ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.109レポート

2017-01-20 18:57:30 | Weblog
12月のゲストは〈NPO法人子ども&まちネット〉の西村健さん。西村さんは大阪府出身。小学生時代から愛知県へ。大学生の頃から地震防災啓発活動を行い、愛知万博に企画出展。この頃に「こどものまち」という子どもの社会体験イベントに出会う。卒業後は行政コンサルに就職、行政計画策定や市民アンケート調査等に従事。その後、大阪のキャリア教育関連のNPO法人で「こどものまち」を企画。また、地域ラウンドテーブルの立ち上げや地縁団体と市民活動団体のマッチングイベントを企画。2014年から愛知に戻り、青少年施設に勤務後、市民活動推進センターに勤務。現在はNPO法人スタッフと並行して、行政の嘱託職員として自治会支援に従事していらっしゃる。お話のタイトルは『ニシムラタケシ解体新書~建築、防災、子ども・若者、地域と仕事』

【子どもの頃からの理系】
西村健さんは、現在33歳。小学生の頃から算数や理科が好きで、高校の時に自分が将来的に理系の道に進むだろうと信じていたが、それでも何か社会と関わることもしたいなと思っていたという。一概に社会と関わる理系の仕事といってもいろいろとあり、研究をして飛行機を作ったり、自動車を作ったりするのもそうだが、西村さんはもっと人に近い分野は何だろうと考え、大学では〈建築〉を専攻していたそうだ。

【いきなり学祭の実行委員をすることに…】
名古屋大学建築学部に入学した西村さんは、入学早々学校祭の実行委員に選ばれた。名大の学祭は毎年6月に開催され、それぞれの学年、学部から実行委員が選出されて実行委員会が組織されるのだが、誰も立候補する人がいなかったのでジャンケンで決めることになったのだ。そう、西村さんはジャンケンに負けて、実行委員をすることになったのである。しかし、学祭の実行委員とはいうものの、4月に立ち上げて6月か本番なので、正味なところ活躍の場がなかったのだ。そこで燻っていた胸の内を「学内だけではなく、地域に出て何か活動したい」と実行委員会の先輩に話したところ、その先輩の友人で防災教育を行う学生のサークルを立ち上げようとされている人を紹介され、誘われて西村さんもそのサークルに参加することにしたという。2003年の秋のことだ。

【震災ガーディアンズ】
こうして〈震災ガーディアンズ〉というサークルに参加した西村さんは、地震防災の啓発活動を三年間ほどされていた。東日本大震災や2007年の中越沖地震、山越村が全村避難した2004年の中越地震、この辺りから日本全体の地震防災に対する気運が高まって来ているが、西村さんがサークルに参加された頃は、ちょうど防災に対する意識が社会的な波としてさざ波立っている時期で、その潮流に乗って活動する機会はいろいろあったとか。2005年の愛知万博で企画出展されたり、新聞に取り上げられたり、FMラジオにも出演したりしたそうだ。
【つまらないことを面白く】
震災ガーディアンズの活動におけるモットーは「つまらないことを面白く」というもので、防災教育というものは必要なものだけれど、子どもたちにとってはあまり面白いものではない。それをどう面白く子どもたちに伝えるか? 学生のサークルだったので、専門家の先生や行政とは違った切り口で取り組みたいと思ってもいた。いろいろと試行錯誤した結果、《すごろく》というものに辿り着いたのだという。防災をすごろくに落とし込んで、地域の防災訓練で大人たちが消火訓練などをしている横で、このすごろくで子どもたちに遊んでもらう。つまりすごろくを通して、防災の知識を身につけてもらうというワークショップを行っていたのだ。カードを使ったり、防災グッズも値段が高いイメージがあるが、要は備蓄のためのもので、避難所の生活も簡単に言えばサバイバルキャンプと見做し、そのキャンプ用品を100円均一ストアーで揃えられないかと考えて、缶詰やミネラルウォーターやレジャーシートなどを買ってきて、実物を使いながらゲームをされていた。

