残りわずかな力でも伝えよう。-そして、再起。 

この難病は、私だから授かった『生きる上での宿題』と受け止めたい。生きる「希望」を
胸に。「P病撲滅」が夢。

意見書 ~その草案として~

2009-07-16 | Weblog
「難病撲滅」「社会保障費減少策」の一途として、国の姿勢を問う意見書(案)
~ その前提としての趣意書 ~

近年、わが国の少子高齢化は急速に進み、社会保障費の激増は憂慮すべき緊急課題となって久しいものの、最近の報道によると、少子化が増加に転じてきた兆しも見え、国家予算を組んで取り組む国はそれなりの成果は着実にあげているというデーターも併せて報告されております。
転じて、去る2009年2月10日、約7年ぶりに厚生科学審議会疾病対策部会難病対策委員会が開催されたそうですが。そこで大臣自ら明らかにされたことに、わが国の難病対策は、昭和47年の『難病対策要綱』が示されて以来、『難治性疾患克服研究事業』及び『特定疾患治療研究事業』の二本立ての事業により医療施設整備はもとより、調査研究との推進などに本格的に取り組んで30数年経過したものの、残念ながら、未だに診断法や治療法の未確立な疾病が殆どで、過去の厚労省のデーターによれば、対象疾病数も患者数も増える一方、加えて潰瘍性大腸炎やパーキンン病に見る患者数の激増と発症の低年齢化は社会保障費の増大に無縁でもなく、地方財政の負担も増大の一途でした。特に特定疾患は、医療費助成という福祉的役割を大きく果たしてきておりますが、その増加ぶりに、まず軽症患者が対象から外され、次に「希少性」の要件を根拠に、、更に急増する2疾患の軽症患者の除外が提起されるも、与党2党による政治的人道的観点より、一定の国家予算を確保等の緊急決議をもって、削減は免れたのが3年前。以来、地方の負担も最初の合意内容の折半という形に戻すべく、軽減されてもきました。
当時のP病患者会の訴えによると、すでに軽症のヤール度1.2の患者は最初から特定疾患の対象から外されており、中等症のヤール3が外しの対象とされたのです。これが行使されると、重度患者しか対象として残れず、重度医療と重なり、最も医療助成を必要とするヤール3の患者の悲惨さが理解されたこともあり、特定疾患事業の形骸化と矛盾の露呈はさけられました。しかし発症の予防につながる原因究明は未だ進んでおらず、このままでは患者の抱えた実状と認定の落差は拡大するばかり。それによって再びもたらさる悲惨な事件も危惧されるところです。
話し転じて、すでに日本が世界で5番目に制定した『がん対策基本法』には、癌の撲滅を国の責務として明示しており、以後、確実に成果をあげているようにお見受けしております。今や3人に一人ががんと言われる現状にあっても、国民は冷静に対処し、早期発見の効果か、治癒率も年々上昇し、原因物質も次第に限定され、今や一部「生活習慣病」だと言う見方もあるほどで、国立がんセンターの総長自ら、何年後に減少に転じ、何年後には半減させたいと言う見通しを示されるなど、国民は『癌克服』という希望を抱きつつあります。
方や、「難病」は、その定義すら曖昧で、過去のしがらみや社会運動のいきさつもあり、遺憾ながら遅れをとってきました。それとは別に、医学研究の進歩は、国際競争の激化と共に、日進月歩の勢いで、殊に再生医療分野の成果は、それが国益にも通じることを幅広く認識させました。
日本は、地球温暖化への関心が高い経済大国でありながら、反面『難病大国』『癌大国』とも揶揄されております。難病の発病に地域偏在は認められず、地方行政のありようにその責任はありませんし、地方が切磋琢磨して取り組むべき問題は、現実の患者と家族をいかに支えるかと言う具体的施策でありましょう。また科学研究と技術革新は環境浄化をも可能にし、話題のips細胞など再生医療は難病完治への扉と期待されております。しかし、発症のメカニズムを明らかにしなければ、難病の予防策を講じることは不可能です。難病の主体者は患者であり、臨床医がその実態を客観的に最も知る存在ですが、法制化への取り組みの中で、この当事者たちの声が軽視されてきたのがこれまでの国政の傾向ではないでしょうか。特定疾患が事業としての限界を迎えている中で、この流れを変革し、国民に蔓延してきて一般的に知られつつある中枢神経難病P病を難病のトップランナーとして、WGという、がん患者会に続く患者の実情を聴取する勉強会を作られたことは、難病患者たちに大いなる希望を与えるとともに、与党体質を一新させました。
