IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

支えられて・・・・

2014-12-30 11:16:19 | この頃思う事

 

                                 植え足した後(左)と前(右)の花壇


12月30日、晴れ。

母の三七日を過ぎて、これから先の事などを、ボチボチと、考え始めている。
元々、家事などは不得手で、片づけなければならないものはあるものの、とりあえずは、後回しとする。

今年中にして置きたい事として、12月10日に実施した「花壇植替え」時、我が会の看板辺りが寂しかったので、29日と30日の2日間(合わせても1時間位)で、花を10株程、購入して植え足した。
この花たちが、根付いてくれれば申し分ないが、たとえダメ(この場所は根付きにくいので・・・)であっても、私的には、中途半端な気分が一掃された。

今年一年に限った事ではないが、母の介護(看護)に於いては、本当に、様々な人達に支えられてきたと思う。
その上、母を看取った後には、友人からはもとより、ブログでのお付き合いの方々からも、たくさんの励ましを頂き、私にとって、これほど力を頂いた事は無かったと感じている。
私自身、この先残された時間はどの位なのかを知ることは出来ないが、頂いた力を、何かの形で「お返し」をしなければ・・・と、痛切に思う。
来月(2015年1月)は、まだ、四十九日前で、「不謹慎な・・・」とお思いの方もあると承知の上で、もう少し、前向きに出て行くつもりでいるので、よろしく、お付き合いくださいね。


いずれにしても、今年一年の皆様からの支えに、心から、お礼を申し上げます。
良き新年を迎えられますように・・・・・


コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さて、何をしようか・・・

2014-12-25 17:09:58 | この頃思う事

 

 庭先に舞い散る「紅葉」が、とても良い色合いなので、新しい落ち葉を拾い集めて、わざとらしいながら、撒き散らしてみました。


 

今日は12月25日。
世間では「クリスマス」ですが、ま、私的には関係ない事ですから、本日は、取り上げない事にします。
さて、それでは何をしたら良いのか・・・・。
とは言うものの、そう、世間から外れたくもないし・・・という事で、23日に、知人のお見舞いも兼ねて、「クリスマスプレゼント」を届けに行ってきました。

プレゼントは?
「お寿司」と「みかん」です。

知人は、骨折を繰り返し、もう、日常的にも無理をすることが危険で、現在、介護のお世話を受けながら、一人暮しをしています。
介護食(というのでしょうか・・・お弁当を取っています)では、「お寿司」を取ることがないので、今、一番食べたいものだというのですね。
「みかん」は、知人の好物で、いつも食べていると言うから、ま、食後のデザートにと、持って行った次第です。

熱海で調達する予定でしたが、もしかしたら買う事が出来ないという事も考えて、三島市内のスーパーで、少し持ちの良い材料の寿司を購入しておきました。
熱海駅そばの寿司店で、お持ち帰り折詰(マグロとアナゴ)を作って貰い、ついでに、「青島みかん」も購入しました。
生ものですから、一分でも早く食べて貰いたいと思い、急ぎ足になりましたね(でも、また、電車に乗るので、気持ちだけが急いだんです)。

ちょうど正午に、知人宅に着きました。
挨拶より前に、お茶を沸かして、「さぁ、食べて、食べて」と勧めました。
知人は、並べたお寿司を、美味しそうに平らげてくれました。

「クリスマスプレゼント」としては、ちょいお粗末でしたが、私の出来る事はこれ位しかないのに、知人が喜んでくれた事が嬉しいです。
「ありがとう」は、常に、自分自身に力を与えてくれますね・・・実感しています。

 


  実際は、もっと、微妙で感動する色合いですが、私の技量では、捉えきれませんでした・・・スミマセン!