【すごろく研究所】
この活動をしているうちに〈双六〉というものが防災以外のテーマでも活用出来るのではないかと考え、2006年頃にまた新しい学生のサークル『すごろく研究所』を立ち上げたという。このサークルでは幾つかの双六を作ったり、双六を作ってもらうワークショップを行っていたそうだ。防災双六もはじめは西村さんたちサークルのメンバーが作り、それをワークショップで体験してもらうということをしていたのだが、「作る」過程も楽しく、コンテンツだけではなくプロセスも参加者の皆さんに体験してもらえないかということで、小学生地震に関する双六を作ってもらったりされていた。学校内とか登下校路を歩いて、ポラロイドカメラで危険な箇所を写真に撮り、それを双六にまとめ、その双六で実際に遊ぶ…ということをしてきたという。防災の他にもまち歩きをして双六を作った例として、衣・食・住をテーマにして三回ワークショップを行ったことがあった。地下鉄の駅を起点に幾つかに分かれてまち歩きをしてもらい、テーマにあわせて、そのまちの特徴を拾って来られないかと考えたのだ。

【人生ゲームをつくる-世代間のギャップを埋める可能性も】
双六形式のボードゲームで一番ポピュラーなのは『人生ゲーム』だが、『人生ゲーム』を自分たちで作るというワークショップも行った。これまでの人生を振り返って楽しかったことや、大変だったこと、自分に影響を与えた社会的な事件などを書き出して行き、その一方で参加者ひとりひとりの将来の夢とか希望とかも書き出して行って、参加者全員の人生をまとめて双六に落とし込んでゆく…というワークショップをしたという。参加者が同じ世代であれば「小学生の時に流行ったゲームって、こんなのだったよね?」というような会話が出来る。一方で世代が違っても実は小学生時代に同じことをして遊んだ経験があるよねといった、世代間のギャップがあるようでない会話が生まれる。そうしたお互いのことを語りあうようなワークショップもしていたそうだ。

【建築からまちづくりへ指向の変化】
そんなふうにサークル活動を行っているうち、西村さんはその道に進みたいと思っていた建築に興味を失してゆき、その代わりまちづくりに関心を寄せるようになっていた。建築では当然のことにハードをどう建てるのかが中心になるのだが、その建物をどう使うのかといった、ひとにフォーカスするような方向に興味が向いて行ったのだ。

【全身タイツ姿でゴミ拾い】
それと時を同じくして西村さんは、名古屋駅西口前で戦隊物ヒーローの全身タイツを着てゴミ拾いをされている〈NGOアース〉の活動にも共感を寄せ、自身も活動をするようになって行った。〈震災ガーディアンズ〉の活動におけるモットー「つまらないことを面白く」というのは、実はこの活動をされている時のモットーでもあり、ゴミ拾いというつまらないことを、このNGOの活動では戦隊物ヒーローのタイツを身につけることにより、楽しくさせていたのだ。西村さん自身も実際にタイツを身につけて、活動に参加したことがあるそうだ。まちの中で全身タイツ姿でゴミ拾いをしていると、いろいろなひとからの視線に晒されるため、変身するのを躊躇うひともいるのだが、顔も覆面で覆われているので誰なのかは解らない。また、戦隊物ヒーローのタイツ姿で活動していると、通りがかりのひとから手を振られたり、握手を求められるという。普通の生活をしていては、赤の他人から手を振られたり、握手を求められるなんてことはないだろう。その姿のまま、地下鉄に乗ったこともあったそうだ。2010年の5月30日、いわゆる「ゴミゼロの日」がちょうど日曜日だったので、いつもの名駅西ではなく栄で大きなイベントを行ったこともある。戦隊物ヒーローのタイツだけではなく、いろいろなコスプレをした人たち300余名も集合してもらい、地下鉄に分かれて乗り、様々な目的地でゴミ拾いをして、また栄に戻って来るという大掛かりなものだった。

【廃高架線下にまちを作ろう】
大学時代のサークル活動、地域活動ではそんなことをしていた西村さんだが、一応建築の勉強もされていたので、ここでもまちを歩いたり、眺めたりしていた。名古屋市営地下鉄名港線の六番町駅と東海通駅の中間辺りにURの九番団地がある。その北側に使われなくなった貨物線の高架がぶつ切れにされて残されている。現在東京方面から来る貨物列車が貨物ターミナルがある中島に入るには、わざわざ稲沢まわりで名古屋駅、笹島を通って中島貨物ターミナルへ入るそうだ。それを大府の辺りから南まわりのルートでターミナルに入れられるような貨物路線を計画していた。9割作った時点で周辺の反対運動に遭ったり、国鉄がJRグループに分割されたりして、この計画は頓挫してしまったのだ。そういう理由から無責任にも高架線は残されたままになってしまったのだが、車が通る幹線道路の上はコンクリートが崩れると危険なので、ところどころぶつ切りにされて、現在でも野ざらし状態になっている。そこに西村さんは目をつけ、名古屋港が近い土地柄でもあるのでコンテナを高架下に据え、窓をつけたり、ペィンティングしたりしてひとが住めるようにし、これを幾つも作って高架線下にまちが作れないかという提案をしたそうだ。