一方、各種の法律や施策は民間からの組織運動を受けた結果が大きく、その重なりやよれやひずみは、年々肥大する傾向にあり、行政の現場では、福祉の精神に反する『申請主義』という開き直りが横行しております。
ここで原点に帰り、わが国の憲法25条、いわゆる「生存権」の精神に立ち返れば、癌同様に、「国の責務」として、この難病の撲滅に取り組むべきであり、『難病』の概念そのものからの柔軟なる見直しと、最低限の療養生活の保障はもとより、そのための恒常的財源確保を含めた国としての長期的展望にたった国家対策の姿勢を明示し、具体的な法整備も含め、絶望へと向かうしかない各地の難病患者の生存権を保障し、国民に「健康回復」という生きる希望を与えることが出来るのは政府であり、それこそが国政の使命との認識で当議会は一致いたしました。
現実、地元の難病患者の訴えを聞くと、原因不明ということはいつ何時誰が発症するやも知れず、その宣告は絶望へと誘い、社会的偏見との葛藤も強いるのですが、その患者の多くが、まじめで精勤してきた人たちだと言う臨床医の指摘も言い古されてきた事です。
かつて政府は、新自由主義の市場原理を医療福祉の分野にも導入したことで、医療や福祉はやはり、ある程度国を挙げて保障されなければならない分野でもあることを悟らせました。世界の先例にもそれは明らかです。「医療崩壊」や「医療難民」をこれ以上増やさない努力は、全国各地で展開中ですが、難病に限っては、財源確保はもとより、就労または年金問題も含め、特殊領域としての統括的見直しを強く求めるものです。
難病の撲滅への歩みこそが、健全なる国民を増やし、国力増強は無論、社会保障費の減少も現実みを帯びてくるものと期待し、下記の事項を強く要望いたします。
                 記
1、 医学研究の目覚しい進歩により、難病の完治が夢物語でなくなりつつある現在、政府は、財源確保を含め、「難病」の定義そのものから、広義または狭義とその概念を早期に確立し、「難病対策」を医療研究の部門、福祉部門としての医療助成、生活助成など、社会保障全般の統括的見直しを進めること。難病患者とその家族の社会参加と半就労形態構築などを図り、その生存する権利を後退ないよう保障し、最先端医療などで完治した患者の社会復帰支援策や最低障害基礎年金引き上げ決議の早期施行もあわせて要望する。
2、 政府は、パーキンソン病WGに倣い、政官民の協力体制を定着させ、患者当時者とその臨床研究医の声を尊重しつつ、制度受益者の声を聞き取る努力を更に押し進め、それに即した法律や施策を更に見直すこと。また完治と予防策構築のため、原因究明に主力を尽くし、軽症者を含む実態解明から着手し、病気の主体者である患者当事者を主軸にした三位一体の取り組みを推進、その重症化を阻むべく、「寝たきりゼロ実現へ」情報公開にも努めること。
3、 患者会の社会的貢献と意義を認め、各部門の医師会との連携を図り、医療薬事介護行政の更なる向上を期し、関連教育機関要請、科学的認定基準の策定などに、民間活力を活かすこと。
4、各地の『難病相談支援センター』の活動成果を高めるため、更なる連携と相互情報開示を進める。各臓器バンクや先端医療研究機関の併合、日本固有の東洋医学や民間療法の採用研究も含め、患者会拠点などの、難病の全国からの情報集積・及び研究・発信基地として、『国立難病支援・情報研究センター』(仮称)いわゆる難病のナショナルセンター設置を要望する。このことは社会で弱者の立場にある難病患者が搾取される事のない社会の実現に近づく事であり、健康を冒されて最底辺の苦しみに喘ぐ国民の救済こそ、国民の安心獲得、幸福感の享受、あるいは国力増強に結びつく意義ある国家的先行投資であり、「難病撲滅」を目指す「健康大国」とも評されるように、臓器移植の点からも『神の手を持つ日本人医師』の国として、世界の先進的役割を果たせるように。その一歩とすること。
以上、地方自治法第99条の規定により、意見書を提出する。
平成21年 月 日 ○○県議会
○○県会議 議長
○○○○
〔提出先〕衆議院議長・参議院議長・内閣総理大臣・厚労大臣
( 文責 JPDA 前副会長・自民党PDWG発起人 綾もみじ)


