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浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 1999年 中央公論社 1-2ー5

2017年06月19日 | 日本近現代史

                     ▲浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 1999年 中央公論社

 

浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 1999年 中央公論社 1-2ー5 

 

▲ 浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 1999年 中央公論社

 

今日は

第2章 華族第2号 ・D・Eグループに分類している 奈良華族・神職・僧侶華族・忠臣華族について の抄録


奈良華族 Cグループ 興福寺系統の26家 が奈良華族

神職・僧侶華族 Dグループ 

由緒ある神社の神職と、浄土真宗の僧侶 20家

出雲大社 北島、千家

住吉神社 津守家

阿蘇神社 阿蘇家

宇佐神宮 至津(いとうづ)家、宮成家

伊勢神宮 河辺、松木家

日前・国懸神宮 紀家

熱田神宮 千秋家

英彦山神社 高千穂家

日御崎神社 小野家

物部神社 金子家

太宰府神社 西高辻家

の14家が明治4ン園12月12日~明治16年2月21日にかけて華族となった。

 

浄土真宗関係 6家 が華族になった。

浄土真宗が世襲のため、(ほかの宗派は世襲ではない) 浄土真宗各派のうち総本山、門跡寺院Mあるいは准門跡寺院であった6家

東本願寺 大谷家

西本願寺 大谷家

仏光寺   渋谷家

興正寺   華園家

専修寺   常磐井家

錦織寺   木辺家

いかに名刹の住職でも名門出身の僧侶でも、一代限りのものは、(規定により)、華族となることはできなかった。

もっとも、世襲とはいっても、両大谷家以外の住職はいずれも皇族や、公卿家からの養子であった。

(浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 (63-68頁))

 

南朝の忠臣華族 Eグループ

南朝方の「忠臣」の末裔という理由で華族になった3家

新田家 

江戸時代は岩松と称し、上野石新田郡世良田に住む120石の交代寄合。新田義貞の子孫というのだが、系譜は全く別で血縁はゼロに等しい。明治16年8月13日、「特旨」をもって華族になる。

菊池家

九州地方の南朝方として活躍した菊池一族の末裔。菊池氏の正系は戦国時代に滅び、残党が肥後の逃れて米良と名乗った。江戸時代には交代寄合だが無高。新田家と同じ明治16年8月13日の華族となる。

名和家

後醍醐天皇の忠臣、名和長年の子孫、筑後柳川藩に仕えていたが、明治初年に現在の名和町に名和神社ができるその神職になった。

(浅見雅男 『華族誕生 名誉と体面の明治』 (69-70頁))

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南北朝の終結以後、孝明天皇までは北朝方が連綿と継続し正統とされてきたはずで、孝明天皇の子が明治天皇になったのなら、そのことが継続されてもよさそうなのだが、なぜか、明治新政府は南朝正統論に切り替える。

著者の浅見雅男も指摘しているように、これは、孝明天皇の死とともに、公武合体論から、倒幕・そして明治新政府・南朝正統論という極めて急角度の思想・支配イデオロギーの変更がある。これは極めて不自然な変化ではないだろうか。

これを、合理的に解釈するとすれば、孝明天皇の死と明治天皇の創出を従来の定説からではなく、孝明天皇の死をも疑問とし、また孝明天皇の子とされる明治天皇、および明治天皇を補弼したグループをも子細に再検討すること、定説への信頼を一度停止して、資料にあたる必要があると思われる。

 

つづく

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