人生の山頂をめざして!

Basic Bible Class 聖書の基本的な学び

第四週 オイコスと共に

2007年09月06日 | Weblog
山登りを始めて4週目、1ヵ月が経ったということ。そろそろ初心の勢いがスローダウンしたように感じる頃・・・そんな時、神様は「立ち帰れ!」と仰ってくださる。事を始めた時の最初の思いに、そして、今していることの目的(ヴィジョン)に。だから今週は、初日に学んだ『神の家族』を思い返すことから始まった。今週新しく学んだ言葉が4つある。どれもキリスト者に大切で、真理として刻み付けたいキーワード。

オイコス (“家族”)
パイス (“子”そして“しもべ”)
オイコノモス (“管理人”)
オイコドメオ (“建て上げる”)

 『オイコス』は私達の周囲にあるものや環境を指し、その最小単位は家族。『オイコス』には透明な人間関係がある。人間は社会的な生き物で、一人では生きていけない。絶えず心を分かち合い、支え合う身近な人のグループが必ず必要となる。当然、教会は『オイコス』となる。しかし、あまりに幅広くなると十分親密になれず、真の交流ができなくなるため、『オイコス』は最大でも15名までの集まりとされている。だから教会には、『オイコス』となるセルグループが必要なのだ。

 生まれてから幼い子供時代には、肉の家族が『オイコス』としていてくれた。学校へ行くようになると、友人がある部分の『オイコス』となった。結婚をすると、『オイコス』を作るようになる。そして、神様と繋がった時、私たちは霊の『オイコス』を得る。『バプタイズ』の意味は『浸す』ということで、その時、御霊はキリストの体に私達を浸してその一部分にして下さり、神様の家族の一員とされたのだ。決して、たった一人で神様に繋がっているのではない。『オイコス』が共にいる。そして、家族の一員としての責任もある。

 責任は軽い言葉ではない。だからこそ、『オイコス』の人間関係も軽視してはならない。家族はケアしてくれるが、同時に家族をケアすることも必要。それが責任を共有する、『オイコス』に於いての責任ということだ。そして最も大切なことは、その基準が神の国の価値観に従っているかどうか、その根に愛があるかどうか、だ。この答えが、残りの言葉へとリンクしていく。

神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。 (Iヨハネ4:13)

 『パイス』は、子供であり、僕(しもべ)である二重の意味を持つ。イエス様が神の子であり、僕でもあられたように、キリスト者も神の子であることは、神のしもべであることに通じる。神様から十分に恵みを受け、それを必要としている人に用いる。神様との交わりで受けた恵みは『オイコノモス』として賢く管理し、他者の必要に敏感になって与えていく。

 そんな愛に根付いた関係がセルグループや教会を建て上げて=『オイコドメオ』していく。全能の神様は何でも可能とされるが、御国の建設は私達人間を通してなされるよう願い、働いておられるのだ。そのために私たち一人一人に力を注いでくださっている。それは、同じプロセスの中で私たち一人一人が建て上げられ、癒され、健やかにされるため。『オイコス』はそのためにある。そして私たちは『オイコス』として、『オイコス』と共に神様に仕えていく。これが御国の民の最初の務めなのだ。

体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。 ~ だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。(Iコリント12:12&20)

 『オイコス』との関係を保っていますか? 一人で孤独を感じる必要はありません。

わたしたちは皆ここにいる!(使徒16:28)