ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2019.9.29 新たな門出を祝して、最後の太陽礼拝クラスと懇親会参加

2019-09-29 21:40:33 | ヨガ

 終日曇りという予報だったけれど、薄曇りで時折青空が顔を出す過ごしやすい日曜日になった。
 いつもより少しだけ寝坊してよい、という時に限って早々とお手洗いで目が覚め、そのままなんとなく眠れない。ようやくお腹の調子が落ち着いていたのだけれど、朝食を摂るあたりから急にお腹が壊れ始める。出かける間際はまた下痢だ。電車に乗るのにいつもヒヤヒヤである。

 今日は今月末でクローズとなるSさんのスタジオで、正真正銘最後の太陽礼拝のクラスとその後開催されるキールタンと瞑想付きの懇親会の日だ。予約開始とともに満席になり、出席したくても叶わなかった方が大勢いるようだった。ラッキーにも予約出来た私は、母の手術直後でその体調を睨みながら本当に出席出来るかとドキドキだったけれど、なんとかこうして出席することが出来、ほっとした。

 午前中はマントラ付き太陽礼拝のクラス。30分ほど前にスタジオに到着して、フロントのAさんに参加費のお支払いを済ませる。スタジオでは朝一番の瞑想ヨーガクラスが終わったところ。一緒に指導者養成コースで学んだIさんのクラスからは、懐かしい卒業生たちが何人も出てきた。

 着替えを済ませ、スタジオにマットが敷かれ準備が整うまで待つ。今日もガネーシャ像を向かいにする後列のドア付近の位置を確保した。マットは26枚でびっしり敷き詰められて壮観だ。久しぶりにお会いしたAさんとは思わずハグしあってしまう。指導者養成コースの卒業生が10人ほどいただろうか。初めての方もお一人いらした模様。初めての参加がスタジオ最後のレッスンというのも凄いご縁である。

 今日もSさんは愛息T君を抱っこして笑顔で登場。皆が手を振ると、それに応えるスター性たっぷりのT君だ。可愛い。Sさんは先日もされたように、スタジオクローズに至ったお気持ちをお話しされる。そして、今日は色々な不安や嫌なこと等全てこのスタジオに置いて行って、すっきりして一緒に新しいスタートを切ってくださいね、と話された。T君は、今日はパパに肩車され、涙も見せずにスタジオを後にした。

 Sさん直々のマントラ付きの太陽礼拝を行うのは本当に久しぶりだ。呼吸を整え、皆でॐ(オーム)を3回唱える。ポーズはきついものもあるし、連続して動いて大丈夫かな、とちょっと心配だったけれど、とにかく、泣いても笑ってもこのスタジオでクラスが受けられるのはこれが最後。太陽に敬意を表す太陽礼拝は、息を吸いながら太陽のエネルギーが身体に満ち、息を吐く時そのエネルギーが身体中に届けられるイメージを持って、充電させる気持ちで行う。両手で太陽のムドラーを作って・・・とまずは各々の動きから丁寧に説明があり、2分の1セットずつ確認していく。

 皆で1セット終わったところで、マントラをつける。節回しがなかなか難しいが、ひたすら無心になって唱える。それでは時間がある限り動き続けます、ということで繰り返していく。
 最後はシャヴァーサナ。Sさんの優しい歌声で覚醒し、伸びをしてゆっくり起き上がる。満ち足りた感覚が体中に染み渡っていく。無心になったらあっという間の60分だった。

 30分後にはお食事つきの懇親会がスタートする。準備の邪魔にならないようにロッカーでパパッと着替えを済ます。

 お馴染みケータリングのアーユルヴェーダのお料理がいい匂いである。まずは皆でハーブティで乾杯。SさんはT君をずっと抱っこ。本当に幸せそうである。スタッフ側となった卒業生がサーブしてくれたのは、ベジタブルカレーやキャロットライス、お豆のスープやきゅうりやビーツの付け合わせ等、ヘルシーで身体を温めてくれる優しいお料理の数々。

 昨年のクリスマスパーティ以来初めて再会したNさんと、一緒に隅っこがいいね、と言いながらお食事タイム。Nさんの幸せな報告を伺ってこちらも笑顔になる。ママになった卒業生のちびっこも参加していて、あちこちから可愛らしい声が聞こえる。
 今日は最初に食事を摂った後に、キールタンと瞑想の時間を1時間たっぷりとって頂けるとのこと。美味しいスープをちょっぴりおかわりしてご馳走様。

