できればやらなくて済めば良いと思っていた、
大学再生のプロジェクトが、
正式にスタートすることになりました。
その大学がおかれている状況は、
まるで天竜川の急流くだりを、
逆に遡上するのと同じような感じです。
その解決は、決して一筋縄ではいきませんし、
厳しい状況の中、内部的な、
人と人との激しいぶつかり合いも、
覚悟しなくてはなりません。
本当は、明るい未来に向かっての仕事をしたいのですが、
私には意外と、
こういった仕事が時々まわってきます。
そういえば、その極たる経験をしたのが、
バブルが弾けた後の頃。
ある海外の大手メーカーの日本販社で、
営業畑から新たに社長になった人と、
事務サイドの人たちとが対立し、
ある日を境に、
事務サイドの全員が突如出社を拒否し、
退職してしまうといった事態が起きました。
折も折、バブルの後で業績も急速に悪化していたことから、
その会社は、完全に機能不全に陥り、
倒産寸前の、風前の灯火となってしまいました。
そこで、最悪の事態を危惧した本国の親会社が、
私がかつていた会社に、
緊急要員の派遣の要請をしてきたのです。
運悪く?
その殺伐とした会社に行くことになったのが、
私を含めた20代の若造3人でした。
ほとんど会社の態をなしていない職場に、
当時の私は、毎朝、暗澹たる気分で、
何でこんな仕事を・・・、
と思いながら向かっていったのを覚えています。
一緒に行ったメンバーも、
同じ想いだったろうと想います。
残業、残業、土日出勤の合間をぬって、
たまに気晴らしに一緒に飲みに行くのが、
私たちの唯一の楽しみでした。
その時の3人の中で、
リーダーを務めてくれたのは、
後輩の面倒見のよい親分肌の尾立さんでした。
その飲み会のセットアップは、
いつも尾立さんがしてくれました。
その尾立さん。その仕事のすぐ後に会社を辞め、
独立して自分の会社を営んだ後、
鳩山首相の政策補佐官を経て、
5年ほど前に参議院議員となりました。
その時は、あの尾立さんがと驚きましたが、
先日の事業仕分けでは、その中心のひとりとして、
枝野さんや蓮さんとともに活躍され、
連日テレビにも映っていました。
今後、きっと大臣への道を歩んでいくことでしょう。
もう一人の力強いスタッフだったのが小林さん。
日本の法曹界の重鎮の家系の出身で、
その後まもなく、
公認会計士と弁護士の両方の資格を得て、
若くして虎ノ門に自分の事務所を開いて独立し、
活躍されています。
その頃、その悲惨な仕事先から、
自分の会社の事務所に帰ったときに、
私のななめ後ろに座っていたのが、
今をときめく勝間和代ちゃん。
お互いに、常に現状を超えていこうとする、
アグレッシブなところが似ていて、
わりと気の合う仲間でした。
でもまさか今のようにブレイクするなんて、
当時は思っても見ませんでした。
こう思い返してみると、
その時の仕事は暗澹たるものでしたが、
そこには、決してそればかりではない、
これからの日本を背負う優秀な人たちとの、
貴重な出会いが秘められていました。
もちろん、当時はそれを知る由もありませんが、
結果がそう物語っているのです。
「今、起っていることを、
今、評価してはいけない。」
私にとっては、よい教訓になりました。
人生における出来事は、
10年、20年、
あるいはもっと先になって初めて、
その時の出来事の本当の価値が、
解ってくるものなのでしょう。
では今回の仕事には、
一体、何が隠されているのでしょうか。
それも、将来のお楽しみということなのでしょう。
大学再生のプロジェクトが、
正式にスタートすることになりました。
その大学がおかれている状況は、
まるで天竜川の急流くだりを、
逆に遡上するのと同じような感じです。
その解決は、決して一筋縄ではいきませんし、
厳しい状況の中、内部的な、
人と人との激しいぶつかり合いも、
覚悟しなくてはなりません。
本当は、明るい未来に向かっての仕事をしたいのですが、
私には意外と、
こういった仕事が時々まわってきます。
そういえば、その極たる経験をしたのが、
バブルが弾けた後の頃。
ある海外の大手メーカーの日本販社で、
営業畑から新たに社長になった人と、
事務サイドの人たちとが対立し、
ある日を境に、
事務サイドの全員が突如出社を拒否し、
退職してしまうといった事態が起きました。
折も折、バブルの後で業績も急速に悪化していたことから、
その会社は、完全に機能不全に陥り、
倒産寸前の、風前の灯火となってしまいました。
そこで、最悪の事態を危惧した本国の親会社が、
私がかつていた会社に、
緊急要員の派遣の要請をしてきたのです。
運悪く?
その殺伐とした会社に行くことになったのが、
私を含めた20代の若造3人でした。
ほとんど会社の態をなしていない職場に、
当時の私は、毎朝、暗澹たる気分で、
何でこんな仕事を・・・、
と思いながら向かっていったのを覚えています。
一緒に行ったメンバーも、
同じ想いだったろうと想います。
残業、残業、土日出勤の合間をぬって、
たまに気晴らしに一緒に飲みに行くのが、
私たちの唯一の楽しみでした。
その時の3人の中で、
リーダーを務めてくれたのは、
後輩の面倒見のよい親分肌の尾立さんでした。
その飲み会のセットアップは、
いつも尾立さんがしてくれました。
その尾立さん。その仕事のすぐ後に会社を辞め、
独立して自分の会社を営んだ後、
鳩山首相の政策補佐官を経て、
5年ほど前に参議院議員となりました。
その時は、あの尾立さんがと驚きましたが、
先日の事業仕分けでは、その中心のひとりとして、
枝野さんや蓮さんとともに活躍され、
連日テレビにも映っていました。
今後、きっと大臣への道を歩んでいくことでしょう。
もう一人の力強いスタッフだったのが小林さん。
日本の法曹界の重鎮の家系の出身で、
その後まもなく、
公認会計士と弁護士の両方の資格を得て、
若くして虎ノ門に自分の事務所を開いて独立し、
活躍されています。
その頃、その悲惨な仕事先から、
自分の会社の事務所に帰ったときに、
私のななめ後ろに座っていたのが、
今をときめく勝間和代ちゃん。
お互いに、常に現状を超えていこうとする、
アグレッシブなところが似ていて、
わりと気の合う仲間でした。
でもまさか今のようにブレイクするなんて、
当時は思っても見ませんでした。
こう思い返してみると、
その時の仕事は暗澹たるものでしたが、
そこには、決してそればかりではない、
これからの日本を背負う優秀な人たちとの、
貴重な出会いが秘められていました。
もちろん、当時はそれを知る由もありませんが、
結果がそう物語っているのです。
「今、起っていることを、
今、評価してはいけない。」
私にとっては、よい教訓になりました。
人生における出来事は、
10年、20年、
あるいはもっと先になって初めて、
その時の出来事の本当の価値が、
解ってくるものなのでしょう。
では今回の仕事には、
一体、何が隠されているのでしょうか。
それも、将来のお楽しみということなのでしょう。