sanzeのノート

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「質問しなかった記者」 鳩山・安倍首相記者会見を比較する

2017-08-03 06:06:06 | 評論

「朝日新聞の有馬と申します。まず最初に、先ほど総理が記者会見について言及されましたけれども、この記者会見はそもそも主催が内閣記者会ということになっておりまして、まさに総理が恣意的に記者会見を開いたり、開かなかったりということがないようにということで、主催が記者会になっているという経緯がございます。

その中で、昨年9月の政権発足以来、何度ももっと頻繁に会見を開いていただきたいというふうに内閣記者会として要望してきた経緯がありますが、そうされてこなかったと、今回、4回目か5回目になりますけれども、ということがございますので、総理が今日もっと頻繁にやるとおっしゃったことは、非常に喜ばしいことだと思いますが、そういう経緯があったことも御承知おきくださいということです。 

質問ですけれども、総理の進退についてお伺いしたいと思います。現在、内閣支持率がなかなか下げ止まらないという状況が続いておりまして、総理は以前、支持が得られなければ総理を辞めるとおっしゃったこともございます。

やはり総理自身や小沢幹事長をめぐる政治とカネの問題が大きく影響していると思われますし、ここにきて郵政や普天間をめぐってなかなか政権に遠心力が働いているという状況もあろうかと思います。

ここで、総理自らが身を引くことによって、事態打開を図るというお考えをお持ちかどうかということをお伺いしたいと思います」

2010年3月26日鳩山首相記者会見、朝日新聞・有馬央記記者の質問 http://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/statement/201003/26kaiken.html


「安倍総理は苦節3年半の野党時代のことを念頭に、謙虚に政権運営にあたることを改めて確認しました」

「支持率をこれ以上、下げたくない安倍総理としては、低姿勢をアピールすることで党内の不協和音を抑え込む狙いもあります」

2017年6月19日安倍首相記者会見翌日、テレビ朝日政治部・有馬央記記者の報告 http://5.tvasahi.jp/000103549?a=news&b=np



2010年、当時の鳩山首相に支持率急落と自身の発言を理由に進退を問うたのは有馬記者である。

2017年、安倍首相会見の翌日、前掲のように安倍首相の意向を「忖度」する報告をしているのも有馬記者である。

この違いは何なのか。

 

たしかに首相会見直近の支持率推移は、鳩山45.3%→30.0%、安倍46.4%→37.9%で、どちらも下落しているものの、安倍首相の方が緩やかだ。http://www.tv-asahi.co.jp/hst/poll/graph_naikaku.html

だが首相が会見以前に自身の進退をめぐる発言をしている点は共通している。

 

鳩山首相に対して有馬記者は「総理は以前、支持が得られなければ総理を辞めるとおっしゃったこともございます」と進退を問う質問を切り出した。

安倍首相は森友・加計問題について、それぞれ今年2月17日衆院予算委と、3月13日参院予算委において、「関わっていたら辞める」と答弁している。

にもかかわらず6月19日の記者会見で、安倍首相に進退を問うた政治記者が一人もいなかった。http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2017/0619kaiken.html

この違いは何なのか。

 

鳩山民主党政権下、フリー記者にもオープンになった会見で、内閣記者会は、鳩山首相に進退を問うた。

有馬記者は当時その記者会見に関して、上杉隆氏を念頭に

「フリーの記者からは会見オープン化を一層進めるよう求める質問が相次いだ。『世界中のジャーナリストに代わってお礼申し上げたい』と意見だけ述べ、質問しなかった記者もいた」

と書いた。http://www.asahi.com/seikenkotai2009/TKY201003260444.html

安倍自公政権下、再びフリー記者の質問が制限された記者会見で、内閣記者会は安倍首相に進退を問わなかった。

この違いは、内閣記者会が国民の知る権利の上で惰眠をむさぼる「質問しなかった記者」の巣窟である証明なのだろうか。

つまり、政治報道の特権が保障される限り、権力に対する厳しい質問をしないことを示しているのだろうか。

 

