先日、ボクシングのスパーリング大会があった。
バンテージを巻き、グローブをし、ヘッドギアをつけて、たった3分間の1ラウンド、攻守のタイミングをはっきりさせながら戦うという特別なルールではあったが、ともかく、あの四角いリングに上がり、1対1で戦い、勝った。
だいたい、人の顔めがけて拳を出すなどということは日常生活の中ではあり得ない。
女性は特にそうだ。仮に数少ない手の出勝ちなシーン「あなたなんてきらい!」(バシッ)というシーンでも、平手で頬をはたくことはあっても、拳で顔の真ん中を殴るということはあり得ない。
TSDというジムに行きだしてもうすぐ3年になるが、この4月からの2ヶ月間の特別なレッスン(ファイトクラブ)に参加するまでは、パンチといっても形だけか、殴ってもミットだけであった。
スパーリングは、ミット打ちと似て全く非なるもんだった。
いくらミットに向けて強いパンチを打つことができても、顔面やボディにパンチが届かない、打ち込めないようでは試合にならない。つまり負けてしまうのである。
しかも、そんな重大なことに気づいたのはやっと試合間近となった頃であった。
それを克服するために行った常に攻撃を意識したレッスンで、なんだか技術的に一皮剥けたような気がした。
そんなに時間をかけてレッスンを行ったあとでも、やっぱりリングに立つのは怖い。
大げさかもしれないが、動物的な怖さ、生命が危機にさらされる怖さとでもいうのか、普段あんまり味わったことのない怖さだ。
リング上で四方から全身見られている中、3分間は誰の助けも受けられない。相手がどんなパンチを打ってくるのかわからない。思い切り打たれたら私はいったいどうなってしまうのだろう。1発当たったら、手も足も動かなくて立ちすくんでしまうんじゃないか・・・。
マウスピースを口に含み、セコンドの人たちにヘッドギアを装着してもらい、リングネームを呼ばれてリングに上がるときには、いろんな思いで心臓が飛び出しそうになる。
いくぜ!
ともかく、目の前の対戦相手しか見えない長い長い3分間。戦いきった。終わったー。
勝っても負けても悔いはない、関係ないと思っていたが、判定で勝ったときにはやっぱり本当に嬉しかった。
3分間の経験に他では得がたいものをたくさん得た。
嬉しいので、友人知人に話す。
すると、「そんなに鍛えて、いったいどうしたいんですか?」「どこへ向かってるんですか?」と尋ねられる。
いや別にどこに向かっているわけでもないけどなー、と思っているところへ、この本が表れた。
「仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか」(幻冬舎新書 山本ケイイチ著)
すぐ本を買って読む。自己防衛、理論武装のためだ。
「ビジネスパーソンがこれらかの時代を生き残るのに有益なスキルは、『英語』『IT』『金融知識』とよく言われる。私はここに『筋肉』を加えたい。筋肉を鍛えることは、いまや単なる趣味やレクリエーションではなく、『将来的に大きなリターンを生む自己投資』である。時代を察知する能力の高いビジネスパーソンは、すでにそのことに気づいて、仕事に取り組むのと同じくらい熱心に、筋肉を鍛えることに時間とお金を投資している。」(「はじめに」より)
なんでもお金と効果的な薬や装置でなんとかなる時代であっても、鍛えた肉体はお金で買えない。美しい筋肉はすぐにはつくれない。
「『生命』や『身体』に関するものは、すべてプロセスを省略することができない。」
「トレーニングは、短絡的なことばかりがもてはやされている現代において、数少ない、短絡的ではないものだ。」
そうよ、そうなのよ。That's the thing,I wonted to say!
「シャープでタフな精神と、鍛えられた筋肉を兼ね備えた『ビジネスアスリート』」を目指すことにします。
バンテージを巻き、グローブをし、ヘッドギアをつけて、たった3分間の1ラウンド、攻守のタイミングをはっきりさせながら戦うという特別なルールではあったが、ともかく、あの四角いリングに上がり、1対1で戦い、勝った。
だいたい、人の顔めがけて拳を出すなどということは日常生活の中ではあり得ない。
女性は特にそうだ。仮に数少ない手の出勝ちなシーン「あなたなんてきらい!」(バシッ)というシーンでも、平手で頬をはたくことはあっても、拳で顔の真ん中を殴るということはあり得ない。
TSDというジムに行きだしてもうすぐ3年になるが、この4月からの2ヶ月間の特別なレッスン(ファイトクラブ)に参加するまでは、パンチといっても形だけか、殴ってもミットだけであった。
スパーリングは、ミット打ちと似て全く非なるもんだった。
いくらミットに向けて強いパンチを打つことができても、顔面やボディにパンチが届かない、打ち込めないようでは試合にならない。つまり負けてしまうのである。
しかも、そんな重大なことに気づいたのはやっと試合間近となった頃であった。
それを克服するために行った常に攻撃を意識したレッスンで、なんだか技術的に一皮剥けたような気がした。
そんなに時間をかけてレッスンを行ったあとでも、やっぱりリングに立つのは怖い。
大げさかもしれないが、動物的な怖さ、生命が危機にさらされる怖さとでもいうのか、普段あんまり味わったことのない怖さだ。
リング上で四方から全身見られている中、3分間は誰の助けも受けられない。相手がどんなパンチを打ってくるのかわからない。思い切り打たれたら私はいったいどうなってしまうのだろう。1発当たったら、手も足も動かなくて立ちすくんでしまうんじゃないか・・・。
マウスピースを口に含み、セコンドの人たちにヘッドギアを装着してもらい、リングネームを呼ばれてリングに上がるときには、いろんな思いで心臓が飛び出しそうになる。
いくぜ!
ともかく、目の前の対戦相手しか見えない長い長い3分間。戦いきった。終わったー。
勝っても負けても悔いはない、関係ないと思っていたが、判定で勝ったときにはやっぱり本当に嬉しかった。
3分間の経験に他では得がたいものをたくさん得た。
嬉しいので、友人知人に話す。
すると、「そんなに鍛えて、いったいどうしたいんですか?」「どこへ向かってるんですか?」と尋ねられる。
いや別にどこに向かっているわけでもないけどなー、と思っているところへ、この本が表れた。
「仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか」(幻冬舎新書 山本ケイイチ著)
すぐ本を買って読む。自己防衛、理論武装のためだ。
「ビジネスパーソンがこれらかの時代を生き残るのに有益なスキルは、『英語』『IT』『金融知識』とよく言われる。私はここに『筋肉』を加えたい。筋肉を鍛えることは、いまや単なる趣味やレクリエーションではなく、『将来的に大きなリターンを生む自己投資』である。時代を察知する能力の高いビジネスパーソンは、すでにそのことに気づいて、仕事に取り組むのと同じくらい熱心に、筋肉を鍛えることに時間とお金を投資している。」(「はじめに」より)
なんでもお金と効果的な薬や装置でなんとかなる時代であっても、鍛えた肉体はお金で買えない。美しい筋肉はすぐにはつくれない。
「『生命』や『身体』に関するものは、すべてプロセスを省略することができない。」
「トレーニングは、短絡的なことばかりがもてはやされている現代において、数少ない、短絡的ではないものだ。」
そうよ、そうなのよ。That's the thing,I wonted to say!
「シャープでタフな精神と、鍛えられた筋肉を兼ね備えた『ビジネスアスリート』」を目指すことにします。