岡山県支部会報への原稿 その④

2009-07-16 | Weblog
〔 略歴と自己紹介〕
1958 1/2生 広島源流域で生まれ育ち、学生時代より、市内在住。
卒論は『歎異抄研究―その魅力を探る―』で、評価は10段階の10
在学中の約2ヵ年 真宗『正覚寺』柳田智照住職に師事し、仏教を学ぶ。
安芸門徒として信仰篤き家庭に育ち、プロテスタントの大学卒業後、
広島市立中学教諭として、4年勤務。「女金八」と言われるほどの熱血教師。
結婚後、自営業〔飲食・仕出し業〕の見習いから、業務全体に関わる。
2女1男に恵まれるも、30歳から動作緩慢など、異常を感じる。
34歳 パーキンソン病と宣告される。長男自閉症と診断
44歳 自らを失業させる アポインターとしてバイト〔健康食品業界の裏側を見聞する〕
45歳 特許申請 創業塾・女性起業塾、受講。山内博晶先生に邂逅。前向き思考と言葉の力
ポリテクセンター三ヶ月通所 就職活動から患者会へ。
入会後即、広島県支部編集長 広難連幹事 広島県支部理事から副支部長へ。
全国会報編集委員として、丹羽浩介副会長の指導の元、100号~105号編集 (特に103・105号は独自で編集・1万部発行)その後、本部副会長兼若年部長に。
島根県難病対策講演会講師、呉講演、福島県・東京・岡山で、小野春子先生を紹介講演。島根県支部結成準備委員会において、行政のバックアップを唯一礼賛す。
島根県支部結成のための原資を提供。初代会長より「島根県支部の母」と言われる。
7患者会が並立で立ち上がった形の最も先進的民主的な組織。組織率ダントツ全国1位。
岡山県支部再入会に一役果たす。岡山県支部の署名・嘆願書を代理提出
若年部会議各地出席または主催〔福岡・神戸・大阪・京都・名古屋・東京〕
特定疾患問題関連…厚労省に取材。各支部の嘆願書を共同通信記者に手渡す。緊急支部長会議後厚労省へ行き、対峙するを疑問視した発言をし、行政側とエール交換して散会となる。緊急役員会開催、勉強会と妥協す。開催事由は正当でも、役員の大方は妥協案支持。開催主催者としての私と会長の徹底抗戦の根拠となる理論と姿勢が理解され、支持と驚嘆の声多数。総合的運動方針提示。統一行動と折衝役決定。厚労省に早速出向き、信頼関係維持。以後、特定懇延期が続く。以後「一人一行動」から、統一方針に基づく運動へと展開。
北海道ルートより政府要人への説得要請あるも、行けず。最後の公聴会後、レポート提出と直談判で、与党決議の基となる患者実態からの理論展開。『高山レポート』大いに功を奏す。岡山ルートから、幹事長、橋本岳代議士を説得。P病WGの設置へ。
後半一年は、WGを守りつつ、内部改革を期して活動するも、惨敗。
ただ事務局長の交代は自らの首も辞さず、果たし得た。副会長として最後の総会の議案書に事実の改ざんが多々あったがため、『もう一つの議案書』提示。配布を撤回させられる。以後、事務局長より解任請求が出されるも、役員会での同意殆ど得られず。三役一任で一部謝罪により、鎮火。野党・労働組合の応援で活動を長年支えてこられた事務局長にとって、与党を頼り行政と共に歩むという姿勢転換はありえない発想で、左派系の方がたからは敵視され続けた。
岡山県支部に参加した同日開催の役員会で、規定改正され、次期役員への道が絶たれる。
小野春子先生との講演後、支部長の態度豹変。本部と迎合するよう説得されるも、もみじ拒絶す。支部役員会に参加させない形で、支部役員から抹消。一方、支部総会では、「全国でご活躍ください」と満場の拍手で送り出されるも、はしごは狡猾に外されたままである。
闘い敗れて、後に残ったのは、重症化した自身の身体と、ぼろぼろの心。以来、自分と家族のために生きると決め、病と向き直す日々。現在、ヤール1と5を行ったり来たりの51歳の女性患者。前向き思考で、明るい、笑顔がいいとよく言われる。
『綾もみじ』として、時折の思いをつづりつつ、卓球やボーリング、ストレッチ・きくち体操でリハビリ中。ガーデニングと華道・カラオケが趣味。パン作りや梅干し作りと多忙。特許考案も趣味。いずれ、特定疾患問題にからむ真実を小説にするのが、当面の夢。

