petit TiMS ~プチ ティムス~

鉄腕!女子社労士 玉坪郁子
経営者と働く人の成功を応援し、ワークライフバランスを推進する社労士法人ティムス代表ブログ

キャリア・デザイン

2006-03-22 | 日記
昨年まで数年間、年に1回だけだが、就職活動前の学生にキャリアデザインについてお話しする機会をいただいた。

自分が就職したときのことを振り返ってみると、あまり考えずに「えい!」と飛び込んだだけだったような気がする。

そんな私が、学生にキャリア・デザインを求めるのはいかがなもんなのか?時代が変わったので、私たちの時代のようにいい加減なことはもう通用しなくなったということなのか?いや、私自身がいい加減すぎたのか?と、実は自問自答しながらお話ししていた。

最近、神戸大学の金井壽宏教授の「働くひとのためのキャリア・デザイン」という本を読んで、そのキャリアについてのもやもやがすっきり解消した。

キャリアについて、この本ではこう定義されている。

「成人になってフルタイムで働き始めて以降、生活ないし人生(life)全体を基盤にして繰り広げられる長期的な(通常は何十年にも及ぶ)仕事生活における具体的な職務・職種・職能での諸経験の連続と、(大きな)節目での選択が生み出していく回顧的意味づけ(とりわけ、一見すると連続性が低い経験と経験の間の意味づけや統合)と、将来構想・展望のパターン」

キャリアを、馬車が走っていったあとにできる轍にも例えられており、振り返って回顧的に意味付けしていいとされている。

「キャリアをデザインするとは、節目(移行期)をデザインすることである。
節目のときでさえデザインするという発想をもしもたなかったら、一生ドリフトしたままになるかもしれない。」

「節目さえしっかりデザインされていれば、それ以外のとき(移行期と移行期の間の安定期)は、ドリフトしてもいい。それどころか、キャリアを歩むうえでの発想や行動のレパートリーを豊かにするうえで、しばしばドリフトしたほうがいいことさえある。」

ドリフトとは、デザインの反対語として登場する。

(潮・風に)流されるもの、漂流、吹き寄せられて漂うもの、という意味がある。キャリアは、もしデザインしなければ、ドリフトして流されていってしまう。「常にデザインするのは無理だが、節目にもそれを怠っていると、人生のドリフターズ(漂流者)になってしまう。」
(お笑い界の「ドリフターズ」とは、そいういう意味だったのか。深い。と変に感心。)


また、人生には転機(トランジション)がつきものだが、「移行期というのは、ある状態が終わり、別のある状態が始まるということであるのに、多くのひとが、後者の『開始』ばかりを目にして、いったい何が終わったのかという『終焉』を往々にして不問にしている。またその移行期が大きな(重要な)転機であればあるほど、テレビのチャンネルを変えるようには、『終焉』から『開始』へと、さらりとは移れないものである。その間に、途方にくれたり、やや宙ぶらりんな感覚になったり、少し空しくなったりもしながら、徐々に新たな始まりに向けてしっかりと気持ちを統合していく時期が必要である。」

こういう作業をきちんとしてきたひとは、将来にキャリアをつないでいけるし、何歳になっても「一皮むけて」成長していける。

開業してからずっと、走って走って、あまりに忙しく、「開始」ばかりを目にして「終焉」も「移行期」もないがしろにしてきたかなと反省。

今年は、そういう年にしたいと、もう桜が咲こうとしているこんなときになって思った。

4月から産業カウンセラーの講座を受講する。
その前にしっかりと自分の轍を振り返ってみようと思う。


5000万円の紬のなぞ

2006-03-20 | 日記
少し前の話しになるが、同級生が京都の紬フェアに誘ってくれたので、友人とふたりで行ってきた。
次に買うのは「無地の結城紬」と、通ぶってなんの根拠もなく決めていたので、「紬フェア」などに行ってしまったら最後、帰ってきたらローン返済のためにせっせと働くことになるんじゃないかと、相当高い確率で予想しながら現地へ行った。

様々な地方の紬が何部屋にも展示されている。
私と友人は、ひとつ目の部屋でもう動けなくなってしまった。
友人は、(250万円の)黒の大島紬を、私は(88万円の)グレーがかった薄紫色の結城紬(希望通りの「無地の結城紬」)を羽織らせてもらって、この反物の魅力と自らの財力を天秤にかけて苦渋していたのだった。
また、ぴったりの帯と帯締め帯揚げを組み合わせてくれると、素敵なこと・・。

冷静な頭ならこの天秤もすぐ「無理!」と傾くはずなのに、反物の魅力に舞い上がってしまって、「がんばればなんとかなるんじゃないか」と訳のわからない結論を導き出しそうになる。
「お年寄りになっても、お子さん、お孫さんの代まで着れる」と言われるが、「お子さん」を持つ可能性があんまりない私に、「お孫さん」の可能性はまずない。
だいいち、私たちは、ちょっと集まってご飯を食べるとか、お花見に行くとか、そういうほんの気楽な着物しか着ない。
結局、泣く泣くこの反物は諦めて、他の部屋の芸術品ともいえる反物を堪能して帰ってきた。