【NPO法人子ども&まちネットとの出会い】
防災すごろくで活動されていた頃、名古屋都市センターの助成金を申請することになり、そのプレゼンで「子ども向けにこんなことをします」と話したところ、同じくプレゼンに来ていた〈子ども&まちネット〉の代表・伊藤さんから「あなたたちの活動はよいけれど、子どものことをどれだけ知っているの?」と尋ねられ、確かにあまり知らなかったのでそう答えたら、「一度うちにボランティアに来なさい」と言われたという。そうして西村さんたちは〈子ども&まちネット〉にもボランティアに行くようになったのだ。

【こどものまち】
その子ども&まちネットが2007年の年末に中村児童館において、「こどものまち」のイベントを行った。「こどものまち」とはドイツのミュンヘン市発祥の、子どもたちが自分たちで会議を開いてまちの規模や機能やルールを作り、お店も自分たちで手作りして運営をするイベントで、職業体験と社会参画体験の側面もあるワークショップである。西村さんはその年の「こどものまち」にボランティアとして関わり、現在でもこれを仕事に出来ないかと思うほど衝撃を受けたという。お店とはいうものの、商品は子どもたちが作るものなので、あまり大したものは出来ない。折り紙で折った手裏剣などの部類。それとやはり商品の消費がしやすい飲食店が多いという。それでもその年の「こどものまち」で、飲食店以外で唯一黒字になった店があった。それは意外にも「財布屋」さんだったという。もともとその店は「財布屋」さんではなく、「本屋」さんだったのだ。コピー用紙を二つに折ってホッチキスで留め、そこに子ども自身が絵を描いて「本」として販売していたのだが、正直売れるわけがない。一計を案じたその「本屋」の店長は、そのまちの住民や訪れる人たちにとって必要なものは何かということを考えた。「子どものまち」では、そこでしか使えない紙幣でものの売買がされているのだが、その紙幣を持ち歩くことに困っているひとが多い。そんなことを自分で気づいたのか、誰かに訊いたのかは解らないが、即座に「本」と同じ材料で「財布」を拵え、販売したところ飛ぶように売れたという。

【偶然が呼ぶ奇跡の物語】
まるで偶然が呼ぶ奇跡の物語である。そんな場面を目の当たりにした西村さんは感動し、この「こどものまち」に魅せられてしまったという。いまも名古屋市の事業を受けている〈NPO法人子ども&まちネット〉で「こどものまち」を続けさせてもらっているし、大阪の〈Cobon(こぼん)〉というNPOで行ったり、大阪の別の団体で行ったり、いろいろなところで「こどものまち」を行っているそうだ。2010年に名古屋の吹上ホールで行われた時には、二週間で20,000人の子どもたちが訪れたとか…。今年(2016年)は、12月24・25日というクリスマスに行うという。

【行政とNPO、協働の限界や可能性】
西村さんが関わっている〈NPO法人子ども&まちネット〉は、主に子育て支援の活動をされているのだが、最近は「子ども」「若者」の定義の対象年齢が上がって来ている。文部科学省が定義する「若者」は34歳まで。厚生労働省によると39歳までになるそうだ。子ども&まちネットが子どもと若者の支援活動をする中で、青少年交流プラザ(ユースクエア)の三年間の指定管理を取り、その一年目に西村さんもスタッフとして入った。「こどものまち」でも少しは関わりがあったのだが、この青少年交流プラザでは指定管理ということで行政との関係が西村さんの中で大きくなってきたという。行政とNPOとの協働でどんなことが出来るのか? その限界や可能性を感じた一年でもあったそうだ。

【大阪時代の仕事】
これまでの人生の中で6回ほど転職している西村さんだが、実は2年半ほど大阪に戻っていた時期がある。地域団体、名古屋でいえば学区連絡協議会や町内会とか自治会などの団体を顧客として仕事をしていたことがあるそうだ。大阪市コミュニティ協会という法人が大阪市からの業務委託を受けて募集していた地域まちづくり支援員にとして関わった仕事である。西村さんとしては、その時まで町内会や自治会は興味はそれほどなかったそうだが、当時大阪でお世話になっていたNPOもそれほど大きな団体ではなく、この先給料が十分支払える状態ではないということで困っていたところ、募集していたのだ。応募してみたら運良く採用されたという偶然のなりゆきだった。具体的な仕事としては、全国的にそうなのだが、地域組織である町内会・自治会は様々な原因から疲弊してきていて、特に西村さんが関わった地域は名古屋でいう南区のようなイメージで、大きな鉄工所があったのだが、そこが廃炉になったのがきっかけになり、ここ20年で人口が7万人と減ってきていた。人口が7万人で地域にIKEAがあるので週末ともなると3万人集まるというところでもある。海沿いなので地下鉄がそれほど延伸出来ず、大阪市内で唯一急行バスが走っているという地域だった。

