ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.1.31 ゼローダ・タイケルブ休薬2日経過~もう、頑張りすぎない

2014-01-31 19:30:06 | 日記
 29日の夜から休薬をして丸2日経った。
 一昨日、病院から帰宅したら思いのほか疲れていて、夫や息子が遅いのをいいことにリビングで横になったら、起きられなくなった。ああ、こんなにまいっていたのだな、と今更のように思った。

 いつも分かったかのように「頑張りすぎずに頑張って・・・」などと言っているのに、気がつけばこのザマである。我ながら情けない。
 与えられた規定量とか、ルール、決まったことを何があっても額面通りにやろうとする貧乏性は、どうにも体に染みついていて直らないのだな、と思う。

 もちろん、初発治療で徹底的に叩く必要があるならば、その姿勢で間違いないのだけれど、こと再発治療は百人百様のやり方がある。どういう生き方をしたいか、どんな毎日を送りたいかで対応が異なってくる。何よりQOLをなるべく維持しながらうまく病と共存していくことが第一目的である。
 そう、今の私にとっては、フルタイムで仕事をしながら家事をこなし、趣味も楽しむ、という毎日を少しでも長く送ることの出来る治療を続けてくことが一番の目標だ。

 が、今回、初めての内服薬を服用するにあたり、自分でコントロール出来るにも関わらず、それを怠った。点滴薬だと数週間分の薬液が一度にドンと入れられてしまう。内服薬は1日々々と徐々に蓄積されて点滴量1回分に達していくのだから、10日も飲んでいないのにちょっとくらいキツいからといって勝手に止めてはいけない、と自分自身を縛っていた。

 フェソロデックスやハーセプチンという穏やかな治療を1年続けた後で、気力体力が十分だったから、なんとか入院しないで済んだものの、19日から飲み始めずに、15日即スタートにして、一昨日の通院日までまるまる2週間飲み続けていたら、今頃脱水症状で入院していたかもしれない、と思うとぞっとする。

 他でもない自分の体だ。どれだけ辛いかは自分が一番分かる。規定量はあくまで規定量。自分にとってそれが最適なのかは試してみなければ主治医さえ分からない。これからは細く長くしぶとくやっていく上で、頑張りすぎるのはご法度だ。

 この先、どのくらい薬をチェンジするタイミングが残されているかわからないけれど、私という患者が、バカがつくほど真面目で、決められたことはなかなか自分から崩せない性格である、ということと、規定量の投与だと毎回副作用で初回ノックダウンされるのだ、ということを主治医に対してしつこいくらいにアピールしていかなくては、と思う。

 冷静に考えれば、下痢止めを飲んでも下痢が続いている体調にもかかわらず、引き続き間違いなく下痢をする薬を大量に飲み続けていたのだから、事態が好転するわけがなかった。
 あんなに必死に飲んでいたのに、先生がおっしゃるには「それだけ下痢が酷ければ、薬の全ては吸収されていない。」とのこと。もちろん、それだけ副作用が出ているから、ある程度は吸収されていると思う、というフォローもあったけれど。
 保険3割負担でも1錠500円近い薬を1回5錠・・・吸収されずに流してしまうなんて、もったいないことこの上ないし、7割の負担をしてくれる共済組合にも申し訳が立たないというものだ。

 29日の夜は10日ぶりに、腹痛で起きることもなく朝まで無事だった。もちろん、まだまだ胃腸は疲れ切っている。一日おいた今朝はまたも明け方に腹痛で目覚め、泥便。その後も、便通が普通に戻っているわけではない。
 タキソテール投与の頃と同様、ちょっと鼻をかめば鼻血は出るし、口内炎も酷く食事が摂りにくい。このだるさを思うと、白血球が下がっているのだな、と思う。

 今はじっくり、“頑張りすぎない”を念頭に過ごしていきたい、と思う。
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2014.1.30 母になった日

2014-01-30 20:27:37 | 日記
 1996年1月30日火曜日、20時57分。息子の誕生により、34歳にして私は母になった。
 結婚以来6年目にようやく授かった命。最初で最後の妊娠出産であった。

 おりしも職場では4月に昇格を控えていたので、育児休業は申請せず、3月末に産休から復帰することにしていた。
 市役所からは「1月中に生まれて出生届を出さないと4月から保育所に入るのは無理、2月1日以降の届出だと、5月入所になりますよ。」と言われていたので、必死だった。結果として、切腹してまで4月入園した、ということなのだけれど。