岡山県支部会報への原稿 その③

2009-07-16 | Weblog
これからの療養生活のために

 それにしても、御地での小野先生との一昨年の講演では、貴重な時間を弄してしまい、皆様には申し訳なかったと反省しておりますが、貴支部の皆さんが、小野春子先生の実践に学ばれ、力強く歩まれていることを風の便りにお聞きしますと、「ああ、ありがたい」と、本物が分かる方々が居られた幸運に感謝の思いで満たされます。小野先生は『奇跡の体現者』として、医学会からも注目されておられるとお聞きしました。私達は『深い愛の精神を湛えた、努力と信念の実践者』として、その生きておられる姿に学ぶことができるのです。
小野先生と皆様にひたすら感謝です。
また、小野先生の食事療法、温熱療法、言語療法。すべてほとんどお金がかからない方法です。これと同じように「きくち体操」というものも、お金が要らない、がんばらなくていい療法として話題ですが、いずれにしても選択を間違えないことと、日々の実践する努力の継続が、明日の自分を支えてくれることは確かです。

 薬が私たちの行動を決定づけているとも言えなくもありませんが、それ以前に大事な事は病を受けとめる気の持ちようだというのが実感です。自分の抱えた病ならば自分でしかない。それを支える努力と自分流の工夫、日々の実行の力であり、自己管理力が問われます。
ある医師のお言葉「同じような怪我で運ばれてきても、愚痴ばかりの人は治りが悪く、前向きで感謝する人はなぜか早く治っていくから不思議です。」人間って深いですね。
また眼には見えないながらも、生活の根底を支える国の制度や事業が、いかに生活や家族を含む心理状態にまで影響するかも実感してきたことです。己を知る事と、病気と口にする薬をよく知る事。その作用を医師にどう正確に伝えうるか。と同時に、生活の一端も理解しておいてもらう心がけも大事だと思います。いずれ福祉の手を借りなければ、生きづらい病気であることも直視し、それを周囲にも理解してもらうことで随分気が楽になるはずです。
 人には自然に治す力〔自然治癒力〕が備わっており、それを高めるべく、心の持ちようと寝たきりにならないという決意を固め、積極的に生きる姿勢で、かつ周囲への感謝を忘れず、共に上を向いて『生旬』し続けましょう。人として当たり前のことが出来なくなる病気だから、私達は現状維持でも大変です。だからこそ、日々生きていること事態、立派な自己チャレンジをしているのです。
自分で自分を、時々声に出して、鏡を見ながらでもほめてやりましょう。
また元気な皆さんの笑顔にお会いできる日を楽しみに、私も頑張らない努力を重ねてまいります。

