petit TiMS ~プチ ティムス~

鉄腕!女子社労士 玉坪郁子
経営者と働く人の成功を応援し、ワークライフバランスを推進する社労士法人ティムス代表ブログ

昆虫学者が昆虫になってみた体験?!~竹中平蔵氏講演

2007-01-31 | 日記
竹中平蔵氏の講演に行ってきた。
開口一番、
「民間人!の竹中でございます。」とおっしゃった。

先日、小泉元首相にお会いしたところ、
「表情がやわらかくなりましたね。」と言われたそうだ。
そう言う小泉元首相の表情はもっとやわらかくなってたそうだ。

この国では、学者は、概ね「好意」と「敬意」を持って迎えられるが、内閣に入ったとたん、「悪意」と「敵意」を持って迎えられることになったそうだ。
また、「昆虫学者が昆虫になってみた体験」と「政治学をやってる学者が政治の世界に飛び込んだ」ことを表現。
300兆円という世界最大の民営化である郵政民営化へ始動した瞬間のことからはじまり、民間人として、気兼ねなく饒舌に、そして楽しそうに論を展開されていた。

話しの中、強調されていたのは「パッション」と「戦略は細部に宿る」という点。
政治の世界はダイナミックなものだったのだ、考えてみれば、最もダイナミックな世界であっても不思議はないのだ、と初めて思い至った。

大臣時代に書き溜めた日誌を元に出版されたご自分の本「構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌」もちゃかり紹介された。
「こんなことまで書いていいのか?と思いましたが、小泉元首相に原稿を見せたところ、すばらしい!と一言で了解いただきました。」
などと言われると・・、読むしかない。

産業カウンセラー試験終了!

2007-01-29 | 産業カウンセラー
2週間前に筆記試験が行われ、昨日実技試験が行われて、ともかく産業カウンセラー試験が終了した。
昨年4月より長期間にわたり携わってきたので、合否はともあれ、終わってほっとしている。

産業カウンセラーのテキストと、俗に言う「過去問」(試験対策本)はとても丁寧な作りとなっている。
各問題の回答解説にテキストの参考ページが記載されていて、テキストのその部分を読み返して理解を深めていけばおのずと基本的な問題なら解けるようになる。・・・はずだった。

指導員の先生や先輩のお話しを聞くところによると、「誰でもきちんと解ける問題をきちんと押さえていけば合格できる試験」だということだったのだが、「これは誰でも解ける問題だ!」と私が思った問題はあまりなかったような・・・。
「過労死等の申請件数と認定件数に係る表」の数字を問われた問題では、「私ったら、社労士なのに・・・。」と、暗澹たる気持ちになった。こんな問題ははずしたくなかったけれども、残念ながらカンにたよるしかすべがない。(試験終了後もこわくて真相は調べてない。)
全く自信がない。50点ぐらいだろうか。

筆記試験は二部に分かれている。
一部が理論や法律を問う問題。二部は「逐語記録」というクライエントとカウンセラーのやりとりについての問題が出題される。
一部がダメでも二部は頑張ろうと、気を取り直して望んだ二部も、さらにひどい結果に終わった。
「カウンセラーの気持ちとして、一番遠いのはどれか?」(え、こっちもこっちも遠いけど?)というような問題もあったし、表現が違うだけで意味は同じじゃないの?選ばないといけないの?という悩ましい問題ばかり(なように、私には思えた。)。

そして、その筆記試験の落胆を振り払うようにして臨んだ昨日の実技試験。
受験者はその場でペアを組まされる。二人で個室に入っていくと、試験官2名がテーブルの向こう側に座っている。
受験生同士でジャンケン(!)をして、どちらがカウンセラー役を先にするかを決める。先にカウンセラー役をした人は、2回目にはクライエント役になる。(逆に、先にクライエント役だった人は2回目にはカウンセラー役。)
初対面のクライエントからどんな相談内容が飛び出すか?自分は対応できるのか?短いだけに取り返しが難しそうで、緊張する。

