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叢書文化の現在 1980年11月ー1982年7月 岩波書店

2013年04月20日 | 旧刊書遊記

叢書文化の現在 1980年11月ー1982年7月  岩波書店 

編集委員 磯崎 新 ・一柳 慧・井上ひさし・大江健三郎・大岡 信・清水 徹・鈴木忠志・高橋康也・武満 徹・東野芳明・中村雄二郎・原 広司・山口昌男・吉田喜重・渡辺守章 

先日山口昌男が亡くなり、山口昌男の著作や、関係した雑誌など手近にあるものを探しだしたのだったが、山口人脈というか、山脈を形成している知的つながりがどうしてうまれたのか気になった。彼が北海道生まれで、官許アカデミズムから遠く隔たったところで人間形成していったのが、彼の知的淵源の底にあるのかも知れない。岩波文化とはかなり相性がよかったのか、思想・世界・へるめす・多くの叢書で山口昌男の姿が見える。けれども晩年期の山口は中央の文化文脈からも縦横無尽に飛翔し、『敗者の精神史』『挫折の昭和史』等を書き上げた。70年代末から80年代初頭の頃の山口昌男人脈・山脈の一端がこの叢書中にあるのだが。また、この岩波文化執筆陣では取り上げられなかった文化の底辺を支える未知の分野もたくさんある。

山口昌男が深掘りをかけていった、日本文化の深層の豊穣さを知るために、まずは、70年末から80年初頭の文化の状況を確認していこう。

1970~1980年代初め活躍した、岩波文化人脈の顔ぶれが一堂に会しているような執筆陣、この流れが、後に刊行される雑誌 『へるめす』 の主要執筆陣になっていくようだ。21世紀の今でも、読みごたえある 論文・エッセーが多い。必要な巻しか読んでいなかったが、この叢書は隅々まで、味読してみたく思うようになった。

1 言葉と世界 ([編集代表]大江 健三郎,中村 雄二郎,山口 昌男) 1981・03・26

大江健三郎 「小説の言葉」   

唐十郎 「退嬰」

志村ふくみ (染色家) 「色と糸と織と 六通の手紙」

「まだ折々粉雪の舞う小倉山の麓で桜を切っている老人に出会い、枝をいただいてかえりました。早速煮出して染めてみますと、ほんのりとした樺桜のような桜色が染まりました。その後桜はなかなか切る人がなく、たまたま九月の台風の頃でしたが、滋賀県の方で、大木を切るときき、喜び勇んででかけました。しかしその時の桜は三月の桜と全然ちがって、匂い立つことはありませんでした。」

「その時はじめて知ったのです。桜が花を咲かすために樹全体に宿している命のことを。一年中、桜はその時期の来るのを待ちながら、じっと貯めていたのです。」

「植物にはすべて周期があって、機を逸すれば色は出ないのです。たとえ色は出ても、精ではないのです。花と共に精気は飛び去ってしまい、あざやかな深紅や、紫、黄金色の花も、花そのものでは染まりません。」

「植物の命の先端は、もうこの世以外のものにふれつつあり、それに故に美しく、厳粛でさえあります」

ノヴァーリス の詩からの引用

「 みえるものは、みえないものにさわっている。

きこえるものは、きこえないものにさわっている。

それならば

考えられるものは、考えられないものにさわっている。 」

 

武満 徹 「音とことばの多層性」

谷川俊太郎 「実作のカタログ」

大岡 信 「言葉の生まれる場所」 

   

2 身体の宇宙性 ([編集代表]大江 健三郎,中村 雄二郎,山口 昌男) 1982・02・05

市川 浩 「身体・家・都市・宇宙」

杉浦康平 「眼球のなかのマンダラ」

多木浩二 「身体の政治学」 

別役 実  「イロニーとしての身体性」

渡辺守章 「劇場の身体 身体の劇場」

磯崎 新 「身体の虚と実」

 

3 見える家と見えない家 ([編集代表]大江 健三郎,中村 雄二郎,山口 昌男) 1981・02・06

清水邦夫 「火から遠い沈黙」 

高橋康也 「<ホーム>というドラマ」

日高敏隆 「動物における家と空間」

布野修司 「制度と空間 建売住宅文化考」

宮田 登 「家のフォークロア」

鈴木忠志 「家(ヤ)と家(イエ)」

4 中心と周縁 ([編集代表]大江 健三郎,中村 雄二郎,山口 昌男) 1981・03・06

大江健三郎 「小説の周縁」

大岡 信 「創造的環境とはなにか 中心は周縁 周縁は中心」

林 京子 「上海と八月九日」

前田 愛 「獄舎のユートピア」

横井 清 「京都幻像 ある小宇宙」 

吉田喜重 「周縁がはらむ想像力」

5 老若の軸・男女の軸 ([編集代表]大江 健三郎,中村 雄二郎,山口 昌男) 1982・04・26

井上ひさし 「老=若 ・ 男=女の対称性」 

河合隼雄 「元型としての老若男女」

鈴木忠志 「集団は経験を継承できるか 老若男女を超えて」

中村雄二郎 「原理としての<子供>から<女性>へ

原 ひろ子 「老若男女は学びあえるか」

吉田喜重 「逆位の眼差し 人間の同義反復」 

中村雄二郎 「老若男女という問題 その表層と深層」


6 生と死の弁証法 ([編集代表]大江 健三郎,中村 雄二郎,山口 昌男) 1980・12・22

安野光雅 「禪と筋ジストロフィーの少年へ」 

岩田慶治 「人間の一生 その文化人類学的考察」

大西赤人 「現在、人として学ぶべきこと」

加賀乙彦 「死刑囚との対話 『宣告』 ノートより」

河野博臣 「痛みと死と」

富永茂樹 「情熱と憂鬱 シャトーブリアン 『ルネ』 における<病い>の解読」

中村雄二郎 「魔女ランダ考 バリ島の<パトスの知」

井上ひさし 「死の前での平等」

 

