「柳谷千恵子さんのクリフローズ・レターです」
五月末からのご無沙汰です。
皆様このひどい天候の中、お元気でいらっしゃいますか。
今年は五月に訪れたフランスもでしたが、北米も雨の多い寒い夏でした。これでは
食料危機がいわれている時、米や野菜の不作が思いやられます。さて、今日は匂いの
野菜の話です。
1999年夏に旅立った母は、匂いのものが大好きでした。戦後の貧しい中、たまにすき焼き
をするから、野原で野生の三つ葉を摘んでくるように言われました。弟と二人、野三つ葉の
強い匂いを指に絡ませながら、夕食の鶏のすき焼きに胸躍らせたのが思い出されます。
葱と三つ葉のいっぱい入った鶏のすき焼きでした。鶏は飼っていたものです。
もののなかった時代、母は針生姜をかじりながら食事をしていました。針生姜はほんのりと
茎が赤く染まっていて、一度に食べきれない母は、食事のたび醤油に浸しては麦飯のおかず
にしていたものでした。。
彼女は唐辛子も好きでした。青い唐辛子を網で焼いて食べていました。青紫蘇も好きでした。
蕗や茗荷も大好きでした。
一番の上手は金山時味噌でした。米を蒸し、麦を蒸し、大豆を炒って砕き、麹をふって
室に寝かし、瓜、茄子塩を混ぜてうまい金山時味噌を作りました。母が金山時味噌を作ら
なくなってから、母の金山寺味噌のようなうまいのには出会えていません。
沢庵や味噌を作るのも上手だった。一年かけて自然の黄色い沢庵が出来上がったもの
でした。砂糖など入れないのにうす甘く、カリカリとしかししなやかな沢庵だった。
中でも、母の作った紅生姜はおいしかった。散らし寿司はこの紅生姜なしには語れないし、
魚や、煮物の付け合せには欠かせないものでした。私は、これだけはカナダで再現したいと
思い続けていました。食紅で染められた紅生姜しか知らない方も多いと思いますが、紅
生姜は梅酢と赤紫蘇と新生姜で作る貴重な食品なのです。
それが今年は完璧に実現することになりました。グランビルアイランドでハワイ生まれの
ヤングジンジャーを見つけたのです。春から育てていた赤紫蘇も大きくなりました。後は
友人に頼んで日本から梅酢を持ってきてもらうだけです。梅酢だけはカナダでは手に入れ
られません。
これでお客様にも生徒にも、母の作った関西風散らし寿司でもてなすことができます。
何より私の望みがかなえられました。異国で暮らすとつまらないものが欠乏感になって
しまいますから、少しは充足することでしょう。
それにしても、母の時代の人はよく働きました。夫の母の体が二つに折れるほど腰が
曲がっているのも、みかん畑を上がり降りして働き続けたせいでした。
そうだ、今日のお昼はおそうめんにしましょう。茗荷と紫蘇とおろし生姜のたっぷり入った
つゆをつけて、きりりっと冷たいそうめんを食べながら母を思い出しましょう。少しどころかかなり
寒いのですけれど・・・。
Chieko
五月末からのご無沙汰です。
皆様このひどい天候の中、お元気でいらっしゃいますか。
今年は五月に訪れたフランスもでしたが、北米も雨の多い寒い夏でした。これでは
食料危機がいわれている時、米や野菜の不作が思いやられます。さて、今日は匂いの
野菜の話です。
1999年夏に旅立った母は、匂いのものが大好きでした。戦後の貧しい中、たまにすき焼き
をするから、野原で野生の三つ葉を摘んでくるように言われました。弟と二人、野三つ葉の
強い匂いを指に絡ませながら、夕食の鶏のすき焼きに胸躍らせたのが思い出されます。
葱と三つ葉のいっぱい入った鶏のすき焼きでした。鶏は飼っていたものです。
もののなかった時代、母は針生姜をかじりながら食事をしていました。針生姜はほんのりと
茎が赤く染まっていて、一度に食べきれない母は、食事のたび醤油に浸しては麦飯のおかず
にしていたものでした。。
彼女は唐辛子も好きでした。青い唐辛子を網で焼いて食べていました。青紫蘇も好きでした。
蕗や茗荷も大好きでした。
一番の上手は金山時味噌でした。米を蒸し、麦を蒸し、大豆を炒って砕き、麹をふって
室に寝かし、瓜、茄子塩を混ぜてうまい金山時味噌を作りました。母が金山時味噌を作ら
なくなってから、母の金山寺味噌のようなうまいのには出会えていません。
沢庵や味噌を作るのも上手だった。一年かけて自然の黄色い沢庵が出来上がったもの
でした。砂糖など入れないのにうす甘く、カリカリとしかししなやかな沢庵だった。
中でも、母の作った紅生姜はおいしかった。散らし寿司はこの紅生姜なしには語れないし、
魚や、煮物の付け合せには欠かせないものでした。私は、これだけはカナダで再現したいと
思い続けていました。食紅で染められた紅生姜しか知らない方も多いと思いますが、紅
生姜は梅酢と赤紫蘇と新生姜で作る貴重な食品なのです。
それが今年は完璧に実現することになりました。グランビルアイランドでハワイ生まれの
ヤングジンジャーを見つけたのです。春から育てていた赤紫蘇も大きくなりました。後は
友人に頼んで日本から梅酢を持ってきてもらうだけです。梅酢だけはカナダでは手に入れ
られません。
これでお客様にも生徒にも、母の作った関西風散らし寿司でもてなすことができます。
何より私の望みがかなえられました。異国で暮らすとつまらないものが欠乏感になって
しまいますから、少しは充足することでしょう。
それにしても、母の時代の人はよく働きました。夫の母の体が二つに折れるほど腰が
曲がっているのも、みかん畑を上がり降りして働き続けたせいでした。
そうだ、今日のお昼はおそうめんにしましょう。茗荷と紫蘇とおろし生姜のたっぷり入った
つゆをつけて、きりりっと冷たいそうめんを食べながら母を思い出しましょう。少しどころかかなり
寒いのですけれど・・・。
Chieko