 皆で緩く車座になる。まずはスペシャルイベントでリカバリー体操の先生が演武2種類のお披露目してくださる。皆がその緩急自在な動きを息を止めて見入る。
 その波を受けて、Sさんがキールタンタイムを引き継がれる。キャンドル付きの瞑想ということで、各自が目の前にガラスのホルダーに入ったキャンドルを置く。叶えたい願い事を決め、最後にそれが「出来ました」と3回唱えて灯を吹き消すという。

 まずはॐ(オーム)からスタート。そしてオームシャンティ、ガネーシャ、シヴァ、ラーマボーロ・・・とSさんのリードについて贅沢なキールタンタイムが続き、最後の締めはやはりハレルヤ。自分に幸せがやってきますように、自分の大切な人に幸せでありますように、そして世界中に・・・と3回歌う。本当にこれがこのスタジオで歌う最後のキールタンなのだと思うと感無量。時間よ止まれ、という気持ちが強くなる。

 このスタジオに初めて訪れてからもう4年にもなる。間違いなくSさんと出会って、このスタジオに来て、私の人生は変わったと思う。

 隣の人と手をつなぎ、皆の輪が繋がる。 ॐ(オーム)を3回唱えて終了。予定時間を少しオーバーしたが、楽しい時間は瞬く間だ。サンカルパ(願い事)を各自が心の中で3回唱えた後は、キャンドルの灯を消して、キャンドルホルダーごとお持ち帰りください、というスタジオからのプレゼントだ。ここで使っていたもので今回のために特に用意したものではないというが、だからこそこのスタジオに集った沢山の人たちの瞑想、願いが沁み込んだものであることに間違いない。大切にハンカチで包んだ。

 最後は参加者全員で集合写真。カメラマンはSさんの御夫君。ガネーシャ像や花束、スタジオの看板も一緒に皆でハイ、チーズ。名残惜しい気分のままSさんとNさんと3人で記念写真を撮って頂いて、スタジオを後にした。
 Sさんが次なるスタジオでの活動を開始されるまで細く長くしぶとく生きていなくては。
 さすがに昨日までの病院通いともあいまってちょっと草臥れ気味。目がしょぼしょぼする。

 帰宅後は適当な夕食を摂って洗濯物を畳み、掃除はごくごく手抜きで済ませた。

 一方、夫は無事法要を終え、夜は旧友と酒を酌み交わし・・・だった模様。明日午後の便で帰京する。
 従姉が都内での用事の帰り、また母のところに寄ってくれたという。母はベッドで立ったり座ったりのリハビリをしたら疲れ果ててしまったらしい。うーん、いきなり無理をしないと良いのだけれど。お喋りをしたそうだったけれど、あまりに息絶え絶えなので早々に切り上げてくれたそうだ。明日夕方また様子を見に行かなくては・・・。

 ということで、土日はあっという間に終了。明日からまた新しい1週間が始まる。火曜日からは10月で後期もスタート。またドタバタとした毎日が始まる。

 ふと見ると、カウンターの訪問者数が150万人を超えていた。来月末で開設から10年になるが、こんなに長く続けて、こんなに沢山の方たちに訪問して頂けるブログになるとは思わなかった。
 改めて感謝いたします。これからも細く長くしぶとく綴っていければと思います。引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。
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2019.9.28 母の手術翌日に思うこと

2019-09-28 21:45:56 | 日記

 昨夜はゆっくり入浴して早めにベッドに入ったつもりだったが、明け方から何度もお手洗いに起きて、その都度なかなか再入眠出来ず。それでも身体は疲れているので、しつこくベッドにへばりつき、朝の連続テレビ小説最終回を視て、のろのろ起き出した。

 今日も陽射し溢れる爽やかないいお天気だ。朝食の支度を済ませ、夫と2人でのんびり朝食を摂る。
 4年前の記憶を呼び覚ますため、ブログをなんとなく読み返す。当時はまだ父が元気だったので、母の入院・手術というよりも父のメンタルケアに力を取られていたことが分かる。9月最終週で父のショートステイ手配・入所、母の入院手術自分の通院治療が日曜日から水曜日までと連荘で、結構ヨレヨレだった。

 父がお世話になった施設と母が入院した病院はそれなりに離れていた(バスを2つ乗り継がないといけなかった。)ので、同じ日に梯子するのは大変だった。治療中のポンコツの身で両親を支えるというのは(大したことはしていないにせよ)正直なところ、精神的にも肉体的にもしんどかった。それを思えば、今回は母のケアに専念出来るので、心身ともに随分楽だ。自分の通院週にも重ならなかったこともある。まあ今もハラヴェンを続けていたらこんな悠長なことは言っていられなかっただろうけれど・・・。