 そもそもの予定日は2月2日。妊娠中は看護師さんから「遠距離通勤で働いているし、初産だから、きっと予定日よりうんと早まるわよ。」と言われていたので、間違いなく1月中に出産するのだろうと思っていた。
 が、お腹の中の居心地が良かったのかどうか。やって来るまでも、得意の寄り道、回り道が過ぎて6年もかかってしまったわけだけれど。1月29日に入院したものの、お産は思いのほか進まず、丸2日近く苦しんで、結局、最後に帝王切開に切り替わり、上記の時間に出てきたのが息子―身長51.9cm、体重3,315g―であった(現在182cm、自称78kg)。

 もうヨレヨレのヘロヘロ。術中に「男の子ですよ~」と看護師さんが抱っこして対面させてくれた後も、何やら辺りのざわつきは一向に収まらない。
 後で聞けば、息子は保育器に入ってあっという間にオペ室から出てきたが、その後、待てど暮らせど私は出てこなかった。一体何があったのだろうと両親や夫はかなり青くなっていたそうだ。
 こちらは全身麻酔ではないから、辺りの様子は分かるし耳も聞こえる。下半身の痛みはないけれど、ひっぱられたり縫われたりしているような感じはしっかりある。「出血1000ml!」とか「バイタル下がっている!」とか、朦朧とした中で嫌な感じの言葉が遠くで聞こえる。子宮内膜症が酷く、それを処置していたため2時間ほど余計にかかったらしかった。
 後から主治医には「よく自然妊娠しましたね。」と言われたほど。ずっと生理痛がキツかったのはそのせいだったのね、と後で納得した。痛み止めを飲み続けて我慢しているだけではいけなかったのだな、ちゃんと婦人科にかかるべきだったのだな~と反省したけれど、後の祭り。思えば不妊治療もせずに奇跡的に授かった息子だったのだ。
 まあ、このおかげで出産後1年の授乳期間を経て再び生理が復活した後は、別人のように生理痛が軽くなったのは本当に有難かった。

 産まれてくるまで男の子か女の子かは聞かないでお楽しみにする、ということだったので名前は男の子用、女の子用の2種類を考えていた。逢ってみたらあまりに違うイメージなので変える、というハプニングもなく、初志貫徹、予定通りの名前で翌1月31日に、それこそ滑り込みセーフで夫に出生届を出してきてもらい、めでたく4月から保育所入園が決まった。そうそう、当初、息子は白かクリーム色のベビー服ばかり着ていた(男の子でも女の子でもいいように、とピンクやブルーは用意していなかったので。)。

 今思えば、本当に知らぬが仏・・・。産休明け、出産後56日の体ですぐ職場復帰をする等、無謀以外の何物でもないのだが・・・。産休明けの3月に、通勤電車に揺られて旧職場に通ったのは僅か3日だけだったから持ったようなもの。出産を機会に、4月から職住近接の今の職場に異動させて頂いて、綱渡りのワーキングマザー生活が始まり、今に至る。

 保育園の頃はとにかく元気でいてくれさえすれば、熱さえ出さずに登園してくれさえすればそれで十分だった。それが学校に上がり、やれ勉強だの、習い事だのが始まり、悩みは深く多岐にわたるようになった。そして今も、これからも尽きることはないのだろう。
 けれど、息子が私たち夫婦のところを選んでやって来てくれて本当に良かった、と素直に思う。
 そう、1月30日は息子の誕生日であるとともに、私が母になれた感謝の日でもある。

 そして18年が経ったのだ。うんと短かったようにもうんと長かったようにも思える。
 18年前の私は、その9年後に一生付き合うことになる病を抱えるかもしれない、などとは露ほども思わなかったし、息子の高校の卒業式に出られるだろうか、成人式まで生きていられるだろうか等ということもゆめゆめ思わなかった。
 考えてみれば、息子が生きている半分の期間、私はずっと闘病中なのだ。そしてこれからもその期間が短くなることはない。息子が歳を重ねて分母が大きくなっても私の闘病期間である分子との差はずっと9であり続けるのだから。

