神様助けて

会社を良くしていこうと必死で経営している一人のクリスチャン、神を信じる者がどんな風に祝福され、恵まれて行くのか。

宗教感

2008-03-01 20:05:16 | 零細企業の社長奮戦記
●八百万の神

この日本には様々な神様がいて、人はそれを八百万(やおよろず)の神といいます。

仮に人間が一人の男と一人の女からスタートしたとすると、最初からこの八百万の神がいたとしたら、人類の数よりも神様のほうが圧倒的な数になっていたということです。


この時代の私の家では、特段で特定の宗教的行事というものは少なかったのです。

父親が、毎朝神棚にある徳利のような花瓶に榊を入れ替え水を入れ替えて、拝礼し拍手を打つという習慣ぐらいのものでした。

その父も、この頃は毎年お正月は成田山新勝寺へのお参りをしていました。

そこから買ってきた護摩札を神棚に置いてあるのです。

神棚は神道といえば神道です。
新勝寺は不動さんといっていますので、多分仏教だと思うのです。たしかお坊さんがいましたから。


当時の家には「かまど」といって現在でいう台所ですね。
それがありました。

このかまどには、荒神様という神様がいて、そのお札が張ってありました。


私などはしょっちゅう病気をしたり、怪我をしたりしていましたから、母はよく私は荒神様のバチがあたっている。などといっていました。

これがどんな神様だか私にはわかりませんでした。



簡単に言ってしまえば、当時の我が家は無宗教ではあるが、神棚があり、お正月は毎年成田山にお参りして、何処かへ旅行などに行けば、行った先に有名な神社仏閣などがあれば、そこで販売しているお守りなどを買ってくるという。

ごく普通にありがちな、八百万の神の、困った時の神頼みという。家だったというわけです。



それが、父親が死亡事故を伴った交通事故で重症を負い、まだ中学生のあまり役に立たない子供をかかえた家庭だったわけです。

そこに、不幸にして亡くなられた方の信じて入信した、宗教団体の強烈な「折伏(しゃくぶく)」活動の洗礼を受けたのです。


当時中学一年生だった私の心には、この折伏という行為は、宗教とはいったいなにものか。という思いを抱かせました。


ハッキリと憎悪にも似た想いが体に刷り込まれたのです。



◆今日の祈り
全能なる御父天の神様、あなたの豊かな恵みと祝福に心から感謝申し上げます。
主の御前にあって、愚かで弱く罪深いわたしですがどうかお許しくださいますように。

主の力ある御手はこの愚かで弱いしもべの頭上にあって、その進むべきを道筋をお示しになっています。
願わくは主よ、この愚かなしもべが主の真理の道を歩むことが出来ますように助け導いてください。
主への信仰を強める手助けをしてくださいますように。

この祈りと願いとを尊き御子、主イエス・キリストの御名前を通して感謝してお祈り申し上げます。

アーメン

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