テレビ朝日の今年7月の世論調査で安倍内閣支持率は29.2%を記録した。http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000105519.html

この数字は、有馬記者が首相の進退を問うた鳩山記者会見の際の支持率30.0%を下回る。

 

本日8月3日夕、内閣改造後の首相記者会見がある。

もはや、内閣支持率の違いが安倍首相の進退を問わない理由にはならない。

万一、内閣記者会が進退をめぐる質問をしなかったら、「質問しなかった記者」に国民の知る権利は豚に真珠である。

内閣記者会が国民に知らせる義務を果たしているかもまた、今日の首相記者会見では問われている。

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安保法制懇の細谷雄一教授は、国際法に無知である

2014-07-05 04:06:42 | 評論

安保法制懇有識者委員で国際政治学者細谷雄一教授による、集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定についての記事を読んだ。その国際法の無知に閉口した。

 

細谷氏は「内閣法制局は国際法に無知な方が多く」というが、「通常は、国連憲章第51条に書かれている集団的自衛権の解釈とは、武力攻撃を意味します」と書いてしまう細谷氏ほどの無知ではなかろう。この一文自体日本語としてややおかしいがそれは措くとして、細谷氏は「武力攻撃」について根本的に誤解して用いている。この誤用を以下「武力攻撃(誤解)」と呼ぶ。

 

そもそも「武力攻撃(an armed attack)」とは、違法で重大な形態の武力行使を指し、侵略行為とも定義されうるものだ。国連憲章上の個別的又は集団的自衛権に基づく武力行使は、かかる武力攻撃に反撃する行為である。他方、細谷氏のいう「国連憲章51条が想定する集団的自衛権に基づく武力攻撃」なるものは、論理的に存在しない。万一存在したら、戦争が違法化された現代の「国際秩序」が転覆するだろう。武力攻撃に対する反撃行為を「武力攻撃」と呼ぶのは誤りである。細谷氏はこの一文において「武力行使」と表現すべきである。

 

この程度の国際法の基礎知識は、学部レベルに属する。こうした基本用語を適切に使用できない研究者が、安全保障の法的基盤の再構築を検討していたかと思うと、戦慄を覚える。

 

細谷氏の誤解は続く。「・・・後方支援などは国際法上の常識として、集団的自衛権の行使には含まれません」、「攻撃された国に、医療品や食料、水などを提供することを、『武力攻撃』としての国連憲章51条の集団的自衛権に含めている国などは世界中で日本以外に一カ国もな(い)」。この誤解は、後方支援に関するものだが、先の「武力攻撃(誤解)」が引き起こしたものであろう。

 

国際法上の集団的自衛権をめぐるリーディングケースは、国際司法裁判所(ICJ)のニカラグア事件判決である。そこでは「武器の提供、兵站又はその他の支援」が武力行使に含まれることが確認されたが、ただしそれは、重大な形態の武力行使である武力攻撃とは異なる軽い形態の武力行使とされた。

 

細谷氏の誤解は、ここでの「武力攻撃とは異なる」ということを、氏独自の「武力攻撃(誤解)」に基づき読み違え、さらに次に述べる集団的自衛権に関する裁判所の判断をも読み誤った結果、後方支援は集団的自衛権の行使に含まれないという趣旨だと、判決を誤読したものと推測される。しかし、「武力攻撃(誤解)」でなく、「武力行使」と正しく理解していれば、判決の誤読は避けられたはずである。

 

この判決では、武力攻撃に当たらない軽い形態の武力行使である「武器の提供、兵站又はその他の支援」に対して、その被害国は均衡ある対抗措置を採ることは許されるが、個別的自衛権を行使することはできず、したがって第三国が集団的自衛権を行使することは許されない、とされた。真っ当に読めばこの判決から、後方支援は集団的自衛権の行使に含まれない、という意味は見出せない。しかし「武力攻撃(誤解)」をもって判決を曲解すると、細谷氏のような誤読が生じることはあり得る。

 

