2,3日前にまたメソッドが進化した。
今度は、自分のトラウマを片っ端から修復できる方法。
これによって、とりこぼしなくトラウマを修復できることになるため、再び新たな進化が期待できる。
まだそんなにやってないが、心境の変化が著しいのが分かる。
なぜか、自分の心を磨くのを急がねばならないという直感があり、心磨きに関するひらめきも早くなってきた。
2,3日前にまたメソッドが進化した。
今度は、自分のトラウマを片っ端から修復できる方法。
これによって、とりこぼしなくトラウマを修復できることになるため、再び新たな進化が期待できる。
まだそんなにやってないが、心境の変化が著しいのが分かる。
なぜか、自分の心を磨くのを急がねばならないという直感があり、心磨きに関するひらめきも早くなってきた。
今日はミュージシャンの生徒さんを教えた。
ミュージシャンに限らず、アーティストとイメージトレーニングというのは相性がいい。
最初からある程度のイメージ能力があり、一般人よりも能力の限界が高いからだ。
今後がとても楽しみだ。
K-specialのKさんと最近話し合ってるのが、もっと心の透明度を上げて、エネルギーアップしないといけないという話だ。
エネルギーアップをする過程で、我々は試されるが、そこで負けてしまうと上がらないままの人生になってしまう。
というような話をしていたら、また1つ新しいメソッドが出てきた。
「求めよ、さらば与えられん」は本当の話だな・・・
早速2日くらいやってるが、身体がだるくなるくらいの効果が出ている。ボーっとするくらい。
そんな心持で部屋を出たら、同じマンションの隣の隣の人が飼っている小さな犬がじゃれついてきた。これは今まで暮らしてきてはじめての出来事。偶然とは思えない。
そして今日はノルブリンカ(シンギングボールを売ってる広尾のお店)になにげない思いつきで行ったら、大きなシンギングボールを頭にかぶせて鳴らしてくれた。うーん、また浄化されてしまう・・・頭にかぶるとすごいんだな・・・
これも流れだ。
Kさんもいろいろと不思議なことが起きているらしい。
いろいろなメソッドを同時に徹底的にやる方針を始めてから2週間程度が経過したと思う。
そのせいだと思うのだが、頭の中の情報が一斉に整理されはじめた感じがする。
一時的に変な夢なんかも見るが、しばらく我慢するほかない。
部屋が綺麗になってきたのも、掃除機が新しくなったことや、友人が泊まりに来ていたことだけが原因ではなく、この情報大整理が関係している面もある。
何しろいろいろなものをどんどん整理したい欲が出てきたのだ。
普段やってることに、あと2割増しのパワーを付け加えようと急に思った。
無理するとパフォーマンスが落ちると思い込んでいたが、多少落ちてもその分で得られることは大きそうなので試してみる。
やはり、命が輝かないと人間は駄目だ。
まずは思い切り何かをやって、命を燃焼させて、魂の光を周りに放散する。
それがなければ、大したことはできない。
それにしても、ブランドがないという理由だけで世の中であまり認知されていないサンヨーの掃除機の素晴らしさについてはいくらでも語りたくなる。
ほんと、部屋を掃除するときに端っこが楽々綺麗になるというのは、決定的な違いなのだ。ヘッドを替えて端っこを掃除するのは二度手間になるからだ。
あの、ガバ取り機能(ヘッドが壁にぶつかるとガバっと開いて端までキレイにする)については、テレビCMで説明すればすごく売れると思う。「吸引力が変わらない唯一の掃除機」よりは、「端っこを一発で簡単に掃除できる唯一の掃除機」の方がいいに決まっている。
ティッシュ一枚をフィルターにする方式もすごいとんちが効いているだけでなく、実際の使い勝手も最高なのだ。毎回吸い取ったゴミを確認するのが相当楽しい。
使っていて思うのが、これは日本人らしいきめ細やかな製品作りの結晶のようなものだということ。ありとあらゆる、実際に掃除をする人の立場に立った気配りが製品に埋め込まれていて、大味な外国製品とは次元が違う。きっとプロジェクトXみたいに、このたかが掃除機というものについてのすごいチームが盛り上がったのではないか?
