昨日の「Jeff McKennaと語る会@みなとみらい」は、急な告知にもかかわらず、いろいろな出会いのある大変楽しい集いとなった。
Jeffが日本に来るのはこれで3回目である。
実は、Jeffの来日は、FOSS4Gコミュニティそのものの成立に大きく関わっている。
2004年9月、大阪市大の招きでJeffが来日した際、私は成田空港から東京駅にやってくる、まだ会ったこともないカナダ人を同僚と迎えに行った。Jeffは日本の携帯電話を持っていないので、「夕方に成田エクスプレスを降りたホームで会おう」という約束はあったものの、到着時間も不明で、しばらくあちこち捜したあげく、ようやく”巨漢のバックパッカー”スタイルのJeffに巡り会ったのを思い出す。実はこの日が、MapServer開発メインストリームのメンバーが日本、いやアジアを最初に訪問した記念すべき瞬間だった。
ちょうどそのタイミングで、大阪市立大学にはGRASS開発メインストリームのMarkus Netelerが来日しており、彼の場合も同様に最初の日本訪問だった。そして、彼らの日本訪問は、GRASSコミュニティとMapServerコミュニティが出会う最初の場となった。JeffとMarkus相互はここ日本で初めて出会った。この例が示すように、それまで、異なるFOSS4Gツールの開発者同士の交流はあまりなかった。
2004年9月、GRASSコミュニティとMapServerコミュニティが出会う(大阪駅前第二ビルの食堂街にて)
この場で、異なるコミュニティの交流が必要だと力説したのが、”われらが隊長”こと、大阪市立大学のラガワン先生である。私もその考えに賛同し、先生とともに彼らに働きかけた。その結果、彼らからの賛同が得られ、それは2年後(2006年)のOSGeo財団の設立とスイスのローザンヌでの大規模なカンファレンスにつながった。今振り返れば、私はFOSS4Gコミュニティ成立のきっかけとなる場にいたことになる。今回来日したJeffとも当時のことが話題になったが、彼も、「この日本での出会いが、FOSS4Gコミュニティのスタートになったので、我々は歴史を作ったんだ」と話してくれた。
ちなみに、今や世界的に知られるようになったFOSS4Gという用語であるが、FOSSという用語にfor Geospatialを足したFOSS4Gという用語を編み出し、foss4g.orgというドメインを登録したのはラガワン先生で、単なるアイデアの提供者にとどまらず、直後にタイのバンコク(チュラロンコン大学)で開催された、第一回目のFOSS4Gカンファレンスのオーガナイザーを務めていて、優れた行動家でもある。このように、ラガワン先生は、日本だけでなく、世界のFOSS4Gコミュニティ成立におけるキーパーソンであることを、皆様にお知らせしたい。
初回のFOSS4Gカンファレンスは2004年9月にタイのバンコクで開催(この時はGの意味がGeoinformaticsになっている)
最初のFOSS4G懇親会!(左から私、DMSolutionsのDave、Jeffの順)
さて、当時私の会社は、IPAの支援によってGRASSとMapServerの国際化を実現させたものの、オープンソースで地理情報システムを提供するという事業ビジョンに関しては、国内の市場はそれで会社をまかなえるようなレベルにはほど遠く、事業の継続という点でいくつかの課題に直面していた。当時MapServerコミュニティの中核的事業会社であった、DM Solutions Group Inc.の社長のDave(そして当時のJeffもそのメンバー)達との出会いは、そう遠くないうちに日本でもMapServerを初めとするFOSS4Gツールが政府機関等に採用される時代が来るだろうと確信させてくれた。その日が来るまでは、”食うための”仕事をしながら会社を存続させようと決意した。
2004年9月のこれを機会にコミュニティ同士の交流が始まって、FOSS4Gというアイデンティティでコミュニティだけでなく、顧客層への認知が高まっていった。そういう点で、ラガワン先生がいなければ、今日のような世界的なFOSS4Gの浸透は十分になく、かなり限定的なレベルにとどまっただろうと思う。オークニーという会社が、現在も事業を継続し、顧客を増やし続けていられるのも、あの時大阪市立大学で、そしてバンコクでの場をオーガナイズした隊長がいたからだ。だから、時おり「ただの酔っぱらい」に変身する、なにわのインド人様には、未だに足を向けては眠っていない。