 病院でピックアップしてきた汚れ物も洗い終え、ベランダに沢山の洗濯物が風に翻った。
 夫は義母の七回忌法要で郷里に出向いた。明日がちょうど祥月命日である。義妹夫婦と法要の日程調整をした時、ハラヴェンの治療で土日は殆ど寝た切りだった私は、とても長男の嫁としてのお役目が果たせそうになかったので、夫が事情を話し、同行を免除してもらった。結果論だが今の体調なら十分行くことが出来た。けれど、期せずして母の手術とバッティングしてしまい、結局失礼せざるを得なくなった。申し訳ない。

 6年前に義母が亡くなった時、一周忌、三回忌まではせめて頑張ろう、でもその次の七回忌はさすがに保証の限りではないな・・・と感じていたことも、今となっては笑い話である。細く長くしぶとく、よくぞここまで命を繋いでこられたものである。

 そんなわけで夫は午後の便で郷里に向かうため、昼に最寄り駅からのリムジンバスに乗った。午前中はあれこれ気になっていた案件を片付け、一緒に家を出て、夫を見送り、私は私鉄とJR、バスを乗り継いで母が入院する病院に向かった。

 土曜日なので、救急外来窓口から面会手続きをして中へ入ると、外来窓口はどこも暗くシーンと静まり返っている。それでも片隅のコンビニだけはここで働く人達のためにオープンしていた。このところコンビニランチがすっかりデフォルトになっている。
 エレベーターで母の病室に到着。昨日聞いていたとおり、酸素マスクが外れており、両足にはめられた血栓予防のための加圧空気ポンプもない。大分身軽になっている。枕はアイスノンになっている。熱があるのだろう。

 目を瞑っていたが、「来ましたよ、どうですか。」と訊くと、ちゃんと目を開けて色々話す。前回の術後翌日に比べて大分しっかりしているように見えて、胸をなでおろす。
 さすがに昨日はベッド上安静で寝返りも打てなかったので、殆ど眠れずしんどかったようだが、混乱している(せん妄が出ている)様子もないので、ほっとした。背中からの痛み止めは週明けまででなくなる量だというが、効いているようだ。

 今朝はS先生の回診があり、ベッドを45度まで起こしてよい、水を飲んでよいということになったそう。ストローで水をちょっとずつ飲ませると美味しそうだ。唇が渇いて皮がむけたというので、持っていたリップクリームを置いてきた。

 デイルームで食事を済ませてから再び戻ると、担当看護師さんが血圧、検温に見えたところ。ベッド脇に名前が書いてあった看護師Tさんと「初めまして」、である。タイミングよくお目にかかれて良かった。退院支援計画書等の説明があり、ショートステイ等のことも再度お話しして、書類にサインする。

 今朝の採血の結果、輸血も必要ないし、若干熱が上がってきている(7度9分)が、概ね順調とのこと。痛みは我慢しないですぐに言うように、と再度念を押される。
 右手から点滴を入れており、左手にもまだルート確保して針を刺しっぱなしだったが、どちらか抜いて良いということで、丁寧に針刺しの状況を見てくださりそのまま右だけ残すことになった。母の皮膚がとても薄くて破けそうなので、とピタッと張り付けられた粘着テープをそのまま剥がさず、わざわざテープ剥がし液を使って時間をかけてゆっくり丁寧に剥がしてくださるのを見て、なんと有難いことかと思う。あれをびりっと剥がされるとかなり痛いものだ。私もハーセプチンのおかげで皮膚が大分弱くなっているので、強い粘着力のテープを剥がすといつも赤く腫れて爛れてしまう。

 左手が自由になり、母は随分楽になったと微笑む。だんだんチューブが外れていくのは嬉しいことだ。傷口に持参した腹帯も当てて頂くと、頑張って自分で寝返りを打てるようになった。
 2時間ほど話し相手になったが、熱もあるようだし疲れるといけないので、少しでも眠るように、と病室を後にした。

 病院帰りに実家に寄ったところ、門を開けるとご近所のご主人が庭の手入れをしてくれていたのでびっくり。母が入院前にお願いしていたようで、先日手入れをしたけれどまだ終わらなかったので、とのこと。恐縮しきりである。
 ポストの中身も大事なものがあるといけないからと預かっておいてくれたそうで、ほどなくして奥様が届けてくださった。

 仏壇の父に、母の手術が終わったことを報告し、窓を開けて風通しをし、洗い物を少しして実家を後にした。帰り際、先日ご挨拶に伺った向かいの奥様が私に気づいて門まで出て来られ、無事手術が終わったことをご報告出来た。