こんなにすごくて、値段が安い掃除機に気づく目利きはそれなりにいるらしい。ビックカメラでは売れ筋の第三位に入っていた。見る人は見ているんだな。ビックカメラ専売商品のこの機種、SC-BC37Kの高次元でのバランスはサンヨー掃除機の中でもピカイチである。
ちなみに、以前このモデルの元になっているXW-55Kを買おうとしたが、時期が遅れて売り切れてしまったという経験がある。その後モデルチェンジで重くなってしまい、二の足を踏んでいた。ネット上でもXW-55Kは評判が良かったのだ。
掃除機でこんなに盛り上がってしまった・・・
でも、道端に咲いた一輪の花のような存在って、気になるんだな・・・
もう店じまいですよ・・・みたいな感じがこれまたたまらない。会社が危機のときに、どんな思い、情熱でこの製品を作っていたのかとかを想像すると、掃除機を見ているだけで何か、切なさみたいなものを感じて余計に愛着が湧く。
この掃除機の遺伝子は果たしてパナソニックに正当に評価されてきちんと引き継がれるのか?それとも、資本主義、そしてグローバリゼーションの巨大な流れの中の泡と消えるのか? マニアックかもしれないが、そういう注目の仕方をしている。
静岡から友人が来訪し、泊まっている。
客人を迎えるため日曜日は一日部屋を掃除していたので、普段よりは大分ましになった。
やはり人間、外部からの力が作用した方がいい場合というのが結構ある。
先月にも実家用としてサンヨーのエアブロックサイクロンSC-XW55Mを買っていたのだが、階段を上り下りするのにもっと軽い方がいいということで、XW55Mの特長あるヘッド(狭いところは縦にできるし、端っこを掃除しやすい機能が複数付いてる)に近い機能があるサンヨーの軽い機種を探していた。見つけたら私が55Mを使うという約束で。
が、適当なものがなかなか見つからない。じゃあサイクロンはあきらめて、紙パックにしようと思って、SC-MP8Mという機種にしようと最初は思った。が、これは軽いことは軽いのだが、持ち運び用のハンドルが付いてないという決定的なことに気づいた。母は階段の掃除をするからあのハンドルは必須だろう。
というわけで、サンヨーの普通の機種では見当たらないということで、量販店オリジナル機種を探すことに。
まずコジマ。
14800円の紙パック機種があり、最新式のヘッドがついた機種が売っていたのでいいと思ったのだが、やはりハンドルが付いてない。
そこでビックカメラの機種を検討。
そしたら、24800円(ポイント13%)のSC-BC37Kという機種を発見した。これ、よくよく調べていると、どうも今のエアブロックサイクロンXW55Mの2モデル前の、軽くてとてもバランスがいい機種だったXW55K(http://kakaku.com/item/21306010761/)に、最新のXW33Mのヘッドを付け、サイクロン時のゴミ容量を0.3Lから0.7Lに改良したものだった。アレルギー対策の布団用アトピットももちろん付いている。
もちろん、例のハンドル付き。XW55Mよりも600グラムも軽い。それが今日になっていきなり5000円も安い、19800円の13%ポイント付きになっていたのだった。(http://www.biccamera.com/bicbic/jsp/w/catalog/detail.jsp?JAN_CODE=4973934479364)→通販ではポイントが違うみたいだ。
すぐさま、購入した。
家に持って帰って使用したが、かなり良い。軽いし、ティッシュをフィルターにするサイクロンも完璧だし、何より、ヘッドが素晴らしい。壁の端っこまで行くとガバっと開いてブラシが端っこに到達するのだ(写真参照)。これが付いているのと付いていないのとでは雲泥の差が出る。
これは本当にすごい機能で、この機能のおかげで端っこ用のノズルに替える必要もなくスイスイと掃除ができる。なるほど特許も取れるわけだ。
今回はとても満足した。それにしても、ビックカメラも目の付け所がいい。評判の良かった旧モデルを更に独自進化させたオリジナルモデルを出させたわけだから。
サンヨーの技術陣は、経営危機の影響で本当に頑張ったのだと思う。あの売れすぎて受注中止となったお米でパンを作るGOPANにその頑張りは出ているが、掃除機でもものすごいいい物を作っている。この特許の固まりである秀逸ヘッドは是非パナソニックでも引き継いで欲しいものだ。
散々検討した結果購入した今回のSC-BC37K、時間をかけただけあって、コストパフォーマンスが最高だ。何でこんな値段でこんなにいい掃除機が買えるのだろう?吸引力が変わらないけど、最初から吸引力が低い例の掃除機なんかと比べ物にならない機能の掃除機が19800円で13%ポイント付きとは本当にお買い得だった。
少ししたら実家に持ち帰ってXW55Mと交換だ。うちは階段ないから、多少重くても全然大丈夫w
視点を多元化することの重要性を最近よく感じる。自分の狭い経験、知識から成り立っている、自分の視点に拘束されている人があまりに多い。 そういう人は、その視点から見える世界が全てだと思い込んでいるものだ。 だからその視点を絶対的なものだと信じて人に押し付けてしまう。
しかし、世界はどの視点から見るかで、姿を変える。そして当たり前のことだが、人間というのは、その人数分だけ視点がある。経験や知識が違うからだ。だから、自分と同じように世界が見えている人なんてほとんどいないというのが現実なのだ。
そういう文脈から考えればすぐに分かることだが、目の前にいる人間に自分の視点からの見方を押し付けるということにはとても無理がある。無理があるからこそ、説明を十分以上にきちんとしなければならない。そこに、コミュニケーションについての努力の必要性があるのだ。
人に自分の視点からの見解を押し付けるというのは、まさにこういう努力を怠っているのではないか?