 さて、今年、18歳の誕生日。さすがに受験生なので大それたお祝いは出来ないけれど、せめてケーキくらいは・・・ということで「Happy Birthday ○○18歳」とチョコプレートを付け、大きなろうそく1本、小さなろうそく8本を灯したケーキを準備して夕食後に祝うことにした。
 相変わらず22時の閉室まで籠る予定の塾通いだが、「今日は少しだけ早く帰っておいで」と送り出してある。
 何より、下痢が酷くて一口たりともお相伴が出来ない、ということにならなくて良かった!
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2014.1.29 ゼローダ・タイケルブ11日目 採血後診察~今晩から内服中止

2014-01-29 17:54:27 | 治療日記
 内服開始後、初めての通院日。
 息子は久しぶりの登校日で、夫とほぼ同時に家を出てくれたので、いつもより早く家を出なければならない私としては、とても有り難かった。副作用の下痢と吐気を抱える身になってから初めて電車での移動。かなり心配だ。
 今朝も、明け方に腹痛で目覚め、軟便。ほどなく水様便を繰り返した。吐き気は収まっており、朝食はそこそこ口に入れたけれど、何分ぺったんこのお腹に力が入らず、怠いし眠い。

 お手洗を済ませ、余裕をもって家を出たが、案の定、最寄駅で一度お手洗へ。私鉄は予定通りの電車に乗れたが、乗換駅でもう一度お手洗に寄ったので、JRは予定の電車より1台後か、と思ったらダイヤが乱れていて、結果的に5分ほど遅れた予定どおりの電車に乗ることが出来た。ラッキーにも乗換駅から座席を確保出来たので、お腹を庇いながら、なんとか病院最寄駅まで(お手洗に行かずに)持ちますように、と念じながら過ごす。ちょうど読み始めた文庫がいきなり引き込まれるほど面白く、気が紛れたのが有難かった。

 いつもより10分遅れで病院に入ると、自動再来受付機前には既に長い列が出来ている。IDカードを通し、採血受付へ向かう。やはり朝の10分の遅れは大きく、待合椅子はかなり混みあっている。電光掲示板には“12分待ち”とあるが、受付後10分程待ち、お手洗を済ませて態勢を整えると、ほどなくして私の受付番号までが“採血室へどうぞ”になった。
 採血担当の男性は初めての方。今日は2本採取だ。初対面なので紙テープをリクエストする。アルコールかぶれはどなたも必ず訊いてくれるのに、テープは黙っているとプラスチックにされてしまう。針刺しはまあまあの痛み。今日も止血をしながら、コートやらバックやらの大荷物を携えて、腫瘍内科受付へ移動。受付はスムーズだったが、待合椅子はかなり混雑している。それでも、ここまで病院到着から30分で済んだ。
 スマホのグリーンランプが点滅し、LINEにSさんとNさんから、今日の診察を案じてくださるコメントが入る。無事到着しました、と有難く応じた。

 “中待合へどうぞ”のランプが点くまでは、いつものように読書をして時間潰しをする。自動血圧測定機で計測した結果は103-59、脈は82。その後、中待合に移るまで、今日はたっぷり2時間以上かかった。途中、電光掲示板にも“診察1時間遅れ”と出た。読んでいた文庫が面白く、頁を繰る手が止まらなかったが、お手洗に行くタイミングをいつも気にしているトホホな状況だ。
 中待合に入ってから自分の番まで待てずに、化学療法室のお手洗いをお借りする。さらに30分ほど待っているあいだに、化学療法室の看護師さんKbさんが廊下に出てこられ「いかがですか?」と。「副作用の下痢が酷くて3kg痩せました・・・」と応じる。

 お昼を回った頃、ようやく名前を呼ばれる。今日は病院到着から先生にお目にかかれるまで実に3時間以上かかっている。「どうでしたか?」と問われ、“タイケルブを服用される方へ”という小冊子の中に自分でつけた服薬記録を見ながら、タイケルブを飲んだ翌朝からこの10日間、いかに下痢と吐気等で苦しんだかを滔々とご報告。
 先生は、私の台詞を電子カルテに打ち込みながら、「いや~・・・それは大変でした。もう、リセットですね。」と即決。「そんなに酷くても、薬は止めなかったのですね。」と問われたので、「もちろんタイケルブは昨夜まで、ゼローダは今朝まで飲んできました。でもロクに食べられず、3kg痩せました・・・。」とお答えする。そしてロペミンを飲んだ後の辛さが半端ではなかったこと、別の下痢止めを服用したことなどもあわせてお話する。
 「それはそう(3kg痩せてヨレヨレ)でしょうね。うーん、律儀すぎますね・・・」と先生。「真面目なので!」とキッパリ答える私。―だって効いてほしいではないか。勝手に減らしてただ副作用だけで、効かなかったというのではあんまりだから。
 「一般には、高齢の律儀な方は皆さんそうなのですが、高齢でもないのに・・・」と先生。これからは自分で判断してきつかったら休薬し、連絡してくれればよい、とのこと。今回もここまで無理せず、早めに電話をして判断を仰げば良かった、と反省する。一体何年再発患者をやっているのやら、と自分でも融通の利かなさに唇を噛む。

