割竹床の台所が米袋だらけになって、半高床式の家がかしいできた。
建て替え用材木も積み上げているから、身動きができない有様だ。
米の売り込みもひと段落した気配なので、昨夜、甥っ子のジョーと一緒にすべてを新品の袋に詰め替えた。
*
今朝になって数えてみると、20キロ袋が17個である。
思ったよりも、少ない。
これでは、半年持つかどうか。
以前の3人暮らしならともかく、飼い犬も大きくなり、鶏の数が増え、大飯喰らいの次男も戻ってきた。
呆れるほどのスピードで、米が消えていくのである。
他にも売り込み話はたくさんあったのだが、やはり、雨不足による田植えの遅れが大きく響いているようだ。
実際に刈り始めてみると、生育の遅れが目立ち、キャンセルが続出した。
それでも、わが家に売ってくれた村の衆たちは、米に余裕があるというよりも、稲刈りや脱穀に要する諸経費(昼飯代、焼酎代、飲み物代、ガソリン代、クルマ賃貸料など)を捻出するために、やむなくという事情があったらしい。
今もあちこちに声をかけてはいるものの、見通しは厳しいようだ。
*
収穫した米は通常、高床式の専用米蔵に籾のまま備蓄する。
そして、必要に応じて庭先にビニールシートを広げて天日乾燥させ、村に一軒ある精米所で精米する(ひと袋20バーツ)。
従って、米蔵の大きさでその家の田んぼの大きさが判断できるわけだ。
近所でもっとも大きな米蔵を持つのは、元村長である。
だが、田んぼを持たないわが家には米蔵はない。
そこで、今朝になるとまたまた甥っ子ジョーと一緒に米袋をクルマに詰み込み、店まで運んで奥の台の上に積み上げた。
「クンターは腰が悪いから、俺ひとりで大丈夫です」
ジョーはしきりに心配してくれるが、わが家の米をすべて人任せにはできない。
「大丈夫だよ、ゆっくりやるから」
だが、担ぎ始めると、ついつい夢中になってしまう。
それに、今朝はなぜか腰の調子もいい。
最後の4段重ねには、さすがに呻いてしまったが、ぎっくり腰を起こすこともなく、無事に積み上げを終えた。
*
家に戻ると、ラーが豚肉を熾き火で網焼きしている。
炉端から漂う薫りに、腹がぐうと鳴った。
醤油と胡椒をまぶし、さっぱり味で飯をかっ込む。
気づいてみたら、肉の半分近くをひとりで平らげていた。
小柄なジョーは働き者のくせして、米も肉も私の半分ほどしか食べない。
「なんだ、俺の3分の1近くも若いのに。これから、また稲刈りの手伝いだろ。もっと、たくさん食べろよ」
「いえ、もう腹いっぱいです。それにしても、クンターはケンレーン(強い・丈夫)ですねえ。さっきは、びっくりしました」
お世辞とはいえ、若いもんに褒められると気分がいい。
「腰が悪くなければ、俺ももっとがんがん働けるんだけどなあ。いつも、お前さんに助けてもらうばかりで、本当に悪いと思ってるよ」
「そんなこと、ありませんよ。こっちこそ、いつもクンターには助けてもらって」
思い返してみれば、およそ3年前、「この村でもやっていけるのではないか」と思い至った背景には、心優しく、身を粉にして支えてくれる彼の存在があったことを改めて噛み締めた次第である。
*
というわけで、いま、パソコンに向かう私の目の前には、17個の米袋がでんと鎮座している。
およそ半年分の米に見下ろされながら書きものをするという体験も、なかなかできるものではあるまい。
なかなか満ち足りた、いい気分である。
だが、この米が目の前で徐々に目減りしていき、次第に底をついていく様もまた目の当たりにしなければならないと思うと、なんだか米蔵の中にひそかに棲みついたネズミのような気分にもなってくる。
お、そうだった!
この店には、一匹の巨大なネズミが棲みついており、あらゆる駆除対策の裏をかかれて、かなりの米を齧られたことがあるのだ。
ネズミの気分になったところで、ネズミの頭脳を上回る対策を練らなければならない。
おーい、ジョー!
なんか、いい考えないかあ?
*米袋の口を縛っているのは、ジョーが竹を削って作った竹ひごである。村では、たいていのものはこれで固定する。なかなか、頑丈だ。
☆おかげさまで、1位です。今日も応援クリックを、よろしく。
販売されているとか タイのねずみに効果あるかはわかりません
遅ればせながら 山並みさんのブログから飛んで来ました
そのスプレー、日本にいるときはタンス用の虫除けとして使っていました。ネズミ除けにも効くとなれば、いっそヒノキで米蔵を建てればいいのでしょうが(笑)。