【地域組織とNPOの弱点を補い合う】
これは全国的にみてそうなのだが、この地域の問題も人口が減少していることに加えて町内会・自治会の役員が高齢化して来ていて、いろいろな問題も発生したりする度に大変な事態に直面することにあった。しかし、その一方で大阪にはNPOが多く、NPOはその問題点を解決するノウハウを持っていたり、開発してきたりしている。しかしながらそのNPOもそれほど大きくないため、実際に活動する場所とか、対象とする人が見つけられない状況があった。それならばこの両者が手を携えれば、両者が抱える問題も解決出来るのではないか?

【地域組織とNPO団体とのお見合い】
しかし、そうはいうものの、当時はまだ「NPOってなに?」という人たちが多い時代だった。そこで町内会・自治会などの地域組織と、NPO団体とのマッチング・イベント『地域活動見本市』を企画したという。地域活動の紹介をしてもらったり、福祉系や災害支援、子どものキャリア教育を行っているNPOの代表や、区長さんにお話をいただいたり、パネルディスカッションをしたり…。西村さんが関わったのは4年前の一年間だけだったのだが、現在でもそのイベントは続いているそうだ。

【現在の仕事】
建築・地震防災・子ども関係・地域支援と渡り歩いてきた西村さんだが、次に何をしようかと考えていた時に、現在の仕事である〈コミュニティサポーター〉制度が今年(2016年)の9月から始まった。8月まではボランティアやNPOの所管をしている名古屋市市民活動推進センターに勤めていたのだが、他の業務もあって西村さんが思ってる、地域とNPOとのマッチングがなかなか事業展開出来ないでいた。〈コミュニティサポーター〉という制度は、新しい制度なので市の職員自体も「こうして行こう」というものが固まっていない状況で、ゼロベースで始まる部署であれば、自分が思ってきたことが出来るのではないか? と考え、応募したら今回も採用されたという形だという。9月にスタートして一月間は研修だったので、実際には10月から働いて二ヶ月が過ぎたところである。(2016年12月時点)

【具体的にはこんなことをしています】
具体的な動きとしては、広報誌やWebサイトのような広報媒体を持っている学区などがあるのだが、それをどう活用してゆけるのか? みたいなことで、名古屋も地域組織の役員さんが高齢化しており、担い手もあまりいないので、こういったことも若い人たちにバトンタッチして行きたいという話を聞いて、現在提案をしているところだそうだ。また、津波の被害が想定されている地域で、津波に強い地域をどう作ってゆけばよいのか? 津波に対して地域が対応するには、どういう訓練をすればよいのか? 等々を地域の人たちと一緒に考えているという。しかし、この〈コミュニティサポーター〉制度は始まって二ヶ月ということもあり、地域からの依頼がまだ14件しかない状況であるという。名古屋には266もの学区があるのだが、そこからの依頼がないと仕事がないので、もう少しこの制度の認知度を拡げて行きたいと、西村さんは思っている。


【雲南ゼミ】
行政と地域ということで言えば、今年(2016年)の9月末頃にNHKスペシャルで『消滅日本』という刺激的なタイトルで特集が組まれていた。名古屋のような大都市であればそこまでの危機感はないのだが、中山間地に行くと人口減少、若者離れによって小学校も廃校になり、中学校もなくなってゆきます。50年後には集落それ自体もなくなります…みたいな特集であった。その番組の中で紹介されていたところが島根県の雲南市。いろいろなところが出している日本全体の平均の人口推計の20年先を行っているぐらいの地域で、出雲や松江からもそれほど遠くはないのだが、市域が広いので愛知県でいうと豊田市のようなところだそうだ。名古屋に近くベッドタウン的なところもあれば、山間部で大変なところもある。その雲南市で『雲南ゼミ』という雲南市の取り組みを全国の人たちに知ってもらいたいという企画を立ち上げられており、西村さんもそこに参加してきたという。