 先生がおっしゃるには「うーん、タイケルブの副作用がこれほど酷い方は初めてです。とにかく、個人差があるので、このまま続けたら病気が良くなるより体がやられてしまいますから。」と。そうだった、と思う。かつて同じ病気で逝ったキャンディーズのスーちゃんは、腸の炎症から絶食後、一気に衰弱してがんのラッシュになって亡くなったことを思い出す。「先生、私はエコなので、これまでどの薬も規定量では多すぎてこれまでずっと8割減量で来ましたから、今回も減量はありですか。」と応じる。
 「うーん、来週も来られますかねえ。」と問われ、断っている場合ではないので、頷く。診察室での検温は6度4分。
 とにかく来週まで1週間、タイケルブだけでなくゼローダもピドキサールも全て休薬。再度採血をして、再来週1錠から再開し、1週ごとに1錠ずつ増やしていくということになった。増やしていく途中で副作用が酷くなればその段階で量を決定する、ということのようだ。次回は慣れてある程度まで耐性がつくのか、わからない。

 そして気になる手足症候群。今は手を洗う度にヒルドイドローションをたっぷり塗っているし、足裏も朝晩欠かさずローションを塗っているので、まだ切れたり荒れたりはしていない。が、既に手の指先は黒ずんできたのを診て頂く(哀しくも汚い・・・)。関節の間の皺が切れやすいようだ。心なしかチリチリするが、まだそれほど気になることはない。
 唇の腫れは、今朝は下唇に口内炎状の水泡が沢山出来て、痛みで口紅を塗れなかった、とお見せする。
 グレープフルーツやグレープフルーツジュースはタイケルブ服用において禁忌なので、内服以来飲食していないが、毎朝青汁に入れているシークワーサーも止めた方が良いのか、柑橘類は全てやめた方が良いのかを確認したが、それは大丈夫でしょうとのこと。
 下痢対策のお腹の薬には、漢方の小建中湯とビオフェルミンのラックビーを1週間分処方して頂いた。今日の昼から内服開始、とのこと。

 いずれにせよ、これからの休薬1週間でしっかり食事を摂れるようになり、落ちてしまった体重を元に戻すのが至上命題だ。仕切り直しして来週からまた再スタート。
 今日の採血結果は先生がおっしゃるには「特に問題はなく、これを見ただけではそんなにヨレヨレだとは思いませんでしたが・・・」とのこと。白血球は3,100、マーカーは来週測定だという。ご挨拶して診察室を後にし、奥の化学療法室に顔を出してご挨拶。副作用が酷かったので来週1週間休薬になったことをお伝えした。

 会計が出来るまで若干待ちながら、心配している夫や友人たちに報告メール。そして自動支払機で支払を済ませる。この病院に通い出して以来初めてではないかと思われる1,000円以下だった。
 そして院外薬局へ移動。やはりお腹が頼りなくて、歩いていると足取りがフワフワする。今日はそれほど混んでいなかったが、それでも15分程待っただろうか。お腹の薬だけなので、(タイケルブとゼローダはどうしたのか、と)薬剤師さんから様子を訊かれる。今日は内服開始以来初めて電車に乗ったこと、仕事には行きながら(相当びっくりされた。)かなりヘロヘロだったことをお話しする。殆ど何ともなく、下痢止めを飲まないで済む方もいるようだが、本当に副作用の出方は百人百様。「頑張りすぎずにゆっくりお休みされてくださいね。」と労いの言葉をかけて頂き、薬局を後にする。こちらでも前回の支払いが嘘のように1,000円でお釣りがきた。

 本日の病院と薬局を含めた滞在時間は4時間強。空腹ではあるが、食事をした後に電車に乗る勇気は持ち合わせていなかったので、そのままよろよろとJRに乗る。帰宅途中、乗換駅で、夫は今日は宴会で夕食が要らないことを思い出し、息子と2人分の夕飯だけ調達して最寄駅まで戻り、またも軟弱にタクシーに乗ってしまった。

