ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.060のご案内

2012-03-28 20:55:28 | Weblog
ジネンカフェVOL.060
日時:4月7日(土)14:00~16:00
場所:くれよんBOX(名古屋市昭和区小桜町3-11 羽ね屋敷1階)TEL:052-733-5355
参加費:300円(カフェ代別途)
ゲスト:大久保康雄(NPO法人まちの縁側育くみ隊 理事)
タイトル「ひとり旅のすすめ」

ゲストプロフィール:1959年生まれ。愛知県半田市出身。1999年に「愛知県人にやさしい街づくり連続講座」を受講し、紙芝居『風穴一座』を結成。2003年、当時千葉大学教授だった延藤安弘氏らと共に、NPO法人まちの縁側育くみ隊を立ち上げる。その他、関わった市民活動団体多数。

コメント:20代後半の時に不意にひとり旅をしたくなり、両親と大喧嘩の末、旅に出ました。それ以来、ひとり旅を続けています。その旅先であったちょっとトホホ…な話や、ワクワクした話、人のやさしさに触れた話など、障がいをもった人間の視点から〈ひとり旅〉の醍醐味を語ります。


お問い合わせ/お申し込み

NPO法人まちの縁側育くみ隊
〒460-0002
名古屋市中区丸の内2-18-13
丸の内ステーションビル2F
まちの会所内 担当:大久保
TEL/FAX:052-201-9878
E-mail:ookubo@engawa.ne.jp

※ジネンカフェVOL.060は、ゲストの宮崎貴文さんの事情により、ゲストが変更になりましたのでご承知おき下さい。
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ジネンカフェVOL.059レポート

2012-03-22 08:56:36 | Weblog
今月のゲストは、半田市役所建築課職員の富永和久さん。ジネンカフェは今年で6年目、今回で59回目を迎えるが、行政職員の登場は富永さんで初めてである。富永さんは行政マンとはいっても、行政マンにしておくにはもったいないほど、やわらかさをもった人である。いろいろな顔ももっている。半田市の職員ということもあり、お話のタイトルも『かたい職業の私が、半田の魅力をやわらかくお伝えします』

富永和久さんは、1958年半田市生まれ。平成10年、愛知県人にやさしい街づくりアドバイザー講座受講。平成11年、半田市人にやさしいまちづくり基本計画策定に携わる。所属ボランティア:半田市役所職員ボランティアサークル・肢体不自由児者外出支援ボランティア・人まちクラブはんだ・赤煉瓦倶楽部。資格:手話検定3級、趣味 サイクリング。

富永さんの話は、先ず半田市の歴史や観光・文化…とアカデミックなところから始まった。愛知県半田市は、昭和12年にそれまでの半田町、成岩町、亀崎町が合併し、県下6番目の市として誕生することになった。その頃の人口が5万477人。現在が約12万人であるから、人口は倍以上に増加したということになる。そして昭和33年には全国初の〈非核自治体宣言〉をしている。古くから酒や酢の醸造、酪農、港湾業などで栄え、知多半島の中核都市としての役割を担っている。よく観光の面で知多半島の対岸の常滑市と比較されるが、半田といえば『ごんぎつね』『手ぶくろ買いに』で知られている新美南吉の生まれ故郷であり、〈新美南吉記念館〉がある他にも、黒板囲いの倉庫群が立ち並ぶ〈蔵のまち〉地区、明治時代に建てられて「カブトビール」というブランドの工場だった〈赤煉瓦倉庫〉、市内に31台もある山車が一堂に集まる5年に一度の〈山車まつり〉など、観光面でも常滑には負けてはいない。文化施設や学校なども充実している。そんな半田市ではあるが、まちづくりー殊に福祉的な、人にやさしいまちづくりの点では、愛知県の他の市町に比べて遅れをとっていた。

平成10年のこと。半田市役所建築課に愛知県建築指導課から一通の案内が届けられる。それは県が毎年開講していた〈人にやさしい街づくり連続講座〉の受講案内であった。まちづくりは住民参加で進められるべきだと思っていた富永さんは、その県の<人街連続講座>を受講することにした。そして受講後の平成11年に他の市町に遅れをとったものの、住民参加のワークショップ形式で「半田市人にやさしいまちづくり基本計画」を策定し、文言だけではなくそのモデル地区を選定して整備して行った。