  ご家族のかたへ

ご存知でしょうが、家族の一言で、症状が随分ちがってくることもあります。
できるだけ心を軽くして差し上げられるような一言をかけてください。また甘やかせばキリがありません。出来るだけ、自力で立たせ、自力で歩けるような介助がありがたいと実感する今日この頃です。介護保険などを最大限利用し、介護から解放される時間は是非もってください。介護者の笑顔がP病患者の心のカンフル剤なのですから。
Kさんご夫妻のように、末永く息長く、楽しんで二人三脚でこの病と付き合っていけるように、介助される方の健康状態が大事です。
頑張らないで、気楽に。気に入らなくても、なるようになると言いますが、明けない夜もありません。時には声を出して思いっきり笑いもし、共に、生きて、生き抜きましょう。



岡山県支部会報に寄せての原稿 その②

2009-07-16 | Weblog
特定疾患問題のその後と、国民としての責務

また3年前の特定疾患問題を覚えておられますか。皆さんが世論を覆されたにも拘らず、ヤール3は厚生労働省では結果外されましたが、一夜の逆転劇で自公の決議をもって政治力で撤回されたこと。これは歴史上、異例の快挙として『社会運動団体』に語り継がれていく事でしょう。またその後パーキンソン病が、難病のトップランナーとして任じられ、がん患者会に次ぐ患者団体として、与党自民党と厚労省・財務省と患者団体代表として実態を訴え、毎年の難病対策費の予算獲得をしてきたことはご存知でしょうか。
そのパーキンソン病ワーキンググループ(WG・勉強会)の発起人を私だとおっしゃるのは、その会を創始された橋本岳衆議院議員ですが、実際には、私はおねだり団体であってはならないという信念の元、国民全体の幸せのためにも国としての明確な姿勢と対策をと、
パーキンソンの実態から責任政党へ訴えただけで、その橋渡しをされたのは、長年人助けをしてこられた「小合洋一先生」なのです。虎之助先生のご助力あっての船出でしたが、その橋本岳先生は、設立まで党内で「なぜパーキンなんだ」と怒られ怒られしながらも説得して回り、右も左もなく、ただ難病に拉致された私達の実態から医療介護福祉の全般的ありようを探り、個体差も大きく、日内変動も激しい、百人百様の病態、どれをとってもやっかいな難病問題から目をそらさず、施策の反省にもなりうるし、勉強を重ねていこうと、『難病対策議員連盟』の下部組織として設置。一期目というのに、国会議員70名の難病問題の求心力となって、完治への希望をつないでくださっています。とはいえ、特定疾患治療研究事業はもう限界です。これまで事業でしかない扱いようでした。しかも、地方負担が大きく、国は多くて半分の負担で、その格差もひどいものがあります。難病の定義もあやふやな今、これから法制化に向かう中で、このP病WGの存在が益々重要であることは言うまでもありません。