 病院と薬局で4時間、往復3時間と若干の買い物時間で合計7時間半ほどの外出だった。帰宅すると、なんと学校から塾に直行するはずの息子の靴が玄関に。またもまったりパソコンの前でくつろいでいる。今日で私大の受験票が全て揃ったというのに・・・。

 牛追いのように追い出してから、おやつの時間をとうに過ぎてようやく一人で軽食を摂った。もちろん食前に小建中湯、食後にラックビーを飲んだが、とにもかくにも今晩から腹痛で起きなくて済むのだろうか、と思うだけで気持ちが軽くなっている。

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2014.1.28 ゼローダ・タイケルブ10日目~胸の痛みが・・・

2014-01-28 20:51:30 | 治療日記
 昨夜のこと。恐る恐るちょっぴり油ものを摂った夕食後にもお腹が壊れなかったので、びっくり。そして、また普通に食事が出来るかもしれない、と思えることが何より嬉しかった。こんなに穏やかにコントロール出来るならこれからも頑張れそうだ、もう絶対新しい下痢止めを処方してもらおう!と単純な私は、俄然前向きになる。

 この1週間余りの下痢と気持ち悪さに伴う食欲不振で、ただでさえ寄る年浪でしょぼくれた顔つきに一層拍車がかかった(息子に言わせると「おばあちゃん(実家の母)そっくり!」だそうだ。トホホ・・・)。目は窪んで目の下にはクマ。普段はスッピンでも(私自身の基準に照らして)まあこんなもんか、という感じなのだけれど、この土日は本当にみすぼらしくも酷かった。鏡を見るのが憂鬱だったのだけれど、夫に言わせると昨日は大分元気に映ったようだ。

 今朝は明け方、いつものように腹痛でお手洗いに起きはしたけれど、下痢ではなかった。これまた嬉しい。ハラマキと新しい下痢止めの成果か、と一人ほくそ笑みながらまたベッドにもぐり込む。が、そのままうまいことはいかず、起床後、朝食を摂る前にまたもや下痢が始まった。そして少なめに抑えた筈の食後に2度の水様便。咳やくしゃみが怖いくらい。うーん、やっぱりちょっと調子に乗って食べたらいけないのだろうか。
 それはそれは胃が痛むほどお腹が空いて、気持ち悪さはそれほどでないので、昨日来、食前のナウゼリンもなしで口に運んでいるのだけれど。やはり新しい下痢止めはロペミンほど強力な下痢止めではないのだ。
 お昼は生協食堂の麺類を半分ほど。結局、その後3回の水様便が続いた。職場で短時間に何度もお手洗いに立つのは結構勇気が要るものだ。
 それでも、この程度の下痢ならたとえ繰り返しても我慢出来る。それよりなにより、ロペミンを服用後のあの得も言われぬ気持ち悪さを呼びこむ感じはどうしても嫌だな、と思ってしまう。

 さて、そんなこんなですっかりお手洗いと仲良しになっているこの10日間の総括。
 ゼローダ・タイケルブ内服開始後、心配な手足の皮膚は大きな変化はなさそう。ただ、唇がやけに赤くなってチリチリしているのが気になる。
 そして、無情にも絶え間なくやってくる下痢と吐き気の対処に気を取られているせいか、これまで毎日必ず感じていた胸部の鈍痛・圧痛があまり気にならないのだ。
 これはもしや、ゼローダ・タイケルブコンビが効いているのではないだろうか、とちょっと嬉しくなる。タイケルブは同じHER2強陽性に対する分子標的薬のハーセプチンと違って、脳関門を通りぬけられるほど分子量が小さいから脳転移にも効果もある有難い薬なわけだし、なんとか奏功してほしい、と思う。
 辛い副作用に耐えながらも、きちんと奏功してくれる感触が得られれば、これからもまた、頑張れる。

 そして明日は内服後初めての通院日。レントゲン撮影はないが、採血はある。腫瘍マーカーが少しでも下がっていることを願いたい。そして、受験生を抱え、インフルエンザが流行している今、骨髄抑制がそれほど酷くないことも・・・。
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2014.1.27 ゼローダ・タイケルブ9日目~ハラマキのチカラ