2010年3月、つくばで講演するJeff
Jeffが日本に来るのはこれで3回目である。
実は、Jeffの来日は、FOSS4Gコミュニティそのものの成立に大きく関わっている。
2004年9月、大阪市大の招きでJeffが来日した際、私は成田空港から東京駅にやってくる、まだ会ったこともないカナダ人を同僚と迎えに行った。Jeffは日本の携帯電話を持っていないので、「夕方に成田エクスプレスを降りたホームで会おう」という約束はあったものの、到着時間も不明で、しばらくあちこち捜したあげく、ようやく”巨漢のバックパッカー”スタイルのJeffに巡り会ったのを思い出す。実はこの日が、MapServer開発メインストリームのメンバーが日本、いやアジアを最初に訪問した記念すべき瞬間だった。
ちょうどそのタイミングで、大阪市立大学にはGRASS開発メインストリームのMarkus Netelerが来日しており、彼の場合も同様に最初の日本訪問だった。そして、彼らの日本訪問は、GRASSコミュニティとMapServerコミュニティが出会う最初の場となった。JeffとMarkus相互はここ日本で初めて出会った。この例が示すように、それまで、異なるFOSS4Gツールの開発者同士の交流はあまりなかった。
2004年9月、GRASSコミュニティとMapServerコミュニティが出会う(大阪駅前第二ビルの食堂街にて)
この場で、異なるコミュニティの交流が必要だと力説したのが、”われらが隊長”こと、大阪市立大学のラガワン先生である。私もその考えに賛同し、先生とともに彼らに働きかけた。その結果、彼らからの賛同が得られ、それは2年後(2006年)のOSGeo財団の設立とスイスのローザンヌでの大規模なカンファレンスにつながった。今振り返れば、私はFOSS4Gコミュニティ成立のきっかけとなる場にいたことになる。今回来日したJeffとも当時のことが話題になったが、彼も、「この日本での出会いが、FOSS4Gコミュニティのスタートになったので、我々は歴史を作ったんだ」と話してくれた。
ちなみに、今や世界的に知られるようになったFOSS4Gという用語であるが、FOSSという用語にfor Geospatialを足したFOSS4Gという用語を編み出し、foss4g.orgというドメインを登録したのはラガワン先生で、単なるアイデアの提供者にとどまらず、直後にタイのバンコク(チュラロンコン大学)で開催された、第一回目のFOSS4Gカンファレンスのオーガナイザーを務めていて、優れた行動家でもある。このように、ラガワン先生は、日本だけでなく、世界のFOSS4Gコミュニティ成立におけるキーパーソンであることを、皆様にお知らせしたい。
初回のFOSS4Gカンファレンスは2004年9月にタイのバンコクで開催(この時はGの意味がGeoinformaticsになっている)
最初のFOSS4G懇親会!(左から私、DMSolutionsのDave、Jeffの順)
さて、当時私の会社は、IPAの支援によってGRASSとMapServerの国際化を実現させたものの、オープンソースで地理情報システムを提供するという事業ビジョンに関しては、国内の市場はそれで会社をまかなえるようなレベルにはほど遠く、事業の継続という点でいくつかの課題に直面していた。当時MapServerコミュニティの中核的事業会社であった、DM Solutions Group Inc.の社長のDave(そして当時のJeffもそのメンバー)達との出会いは、そう遠くないうちに日本でもMapServerを初めとするFOSS4Gツールが政府機関等に採用される時代が来るだろうと確信させてくれた。その日が来るまでは、”食うための”仕事をしながら会社を存続させようと決意した。
2004年9月のこれを機会にコミュニティ同士の交流が始まって、FOSS4Gというアイデンティティでコミュニティだけでなく、顧客層への認知が高まっていった。そういう点で、ラガワン先生がいなければ、今日のような世界的なFOSS4Gの浸透は十分になく、かなり限定的なレベルにとどまっただろうと思う。オークニーという会社が、現在も事業を継続し、顧客を増やし続けていられるのも、あの時大阪市立大学で、そしてバンコクでの場をオーガナイズした隊長がいたからだ。だから、時おり「ただの酔っぱらい」に変身する、なにわのインド人様には、未だに足を向けては眠っていない。
2010年3月、つくばで講演するJeff