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あの頃のメロディー

2021-09-27 22:40:08 | FIT ~ 2021 ~

今年は青森に2回、気仙沼に2回。例年の1/10にも満たない出張機会の中、僅かながらも足を運べている。正直、断られたり、キャンセルになることも度々ある。優先順位の置き方がかなり難しいのは確かな事である。押すことも、引くことも出来ない。こちらはリクエストに応えるだけ。孤独は構わないが時間的には相当非効率だ。東京五輪を迎えて、7月期以降、去年の同時期に対する比較ですら半減以下の推移で出張機会が減っている。夏場のこの反動が、下期にどう影響されるか?そんな風に思うってりしている昨今である。

その気仙沼であるが、常磐道-仙台東部道路-三陸自動車道のルートが常。行きは最短距離で動くことになるが、帰りは割と自由に帰ることが出来る。このルートは兎角対面通行がナーバスになる。後方より100㎞/hで急接近してくる怪しげなフォグランプに、先行させるだけで疲れが倍増する。地元の予算、需給の問題があるとは思うが、正直、この点では疑問。もう10年以上過ぎているのにハードルは高そうだ。


HKTの場合、first impressionは相当強烈で。

一体、これまで彼女の何を知っていたんだろう。。と、そう驚いてしまうような横顔と遭遇し、iz*oneというキュート&タフなガールズグループで要所を締めていたQueenのような彼女の格好良さとは全く異なる故郷があったことを知らせれた。つまり、こちらは初体験なゾーンに突入してしまったのである。AKBでのソレとも丸で違う。そもそもサッシーも咲良もこんなアイドル活動を過ごしていたのか? と、時間軸の節約法に感嘆しつつ、膨大だったであろうその消費量の大きさに、恐らく自分だったら気絶するであろうハードスケジュールのシフトの組み方が気になった。

卒コン準備期間の『さくのき』で流れたNo.は、紹介時に短く熱いタイトルコールされた瞬時に彼女の熱い意思が読み取れた。


【LIVE】ぶっ倒れるまで (HKT48 春のアリーナツアー2018~これが博多のやり方だ!~)/HKT48[公式] 

後に、勉強することになるのだが …  丸で知らない見たことのない彼女が元気そうに飛び跳ねていた。しかもハッキリ言って可愛い女子揃いな、一気に興味のベクトルが博多に走った。

最初に悲しかったのは、もりぽの卒業だった。


HKT48コンサート みんな 元気にしとった?~森保まどか 卒業式~ Moriyasu Madoka Graduation Concert 

一目惚れしそうな女子だと悟った瞬間に、サヨナラせざるを得ないという、かなり複雑な出会いに遭遇した。
仕方のない話であることは理解していても、やはり何とも言えない寂しさは否定出来ない。

落ち着いて、淡々として焦らず、微笑む仕草の似合いそうな伝統的な和風美人だと思う。


何れにせよ、これまで見たことのないアイドル宮脇咲良がいた。この笑顔を知らないこちらからすれば、三度目のビックリである。勿論、最初は『君はメロディー』で知った美少女像。 続いて、PRODUCE48のセンター『PICK ME』での圧倒的な存在感。 そして、今回と。要するに、見る側の自分がどう思うか? 正直、それだけだと思っている。悲しいかな、その理屈に不平不満という概念などない。残酷なまでに導かれる結果は正直な道理だ。その点では、基本的に万事そういゆうものだと思う。そんな中で、驚くことが同じアイドルで三度もあったという時点でビックリ以外の何物でも無い。

そうして興味尽きず、時間軸を遡り始めて、次から次へとやや強引な発見へと繋げられて行く。

アイドルとしての彼女に対する first impressionは、彼女の容姿が似ていたからである。この時の憧れに。 自分にとっては、若干思い出したくない部類の記憶ではあるが、少なくともそれまでに過ごしていた時間には素直に感謝しており、強くマイナスな感情が残っているというわけでもない。刻を経た今、心の中に一つの記憶として、開かないフォルダとして残されている。ただ、あの年2月の終わりに保存された時間から1週間後位に、このNo.がリリースされていたことを先程知った。強引だけど、自分の中では、これも一つの見えない意識に繋がるようになるかと思う。 次に手相。恐らく、咲良の片方の手はますかけ線だと思う。正直、自分の周りには二十人位居たので、珍しくは無いが、何故か?共通となると妙な一方的チーム感が沸いてくる。こんな感じで、何かしらの印象点やキーワードが繋がる程、意識は高まって行くものだ。

咲良がHKTを卒業することを優先するとは、恐らくは多くがそうなると感じていたと思う。

iz*one活動延長を希望するファンが相当なパワーで運営サイドを揺るがしていたように、その周辺で賑やかになっているであろうことは比較的容易に想像出来た。けれど、如何に周囲が騒ごうとそのまま韓国に残って活動を続ける画は描けなかった。
理由は次に向かえないからである。アイドル宮脇咲良はあくまで48の象徴のようなアイドルである。兼任解除とはなったものの、『 NO WAY MAN 』当時の彼女は登場するフィールドの全てに圧倒的存在感を放っていた。あの忙しさで実はPRODUCE48と同時並行の展開だったなど知る由もなかった。身体が3っつ位ないと持ちそうにない話だ。改めて考えると、iz*oneでの爆発的な支持層獲得も、結局、彼女だからこその物語に進んだのだと思う。だからこそ、48を卒業する展開は、必然でしかなかったように感じていた。