【雲南市の取り組み】
この雲南市は『雲南ゼミ』を企画する前から、地域で映画を撮ったり、どぶろく特区(日本の酒税法ではどぶろくは醸造してはいけないのだが、雲南市は許されて醸造している)を取ったり、新しいことはしてきているらしい。12年前に6町村が合併した時に、これまでと同じような行政と地域の関係性は維持出来ない。職員も減らさなければならない…。地域が自立出来る仕組みに出来ないか? ということで、地域自主組織というのを雲南市全域に立ち上げようという動きが、合併と同時並行で進んで行ったのだ。現在ではそれを『小規模多機能自治』というのだが、小規模=名古屋の小学校区ぐらいの規模で、いろいろな機能をもった町内会や自治会が地域を動かしてゆく。ここでいう「多機能」を説明すれば、例えば行政が行う水道の検針等を学区が行うような感じである。学区が水道の検針を行うと、それが独居老人等への見守り事業とも繋がってゆくのだ。水道の検針に行ったついでにその家の高齢者に声をかけ、支援が必要なら福祉サービスへと繋げられる。そういう事業を受託して行ったり、自分たちで商品開発をして道の駅で販売したり、そのような新しい取り組みをしているのだそうだ。現在では本来行政が行う事業を、学区が「自分たちが行う」と提案しているほど。住民票の発行とか、そういった窓口業務ぐらいなら出来るの
ではないかというところまで進んでいるらしい。

【最近思っていること】
とにもかくにも雲南市では、町内会・自治会が行政に頼っていない。名古屋でいえば区役所みたいな行政の支所があるのだが、その支所も職員はもう要らないから減らして良いよ。自分たちが運営するから、それだけの委託料をくれ…という感じなのだとか。本庁でやるべき申請などの対応だけをしてくれればいいと、地域側から提案しているそうだ。そういう意味で先端事例が見られたかなと思っている。なかなかそういうことは、名古屋市の職員も知らないので「こんなのあったよ」とちょっと言いつつも、名古屋市役所を変えてゆきたいなということが、最近の西村さんが思っていることだそうだ。

【大久保的まとめ】
西村健さんと出会ったのは、たまたま。偶然のなりゆきであった。西村さんが青少年交流プラザの職員をしていた時、ジネンカフェ拡大版のチラシの配架のお願いにあがったところ、対応をしてくれたのが西村さんだったのだ。その年は共通の知りあいだった白川陽一さんがワールドカフェのファシリテーターをしてくれることになっていたし、テーマが確か子ども絡みであったから、二言三言言葉を交わしたことを憶えている。そうそう、延藤代表や、まちの縁側の固有名詞も出たと思う。その時はそれだけで終わったのだが、その翌年、名古屋市市民活動推進センターで職員と利用者という関係で再会したのだ。
 当時は何をしている人なのかわからなかったが、延藤先生の名前を知っていて、まちの縁側にも興味を持っていること。NPO法人子ども&まちネットが指定管理を取っている青少年交流プラザの職員をされていることから、子どものキャリア教育にも関心がある、建築・まちづくり系のひとらしいとはうすうす感じていたが、防災やまちの環境美化にまで活動されていたとは知らなかった。
 西村さんは一見堅実そうにみえるが、実際は結構自分の興味が向くままに動き、仕事も変えてゆくアナーキーなタイプなのだなということが垣間見え、興味深くお話を伺った。自分の興味が向くままに仕事を何度も変えてゆくことを、よく思わない人もいるだろう。しかし、よく考えてみてほしい。働く環境が変わるということは、恐ろしいことだ。それまで積み上げてきたものを、もう一度ゼロから積み直さなければならないのだし、場合によっては生活する環境さえも変わってしまうからだ。何度も仕事を変えるということは、それの繰り返しでもある。勇気があるな…と、私などは思う。
 しかし、その恐怖心を凌ぐほど興味深い対象に出会ったら、我が身ひとつでその対象に飛び込んでゆく。あとは海となれ、山となれ。自分ひとりなら食べてゆくぐらい何とでもなるだろうという自信が、西村さんの底流にあるのだろう。逞しくもあろう。またご一緒出来ることを心より願っている
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ジネンカフェVOL.108レポート

2017-01-12 09:13:16 | Weblog
今年も早いものであと二ヶ月を残すのみとなった。光陰矢のごとしとはよく言うが、まさにその通りだなあ~と、しみじみと実感している今日この頃である。さて、先月はお休みだったので、お久しぶりのジネンカフェ。今月のゲストは、キャリア教育をされているNPOで働きながらも、「持続可能な生き方・働き方」「そのひとらしくあること」に関心があり、福祉・心理・教育などの領域に身を置きつつ、シェアハウスを住み開いて、ゆるさをモットーに20代を中心とした「これからの未来や社会について、ソーシャルなものごとに関心がある若者がさまざまなテーマで語る会/Social × Dialogue」等を運営している後藤恵理香さん。お話のテーマも『-Past,Now,Future-内省と対話からつながる』と、後藤さんらしい。