国会議員でヤール4の状態になった私の手を引いてくださったのは、橋本岳先生だけです。それほどお優しく、気さくで誠実なお方です。メールを橋本先生のブログに送ると、どんなにお忙しくても全て丁寧に読まれます。慶応大学大学院で情報分野の研究に携わり、その分野での職業経験は国会議員の職務に反映され、科学的明晰な頭脳と熱き人情で、自民党をセルフチェンジ〔自己変革〕なしうる逸材とお見受けいたしております。実際、表にはでませんが、P病WGは「健康」と『社会保障』という、国民の根源的課題の一つから眼を背けてはならないと言う議員の集まりでした。
組織によらず、党派を超えて『政治は弱者のためにあり』と弱者の救済と、底上げこそが
この国の国力をも高めうるとの若き代議士の信念に、国民の一人として、こういう政治家を育てていくのも国民の責務ではないかと自省するとともに、倉敷・総社の方々にお願いしたいのです。
全国の難病を生きる方々のためにも、こういう誠実な血の通った仕事をこつこつと積み上げている政治家を、国政の場に戻していただき、更なる前進につなげてほしいと。
ただ患者仲間とひいては自分のためにも、全身全霊をかけて友の会に尽くしたこの身は、
すでに限界を超えて久しく、原稿も遅きに失しておりますが、これだけは言っておきたいのです。間違ってもかつてのように国政レベルでない方を、国政の場に送り込んでしまうと、国家の損失と迷走を招いてしまいかねません。
自民党の中にも色々な政治家がおられます。マスコミは一辺倒になりがちですが、あなたの権利である投票に必ず行ってほしい。マスコミに踊らされがちな私達。その眼と耳で直接知ったその政治家に託す一票。党は二の次で、あなたが地元で託したい人にこそ、その一票を。

少なくとも、馳浩代議士、橋本岳代議士率いるP病WGのメンバーは、医療制度改革の見直しが必要との覚悟で、実態に即した施策をという姿勢でした。ここに、自民党のセルフチェンジ(自己変革)の若い力の台頭を見る思いであったのは、私だけではないはずです。
難病問題の大きな「核」が、岡山にあるゆえんはこのあたりにあるのです。


岡山県支部会報に寄せての原稿 その①

2009-07-16 | Weblog
岡山こそ、『P病WG発祥の地』であり、難病問題解決への「核」として更に歩まん

JPDA 前副会長(PDWG 発起人) 高山 豊香

こんもりと色鮮やかに咲いていた紫陽花もいつしか盛りを過ぎ、明るい日差しにその葉の青さも深く、涼やかな風情です。こんな静かな午後は、かつてお会いした方々の笑顔が、次々に懐かしく思い出されます。今もお一人お一人のお顔が鮮明に浮かんでは消え、浮かんでは消えしておりますが、岡山県支部の皆さんのお顔はいつもにこやかで、おだやかな雰囲気に「ただいま」と言いたくなるほど、ほっとさせずにはおかない、「和み」の空気をお持ちです。人の織りなす空気によって、その色は微妙に変わりますが、広島が「元気」色だとすると、岡山の友の会は、「陽だまり」色に、私の眼にはいつも映っておりました。

「難病患者会」の心棒を教えてくれた岡山県支部

パーキンソン病を生きる方々に、知性的な方が多く、社会的貢献もされてきた方が少なくないということを確信し得たのもこの支部との出会いでした。いかに厳しい療養生活にあろうとも、笑顔を絶やさず、手をつなぎあう事のすばらしさ。生きる希望を糧に、弱者が搾取されることのない社会へと。その実現のためには、仲間内であっても、時には毅然として、過ちは過ちと指摘し、筋を通す。絶望の淵に立ちかねない日々を生き抜いてきたからこその、最底辺からの訴えは、人の心に届き、行政の善意を喚起し、為政者の慟哭からの真摯なる歩みも引き出すことを、身をもって実践してこられたのが、大本泉会長さん、その人なのです。
この大本会長〔支部長〕さんの精神そのままに,後を引き継がれてご活躍の大道寺新会長さんは、患者生命をかけて、この患者たちのために、ともに「生旬」しようと、受けて立たれた稀有の方です。大道寺さんの柔和で謙虚、かつ献身的なお人柄で、「陽だまり」色は、更にその輝きを増していくことでしょう。
ただ心配なのは、人望篤き幹部の皆様の高齢化と、大道寺会長さんの体調です。この方々を支える幾多の手数を期待してやみません。また、親切心からかどうかは別として、患者やその家族を顧客とする方が主宰するパーキンソン病患者の会が、同じ難病連に堂々と入っておられるという、岡山県難病連の意識の低さです。私は、この問題の主へ、明確に言っておきました「あなたが患者会を選ぶか、ご商売を選ぶか、どちらかでしょうと」彼がその時逆上されたのは、いうまでもありませんが、あえてお礼申し上げます。こういう方が居られたから、患者会はそういう輩の餌食にならないためにも、必要なのだと教えてくださいました。時として、患者会が、そういう搾取する側の手先に陥ることもあるだけに、大いなる反面教師として、一般的には珍しく、特筆されるべき人物でもあります。