さらに細谷氏の誤読を強めたのは、日本政府独特の国際法解釈(注)であろう。政府もまた、後方支援を集団的自衛権を援用せず国際法上適法としてきた。ただし、細谷氏の誤読のような杜撰なものではなく、その結論に至る論理は一つの法理として理解できる。日本政府が採った解釈戦略は、武力行使についてICJに代表されるような一般的な解釈より狭い範囲で解釈し、後方支援を武力行使と切り離して説明するものである。この解釈の背景には、憲法9条の規範性を維持しようとする内閣法制局と後方支援の範囲を拡大しようとする外務省とのせめぎあいがあり、その結果、他国の「武力行使との一体化」論という妥協が図られた。

 

しかし日本政府=外務省の解釈と異なり、後方支援に関して、すべてではないが、武力行使に含まれるという解釈が、国際社会において一般的である。したがって、仮に「武力行使との一体化」論を放棄して憲法問題を回避したとしても、後方支援を国際法上武力行使と評価する国際社会と両者を切り離す日本政府=外務省の間の解釈の相違が今後問題化するだろう。国際法の観点からは、まず後方支援を武力行使と評価し、次に国際法上合法な武力行使と違法な武力行使の線引きを明確化する作業が、日本政府=外務省には強く求められるのである。

 

にもかかわらず、国際関係の研究者として自国政府の国際法解釈の特異性を指摘すべき細谷氏が「後方支援などは国際法上の常識として、集団的自衛権の行使には含まれません」などという誤った認識を世論に拡散するのは、あまりにも目に余る。細谷氏はいう。「私自身、安全保障については多少勉強してきましたが、それだけでは不十分なので主要な憲法のテキストや、国際法のテキストや論文、英語での主要な集団的自衛権に関する研究書や研究論文をこれまでかなりの数にわたって読んできて、ようやく全体像がつかめてきました」。しかし、「読みました」というだけで、実際には学部レベルの国際法認識も示せないようでは、有識者として不適格というほかなかろう。

 

 

国連憲章51条[自衛権]
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

 

(注)松山健二「国際法及び憲法第9条における武力行使」『レファレンス 平成22年1月号』

「武器の提供、兵站又はその他の支援」と武力行使の関係について、ICJニカラグア事件判決と日本政府の解釈を比較している。
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石破氏「デモはテロ」と10年来のテロリズム定義の誤読-特定秘密保護法12条2項1号と自衛隊法81条の2

2013-12-07 12:25:51 | 評論

「概要」

昨晩参議院本会議で特定秘密保護法が可決成立した。

今となっては旧聞に属するが、特定秘密保護法のテロリズムの定義が、石破茂氏のいわゆる「デモはテロ」発言によって脚光を浴びた。

政府の理解と、批判する野党・メディア・弁護士の理解が食い違っていたところ、法律成立をバックアップすべき立場にいるはずの石破氏が、批判する側と同様の理解に基づき、テロリズムを理解していたことが露呈したのだ。

そもそもこのテロリズムの定義は、今回の法律で初めて法文化されたものではなく、すでに2001年の同時多発テロ以後、自衛隊法に導入されたものである。

さらに、石破氏は、10年前に国会でテロリズムの定義について答弁していることが、筆者の調べで分かった。

しかもその内容は、騒動になったブログやその後の釈明会見の内容と酷似している。石破氏の一連の発言は、長年の持論に基づいた見解であり、決して不用意なものではない。

以下では、特定秘密保護法12条2項1号のテロリズムの定義とその前例である自衛隊法81条の2は、石破氏の持論に基づく誤読を可能にし、なおかつ危険な政策決定を導きかねない条文であることを指摘する。



特定秘密保護法12条2項1号

テロリズム政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう

 

政府は、森担当相の答弁によって、次のように解釈している。

 

テロリズム
(①政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、
又は
 ②社会に不安若しくは恐怖を与える)
目的で
Ⅰ 人を殺傷し
又は
Ⅱ 重要な施設その他の物を破壊
するための活動をいう。

 

しかし、同法に反対する野党・メディアや日弁連は、次のようにも読めると批判する。

 