【後藤恵理香さんというひとは…】
後藤恵理香さんは、1992年愛知県生まれ。現在24歳。4人兄弟姉妹の長女。本業は、教育系のNPOで事務や、コーディネーターのお仕事をされている。美味しいものを作ったり、食べたりすることや、映画を観たり、読書が趣味という。運動するよりも音楽とか、絵を描くなど、自分自身を表現することが好きだったそうだ。〈場づくり〉をしたり、ひとを集めてイベントを行ったり、旅行を企画してみんなをどこかに連れて行ったりもしているが、基本的にはインドア派だと自分では思っている。

【Social × Dialogue】
本業の他にも、後藤さんはいろいろな活動をされている。主なものだけでも三つあるという。その中のひとつ『Social × Dialogue』は二年ほど前、学生時代から運営されている、社会的な物事に関心のある若者たちの対話の場だ。国際貢献・交流、情報・メディア、福祉等々、社会的な問題や物事に関心を持っている若い人たちは名古屋にも結構いるのだが、各分野ごとにコミュニティが固まってしまっている傾向にある。そのコミュニティ同士の交流が出来たら面白いのではないかと思い、分野横断的にご自分の友だちを集めて始めたのだという。関心のある分野は違えど思い描いている理想は似ていたり、違ったりもするけれど、そこで話しあったりする場づくりが面白くて続けているとか。いまは東京や海外に行っている友人も多くなり、Web上での活動が増えているのが現状だが、時々はそんな仲間たちと会って情報交換をしている。

【月一ご飯会】
最近は月に一度ぐらいで『ご飯会』もされているそうだ。美味しいものが好きなので、その美味しいものをみんなで食べよう、と思い始めたという。『Social × Dialogue』に集まって来る人たちは、もともと社会的なことに関心を持っている人たちで、そうでない人にとっては敷居が高い。でも『ご飯会』であれば気軽にご飯を食べながら、「そんなこともあるんだね」とか、「そんな考え方もあるんだね」という感じで知れたり、気づけたり出来る場が作れる。それぐらいハードルを下げて「一緒にご飯を食べる」ことを目的にしてあげた方が対話しやすいのかなと思い、行っているのだそうだ。

【まちづくり】
後藤さんのご実家は、田舎暮らしに憧れたご両親の想いにより、中学生の頃に愛知県から岐阜県に引っ越しを行った。愛知県の中学校では、部活動として吹奏楽をされていたが、引っ越し先の中学校には吹奏楽部がなく、悔しい思いをしたという。音楽が好きだったので、岐阜でも音楽を楽しめる場を作ることができたらよいな、と考えていたら、同じ思いの友人もいて、その人たちと大学時代、吹奏楽サークルを立ち上げたという。そしてそのサークルは吹奏楽だけに留まらず、若者が何かにチャレンジ出来る、やりたいことが具現化出来るような場にしたくて自ら運営をされていたそうだ。現在は活動は休止されている。

【大切にしているもの その1.キャリア教育、人づくり】
そのような行動をみて、後藤さんはよく他者から「いろいろやっているね」と言われるそうだ。ご自身でも「これがやりたいから、これをしている」という感覚は特にないが、ご自分が大切にしている物事を省みてみると、4つほどのカテゴリーに分けられるという。一つ目のカテゴリーは、『ソーシャルビジネス』ここには〈キャリア教育〉や、〈人づくり〉の項目もある。ソーシャルビジネスとは文字通り、社会的課題の解決をビジネスモデルとして確立させ、仕事として展開させてゆくという業務のことである。とかく社会的課題の解決はボランティアだったり、市民団体が取り組むことが多いけれど、予算繰りの関係で事業に取り組む方が大変だったり、長くは続けられなくなってしまうものだ。それを持続可能なビジネスとして取り組んで行こうということだ。具体的な仕事内容としては、子どもたちに対して仕事に就いている大人の話を聴かせて将来の進路のイメージを持たせたり、働き方、生き方について考えさせたりするのである。また地域に出てインターンシップとして職場体験させ「社会って、仕事って、こんな感じなのだ」とか、「学校では自信がなかったけれど、社会に出てみたら私、結構対応出来ているじゃない」等々の感覚をもってもらう。そういうお仕事なのだ。

