一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

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最近の拾い読みから(16) ― 『明治大帝』その2

2006-07-11 10:54:39 | Book Review
元田永孚(もとだ・ながざね、1818 [文政1] - 91 [明治24])

飛鳥井雅道著『明治大帝』の紹介を続けます。

さて、この「教学大旨」には、「小学条目二件」という指示があります。

その内容の第一は、
「『仁義忠孝』を子供が小さい時に培養するため、低学年の児童向に『忠臣義士孝子節婦』の『画像』をかかげ、まず入学時から『忠孝ノ大義』を『脳髄ニ感覚セシメ』てから知育に入れとするのである。」

その第二は、
「出身階層に応じて職業教育を施せと強調した。『農商ニハ農商ノ学科ヲ設ケ、高尚ニ馳セズ、実地ニ基ヅキ』、『本業ニ帰』ることを準備せよというものだった。」

同じ1879(明治12)年には、
「政府が集権的な『学制』を廃止し、より地方分権的な『教育令』を発布して教育を地域住民の手に移管しようとした時にあたっていた。『教育令』はのち自由教育令と呼ばれたほど、明治では例をみないほど地域の実態を重視し、公選の学務委員が教育方針の指導にあたろうとしたものだった。」
のですから、伊藤博文内務卿は「教育議」を執筆、天皇に提出します。

ちょっと長くなりますが、伊藤の教育思想がどのようなものだったかを知ることは大事なので、以下、本書から引きます。
「伊藤博文も『風俗ノ弊』の存在は認める。しかし『病候』にこだわるのでは、薬をまちがってしまう。病の原因が肝心だ。原因は開国と、封建制の廃止にある。封建制のなかにあった『醇風美俗』はたしかに封建制とともに亡んだかも知れない。さらに兵乱があり、『政談ノ徒』が生じ、『欧州過激政党ノ論』も入ってきた。しかし、これはやむをえないことだった。教育のせいではない。また教育に『速効』を求めてはならない。
きちんとした教科書と教師で時間をかけて教育すべきである。あわてて『旧時ノ陋習ヲ回護』したりするのは大計ではなく、また『国教』を『建立』しておしつけるのは政府がおこなうべきことではない。『政談』ではなく『科学』を基礎とすべきだ。そもそも漢学生徒が空論・政談にはしりやすいのであり、科学主義が盛んになれば、政談は消えるものなのである。」

これに対して、元田永孚は個人の資格で「教育論附議」を記し、伊藤への反論を行ないます。

この項、つづく