚して子どもを作ろうとしたら多分物凄い障壁があったと思うのですが、現在子ども二人いて社会に出るのも理解されるようになって来ていると思うし、女性が子どもを持ちながら働くのも当たり前のこととして変わって来ていると思うのです。でも私が見えていないところで悪くなっているところも確かにあるので、やはり見えていない部分があるのだろうなあと思っているのですけれど、個人的にはどの時代にも大変なことがある中で生きていくしかないのかなと思っているのですね。そこで大久保さんが17年前と比べて悪くなっていると感じているのかと、もう一つは大久保さんのメールって、頭良いのですよ。そこが女子を惹きつけるコツだと思うのですが、読書家なのか、その豊かさはどこから来るのか? マーロンがトークショーをした時にも来て下さったのですけど、マーロンが物凄く難しい、よくわからないことを言うのですよ。アーティストだから。私はもっと分かりやすく伝えた方が良いと思っている時に、それにも食いついて来てくれてアーティストはこうして作品にしているのだと言葉にして感想を下さって、ものを受け止めて言語化する能力とか、ジネンカフェの記録も残っているそうですが、その背景となる読書の土台があるのか、どうしてそう言う能力を大久保さんがあるか? その二点をお訊きしたいです。
大久保
先ず一点目の17年前に比べて現在の社会を僕がどう捉えているかですが、僕は「変わっていない」と感じています。確かにハード的なバリアは完全ではないにしても解消されています。でも、心のバリアは相変わらずです。ただ、昔は人権侵害とか差別があっても表沙汰にされなかったけれど、今はそうではない。ちょっとしたことでも、報道機関が騒いで問題が表に出やすくなっている。だから余計に世の中が悪くなったように見えるのだと思っています。忘れられないのですが、昔は街を歩いているだけで「税金泥棒」って罵倒されたものですが、今はそんなことはありません。そういう点では良くなったとも言えますが、表面的にはそう見えるだけなのかも知れません。本質的には17年前も今も変わっていないと感じています。二点目は僕は幼い頃からこの体でしたので外に出て遊ぶということが出来ませんでした。当然のことながらインドア派になり、本ばかり読んでいました。現在でも読むのも書くのも好きですよ。地方の文学賞ですが、2度ほど入賞したこともあります。
村田
話すと辿々しく聞こえるのですけれど、文章をみると本当に…。ぜひブログのジネンカフェの記録を読んで貰うと良いと思います。
T
紙芝居の物語は最初に作った時には大久保さんが一週間で短編の物語を書いてきて、それを一週間で紙芝居として完成させたのです。そういう能力をお持ちの方です。
O
今回司会をさせてもらっているOです。私自身ジネンカフェに関わるのは15年、もっとなのかなあ〜と思うぐらいなのですが、大久保さんと知りあって20年近くになるんですかね? 先ほどお話の中に出てきた『カレーなる晩餐会』にも関わっていました。私自身いままでジネンカフェには関わっていたのですが、他のことや地域活動にも関わりもせずに生きてきたのですが、私も大曽根に住んでいますので「喫茶はじまり」さんには行けてはいないけれど、地域コミュニティの中でなんとなく知っていて、ちょっと行ってみたいと思っている場所なのです。私、子どもが産まれたこともあって地域コミュニティってすごく大切だなと思うことが増えていて、きっかけは今年町内会の組長になったのですね。自分の中では良いきっかけになったなと思っていて、地域コミュニティの大切さはそれでないとわからない部分がたくさんあるのですね。私が住んでいる地域はお年寄りがすごく多い。若い方もいらっしゃるのですけれど、マンション暮らしで町内会には表立って出て来ない方々が多いのです。餅つき大会とか現在まだそういう行事が残っています。でも担い手がいないから今後出来なくなるかも知れないとか、搗き手募集していますとか、そんな話をよくされていて、盆踊りとかいろいろまちの行事があるのですけれど、それが今後衰退して行くと思うと淋しいのです。それでは自分たちが担い手に…と思うけれど、子育てを始めると難しい反面もあって、私自身はいろいろやりたいのですが、夫がそういう活動に協力的ではない。