【大切にしているもの その2.場づくり、人つなぎ】
しかし、それは仕事を離れても似たようなことをされていて、それは例えば『場づくり』であり、『人つなぎ』であったりするのだが、要するに自分はそういうことが好きなのだと思うと後藤さんは言う。ひととひととが繋がったり、新しい考え方や気づきが得られ、気づきによって人が変わってゆく瞬間に立ち会えることが楽しいのだという。自分に自信がなかった、自分には何もないと思っていたけれど、こんな考え方もあったのか…と発見して帰ってゆく人がいたり、何かに行き詰まっていたけれどこういう方法があるんだ…という手段を他の人から学んで帰ったりとか、そういう瞬間を結構見たりしているので、それもあって場づくりが好きなのだという。振り返ると後藤さん自身も過去に人から多く学んだ経験があったのだ。だからこそ自分に自信がない子や、何かに行き詰まっている子を見ると、背中を押してあげたくなるのだろう。

【大切にしているもの その3.アート・表現活動】
前述の2つのカテゴリーからもお分かりのように、後藤さんは〈人が好き〉なのだ。それと同様に好きなのが『アート』であり、『表現活動』なのだという。自分で《私はひとが好きなんだな》と思ったのは中学生ぐらいだったが、絵を描くのは幼稚園の時から好きだったという。幼稚園時代の後藤さんはとにかく外に出ず室内で絵を描いているか、本を読んでいる子どもだった。友だちと遊んだりもしていたが、それよりもひとりで絵を描いている方が楽しかったのだ。中学校の時にはこの先デザイン科がある学校に行こうと思っていたぐらいで、でもそれで将来食べてゆけるかどうか解らなかったし、進路をひとつの分野に絞ってしまうことの怖さもあって普通科の高校に進学したのだそうだ。いまの自分ならば例えデザイン科に行ってその道を進まなくても、他にも選択肢はあるよと言ってあげられるのだが、その時の後藤さんの心境としては普通校に進学した方が将来の選択肢が幅広くみえていたのだ。高校でも文理選択をしなければならなくなって芸大という選択もあったのだが、芸大に入るにはそれなりの塾に通わなければいけなかったり、その塾も名古屋にあったので、岐阜から通う交通費や時間がかかるということもあり、そこまでの労力を使って自分は絵を仕事にしたいのかと自問自答した結果、その次に興味があった《ひと》に関わる学科「福祉・心理」を選び、学ぶことになったのだ。しかし、面白いもので自ら閉ざした絵やデザインの道だが、後藤さんは現在の仕事でも広報のためチラシのデザイン等をさせてもらっていて、そんなふうに自分は閉ざしても他者は自分の能力をみていてくれているものなのだなと思うと同時に、改めて自分は絵を描いたり、デザインをすることが好きなのだなと感じているという。

【大切にしているもの その4.持続可能であること】
後藤さんが大切にしているもうひとつの価値観は『持続可能であること』。大学時代に社会福祉を学んでいる時から、後藤さんは「いまの日本の社会は持続可能ではないな」と思っている。正解のない問いに対して、「どうすればよいんだろうね?」と考え続けることが必要かなと思っている。でも、それを考えるのはひとりではダメなので、周りのひとたちと一緒に考えるのも必要かなと思って、いろいろとやっているそうだ。福祉の世界で《自助・共助・公助》という言葉があるが、公助はもう限界だと思うし、自助でもやれる範囲が限られるので、共助〈共に生きる〉ところをいかに増やしてゆけるかが、自分の人生も、みんなの人生も豊かにしてゆく上で必要なのではないかと、後藤さんは思っている。

【後藤さんのアイデンティティー】
人の行動は表に出ている部分がその人の全てとは限らない。それは氷山の一角に過ぎないのだ。そしてその隠れている部分こそ、その人のアイデンティティーであり、行動や現在の活動の原動力だったりする。現在を語る上において過去の出来事は必要不可欠で、そういった意味で内省は大事だと後藤さんは言う。しかし〈私〉という存在は、自分ひとりでは何者なのか解らないのだ。自分では〈私〉を捉えることは出来ない。だから後藤さんがよく行ってきたのは、誰かと向きあって「私とあなたはここが似ているけれど、こういうところが違うよね」と対話をしたり、投げかけられた問いかけによって自分が自分のことをどう思っているのかとか、周りの人たちと自分はどう違うのかということを得ていったそうだ。そういう作業をしながらも内省しつつ、〈私〉を確立させて行ったのだという。