5分間ずつ、カウンセリングの最初の部分をやって、試験官から、「できたところと、改善点を述べてください。」と尋ねられた。これはあっさりと終了。
その後、面接官の方に向き直って、面接。
私たち二人ともが、まず、産業カウンセラー講座を受講した動機を尋ねられた。
次に、この講座で何を学んだと思うかを隣の人が尋ねられ、そして私の番。

「産業カウンセリングにおいて、最も大事なことはなんだとあなたは思いますか?」

考えたことのない、大きな質問。
「カウンセリングではなく、産業カウンセリングですか?」と確認してみたが、
試験官は、にっこりと微笑みながら、「はい、そうです。」と言う。

なんと答えたかは秘密にしておくが、「どこを見られたのかなぁ」と思う面接試験だった。

発表は3月下旬ごろ。この「ごろ」というのが、またこれも悩ましい。



「若返る人」

2007-01-29 | リズボク
アンチエイジングとかデトックスとか、健康になりそーっな言葉につい反応してしまう。

アマゾンで、「若返る人」という魅力的な題名の本を見かけたのでつい購入してしまった。
若返るだなんて、アンチエイジングよりもっと刺激的!
副題は「50歳のまま80歳を迎える」。なんだこの本は!

読んでみると、ターゲットは50代~リタイヤ前ぐらいの男性だったようだが、
(ン十代女性の)私も、とても刺激された。

自分が読んだあと、「読め!」と無理やり人に貸している。

ともかく、「運動せよ。」が、主なメッセージだ。

本の著者は、アメリカの40代の医者と、その持論を実践している70代の元弁護士だ。
この医者は自分の患者が、何か問題が起きたときには全力で助けるが、本当にそれでいいのだろうか?
問題が起こる前にその問題を避ける方法を提示すべきじゃなかろうかと疑問を持つ。
自分の患者たちが、リタイヤと前後してガクンと目に見えて衰えてしまうのを黙って見ていていいのだろうかと。

「老化」というのは、生きている以上仕方がない。しかし、本来「老化」はゆるやかなもので「衰え」とは違う。

私たち「人間」は、「動物」であり、身体を維持していくしくみはそこいらの哺乳類、いやもっと遡って単細胞動物とあんまり変わらないそうだ。

ともかく、人間は、「動物をとるか?植物をとるか?」という選択の時点で「動物」を選択してしまった以上、「毎日身体を動かす」ことを宿命づけられているらしい。

身体の各機能を制御しているのは脳だが、考えたり知識を得たりする脳と違って、この身体を制御している部分の脳は自分の意思で制御できない。

今パソコンに向かいながら片手でつまんでいるこのビスケットを口に入れたとき、
「胃を動かせ、胃液を出せ、ある程度消化できる状態になったら腸に送り込め」とは誰も命令はしないが、胃や腸が動き、(そこまでしてくれなくていいのに!)ご丁寧に脂肪として溜め込んでくれる。

ただ単に立っているときも、「もう少しバランスを右に!左に!」と考えなくても
じっと立っていられるのは、脳のこの部分のおかげだ。

身体の衰えは、その脳が関係している。
この脳に私たちは毎日、「若返る」ボタンを押すか、「衰える」ボタンを押すかどっちかをしながら生きているそうだ。

「現状維持」のボタンはない。積み重ねの結果としての「現状維持」はあるが、ボタンは「若返る」か「衰える」の2つしかない。

この医者によると、この「若返る」ボタンこそ運動だそうだ。

毎日机に向かい、じっとしていると、

「氷河期がきたのか、無駄な体力は消耗するな、脂肪を溜め込め」

と脳が指示をする。

運動をすると、

「春が来たのだ、狩りにいけるよう筋肉をつけろ、新陳代謝をあげろ、活動しろ」

と脳が指示をする。

毎日、この繰り返しだと。
だから、運動しろと。(リタイヤしたら、週6日!は運動せよと書いてある。)
もう一人の著者である70代元弁護士は、この医師の持論を実践した結果、50代の身体能力を維持しているそうだ。