 というわけで、術後翌日のミッションも無事クリア出来た。
 夫も順調にリムジンバスが空港に到着、ラウンジで時間調整を済ませ、定刻離陸、定刻着陸だったようだ。義妹にはメールで今回同行出来ない旨メールでお詫び。空港でピックアップしてもらい、明日の法要の買い物や食事等を一緒に終えた模様だ。

 今夜と明日の夜は久々の一人暮らし。マイペースの週末である。


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2019.9.27 母の手術、予定通り終了

2019-09-27 22:14:23 | 日記

 今日は母の手術の日だ。
 昨日は終日仕事で病院には行けなかった。従姉がわざわざ見舞ってくれて状況を報告しれてくれた。麻酔科の先生が説明に見え、硬膜外麻酔やら何やら微に入り細に渡る説明をされて、本人はすっかりびびっていたそう。前回も全身麻酔の手術を経験済みなのだから、そんなに恐れることはないのだけれど・・・。

 一昨日の説明では、昨日は夕食までは普通通りの食事で、その後に下剤をかけるとのことだったが、なかなかお通じがなく、ダメなら明日(つまり今日)浣腸をすると言われたそうだ。もろもろ聞くにつけ、さぞやしょぼくれているだろうと想像に難くなかった。なんといっても怖がりなので、あまり細かな説明はしないで頂きたいというのが本音のところだ。

 夫は出張で直行直帰、いつもより大分出かけるのが遅いという。私も手術の1時間前までに招集がかかっているので、目覚ましを普段より30分遅くかけた。
 朝の連続テレビ小説をゆっくり視て(残すところあと1日しかないというのにまた大変な事態になっていた)からかつらのシャンプーを済ませ、夕食の1品だけ作って夫を送り出し、ほどなくして私も家を出た。

 私鉄とJRとバスを乗り継ぎ、病院に到着したのは手術開始予定の1時間半前。今日も青空が広がるいいお天気である。
 1階の外来は大混雑だ。院内のコンビニで昼食を調達し、面会受付を済ませて病棟へ上がる。病室には術着に着替えてしょんぼりベッドに座っている母がいた。従姉が持ってきてくれた可愛いフラワーアレンジメントの傍で、すっかり意気消沈している様子。

 聞けば術着に着替えた途端、浣腸の効果で腹痛になり、粗相してしまったという。看護師さんに申し訳ないと謝ったのだけれど、結構冷たくされた(本人の思い込みだろうが)とのこと。粗相等したくてしているわけではないし、看護師さんはそれも仕事のうちなのだから、いちいち落ち込んでいたらきりがないのに、そういうところが世間知らずというか、なんというか・・・なのだけれど、まあ致し方ない。

 少しすると、レントゲン室から呼ばれましたということで、看護助手さんが車椅子を持ってきてお迎えに。点滴で繋がれているので、私が車椅子を押して、看護助手さんが点滴台を押して2人がかりのVIP待遇でレントゲン撮影室まで向かった。殆ど待たずに撮影終了。
 病室に戻り、予定通りの時間になったので、5分前までにはお手洗いを済ませておくようにと担当看護師さんから言われ、気を紛らわせるようなお喋りをして過ごす。

 一昨日入院した時には病室は満室だったが、眼科の方は昨日、外科の方は今朝それぞれ退院されたとのことで、窓側の同じ科の方と母だけの2人だけ。病室はごく静かなものだった。そのお隣の方もお部屋を移動するようで、一昨日からの滞在は母一人になった。母が手術室に移動するタイミングで、救急で入ってきた年配の方がお隣に移動されてきた。

 では、と今日の担当看護師さんと車椅子に乗った母と、別のエレベーターで手術室のある階へ向かう。4年前もここだったなあとぼんやり思い出す。
 家族控室で食事を摂ってもよいことを確認し、「では、頑張って行ってらっしゃい!」と母を送り出す。後ろ姿がやけに頼りなげである。執刀してくださるS先生にもご挨拶出来て良かった。

 さて、これから持ち時間は4時間たっぷりあるわけで、持ってきた文庫の続きを読み始める。どうも既読感がある。5月の新刊なのだが・・・。おかしいと思って確認したら2年前に電子書籍版で読んでいたことが判明した。ああ、また、やってしまった・・・。
とはいえ、詳しいストーリーもラストもろくに覚えていなかったので(実に馬鹿なのだが)、そのまま読み進めた。塩田武士さんの「罪の声」(講談社文庫)である。

