自己満足的電脳空間

完全自己満足主義。テーマはない。自分の趣味・関心事を偏った嗜好と思考でダラダラと書き綴る自分のための忘備録。

読売ジャイアンツ 原辰徳選手引退記念パネル

2017-11-03 00:05:00 | その他グッズ等諸々
原辰徳選手引退記念パネル

1995年10月8日 巨人対広島(東京ドーム)
引退試合にて最後となる通算382号本塁打を放つ#8 原辰徳/投手:#11 紀藤真琴/#32 西山秀二

日刊スポーツの通信販売により購入(当時はネットが普及していなかったのでハガキで申し込みしたような記憶あり)

少学校3年生だった、とある日曜日。父親がいつものようにリビングのテレビを占領していたので、特に意識することなく父親の横に座り一緒にそのテレビ番組を見た。ブラウン管に映し出された映像は後楽園球場で開催されていた巨人対阪神戦だった。

当時、僕は全く野球に興味もなく、退屈しながら観戦していたが、一瞬の出来事に目を奪われた。

打席には巨人の四番打者・原辰徳選手。山本和行投手が頬ったストレートを左翼席に放り込むホームラン!鳥肌が立った!理由は分からないが「すげぇ、カッコいい!」と感じた。ダイヤモンドを悠々と1周する原辰徳選手が物凄く輝いて見えた。この瞬間から僕は野球ファンになった。


原選手のホームランにすっかり魅了され、すぐに両親に野球チームに入りたい旨を伝えた。当時、僕はまるっきりの運動音痴。野球なんかできるもんかと反対されたが、病気がちだった僕が運動をすることで少しでも健康になるのならいいじゃないかと考え直してくれて野球をすることになった。今はもう、野球をプレイすることはないが、息子とキャッチボールをしたり、変わらずテレビや球場で野球観戦を続け、野球漬けの日々を送っている。

幼少の頃から現在でも巨人は好きではないが、選手に対しては常に敬意を抱いていた。その中でも原辰徳選手は格別だった。「原辰徳のパーフェクト野球盤」なんてものまで買ってもらった。


野球を愛するきっかけを作ってくれた原辰徳選手の引退は僕にとって一大事だった。

もう、20年以上も前の出来事だが、今でも鮮明にその勇姿を覚えている。

今の若い子は巨人の監督として、WBC日本代表の監督として数々の偉業を成し遂げたイメージだろうが、僕にとってはいつまでも「永遠の若大将」原辰徳選手である。


野球少年だった僕は野球選手にはなれなかったが、父親となり息子と野球の話で盛り上がり、公園でキャッチボールをしたり、球場で観戦したり、親子のコミュニケーションの潤滑油的な存在になっている野球。野球って本当に素晴らしい!

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