私はこういう場によく参加していますし、町内会も私が出て行っているのですが、夫は面倒臭い、自分のためになるかどうかわからない、そういう有用性をあまり感じることがないという価値観の違いを感じることが多い。経験によって人の価値観は育って行くものだと思っているので、こういう会の有用性はたくさんあるなあと思っています。このまま続いてくれるのは嬉しいなと思っている反面、なかなか参加出来ないとか、今日も子ども連れて来てもいいよと言われたので参加出来たのですけれど、そういう子どもに優しいところ、個人的に困るのが今日は私子どもをハイハイさせていたんですけど、歩く前の子どもを連れて行くのが大変なんです。歩いてしまえば一緒に歩けばよいのですが、それまでが物凄く大変で何か会を開く時にオムツ替えのスペースや授乳スペースとか、ハイハイ出来たり遊べるスペースがあると嬉しいなと思っています。
村田
そろそろお時間なのでまとめに入りますが、その前に村田もいろいろとやっているのでひとつだけ紹介します。先ほど「食べる会」というのがありましたけれど、村田がやっているのは焚き火です。『街中焚き火カフェ』と言って長久手のイオンの前に公園があるのですが、市役所の許可を得ながらその公園で焚き火をするんです。焚き火をしながら、ちょっとしたものを食べながら、いろいろ話が出来る会をやっています。よろしければご参加下さい。村田自身は割りと田舎に住んでいて、岐阜県恵那市の里山に暮らしているので使ってない畑もあります。BBQもいくらでも出来ますし、私自身猟師もやっていますので鹿や猪の肉も提供出来ます。まあ、それはそれで…。まとめに入りたいと思います。幾つかのヒントをいただきました。ご質問の中にあった情勢について良くなっているのか? 悪くなっているのか? 日本の社会の中で現在多様性(ダイバーシティ)という言葉は割りと一般的に了解されるようになっているように思います。それは17年前より確実に浸透して来ています。ただ本当の意味でダイバーシティになっているかといえば、ちょっと怪しいのかなと思っています。何故かと言えばみんな逆にバラバラになったので自分とは関係ないからそこにいてもいいよという感じで存在が認められる社会になっているのではないかと思います。例えば大久保さんとこんなふうに出来るのかと言われると、「いや、こんな人知らないから」とか「会ったことがなかったから」と、障がい者やもう少しマイノリティと呼ばれている人たちと直接コミュニケーションしたり、関わることがないから良いんじゃないの? というような社会のような気がしていますし、確実に言える のは子どもたちの同調圧力はめちゃくちゃ強くなっている気がします。それは深いコミュニケーションをしないから、相手のことを知るチャンスがどんどん減っていて「空気読めよ」という感覚はかなり厳しいものがあるのかな。逆に関わらなければ自由だよねという選択をするように感じています。今日いろいろと話を聞いていて大久保さんという存在はすごく重要だったと改めて気付かされたのですけど、大久保さんの何が凄いのかと言えば身体性を持って我々にあたって来てくれる。言葉の辿々しさもそうですけれど、電動車いすでガーと来て我々とコミュニケーションするということ。身体性を持っているコミュニケーションが本当の意味での多様性を産むのだろうなということを改めて感じさせていただきました。大久保さんの電動車いすで足を踏まれることが多々ある中で、そういったことを改めて感じられたと思います。もう一つジネンカフェが自分も何か出来るかも知れない。自分の地域でも欲しい。というようなお話が今日何人かの人からありました。大久保さんが最後のまとめのところで「種」という話をされていましたけれど、まさにこの17年間150回続けてきたジネンカフェが「種を蒔く」活動だったのだな。そしてひとりひとりの心の中で芽を出し、花を咲かせ、更にまた次の種を育んでゆくというような繋がりがこの中から生まれて来るとすれば、その次のジネンカフェ、ジネンカフェというかどうかはわからないけれど、我々が描いてきた大きな足跡なのではないかなと思いました。お時間ですのでこれにて終了とさせていただきますが、ぜひ皆さんいろいろなところで芽が出て来ますので見逃さないように。そしてみんなでお互いに支えあい、繋がって行ければ良いなと思っています。長い時間ありがとうございました。