 「グリコ・森永事件」をモデルとした超話題作。2016年ミステリーベスト10、山田風太郎賞受賞作、本屋大賞第3位にもなっている。来年公開で映画化も決まったようだ。フィクションだというが、発生日時や場所、脅迫・挑戦状の内容やその後の事件報道については極力史実通りの再現とご本人が言っている通り、途中からどこまでが事実でどこまでが物語なのかわからなくなった。

 控室には最初30分ほど男性がお一人いらしたが、それから3時間は貸し切り状態で、空調温度も自分好みに設定出来て、快適だった。食事もマイペースで摂り、スマホで家族や従姉にLINE連絡する時間もたっぷりあって、思いのほかストレスフリーだった。4年前は沢山の家族の方たちがいらして、ソファが一杯で、今回より時間は短かった割には居心地が悪かったのを記憶している。

 手術室に母が消えてから3時間半を少し過ぎたところでS先生からお声がかかる。「予定通りでしたか?」と伺うと、「はい。あちらで標本もお見せできるので、どうぞ。」と案内される。直径18mmと聞いていたとおり、まん丸い腫瘍の塊が膿盆の上にガーゼで包まれていた。「明らかな転移は見られなかったということでしょうか?」と問うと「出血も少なく、輸血もしていません。病理の結果はこれからですが、若干正常組織も取ってこの大きさです。」とのこと。お礼を言って、しっかりスマホで撮影。「麻酔が覚めるまでまだかかりますのであと30分くらいしたら出てきます。」と言われ、再び控室に戻って家族と従姉にLINEで報告。

 これまた予定通り30分ほどして出てきたが、ベッドの上で頼りなげにとろんとした目を開けている母の姿。「頑張りました。無事生還です。予定通りでした!わかりますか。」と声をかけるとなんとなく頷いている。先生からは「この後、心電図を撮るなど色々術後処理をしますので、15分くらいデイルームで待機をしてください。」と言われ、エレベーターで病室階に戻った。

 20分ほどして看護師さんからお呼びがかかって病室へ。ナースステーション真ん前のHCU病室に移動していた。酸素マスクをしているし、上からも下からもあちこちからチューブやら機械やらが出ているのでまさに重病人然としているが、声をかけると頷くことは出来る。看護師さんから「痛みは大丈夫だけれど、気持ち悪いと言われて、プリンペラン(吐き気止め)を飲みました。」と聞いていた。

 私が行くと顔を歪めて「吐きそう・・・」と言うのでナースコール。お盆を用意して、横向きで吐けるようにしてくださった。呼吸練習器具の効果があったのか、うまく咳払いをしながら痰を出せている。大したものである。全身麻酔の後は喉がいがらっぽくて本当に気持ち悪いのだけれど、傷口が痛くてなかなか痰切りが難しいのだ。酸素マスクを外し、何度かえずく。ティッシュで口を拭うが、お腹は空っぽなので固形物は出てこない。左側が痛い(15センチも切開しているのだから当然だろうけれど)というので、背中から痛み止めを注入できるボタンを押す。

 昨日は殆ど眠れなかったようで、「眠い・・・」と言って目を瞑る。眠れるなら眠った方がよいのだけれど、何度も検温、血圧測定等で看護師さんが出たり入ったり。お隣のベッドもそんな感じなのでなかなか落ち着かない。それでも4年前より歳を重ねている筈なのに大分しっかりしている。麻酔の量が適切だったように思う。前回はもっとぼーっとしていて、こんなに受け答えは出来なかったから。

 病室に戻ってきてから2時間ほど傍にいたが、私がいなくなっても自分でナースコールを押せるかどうか確認して、しばし様子見。大分落ち着いたようだったので、病院を後にすることにした。母も「疲れたでしょう、気を付けて」と言うのだから立派である。朝は緊張のせいか上が150もあった血圧が(普段はどちらかと言えば私と同じで血圧が低いので、これは一大事である。)130になっていたし、体温も6度に満たず。86歳、チビッコ体形にしては大した生命力である。よく頑張りました。

 ナースステーションで担当看護師さんに「また明日参りますので、よろしくお願いします」とご挨拶してエレベーターに乗った。

 往路同様バス、JR、私鉄を乗り継いだが、月末・給料日後の金曜日ということで、バスは渋滞していた。タクシーに乗ってもそれなりに時間がかかっただろう。
 ひとまず予定通りに手術が終わり、本当にほっとした。

 夫が先に帰宅していたので、今日も夕飯の支度をお願いしてしまった。外食とかお弁当でも良いのだけれど、こういう時こそ家で暖かい食事が摂れる有難さを痛感する。

 明日は少しゆっくり起きて昼頃見舞いに行くとともに、帰りは実家の様子見に寄る予定である。

 
 
