このところの株式市場の急落というよりは暴落ぶりがすごい。特に今日の日経225は、ニュースによれば”1953年3月5日の「スターリン暴落」以来”の下げ率だそうだ。それも、お昼休みを取っているうちに一気に落ち込んだからとても驚いた。
歴史に残るであろう暴落(Bloombergより)
私は1962年生まれだから、「生まれて初めての暴落」である。人生、ともあれ生きていると、図らずも歴史的事件に遭遇してしまう。September 11も、地下鉄サリン事件も、阪神淡路大震災も...今日、また1つ遭遇したのだ。
金融市場の崩壊は間違いなく実体経済に大きな悪影響を及ぼす。”失われた10年以上”を体験した日本だけは、相対的に健全であると言われているが、欧米市場に依存している訳だから、そりゃぁ影響がないわけがない。株式投資をしている人もそうでない人にとっても、日本で生活を営んでいる以上、どこかでその影響をしみじみと感じ、あるいは苦境に陥ることになるだろう。そして、私のいる業界へもいずれ波及するだろう。
90年以降のバブル崩壊を身をもって体験したので、際限のない信用膨張がいずれは崩壊していくのは、当たり前のことなのだ。しかし、頭脳集団が金融工学などのテクニカルな手法で、あたかも膨張が永遠であるかのように見せてしまうと、世間はそれに耳を傾ける。さらに、バブルは始まったら数年続く、だからその間にみんな信じてしまう。でも、バブルはバブル、結局いつかははじける。
問題ははじけ方だ。今日のはいくらなんでもパニック過ぎる。市場には神の見えざる手があって、いずれは合理的なレベルに落ち着くだろうと、市場性善説を信奉する人も多いが、バブルは行き過ぎ、はじけるときも下げ過ぎる。しかし行き過ぎを工学的手法で回避したいと思っても、それはあるレベルまでに過ぎなくて、昨今のような場合には通用しない。なぜなら、それは人間社会の現象であり、工学の対象となり得る自然科学的な事象ではないからだ。だからこそ、人はパニックになり、文字どおり底知れぬ恐怖感に襲われる。もうその後は社会心理学の世界だ。
ところで、その自然科学の領域において、ノーベル物理学賞、化学賞に日本人が選ばれた。真理を追究するために人生を費やす生き方は、私にはしんどくてとてもやれないと思うだけに、すばらしいことだと思う。暗いニュースばかり読まされたここ数日の中でも、とりわけ好印象をもたらしてくれる。本当によいニュースだった。
歴史に残るであろう暴落(Bloombergより)
私は1962年生まれだから、「生まれて初めての暴落」である。人生、ともあれ生きていると、図らずも歴史的事件に遭遇してしまう。September 11も、地下鉄サリン事件も、阪神淡路大震災も...今日、また1つ遭遇したのだ。
金融市場の崩壊は間違いなく実体経済に大きな悪影響を及ぼす。”失われた10年以上”を体験した日本だけは、相対的に健全であると言われているが、欧米市場に依存している訳だから、そりゃぁ影響がないわけがない。株式投資をしている人もそうでない人にとっても、日本で生活を営んでいる以上、どこかでその影響をしみじみと感じ、あるいは苦境に陥ることになるだろう。そして、私のいる業界へもいずれ波及するだろう。
90年以降のバブル崩壊を身をもって体験したので、際限のない信用膨張がいずれは崩壊していくのは、当たり前のことなのだ。しかし、頭脳集団が金融工学などのテクニカルな手法で、あたかも膨張が永遠であるかのように見せてしまうと、世間はそれに耳を傾ける。さらに、バブルは始まったら数年続く、だからその間にみんな信じてしまう。でも、バブルはバブル、結局いつかははじける。
問題ははじけ方だ。今日のはいくらなんでもパニック過ぎる。市場には神の見えざる手があって、いずれは合理的なレベルに落ち着くだろうと、市場性善説を信奉する人も多いが、バブルは行き過ぎ、はじけるときも下げ過ぎる。しかし行き過ぎを工学的手法で回避したいと思っても、それはあるレベルまでに過ぎなくて、昨今のような場合には通用しない。なぜなら、それは人間社会の現象であり、工学の対象となり得る自然科学的な事象ではないからだ。だからこそ、人はパニックになり、文字どおり底知れぬ恐怖感に襲われる。もうその後は社会心理学の世界だ。
ところで、その自然科学の領域において、ノーベル物理学賞、化学賞に日本人が選ばれた。真理を追究するために人生を費やす生き方は、私にはしんどくてとてもやれないと思うだけに、すばらしいことだと思う。暗いニュースばかり読まされたここ数日の中でも、とりわけ好印象をもたらしてくれる。本当によいニュースだった。
87年というとVAX/VMSでいろいろプログラムつくってました。