第5回 「国民国家」の時代
ヨーロッパ各地の国家は、19世紀にナショナリズムとの関係を強め、「国民国家」の様相を呈するようになった。「ネイション(国民・民族)」や「ナショナリズム」などの基本的な概念を整理した後、19世紀後半にナショナリズム運動が「国民国家」建設に寄与した事例として、ドイツとイタリアの国家統一を比較しながら検討する。さらに、ドイツとフランスの事例を、「国民」の資格要件の視点から比較考察する。
領域主権の主体が、君主や王朝から、国民へ
国家=一定の領域を支配する権力機構
国民=特定の人間集団
国家建設state builidingと国民形成nation building
国民形成の原理 エスニシティ=同じ人種・言語・宗教によって得られる一体感
ルナン1882年演説「国民とは何か」エスニシティ(利害・軍事ふくむ)だけでは国民形成には不十分、共同生活についての合意、日々の人民投票
ドイツ・イタリアの統一は、プロイセン・サルデーニャ王国という強国の政治力・軍事力とナショナリズム運動の結合の産物
民族自決原理=すべての民族が自身の国家を持つことができる
イタリア単一制国家、ドイツ連邦制国家
カブール、ビスマルク
国家統一以前のネイション意識形成
自由主義と結びついたイタリア・ドイツのナショナリズム
個人の自由と経済的発展は独立国家で保障される
イタリア 急進的民主主義者マッツィーニと国民協会
国民協会の大ドイツ主義
イタリアでは当初、単一制への懸念、連邦制の同意もあった
しかし、サルデーニャの制度が各地に移植される「拡大サルデーニャ」
イタリア南部の国家形成が未熟だったから
ドイツでは、プロイセンが優位だったが、他国も発達していた
イタリアと異なり、ドイツでは併合の形を取らなかった
国籍
フランスとドイツは対照的な国籍法(現在は改正し、収斂)
血統主義中心は共通
開かれた国民国家フランス
血統主義+出生地主義
外国人が容易に国籍取得
外国人の兵役逃れは「憎むべき特権」
国内に複数のネイションができるのを恐れる
閉じた国民国家ドイツ
徹底した血統主義
域外のドイツ国民は容易に取得できる一方、移民は取得困難
東部国境をドイツとポーランド間のエスニシティの境界線