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2019.9.25 母、入院

2019-09-25 22:51:24 | 日記

 今日は、母が左腎がん部分摘出術の手術を受けるため、入院する。
 午後一番の入院だったので、実家で一緒に食事をして病院に向かうことにした。そんなわけで、普段より家を出るのが遅いと思ったらなかなか起きられない。なんという体たらく。これで仕事を辞めたらどれだけだらけた生活になるか、考えただけで恐ろしい。

 夫は普通に起きて、朝食の支度をし、自分が出かける時に起こしてあげると言ってくれたけれど、それでは申し訳ないので、ノロノロ起きて朝ヨガと瞑想。
 夫が家を出てから朝食を摂り始めた。腹痛と思ったら軟便、泥便、あっという間に水様便まで。やはり治療後の数日から1週間目くらいに突然酷い下痢になる。
 片付けものをして、お米だけ研いで家を出る。

 電車を乗り継ぐが、接続が良くない。実家の最寄り駅前のスーパーでお寿司やらサラダ、甘いもの等を買って、実家に到着したのは家を出てからたっぷり1時間半以上かかった。
 まずは父の仏壇にお参り。入院グッズの支度は前回済ませていたので、退院してからショートステイ先に出向く時の荷づくりをチェックして、不足している物を補う。準備完了したところで、お向かいのお宅に、1か月近く留守にする旨ご挨拶を済ませる。
 
 昼食を摂り、戸締りを済ませてタクシーを呼び、病院に向かった。
 入退院センターで番号を取って呼ばれるのを待つ。ほどなくして書類のチェック等を済ませ、前納金を収めて、入院する病棟の地図を頂く。
 母にはエレベーターホールで待っていてもらい、寝間着やタオルのレンタルサービスで受付を済ませて病棟へ。ナースステーションで診察券を渡して、部屋の希望等の確認を済ませて病室に案内される。先日、事前ヒアリングをしてくださった看護師のIさんがいらしたので、ご挨拶。部屋に向かう途中の廊下で身長と体重測定。144.5㎝、風袋毎で35.4㎏。

 4人部屋だが、窓側の明るい場所で、外が良く見えてとても静かだ。母は無理に個室に移らなくて良いという。
 持ってきた荷物をロッカー等に納め終わると、寝間着やタオルが届いた。寝間着に着替えると、いきなり病人然としてしまう。せっかく持ってきたので、呼吸訓練のグッズを出して練習を促す。

 4年前の直腸がん、2年前の黄斑前膜と今回。2年おきに入院していることになる。かつては入退院を繰り返していた私も、ここ7年間は通院治療だけで済んでいるので(奇跡的だ!)すっかり入院ライフを忘れてしまった。

 今日の担当の看護師さんが挨拶に見えて、検温、血圧測定。緊張しているのか興奮しているのか、体温が7度2分あり、血圧も上が130といつもより高いようだ。あれこれヒアリングをされ、簡単な認知症検査のようなものも口頭で。何か入院生活で大切にしてほしい希望は、等と色々訊かれている。私が代わりに答えるわけにもいかず、黙って聞いているが、話があちこちに逸れて着地点までに時間がかかり、申し訳ないやらイライラするやら。

 主治医による面談まで、コンビニで飲み物を調達したり、母のために雑誌や簡単に読めそうな文庫本を調達したりして待ち時間を過ごす。
 今度は薬剤師さんがいらしてお薬手帳を見ながらヒアリング。現在服用している薬もあれこれ預けてある。
 合間にお世話になる予定のショートステイ先に電話をして、診療情報提供についての確認等をする。10月半ばの退院と同時に入所だと、10月初めには契約、リスク説明もあるので書類が必要とのこと。看護師さんにその旨お伝えする。

 その後ケアマネさんのいるヘルパーセンターに入院報告の電話をしたが、お出かけ中だったので、夕方、先生の手術説明が終わった頃に再び連絡をすることにした。

 先生は外来が終わって夕方5時から説明に見えるということだったが、なかなか声がかからない。
 ケアマネさんが5時半には戻り、6時半には退社と伺っていたので、先生との面談が終わってからと思っていたが、諦めて6時に電話で経過報告。診療情報等の書類を10月初めに届けに行く話をしたところ、同じ日に病室で待ち合わせ、一緒にショートステイ先に行って頂けることになった。

 結局、6時半まで先生からは何も連絡がなく、母のテーブルに夕食が届けられた。常食なので、揚げ物もあり、結構なボリューム。20分ほどして主治医のS先生がようやくお見えになったが、食べるのが遅い母はまだ食事中。「それでは食事が終われた頃、10分ほどしたらまた来ましょうか。」ということに。申し訳ないが、なんともタイミングが悪い。

