goo

真実か事実か/<産経新聞>談話「創作された」 識者抗議受け謝罪

2011-01-28 23:56:04 | ニュース
人の談話も事件も「自分の主張」を伝えるために存在している。











<産経新聞>談話「創作された」 識者抗議受け謝罪(抜粋)
2011年1月28日
「人体の不思議展」の人体標本展示が

「死体解剖保存法に抵触する恐れがある」ことを指摘した産経新聞の記事で

同社の記者が

「2カ月も前に取材した内容」と

「過去の論文を組み合わせる」などして

識者談話を書き

「本人に断りなく掲載していた」ことが

27日、関係者への取材で分かった。

掲載された識者は

末永恵子・福島県立医大講師で

記事の一部は

「発言したことのない内容だ」

としている。

産経新聞社は26日

本人からの抗議を受けて謝罪した。


<同展>
①遺体を特殊加工した標本などを展示したもので
②02年から全国を巡回
③これまで約650万人が入場し
④京都市でも23日まで開かれた


<産経新聞>
①19日朝刊で
②厚生労働省が「人体の不思議展」の人体標本は「遺体」に当たるとの見解を示し
③京都府警が違法性の有無を捜査する方針を固めた

――との記事を掲載


<談話>
「人の死には尊厳があり、遺体を安易に利用することはできない。開催自体が死者への冒〓(ぼうとく)ではないか」

との内容で社会面に掲載


<末永講師>
①「『人体の不思議展』に疑問をもつ会」に所属しており
②メンバーらのメーリングリストに22日

「(2カ月前の取材後は)直接取材を受けていない」

と書き込んで問題が浮上

③記事にある「標本はすべて中国人ということだが、もしこれが日本人だったらどう思うか」という発言はしたことがないと主張

「創作された文章で、中国人に対して差別的な印象もあり、多くの人から真意を問う連絡を受けている」


<産経新聞大阪本社総合企画室>
①京都総局の記者が昨年11月、同展について末永講師に取材
②メモを大阪本社社会部へ送付
③執筆に当たった記者は内容が不足していると感じ、末永講師の論文などで加味
④しかし、両記者が互いに本人へ連絡していると思い込み、確認や掲載の通告を怠った


<執筆した社会部の記者と上司>
①26日、電話で謝罪し
②末永講師はこれを受け入れた


<同総合企画室>
「確認を怠ったミスはあったが、非常識な取材はしていない」
「(講師が発言していないとする内容が盛り込まれた経緯は)取材過程については答えかねる」

………………………………………………………………………………………………………

<問題の記事>
産経新聞が末永恵子・福島県立医大講師の談話として掲載した記事は次の通り。

「人の死には尊厳があるので、医学研究や教育の自由といえども、遺体を安易に利用することは許されない。標本はすべて中国人ということだが、もしこれが日本人だったらどう思うか。主催者側が説明する遺族の承諾や、標本の由来などは本当なのかという疑問も残る。展示会は遺体の『商品化』という感がぬぐえず、開催自体が死者への冒〓なのではないか」











ここで問題と思うのは

「両記者が互いに本人へ連絡していると思い込み、確認や掲載の通告を怠った」

ということと

「取材過程については答えかねる」とコメントしている

「発言していないとする内容が盛り込まれた」ということの2点。



そもそも

「2カ月前に取材した内容」を

「取材した記者とは別の記者が記事にする」というだけでも

「連絡を取る必要がある」

と思うのだが

「取材した内容以外のものを盛り込む(例え、自身の論文としても)」となれば

「100%連絡の必要がある」わけで

「非常識な取材はしていない」というが

「非常識な対応」ではないだろうか?



新聞記事を書く人というのは

元々、一般人と比較して

「世の中に対して主張したい人種」

だと思う。



だから

「事実を伝える」というよりも

自分が「真実だと思う」ことを伝えたいと考える人の方が

多いのではないだろうか?



ある程度は仕方のないことだろうし

正しいことなのかもしれないが

「行き過ぎると」

こういうことになる。



例えば、こういう記事が掲載され

「誰かが読む」とする。



その後、実は

「間違いだった」

という記事が出たとしても

最初の記事は読んだが

「訂正記事は読んでない」という人がいたり

「初めの記事のインパクトですでにイメージができてしまったり」

ということは

もはや「取り返しのつかないこと」だ。



だから

記事は慎重であるべきだと思う。



今回の状況が起きた原因は

「取材したものはもはや自分の材料に過ぎない」

ということではないか。



今回の事故では

「別の記者のメモ」

を元に記事を書いている。



自分で取材していないから

「ただの材料」感は

余計に強いのではないだろうか?



取材された側の主張を伝えることより

記事を

「おいしく料理する」ことの方が

大事だったんだろう。



先に書いたように

「ある程度」

そういう状況は仕方ないと思うが

問題は

「あなたの自転車にはブレーキがついていますか?」

ということ。



「自分の主張を伝えること」

に執心すぎたため

「言っていない」ことまで

書いてしまった。



これは

「記事を提供する人間に対しての謙虚な気持ちが欠落している」

ということではないだろうか?



申し訳ないが

こういうことをしながら

「非常識ではない」

と公式見解をするようでは

とてもマトモな取材ができるとは思えない。



ところで

この記事で取り上げられている

「人体の不思議展」だが

かなり「悪趣味なもの」のように思える。



純粋に医学的な視点から見れば

「貴重な体験」とも言えるのだが

それであれば

「精巧な模型」であっても

なんら問題無いように思える。



「リアルな迫力」を追求するのはやはり

下世話な「見世物小屋」的な臭いがしてしまう。



調べていくと

とあるブログに行き当たった。





「人体の不思議展の謎について考える。」
http://caferoman.seesaa.net/article/103386103.html




この人も批判的な書き方だが

「客観的」でかつ

非常に詳細に書いている。



この内容を見た限りでは

やはり批判的な視点になってしまう。



しかし

主催者側のコメントは詳細に見ていないので

ここでは

「開催反対」とまでは

言わないことにする。



今回の記事

「掲載方法」には疑問を感じるが

その意見は

「間違ってはいない」

と考える。



だから

「惜しい」。



正しいことを言うにも











流儀が必要なのだ。
goo | コメント ( 2 ) | トラックバック ( 0 )
 
コメント
 
 
 
死体展 (人体)
2011-01-29 14:08:56
産経新聞の「人体展」の何が問題かってご存知かもしれませんが一般人を捕まえて殺して皮を剥ぎ「無免許」展示で金を払わすすごい商売です。あれは「献体」ではないそうです。「事実」は、世界では米国ABCニュースビデオにあるように、「献体」ではなく、中国人の「闇売買死体」であり、フランス・ドイツで裁判所が「人体展」中止命令を出し、米国ハワイ州で死体展示禁止法案が成立しました。
○(グロ画像注意)アウクスブルクの裁判所が違法と判断しました。「死とセックス」展
http://chiquita.blog17.fc2.com/?no=4552
○京都府医師会は「開催中止」を要求しています。
 http://www.kyoto.med.or.jp/info/index.php?e=65
○フランスの「最高裁」は「中止を命じる最終判決」を下しました。
http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-37634720090422
○「献体同意書は盗用偽装」「ビデオ:米国ABC20/20」
http://redfox2667.blog111.fc2.com/blog-entry-100.html
 
 
 
コメントありがとうございます (管理人)
2011-01-30 11:39:51
そうですね。
文中にあるサイトの方も「献体」ではないというようなことを書いてました。
根本のところが違法であれば、それは問題だろうと思いますね、確かに。
 
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。