新しいものを掴む為に、何かを捨てる。その鮮やかな姿勢は、篤姫の末裔にも思えてくる芯の強さ。もはや桜島がそうさせるのか?と思わずにはいられない。一度も順位を落とさず終えた総選挙をファンが作ってくれた誇りだと、それを胸に異国に渡り、アジアの多くに支持層を広げていった。だからこそ、48を卒業する為に戻るはずだと思った。新しいフィールドに向かう為に。そうするはずだと。

そして、2021年6月19日(土)。圧倒的に聞いた事の無い曲ばかりのHKT48卒業コンサートが始まった。

 
宮脇咲良 HKT48 卒業コンサート ~Bouquet~ ダイジェスト映像

一言、、、ここまで感動的なコンサートは過去にみたことがなかった。


多少なりと追いつきたくて、HKTの昔を辿っている過程で、48グループのライブはOvertureなるオープニングNo.で始まることを知った。これがなかなか格好良く、何気に煽られる。確かにオープニングは大事だ。いきなりワケの判らない寸劇から始められても、慣れない身には戸惑う時間でしかなくなってしまう。例えば、今、省吾のツアーで「風を感じて」からスタートされても、頭の中、昭和に戻す為の時間が必要になる。それは何気に大変な作業だ。それが仮に「MONEY」からだったら、同じ昭和の楽曲であっても興奮必至な期待感に溢れるかと思う。けれど、ステージが温まった頃の「風を感じて」であれば、それと負けない位の盛り上がりのイメージ把握は容易い。


何れにせよ、結局、AKBのターゲット年齢はやはりバブル世代近辺のゾーンに寄せているような気がしないでもない。現在の20代前半がこの煽り方に触発されるか?は微妙にも思えるからだ。そう考えると、~Bouquet~ のチケット代にも十分納得が行く。運営側のマーケティングにズレがないことを証明していたのかも知れない。ならば、ここいらで変遷を求めようとする視線は、もはや避けれない運命的な必然性だと感じる。その意味では、AKBの「根も葉もrumor」の挑戦は熱く注視している。

Overture から「桜、みんなで食べた」へ。ここから幾多の刻を経て、再び「桜、みんなで食べた」に回帰される、僅かな時間の中に広がった等身大のような物語。本当に良く考えられた構成だったと思う。


合理的なスマートさが斬新な反面で、どっぷりと浪花節のような風情がそこにはあった。

卒業した二人の盟友が駆けつけて、感謝を込めて送り出そうとする光景がとても尊く、キラキラしていて美しかった。恐らく、ここに綺麗な言葉を並べた文章を書いても、只管安っぽくなりそうで、何気に緊張してしまうのだが。。許されるならば、関係者各位は、あのステージのBlu-ray Discを世にリリースして頂きたいと願う。

特に別れを寂しがっているメンバーの表情は、見ているこちらの胸が苦しくなってくる程であった。適切な表現ではないかも知れないが、最後「桜、みんなで食べた」を歌う奈子がサッシ―に訴えていた切なさは、正直、有得ない位にとても綺麗な瞳で、一瞬で神経を根こそき奪われるような尊さに溢れていた。普段から可愛いの代名詞のような彼女ではあるが、シンプルに、純粋な美しい女性であることを再認識させられた。

現在推しの松岡姉妹。こちらも涙腺が崩壊しかけたはるっぴ、サッシ―の登場場面。これでもかと感情のうねり。そして、心から期待していた絶対領域と時を超えてようやく遭遇出来た喜びがあった。

自分の中でのアイドル宮脇咲良の代名詞であった一曲。このNo.をラス前に持ってきたことに編成の非凡さを感じられる。次に控えるラスボス、大団円へと繋がるスタート曲のリフレイン。何もかもが見事としか言いようがない構成だったと思う。彼女のファンとなった一人として、記憶に残っていたこの日のセンターを獲り戻して欲しかったのである。このサビソロを歌うセンターは、彼女でなければ、自分の中に刺さったまんまの割れ硝子のような記憶のままだったかも知れない。本当に、幾ら探しても、ここをソロで歌う咲良の映像は見当たらなかったのだ。

このワンフレーズを耳にして、すーっと昇天して行く感情に、丸で予定調和のように涙腺のダムが崩壊した。決して長くはないが、自分なりにほぼ3年近くの間、魅了されっ放しのまま見守ってきたアイドルである。しかも、松井や清原と同じように、情熱と感謝の気持ちを抱いて応援出来る稀有な存在だ。そう思えるだけ、咲良の姿勢が周囲に伝わっているのだと思う。

全ての心残りが消えた瞬間が、待ち望んでいた瞬間があの日のワンフレーズにあった。

御礼と言ってはかなりおこがましいが、30年前に作ったNo.をプレゼントしたいと思う。それこそ、夢の中で届けば嬉しいものだ。
人生はフライングゲットの連続だからこそ楽しいのである。


恐らく、10年前に彼女がNEWSでみた被災地の火事は、写真の近くだったかと思う。

あの日、故郷の実家と連絡が取れず、夜、僕もヘリコプタからその光景を映し出すNEWSをみていた。正直、何をどうすることも出来なかった。テレビや映画のような夢のような展開も、本当に何一つ出来なかった。真っ赤に燃え続ける山の炎をみて、ただただ、悔しくて仕方が無かった。

決して、痛みは判らない。判らないことだけは判る。自分に出来ることは、忘れないこと。これまでの10年間を続けることである。だから、自分があの日を忘れることはない。忘れないことが、自分が示せる唯一の意思だと思う。

本当に海がきらきらしていたのだ。 自分からすれば、それが感謝のこころである。

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