 これでは帰宅が9時過ぎになるなあ、とがっくりする。それにしても、午後の外来が終わって病棟に来てこうして説明をして・・・医師という職業、どれだけ激務だろう。一体いつ食事をされていることやら、本当に心配になる。

 ナースステーションに「食事が終わりましたので、もう何時でも大丈夫です。」と連絡に行き、その後5分ほどして先生が見えた。同じフロアの面接室に通されて、お話しを伺う。

 母のCT画像を見ながら、説明がある。「左腎臓の上部に直径1.8センチほどの腫瘍。大腸がん手術後の経過観察で、CTでは影が映っていたが、徐々に大きくなったので、悪性だと思う。小さいので全摘でなく、くり抜きの部分切除で大丈夫。脇から切るオーソドックスな術式で左を上に横向きで手術を行う。肋骨の一番下に沿って切開する形で3時間半ほどかかる予定。抜糸は7日目くらいを予定している。術後2,3日様子を見て、順調なら10日目から2週間くらいで退院出来る。」とのこと。

 色々な合併症やら輸血やら血栓症といったリスクについてもお話しがある。当然先生は念のためお話しくださっているのだけれど、だんだん母の顔が引きつってくるのが隣にいて分かる。先生も相手を見て喋ってくださればよいのに、とは思うが、そうも言えず。「怖がりなもので・・・」と一言言ってから「先生は小さなパーセンテージのことも言っておかなければいけないから説明してくださるので、いちいち怖気づかないように。」と母を制する。

 手術の同意書や輸血の同意書について説明があり、手術当日朝までに記入を求められる。
 順調なら、翌日はお水程度、それから重湯、三分粥、五分粥を経て、火曜日の朝からは常食になる予定とのこと。消化器系の手術と違うので絶食期間は短いようだ。一方、脇腹を切開するということは筋肉を切ることになり、痛みはお腹を切るより辛いようだ。とはいえ大抵の人は3日目には歩行出来るし、早く歩いた方が回復は早い模様。「頑張らなくちゃ!」と励ます。

 先生にも、退院後一人暮らしに戻る前のリハビリ方々ショートステイのお世話になることをお話しし、診療情報提供をお願いし、お礼を言って面接室を後にした。
 病室に戻って、同意書に署名押印し、さて、ようやく帰宅である。

 最初はバスを乗り継いで帰宅しようかと思っていたが、思いのほか遅くなってしまい、これから帰ったら優に9時を回る、明日もあるし・・・ということで、タクシーで帰宅することに。母はエレベーターまで送るというが、ちょうど検温、血圧測定に看護師さんが見えたので、その場で別れてきた。

 いつもお世話になっているタクシー会社に電話をしたが、近場にはいないのでちょっと時間がかかります、と言われ断念。病院入り口に待っていた車に乗り込んだ。
 それほど渋滞もせず、順調に帰宅。バスを乗り継いで帰るよりも1時間は早かった。

 夫がカレーを作ってくれていたので、洗濯物を畳み終えて、有難く頂いた。
 明日は一日仕事をしたら、また明後日は病院に詰めなくてはいけない。手術はお昼からの予定だが、1時間前には待機するように、とのこと。麻酔が覚めて出てくるまでは4時間くらいかかるというので、やはり1日仕事になりそうである。

 病院では従姉とLINEでやり取りしたが、明日は様子見に行ってくれるとのこと。遠くから本当に有難くもかたじけないことである。
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2019.9.23 秋分の日 身体を整え第九の練習

2019-09-23 23:58:13 | 合唱

 明け方4時前にお手洗いに起きるとその後眠れない、という日が続いている。今朝もしかりである。よって眠不足。ベッドの中で朝の連続テレビ小説を半ばぼーっとしながら視る。今回のドラマも今週で終了。来週からは下半期の新しいドラマがスタートする。

 のそのそ起き出すと夫が先に起きていた。朝食の支度をしてくれるそうなので、甘える。
 最近、早起きの担当さんに変わったようで、お花屋さんが早くもお花を届けてくれる。今月2回目のお届けの品は、私の好きな白の八重咲きトルコキキョウが3本、ピンクが1本、カスミソウとヒペリカムが1本ずつ、ルスカスと珍しいオレンジと黄色のミックスのマイクロガーベラが2本ずつ。前回のカーネーションもまだまだ元気だけれど、ちょっと奥のお手洗いに引っ込んで頂いて、玄関で投げ入れした。花言葉はそれぞれ「優美」、「清い心」、「きらめき」、「陽気」、「感謝」だという。少し秋を感じる色合いだ。