この「半田市人にやさしいまちづくり基本計画」には、大きく四つの方針が建てられている。1.人づくり。人にやさしいまちづくりを担うリーダー、もしくはそのような意識を持って動いてくれる人たちを育もうということである。2.行動のバリアフリー化。障がいをもった人や高齢者など、誰もがまちに出掛けられるように交通機関や電動車いす等の普及を促し、電動車いすなどの充電ができるお店や施設の充実を図ろうということである。3.施設のバリアフリー化。道路や公園、公共施設や駅などの誰もが使う施設のバリアフリー化を図ろうとするものだ。これには学校や民間の商業施設なども含まれる。4.推進組織の設置。これは市役所内で関係する課横断で「人にやさしいまちづくり連絡協議会」のようなものを作り研究をしたり、市民から寄せられる情報についての窓口を設けようというものだ。

この基本計画に基づいて、富永さんは実際の行動にも移す。毎年、市内の各地域で「人にやさしいまちづくりワークショップ」を行ったり、福祉イベントでひとまち啓発紙芝居を上演したり、学校の『総合的な学習』の時間に、ひとまちを取り入れてもらったり、事ある毎に県の講座を受講したアドバイザー資格をもつ市民や、ボランティアなどと共に「人にやさしいまちづくり」を啓発して行ったのだ。このほかにも聴覚障がい者のために「まちかどファクス」という取り組みも行っている。現在では携帯電話が普及しており、聴覚障がいをもつ人もメールで家族や友人とやりとりできるようになっているが、一昔前までは外出先で予定外のことが起きても、然るべき人に連絡の取りようがなかったのだ。聴覚障がいをもつ人の家庭には必ずFAXがある。まちかどファクスという取り組みは、外出先の公共施設や商業施設と、聴覚障がいをもつ人が連絡を取りたい人とを繋ぐ架け橋なのである。

こういった啓発活動や取り組みをしているうちに、ワークショップをした地域の住民自ら、その地域の公民館にスロープをつけてくれたり、工業高校の生徒さんたちが鉄で造ったスロープをつけてくれたり、一般住民の意識の中にも<ひとまち>が浸透をみせはじめていった。そして現在行っている<ひとまち事業>は、県の<ひとまち認定制度>とは異なった、半田市独自の<ひとまち>シンボルマークを募集し、シンボルマークと共にその施設なり、商店や銀行なりができるサービスを書き記し、建物の入り口近くに貼ってくれるようにお願いにまわっているところである。例え入り口に段差があり、お店にチェア・ウォーカーが入れなかったとしても、店員さんが手伝ってくれたり、商品を店頭まで見せに持ってきてくれることによって、高齢者や障がい者がまちに買い物や食事に出やすくするためだ。例えまちの中からバリアがなくなったとしても、そのまちに住む人たちがやさしくなければ、高齢者や障がい者にとって住みやすいまちとは言えないであろう。

また、富永さんはこうした仕事の他にも、いろいろなボランティア活動に積極的に関わっておられる。それもこれも、誰もが安心して楽しく生きていける半田市にしたいがためなのだ。おかげで知多半田駅と共に駅前のバリアフリー化が進み、私も何のストレスも感じず名古屋に通えるようになった。しかし、まだまだバリアフリー化が遅れている地区も、半田市の中にはある。富永さんには、これからも半田市のまちづくりのために頑張ってもらいたい。


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ジネンカフェVOL.059のご案内

2012-03-08 12:14:36 | Weblog
日時:3月10日(土)14:00~16:00
場所:くれよんBOX
参加費:300円(カフェ代別途)
ゲスト:富永和久(半田市建築課職員)
タイトル:『かたい職業の私が、半田の魅力をやわらかくお伝えします』

ゲストプロフィール
1958年半田市生まれ。平成10年 愛知県人にやさしい街づくりアドバイザー講座受講。平成11年 半田市人にやさしいまちづくり基本計画策定に携わる。所属ボランティア:半田市役所職員ボランティアサークル・肢体不自由児者外出支援ボランティア・人まちクラブはんだ・赤煉瓦倶楽部。資格:手話検定3級、趣味 サイクリング

コメント:私は最近何かと話題の半田市の職員をしています。半田市の魅力は決して“萌ぇ系キャラクター”だけに止まりません。半田市の歴史や観光、まちづくり(半田市の人にやさしいまちづくり基本計画や、その事業内容について)、所属しているボランティアグループのことなど、かたい職業の私が半田市のヒト・モノ・コトの魅力をやわらかくお伝えします。

