昨年まで数年間、年に1回だけだが、就職活動前の学生にキャリアデザインについてお話しする機会をいただいた。
自分が就職したときのことを振り返ってみると、あまり考えずに「えい!」と飛び込んだだけだったような気がする。
そんな私が、学生にキャリア・デザインを求めるのはいかがなもんなのか?時代が変わったので、私たちの時代のようにいい加減なことはもう通用しなくなったということなのか?いや、私自身がいい加減すぎたのか?と、実は自問自答しながらお話ししていた。
最近、神戸大学の金井壽宏教授の「働くひとのためのキャリア・デザイン」という本を読んで、そのキャリアについてのもやもやがすっきり解消した。
キャリアについて、この本ではこう定義されている。
「成人になってフルタイムで働き始めて以降、生活ないし人生(life)全体を基盤にして繰り広げられる長期的な(通常は何十年にも及ぶ)仕事生活における具体的な職務・職種・職能での諸経験の連続と、(大きな)節目での選択が生み出していく回顧的意味づけ(とりわけ、一見すると連続性が低い経験と経験の間の意味づけや統合)と、将来構想・展望のパターン」
キャリアを、馬車が走っていったあとにできる轍にも例えられており、振り返って回顧的に意味付けしていいとされている。
「キャリアをデザインするとは、節目(移行期)をデザインすることである。
節目のときでさえデザインするという発想をもしもたなかったら、一生ドリフトしたままになるかもしれない。」
「節目さえしっかりデザインされていれば、それ以外のとき(移行期と移行期の間の安定期)は、ドリフトしてもいい。それどころか、キャリアを歩むうえでの発想や行動のレパートリーを豊かにするうえで、しばしばドリフトしたほうがいいことさえある。」
ドリフトとは、デザインの反対語として登場する。
(潮・風に)流されるもの、漂流、吹き寄せられて漂うもの、という意味がある。キャリアは、もしデザインしなければ、ドリフトして流されていってしまう。「常にデザインするのは無理だが、節目にもそれを怠っていると、人生のドリフターズ(漂流者)になってしまう。」
(お笑い界の「ドリフターズ」とは、そいういう意味だったのか。深い。と変に感心。)
また、人生には転機(トランジション)がつきものだが、「移行期というのは、ある状態が終わり、別のある状態が始まるということであるのに、多くのひとが、後者の『開始』ばかりを目にして、いったい何が終わったのかという『終焉』を往々にして不問にしている。またその移行期が大きな(重要な)転機であればあるほど、テレビのチャンネルを変えるようには、『終焉』から『開始』へと、さらりとは移れないものである。その間に、途方にくれたり、やや宙ぶらりんな感覚になったり、少し空しくなったりもしながら、徐々に新たな始まりに向けてしっかりと気持ちを統合していく時期が必要である。」
こういう作業をきちんとしてきたひとは、将来にキャリアをつないでいけるし、何歳になっても「一皮むけて」成長していける。
開業してからずっと、走って走って、あまりに忙しく、「開始」ばかりを目にして「終焉」も「移行期」もないがしろにしてきたかなと反省。
今年は、そういう年にしたいと、もう桜が咲こうとしているこんなときになって思った。
4月から産業カウンセラーの講座を受講する。
その前にしっかりと自分の轍を振り返ってみようと思う。
自分が就職したときのことを振り返ってみると、あまり考えずに「えい!」と飛び込んだだけだったような気がする。
そんな私が、学生にキャリア・デザインを求めるのはいかがなもんなのか?時代が変わったので、私たちの時代のようにいい加減なことはもう通用しなくなったということなのか?いや、私自身がいい加減すぎたのか?と、実は自問自答しながらお話ししていた。
最近、神戸大学の金井壽宏教授の「働くひとのためのキャリア・デザイン」という本を読んで、そのキャリアについてのもやもやがすっきり解消した。
キャリアについて、この本ではこう定義されている。
「成人になってフルタイムで働き始めて以降、生活ないし人生(life)全体を基盤にして繰り広げられる長期的な(通常は何十年にも及ぶ)仕事生活における具体的な職務・職種・職能での諸経験の連続と、(大きな)節目での選択が生み出していく回顧的意味づけ(とりわけ、一見すると連続性が低い経験と経験の間の意味づけや統合)と、将来構想・展望のパターン」
キャリアを、馬車が走っていったあとにできる轍にも例えられており、振り返って回顧的に意味付けしていいとされている。
「キャリアをデザインするとは、節目(移行期)をデザインすることである。
節目のときでさえデザインするという発想をもしもたなかったら、一生ドリフトしたままになるかもしれない。」
「節目さえしっかりデザインされていれば、それ以外のとき(移行期と移行期の間の安定期)は、ドリフトしてもいい。それどころか、キャリアを歩むうえでの発想や行動のレパートリーを豊かにするうえで、しばしばドリフトしたほうがいいことさえある。」
ドリフトとは、デザインの反対語として登場する。
(潮・風に)流されるもの、漂流、吹き寄せられて漂うもの、という意味がある。キャリアは、もしデザインしなければ、ドリフトして流されていってしまう。「常にデザインするのは無理だが、節目にもそれを怠っていると、人生のドリフターズ(漂流者)になってしまう。」
(お笑い界の「ドリフターズ」とは、そいういう意味だったのか。深い。と変に感心。)
また、人生には転機(トランジション)がつきものだが、「移行期というのは、ある状態が終わり、別のある状態が始まるということであるのに、多くのひとが、後者の『開始』ばかりを目にして、いったい何が終わったのかという『終焉』を往々にして不問にしている。またその移行期が大きな(重要な)転機であればあるほど、テレビのチャンネルを変えるようには、『終焉』から『開始』へと、さらりとは移れないものである。その間に、途方にくれたり、やや宙ぶらりんな感覚になったり、少し空しくなったりもしながら、徐々に新たな始まりに向けてしっかりと気持ちを統合していく時期が必要である。」
こういう作業をきちんとしてきたひとは、将来にキャリアをつないでいけるし、何歳になっても「一皮むけて」成長していける。
開業してからずっと、走って走って、あまりに忙しく、「開始」ばかりを目にして「終焉」も「移行期」もないがしろにしてきたかなと反省。
今年は、そういう年にしたいと、もう桜が咲こうとしているこんなときになって思った。
4月から産業カウンセラーの講座を受講する。
その前にしっかりと自分の轍を振り返ってみようと思う。