 朝起きてすぐのお通じはごく普通だったのに、食事をしているそばから下痢である。お行儀悪く何度も立ったり座ったり、お腹はオーケストラのピーヒャラ状態。水様便が続くこと4,5回でゲッソリ。お腹は空っぽで力が入らない。
 
 台風の影響でお天気が悪いのかと思っていたが、晴れている。午前中のボディバランスヨガに出かけたところ、途中で天気雨に逢う。日差しがあるが、風が強く、晴雨兼用傘が飛ばされそうで差しにくいことといったらなかった。
 スタジオに到着する頃にはまた青空になった。大きな虹が出たというが、残念ながら観そびれた。

 たっぷり汗を流し、股関節回りのアプローチのお陰で足さばきがとても楽になる。シャワーでさっぱりして、駅前レストランで夫と合流。夜はおそらくコンビニサンドイッチだから、としっかり食べることにしたが、何分お腹が心配でちょっと遠慮がち。夫は“今日も元気だご飯が旨い”人だからお肉ももりもり、私の分のデザートまでペロリ。

 帰宅後は少し休息を取ってから掃除・洗濯に勤しみ、夕方また都内東部の「第九」の合唱練習場所に向かった。ターミナル駅でちょっと買い物を済ませてから地下鉄に乗り換えた。
 今日の会場は先週より2駅だけ西よりで駅から1分、階段を上がるとすぐそこ、というロケーションで迷うことなく助かった。とはいっても夕食を摂る場所も時間もないので、今日もコンビニでサンドイッチと飲み物を調達して練習場へ入る。道中長いので心配だったけれど、何とかお腹も落ち着いてくれてほっとした。

 1階がレクホールでエレベーターに乗る必要もなく、スムーズに会場入りした。受付にまだ名簿が届いていない様子で、ひとまず席だけ確保。同期の何人かが一番前列のかぶりつきに場所取りしていたが、そこまで元気がなく、後ろの方にいらした3期上の先輩の近くに座る。2列目にも1期上の先輩が数人見えたが、ご挨拶するタイミングもなく、前回も隣で歌った同期のHさんが隣にやってきた。

 定刻通りに準備体操からスタート。今日は午前中身体を動かしているので、大分スムーズだ。前屈・後屈、側屈でわき腹を伸ばして、背伸びをして・・・ヨガの動きのようである。肩や首も一通り廻して、顎や顔周りもしっかり動かす。ドイツ語を歌う(喋る)顔になっていく。
 
 今日は前回より少し人数が少なかったようだ。明日が仕事という人も少なくないだろう。初回も参加したHさんによると、初回が一番大人数の参加者だったそうな。
 前回は高音部のフレーズを何度も繰り返して練習し、ソプラノにとっては拷問のようだったが、今日は少しお手柔らかだった感じ。バリトンのソリストがいらしていて、最初から練習開始。男声は人数も多く、元気良く、皆殆ど暗譜しているようで頼もしい。

 本番で指揮をする交響楽団の指揮者も見えていた。今日で合唱単独の練習は最終で、次回来月からはオケ合わせが2回、そして前日のゲネプロ、本番である。
 前半の練習を終え、買い込んだサンドイッチをお腹に入れる前に漢方を飲む。ぱっと見渡して食事をしている人は殆どいない。皆始まる前に召し上がっているのか、終わってからなのか、いずれにせよ、今日は写真撮影で呼ばれることもなく、席でぱぱっと食べ終えて食後の薬も飲む。やはり気圧の関係なのか胸骨周りが痛むので、ロキソニンの助けも借りた。

 後半の練習を開始。さすがに喉が疲れてくるが、楽しいことには変わりない。Freude!とかBrüder!とか、思いっきり歌うとああ、生きているなと思う。単純極まりないけれど・・・。残り時間45分くらいのところで、ソプラノのソリストも到着して、ソロ部分のメロディをごく近くで聴くことが出来た。

 そして予定よりちょっぴり遅れて9時20分近くに終了。各自椅子を片付けて会場撤収。今日も自宅最寄り駅まで乗り換えなしの快速電車に座った。ターミナル駅まではHさんとお喋り。その後1時間ちょっと揺られ、本を読みながら帰宅した。
 夫が駅まで迎えに来てくれていたので、来月からの夫の定期を買い、ぶらぶらと歩いて先ほど帰宅した。

 来週は4日のうち、母の入院手術で2日しか出勤しない。またしてもあっという間に1週間が過ぎそうである。とにかく無事に終わってくれることを祈るのみである。
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