値段のことだけを云々するつもりはないが、2800万円の反物を見せてもらった。
この夏、私がローンを組んで買おうとしているマンションより高い。
見た感じ、ただの地味な紬だ。確かに良いものなのだろう。よくわからない。
さらに、5000万円の紬があるらしい。
見せてもらおうと思ったら、2日前のフェア初日に売れた(!)という。
いったいどんなひとが買ったのか。その反物自体も、買ったご本人も、ひと目見たかった。

なんでそんな値段になるのか。
技術者がいない。だんだん減ってるらしい。
技術者がいなくなったらどうなるのか?
もう反物が作れなくなるらしい。
だから、いいものは価値が出る・・らしい。
「反物を織るのは、時給にすると300円ぐらいの工賃ですからね。」
技術者がいなくなる危機に、なんでこんな値段で仕事させるのか?(最低賃金法違反だし。)
それに、時給300円で織った反物が、どこにどうやったら、5000万円という値段になるのか?
やっぱり、わからない。

帰りの電車で、私たちの頭にずっとあったのは、5000万円でも2800万円でもなく、自分が羽織らせてもらった紬だった。
あの程度の着物、さらりと「いただくわ」と言える時など来るのか?



同窓会

2006-03-01 | 日記
9年ぶりに中学の同窓会が行われて行ってきた。
行ってきたといっても、自分も主催側で、相当準備に時間をかけて迎えた同窓会だった。

卒業して割と早い時期の同窓会では、外見も態度も変わってしまって誰だかわからなくなっていたような同級生も、この年齢になると(何歳なのかは秘密。)もう観念したのか中学時代の同級生に戻ったみたいだ。人間、そうそう変わるもんではない。
思ったとおりに成長している同級生(殊にワルたち!)を見るとなぜかうれしい。

高校の同級生たちは、大企業の中堅社員とか医者とか弁護士とか教授とかが多い。これはこれで、社会を動かしてる感があって話していて面白い。一方、中学の同級生にはなぜか中小(というか零細?ごめん!)企業社長が多い。みんな絵に描いたような「自営業の社長のおっさん」然とした雰囲気だ。(←これには残念ながら、自営業である私も含まれる。)

私たちはよく先生に怒られた。平手、拳骨、さらにごつごつした竹の根っこで殴られたり、廊下や机の上にまで正座させられたりしてた彼らが、一国一城の主として従業員に「社長」と呼ばれてがんばってるのかと思うと、なんだかにやにやしてしまう。

「社長の資質」とはなんだろう。いつ身につけるものだろう。
ベンチャー精神のある学生を採用したいとおっしゃる事業主が多いが、彼らこそ、ベンチャー精神発揮しまくり、生活力ありまくりで、ある種強いパワーを感じた。
そういえば、顧問先の社長が、経営者の資質は3つとおっしゃってた。

「健康。ネアカ。ちょっとだけ運がいい。」

本当にこれだけなら彼らOKかも。
一度、全員のインタビューと、できうるならばCUBICの特性試験をしてみたい。

同窓会には先生もご招待した。残念ながら昨年亡くなった先生もいらっしゃった。
同窓会をしようしようと掛け声だけでもたもたしてたこの間に・・と思うと非常に申し訳ない気持ちになった。
みんながこんなにがんばってる姿を見ていただきたかった。

参加してくださったN先生(この人にみんなよく殴られた。)にご挨拶に行った際、言われた。
「お前はI先生が去年亡くなったのを知っとるのか?お前はものすごく世話になったはずや。
I先生は、この中学に、特にお前らの学年に情熱を掛けすぎた。燃え尽きたようになってしまいはって、その後いろいろあったが、晩年は周囲の信頼を勝ち取られた立場で仕事をされておられた。ええ人生を送られたと思う。」

I先生が亡くなったという話しは、このとき初めて聞いた。
私はI先生に本当にお世話になった。
在学中は勿論、高校入学のときも喜んでくださったし、大学入学の際も喜んでくださった。

その後、大学が東京だったこともあり、年賀状や暑中見舞い程度はお出ししていたが、先生から返信はなく、そのうち転居先不明で郵便が戻ってくるようになり、いつしかどこにいらっしゃるのかさえわからなくなってしまった。
探そうと思えばどうにだってできたのに・・・。
もう一度先生にお会いして、きちんとお礼を言いたかった。こんな風に生きてますと言いたかった。
泣くつもりなどなかったのに、横にいた同級生が涙を拭けとハンカチを貸してくれた。
N先生が、「お前が本当に望むのなら、ご遺族につないでやる。」と言ってくださった。
「ただし、おれは、今回の同窓会に3回誘われてやっと参加した男やからな。わかってるやろな。」
「はい。」って、本当は意味わからん。でも、ありがとうございます。

同窓会は、N先生のご提案で、4年後にまた開催されることになった。
同級生に限らず、友の存在は、人生においてますます重要になってくるのを感じている。