お問い合わせ/お申し込み先
NPO法人まちの縁側育くみ隊
名古屋市中区丸の内2-18-13
 丸の内ステーションビル2F
まちの会所内 担当:大久保
TEL:052-201-9878
e-mail:ookubo@engawa.ne.jp
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ジネンカフェVOL.058レポート⑦

2012-03-04 19:09:37 | Weblog
クジララ♪さんのライブが予定よりも二十分早めにはじまったので、第一部も二十分ほど早めに終了した。十分間の休憩を挟み、第二部ワールドカフェに入った。ワールドカフェの説明は昨年の拡大版VOL.047のレポートに書いたので、ここでは省略しよう。ワールドカフェの進行役は、昨年と同様、まちの縁側育くみ隊の藤森幹人氏。

第一セッションの問いは、「あなたにとって、自分らしくできる居場所はなにですか?」居場所に対して〈どこ〉ではなく〈なに〉と問っているのがミソである。人によってその答えはそれぞれ違うであろう。ある特定の場所や空間と答える人もいるだろうが、他者とか、何かをしている時間と答える人もいるかも知れない。または、相手を認めあう地域や社会の有り様だと答える人もいるかも知れない。私の場合を例にあげると、〈そこに自分の役割があり、自分のことをリスペクトしてくれる仲間がいる空間〉であると答えた。これは思いの外、共感を寄せてくれる人が多かったように想う。やはりひとは社会的な動物であるから、誰もがその社会の中に自分の役割をもち、それによって仲間から賞賛されたいという願望を等しく抱えるものであるのかも知れない。

第二セッションの問いは、「だれもがつながれる居場所に必要なものは何ですか?」これはすぐに答えられる人と、そうでない人が分かれる問いであるように思った。実際に地域の居場所に関わっていたり、訪れた経験がある人とない人では差違が出るのではないかと思ったのだ。私が移ったテーブルはたまたま居場所を立ち上げていたり、関わっていたり、以前関わっていた人が多く、活発な意見が交わされた。いちいちは書かないが、居場所についての熱い想いが交差し、なかなかに楽しいセッションであった。

第三セッションの問いは、また第一セッションの問いの繰り返しになった。私が移ったテーブルはワールドカフェに慣れていない若者と無口な人のグループで、私が喋らないと誰も何も喋らないままの重い時間になりそうだったので、間を持たせようと 私がひとりで喋っていた記憶がある。ワールドカフェにはテーブルファシリテーターは必要ないが、思わずメンバーのひとりひとりに話を振ってしまったほどだ。反省である。

第三セッション終了後、進行役の藤森さんが振り返りのためにテーブルの間をまわり、今回のワールドカフェで気がついた点を6人ほどに訊いてまわった。幾つか印象深い感想が出たが、ここでは私が一番印象に残っているフレーズを書くだけに止めよう。

「自分らしくできる居場所にも、だれもがつながれる居場所にも、結局は〈あなたが必要なんだ〉と言ってくれる仲間がいればこそ」

そうなのだ。〈あなたが必要なんだ〉という言葉は男女間のプロポーズの言葉でもあるが、言った本人と、言われた本人の世界を変えてしまうほどの力をもった言葉である。その言葉を言われた人が多ければ多いほど、その居場所は面白くなり、可能性に満ちてくる。もっと、もっとこの言葉を発信して行こう。そしてこの生きづらい社会を面白く、豊かな世界に変えて行こう!
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ジネンカフェVOL.058レポート⑥

2012-03-04 13:09:59 | Weblog
第1部トークライブの最後を飾るのは、名古屋市の郊外、半田市の乙川地区にある多世代交流スペース<おっかわハウス>の運営をしている半田市社会福祉協議会の職員・前山憲一さん。前山さんは1964年、三重県生まれ。精神保健福祉士・主任介護支援専門員。高校卒業後、足かけ3年間東京でフリーター生活をして、思うところあって日本福祉大学社会福祉学部へ。卒業後は奈良県の医療法人で医療ソーシャルワーカーとして13年間勤務。2002年、半田市福祉部福祉課嘱託職員に。主に精神障碍のある方の相談支援を担当する。2006年、正式に半田市社会福祉協議会の職員になり、地域包括支援センター所長等を経て、現在は「まちづくり課」課長を務めていらっしゃる。