副産物として、40代で少々スキーがうまくても誰も誉めはしないが、70代で普通に滑れるだけでみんな絶賛して気持ちいいらしい。
そりゃ、誉められればもっと若返るというものだ。
異論もあるだろうが、この本に妙に納得してしまった。

昨年後半、不健康なまま無理やり時間を作ってジムの特別レッスンに参加して身体を鍛えた。

いろんな喜びや楽しみがあるだろうが、そのレッスンがあまりに楽しく、レッスンを受けながら、「自分の身体をメンテナンスし、強くてよく動く健全なものにしていくことを人生の真ん中にして何が悪い!」という気になった。

この本に、そんな考えを裏づけされたような、ジムに行くお墨付き、大義名分ができたような・・、しかも、若返る?いいじゃん!
ということで、まずはジム通いできるスケジュール管理が必要かぁ。

自営業者は身体が資本。
サラリーマンも、リタイヤ後の20年、自由時間は現役時代の40年間と同じぐらいある。
健康にやりたいことをして過ごすか、病院通いして薬漬けで過ごすか、その差は大きい。
自営業者でなくとも、身体は資本に変わりない。

もめない手伝い

2007-01-08 | 社労士
年末であわただしい中、社会保険労務士会に「紛争解決手続代理業務の付記申請」というものを提出してきた。

特定社会保険労務士試験に合格した者は、この申請をするのが次のステップである。

「付記」というのは、何かに追加して補足的なことを記載するということだから、いったいどこに何を付記するのか?と思ったら、

「紛争解決手続代理業務を行う場合、社会保険労務士名簿に紛争解決代理業務試験に合格した旨の付記をすることが必要となる」

ということだそうだ。

その名簿に付記の記載されている社会保険労務士だけが紛争解決代理業務ができるということになる。
これらの、名簿に付記のある社会保険労務士が、正式に「特定社会保険労務士」ということになる。

申請書にあわせて「社会保険労務士証票」(社会保険労務士である証明書のようなもの)を提出したので、そちらにも特定社会保険労務士である旨、記載されるのだろう。

今回手続きをして、社会保険労務士証票が戻ってくるのが1ヶ月程度後ということだが、紛争解決手続代理業務が実際にできるようになるのは平成19年の4月からである。

以前にも書いたが、特定社会保険労務士が紛争解決手続の代理業務をできるのは、「個別の」労働紛争である。
できたらこのような仕事には携わりたくない。

ここのところ、会社と社員の間の「もめ事の手前の段階(?)」と接する機会が続いた。

ひとつは、顧問先ではない会社の社員側からの相談ということで持ち込まれた。

本人から直接の話しではなく、何人か人を辿って私のところにやってきたので、まず本人から詳細をお聞きして・・・と言ってるうちに当該社員が自ら辞めてしまったらしく、結局お話しを聞かず仕舞いで終わってしまった。
今となっては、本当にもめるような内容だったのかどうかも定かでない。

随分心配したので、ともかく、間に入ってもめることをしなくてよくなって、ほっとだけしている。

もうひとつは、事業主側からのお話しである。
解雇をめぐり、事業主と社員が売り言葉に買い言葉という状況になってしまい、次にどちらかが買い言葉を吐いてしまえばまっすぐもめ事になりそうな様相を呈していた。

これも本当に心配したが、ボタンの掛け違いのようになっていた部分を冷静に考え直してくださり、勇気をもって話し合いの機会を持たれ、社員の側もそれに応じてくださり大人と大人の解決をされた。
本当によかった。

もちろん、前述の通りもめる手伝いはまだできないし、第一、する気もない。
もめない手伝いならする。というか、それが社会保険労務士なんじゃないかと思っている。

労働契約法の議論が迷走しているが、ホワイトカラーエグゼンプション(ホワイトカラー労働者をを労働時間規制の適用から除外する制度)という新しい言葉も見かけるようになった。

今後ますます複雑化する労働法制の中で、個別のもめ事は増え続けていくのだろう。

この先どんなことになっても、基本の部分で人と人の理解を助ける、もめない手伝いのほうをしていきたいと、今回あらためて思った。