IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

ちょっとした「心遣い」が・・・

2017-05-24 12:04:38 | この頃思う事

我家の近くにある空き地で、草茫々の中に、かなりひっそりと、でも、ピンクの花が目を引く野草(かな?)が気になっているのです。

 


 

 ちょいと枯れ始めたような「ジャガイモ」の様子が気になり、丁度畑に居たご近所さんに訊ねたところ、「そろそろ枯れてくる頃だから、まぁ、心配ないと思うよ」という回答を貰い、何の手立てもしない事にした。
ホントを言えば、初めから何もする気もないけれど、安心材料が欲しかった・・・という事かな?

その少し前、別のご近所さんが畑から家に帰ろうとしているのに出くわした。
かのご近所さんは、視力に問題があり、あまりよくは見えないけれど、家と畑を往復するのは慣れで問題は無いようだが、その通り道に工事用の車両が止り、動力用のコードなどが道を塞いでいたから、車両を通り過ぎるまで道案内をして来た。

畑に居たご近所さんも、かのご近所さんが来ると、そこはアブナイ、真っ直ぐで大丈夫、それは右にある・・・など言って気を使っていると言う。

畑のご近所さんも膝に問題を抱え、立ち居振る舞いに不自由はあるが、自分の家とか畑では、人目を気にする必要も無いから、痛みが来ないように箱(椅子の代用)に座ったり・・・と、足腰に負担がないように働いているのだとか・・・。
時折、私でも出来る事、鍬や鎌を差し出したり、収穫用カゴを手元に引き寄せたり、些細なことだが、気が付けばするようにしていたが・・・今日も、丁度、キュウリの支柱を立てている所で、支柱の端を支えたりしながらオシャベリをしていた。

帰ろうとした時、「ああ、そうそう、そこのズッキイニーが採れ頃だから、自分で採って行って」と言われて、私は有難く頂いて来た(ズッキイニーの食べ方も知らないが・・・)。


時々考えるのですね、何処までが「親切」で、どこからが「お節介」なのか・・・と。
相手にとって負担になるかどうかも、それぞれの立場で違うものだろうし、これだという基準は定められない。
ただ、強がってはいても、所詮、弱い立場の高齢者(だよね)として、些細な「心遣い」は、素直に受け入れて貰えたら嬉しいし、当然、私自身も、素直に受け入れて行こうと、これもまた、ちょっとした決意をした。

    ←拡大可能
 両親と妹の傍らに     玄関に          台所に          トイレに      

庭の「ミニ薔薇」の、花が付き過ぎたところを切り取って、モッタイナイから、家中に飾った。
これも、せっかく咲いた花に対する「心遣い」だと思っているが・・・

 


今日(24日)、この花を少し摘んで来ようと立ち寄ったところが、草刈り機で、一面、綺麗に刈り込んであったのですよ。
この土地の管理者に、野の花にも、少しの心遣いを・・・と、求める事は無理なんですよね、でも、残念!

 


 

コメント (4)
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