半田市は人口12万人の知多半島を代表する都市である。その半田市の社会福祉協議会が運営する<おっかわハウス>は、平成23年4月にオープンしたばかりの新しい多世代交流型のサロンである。オープンしてまだ一年にも経たないというものの、内装だけを新しくした古民家をそのまま使っており、全然バリアフリーではない。前山さんも予算がもう少しあれば…と言ってみえたが、逆にそれが地域住民相互の助けあいを育む可能性もあるだろう。〈おっかわハウス〉を交流サロンの場として使いあう団体は多種多様、高齢者の団体もあれば、知的障害児者を支援する団体や、精神障害者の団体もある。ハウスの前では精神障害をもった人たちが育てて収穫した野菜を販売している。精神障害をもつ人たちへの理解を促進させるためだ。残念なことに精神障害に対する偏見と差別は、いまだに根強いものがある。それは〈精神疾患〉への理解のなさと、精神障害のある人たちのことを自分とは異なる人たちなのだという意識があるせいだろう。〈おっかわハウス〉で野菜を買い、食べたら美味しかった。こんな美味しい野菜が作れる人たちが、自分と異なるわけがない…。
また、ここはNPOと協働で取り組む学童保育の場でもあり、子どもから高齢者まで、年代・性別・障害の有無に関わらず、地域の人が誰とでもふれあえる居場所なのである。

〈おっかわハウス〉には、軽度の発達障害者や知的障害者の自立生活訓練の場という、もうひとつの顔がある。障害児をもつ親の心配は、自分たち亡きあとの我が子のことだ。自分たちが生きている間に自立をさせたい。しかし、健常児とは違って様々な障害をもつ我が子にいきなり自立を迫るのは無茶な話である。障害をもつひとたちが自立をするには、それなりの時間と生活訓練が必要なのだ。そして親亡き後も地域で暮らしてゆくには、地域の人たちの支援がなければ生きてはいけない。ここでの生活訓練にはもちろん社福士や生活支援相談員やヘルパーなどの専門家も関わっているが、地域の支援グループも訓練に一役買っている。

「一粒で三度美味しい…」それが〈おっかわハウス〉の魅力であろう。
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ジネンカフェVOL.058レポート⑤

2012-03-02 14:53:15 | Weblog
4番手も名古屋市緑区で<かたひらかたろう>という、人の名前と間違えそうな子どもとお母さんたちを中心にしたフリースペースの代表をされている小林照美さん。小林さんは1968年 名古屋市生まれ。元・保育士。私が出会った頃はスタッフをされていたが、現在は3人のお子さんを育てながら、かたひらかたろうの代表を務めてらっしゃる。<かたひらかたろう>というユニークな名前の由来は、その居場所があるところの学区が「片平小学校区」であり、そこでいろいろなことを「語りましょう」という意味で、この名前がつけられたという。

現在の<かたひらかたろう>さんはしかし、二代目である。以前の建物は実は社会福祉法人の持ち物で、1階で知的障害をもった人たちが地域のお年寄りのためにお弁当をスタッフと共に作り、宅配をしていた。2階では女の子たちがさをり織りに精をだしていたのである。しかし、介護保険の導入に伴い、大手が宅配給食サービスを実施し始めると、社福法人の給食宅配サービスは立ち行かなくなり、あえなく撤退。その空き室になったスペースで<かたひらかたろう>をオープンすることになった。それでもその頃は障害をもった人もスタッフとして何人か<かたひらかたろう>さんに通ってきていたのだが、今度は自立支援法が壁となり、社福法人は完全に<かたひらかたろう>さんから撤退することになったのである。

現在の<かたひらかたろう>さんは、以前の場所から少し高台に歩いた片平小学校の目の前にあり、名古屋市から「子育てひろば」としての助成を受けて運営されている。その子育てひろばを運営しているのは「ケロちゃん」という子育て支援グループだ。「ケロちゃん」では、子育て中のお母さん同士が集い、互いに助けあいながら子育てに奮闘している。子育て中のお母さんたちは、一家の主婦として、妻として、母親として動かねばならず、時として悩みを抱え、孤独でナーバスになりがちである。そんな時に自分と同年代のお母さんたちに出会い、相談をしたりされたり、互いに子どもさんをみたりみられたりすることにより、お母さん同士互いを認めあい、連帯感をもつようになる…。孤独でナーバスになっていたお母さんが自分を取り戻し、生き生きとした生活を送れるようになる。つまり、これも一種のまちづくりなのだ。

