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審判弁護士,審判員を引退

2007年11月23日 | Weblog
法曹界にも,こんな方がおられたのですね。野球ファンとしては羨ましい人生です。産経新聞からです。

「弁護士審判」球場に別れ 二足のわらじ40年「江川は傑物、ドキドキした」

 弁護士として法廷に立ちながら、アマチュア野球の審判員として神宮や甲子園などのグラウンドで活躍。珍しい二足のわらじを履き続けた清水幹裕(つねひろ)さん(65)=東京弁護士会所属=が、体力の衰えを理由に、約40年間のアンパイア生活に別れを告げた。これまでに出会った名選手や名勝負は、数多い。清水さんは「審判員は法廷と違い、損得なく夢中になれる貴重ないい経験だった」という。(三浦馨)

 清水さんの“引退試合”となったのは、今月14日に行われた明治神宮野球大会大学の部決勝。

 5日後の大学生・社会人ドラフト1巡目で6球団から指名された東洋大4年、大場翔太(22)と話題の早大1年、斎藤佑樹(19)両投手が投げ合う注目のカードで球審を務めた。

 東洋大が終盤に早大の救援陣を打ち込み、2-0で初優勝。大役を終えた清水さんは「最後にすばらしい試合をジャッジさせてもらった」と感無量の面持ちだった。

 清水さんの審判員生活は、昭和41年から。途中、司法試験に挑戦した2年の中断を挟み、延べ39年間に及んだ。

 「ジャッジした投手は、星野(仙一=明大、現日本代表監督)から斎藤まで。長くやったなあ」とうなずく。

                   ◇

 東大の外野手としてプレーし、卒業後は当時の文部省に入省した。審判員になったのは、偶然だった。

 「東京六大学ではOBを3人ずつ出し合っているが、たまたま東大出身者に欠員が出て、私に声がかかった」

 当初は「5、6年のつもり」だったが、若い選手たちのプレーを裁くうち、審判員の魅力に取りつかれた。司法試験を受けたのも実は「審判員と両立可能な転勤のない職(弁護士)に就くため」だった。

 昭和50年に弁護士を開業後は、主に民事事件を担当。東京六大学リーグは土日に日程が組まれ、「雨天順延などよほどのことがない限り、仕事に支障はなかった」と振り返る。

 審判員はグラウンドでジャッジし、弁護士はジャッジを待つ立場だが、「法廷のような駆け引きのない分、楽しい。体は疲れても精神的なリフレッシュになった」という。


 東京六大学で忘れられない投手は「やはり、江川(卓=法大、元巨人)。傑物だった」。球威はもちろん、制球力にも驚かされた。

 「彼はわざと、ストライクゾーンからボール一つ外してきた。審判員を試すように」

 ボールの判定に江川は「えっ」と驚いた顔をした後、次は同じコースからボール半分中へ入れてきた。まさに、針の穴を通すような制球力に、清水さんは「いつもドキドキさせられた」という。

 昭和55年から20年間、審判員を務めた高校野球の甲子園大会でも、思い出の試合がある。平成10年夏の準決勝、横浜-明徳義塾戦だ。

 横浜のエース、松坂大輔(現レッドソックス)は先発せず、0-6とリードされた。が、八回に4点返し、九回を松坂が抑えると、その裏に3点を奪いサヨナラ勝ち。「まさかの逆転負けで地面にへたりこむ明徳義塾の選手の姿は忘れられない」と球審だった清水さん。

                   ◇

 東京六大学の審判員に定年はないが、最近は「試合の七回くらいになると、どうしても集中力が落ちる。年齢のせいかな」と感じ、引退を決めた。最後の試合で早大を完封した大場の雄姿は、記憶に焼き付く星野と重なってみえた。

 「気持ちで投げるところが、似ている。見た目以上に、ボールが伸びる点もね」

 今後は「法廷か、自分の法律事務所(東京都新宿区)にいる時間が長くなりそう」と苦笑い。神宮球場には、一ファンとして足を運ぶつもりだ。


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