7 時間を探検する ([編集代表]大江 健三郎,中村 雄二郎,山口 昌男) 1981・06・25

青木 保 「境界の時間」

一柳 慧 「音楽における時間と空間」

井上ひさし 「軽演劇の時間」

宇佐美圭司 「形の記憶と共同体」

清水 徹 「ふたつの時間のはざまで 新しい世紀末に」 

原 広司 「場面を待つ」

8 交換と媒介 ([編集代表]大江 健三郎,中村 雄二郎,山口 昌男) 1981・06・26

木村恒久 「オイルの巫女 ガリバー君の対話」

栗本慎一郎 「世と死の交換」

篠田浩一郎 「中世の笑い 狂言のテキスト分析」

種村季弘 「贋金の作り方 あるいは演劇の一分野としての経済学」

松田道弘 「トリックという名のディプロマシー」

森 毅 「媒体としての数学」

山口昌男 「交換と媒介の磁場」

東野芳明 「極薄物考」

9 美の再定義 ([編集代表]大江 健三郎,中村 雄二郎,山口 昌男) 1982・03・19

一柳 慧 「凝縮への眼差し」

大岡 信 「It’s beautiful!は「うつくしいか」 

杉本秀太郎 「美に関する手紙」 

高松次郎 「抽象芸術と抽象の世界」 そして現在の問題」

東野芳明 「<美>の再定義」

三宅一生 「伝統を生きる」

武満 徹 「美の再定義へ」 

10 書物‐世界の隠喩 ([編集代表]大江 健三郎,中村 雄二郎,山口 昌男) 1981・09・18

小野二郎 「世界時計としてのタイポグラフィー」

佐藤信夫 「隠喩と諷喩と書物」

清水 徹 「書物の形而下学と形而上学」

筒井康隆 「商品としての教養」

津村 喬 「もうひとつの世界 場の創造」

鶴見俊輔 「イコンと化した書物 本をめぐって」 

寺山修司 「書物になった男 忘却か、解読か」

山口昌男 「書物という名の劇場」

11 歓ばしき学問 ([編集代表]大江 健三郎,中村 雄二郎,山口 昌男) 1980・11・26

阿部謹也 「民衆本『ウーレンシュピーゲル』を読む」

作田啓一 「ロマン主義を超えて 社会学の三つの問題」

中村雄二郎 「演劇的知となにか 知の新しい範型を求めて」

原 広司 「 表現と学問のあいだ <部分>と全体の論理>について 」

村上陽一郎 「自己の解体と変革」 

渡辺 慧 「これをしも、人は「酸っぱき葡萄」と腐ささんか?」

高橋康也 「オイディプース開眼?」

12 仕掛けとしての政治 ([編集代表]大江 健三郎,中村 雄二郎,山口 昌男) 1981・11・09

いいだ もも 「フィクションとしての民族国家」 

大室幹雄 「ベリヤの引き出し」

小田 晋 「歴史・政治・狂気 政治の「精神「病理学」

神島二郎 「見える政治と見えない政治」

山口昌男 「政治の象徴人類学へむけて」

大江健三郎 「政治死の生首と「生命の樹」」

13 文化の活性化 ([編集代表]大江 健三郎,中村 雄二郎,山口 昌男) 1982・07・09

大江健三郎 「示唆する者としてのかりそめの役割」

坂部 恵 「「ふれる」ことについてのノート」

高階秀爾 「芸術家とパトロン 近代芸術の社会学序論」

富岡多恵子 「世間のなかの「小説」 」

中村雄二郎 「ドラマティズムについて 演劇モデルの可能性」

山口昌男 「根源的パフォーマンス」 

渡辺武信 「共同性の夢? 私たちはどこに住むか」

渡辺守章 「劇場の思考」 

媒介者  大江健三郎・中村雄二郎・山口昌男

 

この叢書、ばら売りだと、コーヒー 一杯の値段で買える古書店もある。これらの本が500円で読まれることなく市場から消えていくのはほんとうに惜しい。

どこかの政治家養成施設で、どこかのお店の売り子になる研修もあるようだが、若い人には就職活動前のいちばん柔らかい頭の時に一気に読んで欲しい叢書だと思う。もっとも、こんな叢書を読んだあとには、グローバル産業などに就職したくなくなるかもしれないが。

それにしても志村ふくみさんのことばは、長い染色と織りの仕事を通して、植物の精が彼女と出会い、語らしたような趣がある。深く人間の魂に達することばだと思う。自然の贈与をあらん限りの力で、応答して再び造化の神に感謝の贈り物を届けていると思う。

この志村ふくみさんを、『叢書文化の現在』の1巻に書かせたのは、詩人の大岡信である。この叢書は、1980年秋から1982年までに刊行されたが、志村ふくみさんのエッセーを掲載したのは大岡信の慧眼であったと思う。彼女のことばは30年の時を越えても朽ちることなく、心に響かせるものがある。

志村ふくみさんは最近リルケについての本も上梓されたようだ。まだ読んでいないのだが。

 


 



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