<かたひらかたろう>さんでは、この他にも。手芸に心覚えがあるお母さんに手芸を教えてもらったり、小学生が畑仕事を手伝ったり、障害をもった人たちの活動も行っているという。地域の誰もが過ごし易く、自分らしく生きられるーそれが<かたひらかたろう>さんの願いであり、小林照美さんの願いでもある。
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ジネンカフェVOL.058レポート④

2012-03-01 21:45:07 | Weblog
三番目に登場したのは、毎年の拡大版に美味しいランチを提供してくれ、毎月のジネンカフェの会場にもなっている〈くれよんBOX〉の職員・山口耕平さん。山口さんは1976年、弥富町(現弥富市)生まれ。様々な紆余曲折を経て名古屋西高校を卒業、愛知県立大学に入学。1998年、急性小脳炎により目覚めたら手足の動きや発声などの機能がおかしい、という症状が発症。2002年、総合リハビリセンターからの紹介で、くれよんBOXと出会い、2009年くれよんBOXの職員になった。

〈くれよんBOX〉さんは、昭和区の社会福祉法人AJUの福祉情報誌の編集委員だった人たちが、自分たちが集まれる居場所がほしいということで、自ら立ち上げた小規模作業所(現・障害者地域活動支援事業所)である。地活とはいうものの、くれよんBOXさんが主に行っているのは、福祉情報誌の編集の経験を活かした福祉情報の発信であり、まちなかのバリアチェックをして、それを小冊子にまとめたり、HPを通して必要な人たちに必要な情報を発信し、届けるという作業を日常的には行っている。

この福祉情報の発信拠点が、土曜日になるとカフェ空間に変身するのである。しかし、当初からカフェを営業しようとしていたわけではないらしい。もともとAJU福祉情報誌の編集委員をしていた人たちが、その編集会議など以外の時間でもみんなで集まって何かできないか?と思い立ち、立ち上げたのが〈くれよんBOX〉さんなのだが、「自分たち以外の人、誰もが立ち寄れるような空間を提供したい」という話になった時に、何も用がないのによそ者が入っていくのはさすがに難しいけれど、飲み物でも出したら、気軽に入ってくることができるのではないか…。そんなふうに考えて、カフェが始まったのだという。逆にそれがきっかけで、〈くれよんBOX〉の存在を知ってもらえることもあるかもしれないという期待を抱きながら…。

つまり、〈くれよんBOX〉さんは、最初からカフェ的居場所を作ろうと考えていたわけではなく、みんなが集まれるような場所を作ろうと考えた結果、それがカフェ的なかたちをしていた、ということなのだ。実は私もよくカフェを利用させてもらうのだが、居心地が良く、ついつい長居をしてしまう。普通のカフェだと、お客の回転率を気にするところだが、〈くれよんカフェ〉の場合〈まちの縁側〉を標榜していることもあり、お客の回転率は二の次であるらしい。しかし、私を含めてこういう「居場所」を必要とするひとにとっては、ありがたい存在だろうなあ~と想う。〈くれよんBOX〉に限らず、「こういう場所があることで社会と接点を持つ安心感、社会の中の雨宿り的な場所があるという安心感などにつながってくるのではないか、そんな気がする」山口さんは、地域の居場所の必要性をそんなふうに表現していた。、
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ジネンカフェVOL.058レポート③

2012-03-01 19:36:03 | Weblog
二番目に登場するのは、〈ナゴヤ駅西サンサロ・サロン〉代表の藤原はづきさん。藤原さんは、1971年名古屋市生まれ。15年間の設計事務所勤務、フリーでの修行を経て2005年に「空間工房ふじわら」を開設する。同年JCDデザイン賞入選。店舗・住宅のデザインを手掛ける傍ら、2009年フリースペース「ナゴヤ駅西サンサロ*サロン」を立ち上げられた。〈サンサロ・サロン〉については、以前にも書いたことがあるので、そちらも参考にお読みいただきたいが、居場所としての属性としては社会的困窮者や引きこもり青年、または社会に出るための準備期間であるニートの人たちの居場所。また、そのような社会に居場所のない状況にある人たちを支援するための居場所ということができよう。