岡山県支部会報に寄せての原稿 ~その序~

2009-07-16 | Weblog
 全国の皆様へ
こんなめったに更新も出来ないブログへお立ち寄りいただき、ありがとうございます。私は福祉の手立てに預かってようやく生きている難病による障害者です。
先ずは、今の福祉や医療・薬事・介護に携わる全ての方々に、感謝申し上げたい思いでいっぱいです。でも何かが間違っている。何かが世界的におかしいと感じてもきた一人の患者です。諦めては何も変えられない。「難病」だからとあきらめてはだめ。「難病」を得てこそ、見える何かがある。誰もが生かされてある命、私にも「天命」があるはず。その一つが「難病患者会をおねだり団体にしてはならない」ということでした。国民全体、いえ人類全体のことを考えて、もしかしたら難病患者って、薬の恩恵で生きられてるけど、薬なしでは生きられない「障害者」にもされてるかも…。「難病」イコール「障害者」じゃないし、「障害者」イコール「永久福祉受益者」じゃないはず。
 戦争が大きな世界的経済のつまずきをきっかけに始まってしまった過去もあるだけに、難病を得たがために搾取されることのないように、難病という片道切符を完治への往復切符へ切り直してもらわないと、この国はいずれ疲弊してしまう。
 それにしては、3年前の国の関係者の方々の無責任ぶり。お国はひとごと、地方ごと、「してやっとけ」モードのアホ面が国の要人。方や、患者会はと言えば、左翼思想としか言いようのない、事実の改ざんや、おとりの場所への誘導など、朝飯前のひどさ。事実、特定疾患問題の時、必死で不可能な転覆劇をなしえたのは、当事者家族の訴えの切実さと、純粋な病友を想う一途さと、不合理ゆえの悲劇を忌み嫌う正義の士が手を結びえたゆえの結論であり、結束とその理屈の分かりやすさゆえに「たった一人でも難病、何万人でも難病」と世論を変えていけたところにこそ、勝因があるのであって、難病団体の長の集まりでは、その実態すらなかなか把握できていないというあさましさもあったのです。しかも、皆さんのお金の不明瞭な処理。そこにからむ政党助成金の矛盾。日本人の公金たかりの体質がそれを助長している現実。
一部、運動屋さんと化した方々の野党からの犬の遠吠えでしかない自己満足。その仲間面した、善意の仮面を被った方々が、実は難病患者の悲願達成を遠ざける結果を生んでいたとは。それは、火の粉を被りながらも、実体験して掴んだ真実の有様ですが、それがこの頃だいぶ変わってきているのも事実で、当事者達の人間力かなと拝察もしているしだいです。
 その右も左もおかしなことをやってるのは、難病関係だけではなく、教育委員会VS日教組も、与党VS野党も同じこと。かつて戦争に突入した時のように、お国のための国民、組織のための個人になっている傾向があります。国民のための国であり、各個人のための組織でなくてはならないのに。
 それを正していくためにも、私はあえてはるか年下にもかかわらず、一人の勇気と人情に富む誠実な政治家と信頼し、尊敬にも足る人物と見抜き、党ではなく、人物本意でその実績からも、全国から岡山の倉敷市や総社市にお住まいの友人や知人、またご親戚にご紹介いただきたいと重複を承知で掲載させていただくものです。
 投票は個人の自由です。ただこの事実を知っていただくことは、判断の参考になろうと思うものです。私達の一票の重みを信じ、この国のこれからに希望を抱き続けたい方はお読み下さい。