【マイノリティーな人生?】
そんな作業をしている時に、後藤さんはある人から「あなたは、人生がマイノリティーだね」と言われたという。「だからこんなことをしているんだね」とも。「そうなのかなあ~」と思い〈マイノリティー〉と言われた所以を振り返ってみたという。

【常に暗中模索で過ごしている】
そうやって少しずつ少しずつ、目の前にある与えられたものや、得たチャンスとか、会えた人とかに、自分として「こう思う」「ああ思う」「こうしたい」と伝えて、選んでやってみる。そしてその次に「どう感じた」「こう感じた」「こういうことがしたい」ということの繰り返しでいままで進んできたと思っているそうだ。まさかこんなことをしているなんて、昔の自分は思っていないし、いまキャリア教育の仕事をしているなんて驚きで、信じられないかも知れないという。そんなふうに常に暗中模索で、わからないなりに「とりあえずやるか」という感じで過ごしているという。

【試行錯誤しながら現在がある】
だから後藤さんは、夢を掲げて「私はこうなりたい」とその道に努力出来る人がとても羨ましかった時期があったそうだ。何になりたいとか、何者になりたいとか、この職業に就きたいとか、あまりないからだ。しかし、「こういうことは大事にしよう」とか、「こういうことは好きかな」とかは持っている。未来に「こうありたい、こうなりたい」像があってそこに行くというよりも、現在の自分が「どう感じている」とか、「どういうことをいままで大事にしてきたか」とかを積み上げてゆく感じ。いまは憧れていたソーシャルビジネスに辿り着いたけれど、そこでも葛藤があってその葛藤と向き合いながら「次はどうして行こう」「次はこうして行こう」という試行錯誤しながら現在があるのだと思っているという。

【人生がマイノリティーとは言われたけれど…】
自分のいままでの人生を「マイノリティー」とは言われたけれど、マイノリティーな人生とは何だろう…? と、後藤さんは思っている。ご自分の話をされると、そんなふうに見えないって言う人もいるけれど、どんなふうに自分のことをみているのかは知らないが、「普通」だと思っている他の人たちの話も、その人なりの哲学や倫理観とかがある。もしかしたら「自分は普通だ」とか「これが常識だ」と思っているだけかも知れない。その人の経験はその人しか経験してないし、現在している仕事や活動・趣味はどこから来て、どこへ繋がってゆくのだろうかと、皆さんも時々省みられてみるのもよいのではないかと、後藤さんは締めくくられた。(この後に参加者を交えてワークショップを行ったが、それは省略します)

【大久保的まとめ】
後藤恵理香さんとは、共通の友人から紹介をされて知りあい、ゲストとしてお越しいただいた。共通の知りあいが何人かいるのに、また「場づくり」という似たような活動をしているのに、いままで全く顔をあわせていなかったのが不思議だ。しかし、後藤さんのお話を伺ってそれもあたりまえかと思うようになった。後藤さんの「場づくり」は対象者が自分と同年代の若者に限られているようだ。それはおそらく「場づくり」の目的が様々な分野の若者を募っていろいろな社会問題を議論しあうことにあるからだろうし、その会場が完全なパブリックスペースではなく、シェアハウスという半プライベート空間で行われているという点で無理からざるところもあろう。私は後藤さんのお話を聴いても、全然驚かなかったし、マイノリティーな人生とも思わなかった。後藤さんも言われていたが、ひとりひとりの人生にはその人だけのストーリーを秘められているし、そのひとが持っている考え方や価値観はそのストーリーから培った、その人だけのものである。そういう意味では〈普通の人生〉など、どこにもないのだ。だからこそ、人は興味深く面白いのである。
後藤さんはご自分のことを「「こうありたい、こうなりたい」像があってそこに行くというよりも、現在の自分が「どう感じている」とか、「どういうことをいままで大事にしてきたか」とかを積み上げてゆく感じ。」と表現していた。確かに誰にも未来の自分がどうなっているのかなんてわからないだろう。そして未来の自分を想像することは、恐ろしいことでもある。私にしても若い頃は「福祉」とか「まちづくり」とか「コミュニティデザイン」に関わる人間になるとは思ってもいなかった。しかし、気づいてしまったのだ。未来を思わなければ、現在起きている社会問題は解決しないし、何も行動しなければ、未来は変わらないと…。この社会を変えたいと思うのなら、自らが動かなければ何も変わらないのではないだろうか…? 試行錯誤しながらでもいい。暗中模索でも構わない。後藤さんには少しずつでも「未来」を夢見る勇気を持ってほしいと思っている。
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