〈サンサロ・サロン〉では、毎曜日いくつかの団体がひとつの空間をシェアしあっている。それらも全て社会的に居場所をもたない、もてない人たちを支援する団体である。対象がどのような方たちであるにしても、〈支援〉の目的はいつでも対象者に自己肯定感や自己有益感をもってもらい、社会とのつながりをもってもらうことにある。自分はこの社会に必要な存在なのだという意識をもってもらうと共に、エンパワメント(その人がもともともっている生きる力)をひ引き出すことにある。オレンジの会さんが金曜日にしている「金曜カフェ」や水曜日の引きこもりや学習障害のある人たちへの学習支援の会など、誠に多彩な支援活動が〈サンサロ・サロン〉という空間を軸に行われているのだ。

その中で〈サンサロ・サロン〉自身が行っているのは、火曜日の「スキマ産業タスカルくん」である。これは仕事をしたくても病気や障害のせいで働けなかったり、失業してしまった人たちに、社会のスキマの仕事、その人でしかできないようなことを見つけ出し、それを仕事にしてしまおうという取り組みだ。この取り組み自体は〈サンサロ・サロン〉のオリジナルではないのだろうが、ネーミングがなんとも気負いがなくユニークである。また、〈サンサロ・サロン〉には中世に魅せられた人や、学生さんたちなど、いろいろな人集まって交流している。駅西というチープな地の利を活かして、〈サンサロ・サロン〉は今日も軽やかに社会的居場所のない人たちの居場所としてあり続けている。


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ジネンカフェVOL.058レポート②

2012-03-01 14:02:18 | Weblog
クジララ♪さんの素敵で楽しいライブが終わり、しばらくの歓談タイムを経て、第一部パネルトーク「地域の居場所の多様性と可能性」に入った。この第一部では名古屋市内及びその近郊で実際にいろいろな形の居場所を運営している五名の方から、その居場所についての発表をしていただこうという趣向である。なお、ここではパネリストさんのプロフィールとともに、当日FGを務めてくれたスタッフがまとめたものを記してゆくことに留めたいと思う。

先ずトップバッターは、名古屋市中区新栄にある〈パルル〉の白川陽一さん。白川さんは北海道出身。北海道で教育学や心理学などを学び、一旦は札幌の公立中学校で教師に就くものの、「違いを持った人たちが、違いを認め合いながら、お互いに育みあい、つながりあっていくにはどうしたらよいのだろう」 という思いが膨らみ、昨年度から名古屋の南山大学大学院で「ファシリテーション」を学んでいる。現在は、家でも職場でもない「第三の居場所(サードプレイス)」について研究を進めており、新栄のパルルを中心に活動中。体験学習を活用した学びの場づくりも行っており、様々な教育現場で精力的に動きまわっている人だ。

白川さんはこの日の発表に先立ち、〈パルル〉の常連さんたちに「あなたは、なぜパルルに行く(行っていた)のですか?」「なぜパルルには人が集まると思いますか?」という二つの問いを投げかけている。パルルについての白川さんの発表は、その結果を踏まえたものである。〈パルル〉は他の居場所とは少し違って、その場を主宰する人が誰もいない。いわば〈パルル〉に集う人々全員が主宰者であるともいえる。しかし、その誰もが自己の権限を主張しようとはしない。不思議な空間である。

〈パルル〉は、もともとはアートギャラリーであった。そこにキッチンもあったのでカフェとしても営業するようになり、現在のようなフリースペースになったのは、オーナーの〈まちづくり〉への想いがあったからであろう。オーナーの「この空間を100人で運営しよう」という呼びかけに応じて集まった人たちが〈これからのパルル(略して、これパル)〉というゆるやかな繋がりを持って、いろいろな諸問題に対応しているという。つまり、実際のまちでいう自治会みたいなものか。いや、それよりも拘束力がなく、もう少しゆるやかなつながりであろう。誰かが何かをやりたいという。それに対して〈これパル〉で話しあい、みんなが賛成すれば実行する。反対者がいた場合にも強行することはない。全員が納得がゆくまで話しあうのである。そうしてみんなで使いあい、共有してゆく…。そう、白川さんもいみじくもお話されていたが、例えてみるならば〈パルル〉とは、まちなのだ。まちはいろいろな人たちがいて、様々な意見があった方が楽しくなるし、素敵なまちになってゆくのだ。〈パルル〉には、そんな魅力があるのだ。
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