残りわずかな力でも伝えよう。-そして、再起。 

この難病は、私だから授かった『生きる上での宿題』と受け止めたい。生きる「希望」を
胸に。「P病撲滅」が夢。

幾多の教え、その結晶体実現をめざす決意 ~2009年の初めに~

2009-01-12 | Weblog

これまで一体何人のお方にお会いしただろう。
多くの忘れえぬ方々が、私の心に映し出されては消えていく。
その方々には必ず、印象的な深い言葉がある。

 昨日、ある障害者の新年会に参加、2度目であったが、その会長さんが
お辞めになると辞意を表されたとか。
 その会の隅で、次の執行体制について一部の方が円座になって話している。
方や、カラオケタイム。なんともはや、そのデリカシーのなさとまとまりの無さ。
福祉の手立てを頂くお互いの身。いたわりあい、認め合っていきたいものだ。
そこで、『ふるさと』を皆で歌いましょうと提案。
誰もが知るその歌はリクエストもされ、心は一つとなり、好評だった。
歌はいい。みんなが歌う歌はなおいい。ふとそんな事を思った。
お辞めになる理由が哀しすぎた。
後期高齢者制度の影響が濃い、そして老人ホームへ。
優しいかたで、自己犠牲を厭わない方だけに、悔しい気もこみ上げる。
先においとましなければ、次のところに間にあわないので中座。
それにしても、ご高齢の方ばかり。そのお一人からお誘いがあったので
「いかがわしいこといわないでください。主婦にむかってなんですか」と
大声でいってやった。どこにも不心得者はつきものらしい。
あのあと自己嫌悪ながらも、放送大学の体験学習へ。

放送大学は、殊のほか面白かった、実に安くて、実に手軽で、
出来るところから できることを 始めたい
「放送大学院に進みたい」と、 強く思った。
この欲張りかなのか、向学心なのかも、薬のせいか?

 悪い癖だ、あせるまい。人のために先ずできることから貫徹すること。
先ずは、仲間作り、理解者を増やす事。
どこまでできるか、いかにこのよどみない気持ちをより多くの方に
理解していただけるか。
また私の限りない挑戦が始まろうとしている。

寒風吹きすさぶ中、誰あろう、ある国会議員の先生にお会いして
「直訴」するだけのため、いやその地のお仲間に希望の光を届けるためにも
その前、大阪から直訴行脚をはじめようとしている。
そして、患者会をサポートしつつ、互いのあり方を高めあうことで
患者当事者の意識変革を推進していただけたらと思う。

ところで、これもまた時代の流れと言うものだろうか。

今日この日、国立競技場での高校サッカー決勝戦で
広島皆実高校イレブンが渾身の闘いをしている。
さて、その結果は…見たかった…残念・・