テロリズム
①政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、
②又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、
③又は重要な施設その他の物を破壊
するための活動をいう。

 

また、法律成立を推進するはずの政権与党の幹事長、石破氏も同様の解釈のようだ。

 

石破氏は12月2日昼の記者会見で、大音量のデモがテロにあたるのか問われ、「強要されればそうだ」と述べた。だが、夕方の会見では「殺傷する行為がなければテロにあたらない」と発言を翻した。(朝日新聞12月3日付)


つまり、撤回するまでは、政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要するのがテロリズムである、という解釈をとっていたわけだ。

 

以上のようにややこしい文言が、法制化されるのは、実は今回が初めてではない。

 

2001年9月11日のアメリカ同時多発テロに端を発する対テロ戦争に追従した小泉政権は、自衛隊法を改正した。自衛隊は、81条の2によって、自衛隊や米軍の施設に対する警護出動が可能となった。

 

自衛隊法第81条の2

内閣総理大臣は、本邦内にある次に掲げる施設又は施設及び区域において、政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で「多数の人」を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊する行為が行われるおそれがあり、かつ、その被害を防止するため特別の必要があると認める場合には、当該施設又は施設及び区域の警護のため部隊等の出動を命ずることができる。
一  自衛隊の施設
二  日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定第二条第一項の施設及び区域(同協定第二十五条の合同委員会において自衛隊の部隊等が警護を行うこととされたものに限る。)

 

自衛隊法81条の2の文言が、特定秘密保護法12条2項1号へ、ほぼ流用されたことが分かる。

(ただし、「多数の人」から「人」へ、末尾の「する行為」から「するための活動」へと変わっている)

 

管見の限り、当時の国会審議でテロリズムの定義は問題にならなかったようで、むしろ従来の治安出動に加えて新たに設けられた「警護出動」という概念が論点だったようだ。9.11の衝撃冷めやらぬ当時にあって、テロリズムとは何か、自明だったのだろう。

 

さて、この法律が施行された2001年11月2日以降、石破氏は小泉内閣で防衛庁長官、福田内閣で防衛大臣を歴任している。自衛隊法81条の2の定義を知らないはずがない。石破氏は奇しくも10年前、防衛庁長官在任時に、国会でテロリズムの定義を尋ねられている。2003年に衆議院特別委員会で、渡辺周衆院議員(民主)の質問に対して、石破氏、福田康夫官房長官、川口順子外相の三者がそろって答えた。

 

石破茂防衛庁長官

これは、定義というのは、きちっとした定義はありませんが、私は、恐怖の連鎖によって政治体制を揺さぶる、変動させる、それがテロの本質だというふうに理解をいたしております。
テロが、だれが、なぜ、だれから、どのようにして、いつ攻撃を受けるかわからないという恐怖があちらこちらに連鎖をして起こることによって、社会体制あるいは国家体制に動揺を与える、そして目的を達する、それがテロの本質と理解をいたしております。

 

福田康夫官房長官

テロリズムの定義というのは、これはこの特措法の審議のときにも随分やったんですよ。ですから、そのときに申し上げたのは、これは確立した定義があるわけではないという前提つきなんですけれども、一般に、特定の主義主張に基づき、国家等にその受け入れ等を強要し、または社会に恐怖等を与える目的で行われる人の殺傷行為等をいうものと考える、こういう定義を申し上げております。

 

川口順子外務大臣

テロについて決まった定義があるわけではないというのは、今までの二大臣がおっしゃったとおりです。
私なりにテロということでどういうものかと考えているかというと、これは、特定の主義あるいは主張、特に政治的な主張、それを通すということを目的として、公的な手法等の、公的に認められたもの、手段によらずして、みずからが暴力、あるいは脅迫、脅威を与える、そういったものであると考えております。

 

2003年10月1日 衆議院 国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイラク人道復興支援活動等に関する特別委員会

 