2014-01-27 20:24:58 | 治療日記
 昨夕から飲み始めた別の下痢止めの薬のこと。
 明け方やはりお腹を壊してお手洗いに起きたけれど、泥状が水様便にはならずに留まっている。じんわりと効いている感じ。むかつきも酷くない。
 夜中は空腹が原因で胃が痛むのか、ゼローダが胃壁を荒らして痛むのかわからないけれど、痛みと気持ち悪さであまりよく眠れず、何度も目覚めた。胃潰瘍のケを持つ夫から言わせると、かなり頑丈な私の胃もいよいよちょっとしんどくなってきた、のだろうか。

 さて、今朝は普段比6割程度の朝食を摂った後、ゼローダ5錠、ロキソニン1錠、下痢止め1包、ピドキサール2錠。そして胃薬としてタケプロン1錠を追加した。さすがに1度では飲み切れない量になってきた。
 息子も週末、耳鼻咽喉科クリニックに行き、今朝から花粉症の薬を飲み始めた。ダイニングテーブルの上が薬袋だらけ。お互い事故がないように気をつけないと。自分でちゃんと管理してね、と言ってはみたけれどどうしたものだろう。

 そんな息子が言った台詞で、思い出したことを書いておきたい。
 「お母さん、お腹壊してるなら、まずハラマキでしょ!」と。
 私は「君のようにお腹を出しての寝冷えとか、食べすぎが原因の下痢ではない。薬の副作用なんだからハラマキしたって駄目よ!」と取り合わなかったのだけれど、同じ副作用で苦しまれたIさんのアドバイスもあり、昨夜からハラマキをして寝てみたらこれがなんと具合が良い。いつかSさんから頂いた可愛いピンクのハラマキもしまってあったなあ、と思い出す。
 この1週間で、3キロ弱ほど体重が落ちてしまったので、スカートやパンツのウエストがすっかり緩くなっている。薄地のハラマキの1枚や2枚をしたところで、なんともない。まあ、こんなことでダイエットというのはあまり歓迎されるべきことではないけれど。

 で、息子とハラマキの話題である。
 寝像が悪かったから、彼は乳児の頃からお腹にはいつもハラマキをしていた。0歳児の時、保育園の園児紹介のブロマイド(?!)に使われたのも、なんとシャツとハラマキ姿。
これはもう、寅さんではないか。そのハラマキはいわゆるラクダ色の・・・ではなくて、パウダーブルーのコットンにレモンイエローのひよこのぬいぐるみが縫い付けられたもの。親馬鹿丸出しで言えば、もう食べてしまいたいくらい、可愛いことこの上なかった。
 0歳児はウエストの太さが結構あるから、大のお気に入りのハラマキは年長さんの5歳児になってもずっと愛用出来た。いまだに彼の整理だんすの中に鎮座ましましている(というか私が捨てられない・・・。)。
 気付けば自分で外しては放り投げて遊び、見えなくなると「あら~、チュッチュ、ハラーキ、どちたかな~」【訳:あれ~?鳥さん(鳥さんはなんでもチュッチュだった)のハラマキ(ハラマキとうまく発音出来ずにハラーキになってしまう)はどこへ行ったかな?】と、とぼけた顔でご機嫌に喋っていた息子が、どれほど可愛かったことか(またまたしつこく失礼いたしました。)。

 ハラマキ、侮るなかれ。腸を温めることは免疫力アップにも良いことだというし、これからゼローダ・タイケルブとうまく付き合っていくにつけ、ハラマキのチカラを借りていきたいと思う。

 早朝、一度お腹を壊した後、ちょっと不安だったけれど、午前中一杯職場でお手洗いに駆け込むことはなかった。腸は依然として動いているので不安はあるけれど、気持ち悪さがとても軽減されている。お昼も普段の半分程度食べることが出来た。もちろん食べた途端、いきなりミルク飲み人形のごとくもう一度お腹を壊したけれど、再度薬を飲んだら、夕食前まで大丈夫だった。

 それにしても、下痢止めを飲みながら食事をするとは・・・かくも“生きる”ということは恥も外聞もないということか。いや、自分のお腹の事情をこうしてブログにアップしているだけで私の羞恥心は一体どこへやら、という感じである。うら若き女性ならとても書けないだろうけれど、もはや怖いものなしのおばさんである。
 いや、いつかどこかでどなたかの参考になれば、ということでこれからも書き続けるつもり。あまり美しくない話題が続くが、どうかご容赦を。

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