HONDA Marlboro McLaren MP4/4 壁掛け写真
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/97/e7a88c9710d8a9e150e33c690073bddb.jpg)
10年ぐらい前、同時の職場の同僚からいただいた。
マクラーレン・MP4/4は1998年に16戦15勝を挙げ勝率93.7%「無敵」の強さを誇った歴代マクラーレン最強マシン。ターボ時代を象徴するような低いフォルムが輝きを放っていた。カラーリングはマクラーレンの代名詞であるタイトルスポンサーのマールボロ。
#11 アラン・プロスト
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/1c/96f5f42a5727860d698aeb3a5928ee4f.jpg)
#12 アイルトン・セナ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/cb/5e3fdced151d65952ad71e45038ec04a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/d5/b5809e60223d1e9a9e8b7ef26212bd5e.jpg)
ブラバムから移籍してきたゴードン・マーレーが最後に手がけたF1マシンであり、先代MP4/3に比べてより低重心の扁平なものとなり、彼がデザインしたブラバムBT55を彷彿させるフォルムである。マーレー曰く「88年のマクラーレン (MP4/4) はマールボロの皮を被ったBT55だ」と表現している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/44/423b36f74ad5d5a9c3adcff28d46e3e2.jpg)
ブラバムBT55(1986年) #7 リカルド・パトレーゼ ※平たい特異なフォルムは「フラットフィッシュ(ヒラメ)」とも揶揄された
話をマクラーレン・MP4/4に戻すと、エンジンはTAGポルシェからウィリアムズで成功を収めていた第2期ホンダを採用し、かなり突貫で製作されたマシン。ブラバムBT55のコンセプトを引き継ぎ低重心化を狙い、先代からのフロントサスペンションのプッシュロッドをプルロッドに改良。以後MP4/5Bまで採用される。シャシーは従前通りオス型成型のカーボンモノコックにアッパーカウルを被せる手法で、こちらはMP4/6まで継続して採用される。
最強を世に知らしめたこのマシンも「ターボエンジン禁止」間際で、1.5ℓターボから翌年1989年は3.5ℓNAに切り替わりる。まさにいい時期のホンダエンジンとアイルトン・セナとアラン・プロストの融合により、F1史上最強マシンになった。当時のF1はずんぐりしたフロントノーズが主流だったが、MP4/4は細く洗練されたシャープなノーズに仕上がっており、ひときわ目立ち美しかった。
我々世代の人間にとっては「マクラーレン・ホンダ」は特別な響を奏でる固有名詞だったが、それから約30年後の2017年9月4日、「マクラーレン、ホンダと別離へ」のニュースが飛び込む…。
かって、憎たらしいほど強かったマクラーレンとホンダの2度目のジョイントは…ホンダがマクラーレンに見捨てられる形で終焉を迎える。(前回はホンダが惜しまれつつ撤退したのとは大違い)今と昔のホンダは違う…。分かっているけど、そんなこと想像したくなかった…寂しい限りである。
※その他グッズはこちら
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/97/e7a88c9710d8a9e150e33c690073bddb.jpg)
10年ぐらい前、同時の職場の同僚からいただいた。
マクラーレン・MP4/4は1998年に16戦15勝を挙げ勝率93.7%「無敵」の強さを誇った歴代マクラーレン最強マシン。ターボ時代を象徴するような低いフォルムが輝きを放っていた。カラーリングはマクラーレンの代名詞であるタイトルスポンサーのマールボロ。
#11 アラン・プロスト
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/1c/96f5f42a5727860d698aeb3a5928ee4f.jpg)
#12 アイルトン・セナ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/cb/5e3fdced151d65952ad71e45038ec04a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/d5/b5809e60223d1e9a9e8b7ef26212bd5e.jpg)
ブラバムから移籍してきたゴードン・マーレーが最後に手がけたF1マシンであり、先代MP4/3に比べてより低重心の扁平なものとなり、彼がデザインしたブラバムBT55を彷彿させるフォルムである。マーレー曰く「88年のマクラーレン (MP4/4) はマールボロの皮を被ったBT55だ」と表現している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/44/423b36f74ad5d5a9c3adcff28d46e3e2.jpg)
ブラバムBT55(1986年) #7 リカルド・パトレーゼ ※平たい特異なフォルムは「フラットフィッシュ(ヒラメ)」とも揶揄された
話をマクラーレン・MP4/4に戻すと、エンジンはTAGポルシェからウィリアムズで成功を収めていた第2期ホンダを採用し、かなり突貫で製作されたマシン。ブラバムBT55のコンセプトを引き継ぎ低重心化を狙い、先代からのフロントサスペンションのプッシュロッドをプルロッドに改良。以後MP4/5Bまで採用される。シャシーは従前通りオス型成型のカーボンモノコックにアッパーカウルを被せる手法で、こちらはMP4/6まで継続して採用される。
最強を世に知らしめたこのマシンも「ターボエンジン禁止」間際で、1.5ℓターボから翌年1989年は3.5ℓNAに切り替わりる。まさにいい時期のホンダエンジンとアイルトン・セナとアラン・プロストの融合により、F1史上最強マシンになった。当時のF1はずんぐりしたフロントノーズが主流だったが、MP4/4は細く洗練されたシャープなノーズに仕上がっており、ひときわ目立ち美しかった。
我々世代の人間にとっては「マクラーレン・ホンダ」は特別な響を奏でる固有名詞だったが、それから約30年後の2017年9月4日、「マクラーレン、ホンダと別離へ」のニュースが飛び込む…。
かって、憎たらしいほど強かったマクラーレンとホンダの2度目のジョイントは…ホンダがマクラーレンに見捨てられる形で終焉を迎える。(前回はホンダが惜しまれつつ撤退したのとは大違い)今と昔のホンダは違う…。分かっているけど、そんなこと想像したくなかった…寂しい限りである。
※その他グッズはこちら