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「市民会館前花壇」冬季植替え

2014-12-22 07:56:12 | 三六趣味の会便り

 

 

12月10日、午前8時から、「市民会館前花壇」の冬季植替えを実施。

今回の参加者は、UYさん、STさん、FSさん、SFさんと、YTの5名。

夏季の花は、気候のためか、花の種類のためなのか、途中で、ダメになってしまうものが多く、一部、植え足したりした。
今回は、パンジー(かな?)とスノーポール(去年、植えたので、名前を覚えた)の2種類。
この花ならば、もしも途中で枯れても、補充が出来るから安心だ。

今回は、久しぶりに参加してくれた人もあって、このところ、少~し、気分が落ち込んでいたけれど、また頑張るぞと力を貰えた。
浮かれたり、落ち込んだり、また、持ち上げられたり・・・・いろいろあるけれど、花が綺麗に咲くと、みな忘れられる。
後は、時々、見回って行くのだが、冬は、雑草取りが少ないので、随分と楽である。

そうそう、立て看板の周辺の花が少ないから、時間がある時に、植え足そうと思っているが・・・
何れにしても、寒さの中、ご協力くださった面々に、「ありがとう!」。     [報告:YT]


※ 掲載が遅れてしまって、ゴメンナサイ! 次に頂いた原稿は、すぐに掲載をしますので、どしどし投稿してください・・・伊豆の花

 

 

   

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご無沙汰しまして・・・

2014-12-20 09:37:38 | この頃思う事

 

 母は「華やかなさざんか」が好きでしたが、私は、どちらかと言うと、「静かな白」が好みで、親子と言えども、趣味は違うものですね


ただ今、復活段階進行中・・・ご無沙汰いたしました。

一日24時間を持て余し、返って、何も出来ないという、とても無意味な日々ですが、気分は前向きになってきました。
それでも、空になった母の部屋を見るのは、かな~り、しんどくて、このところ、毎日、昼食を兼ねて、「独りお茶」をしています。
寂しさに耐えて・・・なんてことではありませんが、急いで帰らなくて良い時間を、じっくりと味わっていたのですね。
そんな時、友人から、「お茶しよう」とお誘いを受けました、当然、ランチ付で・・・・。

まだ、遠出をする気分にはなれないので、近場の「フレンチカフェ」で、「キッシュのランチセットとコヒーにシュークリーム」という、軽いというか、カロリーオーバーというか・・・ま、気持ち的には軽いランチを取りました。
友人も、最近、お兄さまご夫妻に次いでお義兄さまを亡くされており、お互い共通する痛みを持っていたので、通じ合うものが有るのですね。
3時間余り、あれこれと、とりとめに無い、結論の出ない、でも、胸の内を吐き出した話をしました。

勿論、家族で話し合う事も大事な癒しになりますが、私の場合、家族に、心情を吐露する事はありません(性格か信念なのかは、当人にも不明)ので、その分、友人たちに助けられております。

今日は20日、静岡で「クリスマスJazzコンサート」の予定でしたが、キャンセルしました。
(代わりに、今、TVで、D・エリントン:ライブinオランダ1958を見ています)
12月中の「忘年会」も、取り止めました。
今回、友人等皆様方に、ご迷惑もお掛けしました。

年が明けたら、復活しますので、よろしく!



畑への道すがら、一人(?)佇む「鳥」が居ました。何だか、気持ちが引き寄せられて・・・・

コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「自宅で看取る」という事は・・・

2014-12-13 19:25:27 | この頃思う事

母の旅立ちの日は、玄関に置いた「シャコバサボテン」が満開になっていました


 

12月7日、同居を始めてから8年3か月の末、母を自宅で看取りました。

4年前の秋、母が、「心筋梗塞」で「CCU」に入った時、治療を拒み、病院に一筆入れてまで、半ば、強制的に退院をした時から、こんなに病院嫌いな母の最期は自宅で・・・と、心に期しました。
今回、救急で運ばれたが、入院でなく自宅に帰らざるを得ない状況になった事も、私自身、さして、不満を持たなかったのは、多分、その思いがあったからだと思います。

「看取り」という、極めて個人的な事を、ブログに掲載したのは、私自身に、まだ、迷いがあり、違うご意見がある事も、十分、承知の上で、この件をお考え頂ければ有難いと思ったからです。