自衛隊法81条の2の文言について、福田氏は忠実に、川口氏も概ね同趣旨の答弁をしている一方、石破氏が独自の議論をしていることがわかる。つまり、福田氏は「殺傷行為等」、川口氏は「暴力」という要件を踏まえている一方で、石破氏は防衛庁長官であるにもかかわらず、自衛隊法81条の2という法律とは次元の違う持論、つまり曖昧模糊とした恐怖の連鎖によって体制に動揺を与え目的を達することをテロの「本質」としているのだ。

 

 

その持論が、今日も何ら変わっていないことを示すのが、先日のブログでの発言である。

 

「主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」(11月29日付の石破氏のブログ、のち撤回)

 

絶叫戦術は恐怖をもたらし、その恐怖の連鎖によって体制に動揺を与え目的を達することがねらいである。だからこそ絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない、というのが石破氏の認識だろう。

 

そして、その認識をテロリズムの定義に関する条文で裏付けるとすれば、次のように解釈すると都合がよいのだろう。


テロリズム
①政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、
②又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、
③又は重要な施設その他の物を破壊
するための活動をいう。

 

この解釈が、先に述べたように、大音量のデモがテロにあたるのか問われ、「強要されればそうだ」と石破氏が答えた発言につながる。

 

だが、その認識は、政府によるテロリズムの定義と大きく異なる。政府は、あくまでも

Ⅰ 人を殺傷し
又は
Ⅱ 重要な施設その他の物を破壊
するための活動

という態様の行為をテロリズムと位置付けているのだから、そのどちらでもない単なる絶叫戦術はテロ行為に該当しない。

 

こうした石破氏の曖昧模糊としたテロリズム定義はなぜ危険なのか。

その答えは、先の10年前の国会で石破氏が用いた「テロが、だれが、なぜ、だれから、どのようにして、いつ攻撃を受けるかわからないという恐怖」という文言にある。

 

この文言は、彼の脳裏に強くインプットされているようで、石破氏は12月1日の富山県南砺市での講演後、記者団に次のように語った。

 

「いつどこで、誰が誰から、なぜどのようにして攻撃を受けるかわからないのがテロだ」(朝日新聞12月2日付)。

 

このような疑問詞のオンパレードで語られる定義は、大学の講義の初回に教師が多用するのは害がないが、何でも代入できる疑問詞の群れが犯罪構成要件になってしまっては、犯罪の定義の明確性を求める罪刑法定主義に反し、市民の自由は危機に瀕する。


そして、9.11後の対テロ戦争や愛国者法によるテロ対策が、アメリカ社会をいかに疲弊させ、その自由な社会をいかに蝕んだか、その理由の一端が、テロについての曖昧模糊とした定義による市民の自由の著しい制約にあることを、我々は知っている。

 

9.11という大事件、難事件は悪法を作った。

 

それは日本も例外ではなかった。
先述の通り、2001年11月2日に自衛隊法81条の2は、公布施行されたのだ。

 

幸いなことに、いまだ反基地デモに対して、自衛隊は同法81条の2に基づく警護出動をしていない。石破氏が防衛庁長官・防衛大臣に在任中、警護出動の命令権者である小泉・福田両首相はそれをしなかった。

 

しかし、一連の石破氏の発言は、すでに10年前に国会で明言していた持論に忠実な発言である。

そのうえ、日本版NSC創設や内閣法制局長官人事介入に見られるような政治主導が進み、法解釈に詳しい官僚が政策決定の場から遠ざけられた結果、テロリズムの定義を素直に誤解した法解釈に基づき、政治家が、デモを鎮圧するために自衛隊を利用するのではないか。

そんな不安を掻き立てられたのが、政権与党No.2の幹事長にして次期首相候補の最右翼、石破茂氏の「デモはテロ」発言であった。

 

テロリズム
①政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、
②又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、
③又は重要な施設その他の物を破壊
するための活動をいう。

 

テロリズムの定義は、法制官僚でなければこのように誤読する余地が多分にある。この文言を含む自衛隊法81条の2の改正と、この文言だけでなく他にも多くの問題を含む特定秘密保護法の抜本的見直しを、強く願う。

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