十数年前、「肝硬変」だった父を、病院で看取りました。
病院は嫌いでなかった父ですが、「家に帰りたいな」と、誰に聞かせるでもなく言った声が、何時までも、取れない重石になっていました。

母が介護施設を利用するようになった時点で、「最期は自宅で」と、しつこく、伝えてきたつもりです。
最終的には、更に、私自身が試されるように、決断をしなければならなかったのですね、「どういう結果になろうとも、母は自宅で看取ります」と・・・・

心機能に疾患のある母は、3日3晩、もがき苦しみ続け(看護師からは、見る程に本人は苦しんではいないからという助言を受けましたが、どう見ようとも、苦しんでいるとしか思えなかった)、母の背をさする事しか手立ての無い、長~い時間を送る中で、「自宅での看取り」という選択は、間違っているのでは・・・と、自問自答の繰り返しでした。
漸く、もがく様子が収まり、荒い呼吸ながらも苦しげな風を見せなくなってから10時間余り後、母は、小さな息を最後に、永遠の眠りにつきました。
その顔には、あの長い苦痛の跡は見られませんでした。

お悔みに見えた方々が、「自宅で家族に看取られるなんて、一番、幸せですね」とか「穏やかなお顔をして(本当に穏やかな顔でした)、苦しまなくて良かったですね」と、口々に言われるのを耳にしながら・・・この選択は、母にとって、本当に幸せな事だったのだろうか、私の意地を通しただけで、しなくても良い苦しみを母に与えただけだったのでは・・・今も、結論は出ていません。
この件は、もう少し時間を置いてから、考えたいと思っています。

「自宅での看取り」というのは、昔なら、一般庶民でも、それなりにノウハウを持っていたと思いますが、専門分野に任せっぱなしの現代では、適切なサポート(我が家に於いては、まず頑なまでの私の意思と、介護スタッフ・顧問医師の支え)は、絶対に、必要です。
ただ、母との闘争・8年3か月を通して思うのは、どなたかの言葉にありましたね、「人 は、生きて来たと同じように死んで行く」というのは正解だなぁ・・・という事でした。

皆様からのお見舞いに、心から、お礼を申し上げます。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

“様子を見ます”

2014-12-04 18:53:51 | この頃思う事

 

近所の竹藪に、何時頃からだったのか思い出せないくらい前から、「柚子の木」がある。
誰かが植えたのか、鳥が運んできた種なのか・・・「柚子」が黄色く色づく季節は、冬の訪れではあるが、なかなか、良い風情である。


 

 12月2日に、母の容体が悪くなり、救急車で近くの大学病院に運ばれた。
懸念材料は、いろいろ、あるのだろうが、明らかな病名としては、「心筋梗塞」だった。
以前にも、この発作を起こしていたから、「これもありなん」であって、救急措置で、一応、母も落ち着いたようだ。
で、この病院では、ベットの空きがないという事で、かな~り、遠方の病院に搬送するというのだ。
とても、そんな遠方では、私たちが付き添えない。
結果、自宅で様子をみるという事にして、自宅に連れ帰ってきた。

翌3日午前中、介護を依頼してある施設から看護師とケアマネが来て、血圧やら体温やら、数種の検査結果を施設顧問医師(母の掛かりつけ医師でもある)に連絡を入れ、その日の午後、往診をして貰うという、バタバタした出来事であった。

この2日の出来事については、納得できない事もあるが、今は、とりあえず、胸の内に納めておくことにする。
何れ、じっくりと、問い、考えてみたい気がしている。

そんな訳で、母の見守りに24時間を必要としているため、落ち着いてブログに接することが出来ない状態なのだ。
以前、ブログ更新を怠けていた時、いろいろとご心配くださった皆様に、とりあえず、勝手ながら、ご承知頂きたいと思います。

落ち着きましたならば、鬱とうしがられても、また、参上しますので・・・・。


 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする