ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

スシラ ブディ ダルマ・1章 4つの諸力の登場-1

2016-08-20 | 日記
人間を含んで4つの諸力は通常の3次元宇宙に存在し、目に見えます。

この4つとは物質(Rewani)にはじまり、植物(nabati,)、動物(hewani,)を経て人間(jasmani,)のレベルまでのことであることは、前回お話しました。

そして地球上での生活期間中に、ラティハンによってまずはジャスマニと呼ばれる人間本来の姿を取り戻すことが我々の最初の目的地になります。

その上のステージに行く道筋は、たぶんジャスマニを完全に自分のものにした人にはおのずと明らかにされるものでありましょう。

そうでありますれば、まずはジャスマニをめざして進むことが必要であり、まあその為のガイドブックがスシラ ブディ ダルマです。

そうはいっても、この本を読んだだけでは何事も起こりません。

そこにラティハンの実習が伴えばこそ、その成果が期待されるのであります。


さてスシラ ブディ ダルマ(susila budhi dharma)は1952年にバパによって語られました。

そうして、今年は2016年になります。

スシラ ブディ ダルマが最初に語られてから64年が過ぎてしまいました。

そうして、その間に人類の持つ情報量、宇宙に関するもの、地球に関するもの、生命に関するものなどは飛躍的に増大しております。

従いまして、このシリーズではそのように新たに追加された情報と関連付けされた形でスシラ ブディ ダルマを語る事になります。


もともとのバパによって語られたスシラ ブディ ダルマは今も変わらずに、あるいは今後も変わらずにそこにあります。

しかしながら、そこに語られている内容に対する我々の理解のしかたは、当然のことながら時代の変化の影響を受けるでありましょう。

それが「時代の進みに歩調を合わせて進んでいきなさい。」というバパのメッセージでもあります。


4つの諸力の登場

バパによれば、「人間が地球で暮らすことになったときに4つの諸力が人間に与えられた。」ということです。(78・1・13クライストチャーチなど)

それまでのアダムの生活には4つの諸力は必要なかったのです。

ですから、この4つの諸力は地上生活用の生命力のワンセットになります。

それはちょうど人間が月面で暮らすときには、地球環境の一揃いを持っていく必要があることと相似的です。

ちなみにバパの言うアダムにはキリスト教で言う「原罪」はありません。

イスラムでは単に「アダムは神の指示で地上に降りて暮らし始めた」のであります。


さて、そのようにして神は一瞬で4つの諸力をアダムに与えたのであります。

まあしかしながら、我々が今持っている情報ではこの「一瞬」はとてつもなく長い時間の経過の後の「一瞬」です。

アダムに諸力を与える前にまずは宇宙を作り、地球を作り、そこに生命を誕生させなければなりませんでした。

それには138億年ほどの時間が必要であり、そうしてそのあとでようやく地球上にバパが言う所のアダムが住めるようになったのであります。<--リンク

そして聖書によればこの138億年はたったの6日間になるのではありますが、、、。


天文観測及び理論物理学によれば、真空の量子揺らぎから始まったビッグバンから四億年後に宇宙に初めて恒星が誕生し、そうしてそこから銀河が形成され、恒星の爆発による元素進化(核種変換)、恒星の世代交代のすえにようやく岩石質をもつ地球型惑星の誕生となります。<--リンク

我々の暮らしている地球を例に取りますれば、年齢は通説で46億年ほどです。<--リンク

つまりは最初の恒星の誕生から88億年経たないと太陽系、そして地球は誕生しなかった訳でありまして、結構な歴史がそこにはあったのであります。

そうして、その地球に最初の生命が誕生したのが40億年前であります。(単細胞生物)<--リンク

さて、この生命体の誕生をもって植物の誕生とするか、それとも光合成をする生命体の誕生まで待つかは議論がわかれますが、ここでは前者の立場をとります。

そうすると、ビッグバンで物質力が登場し、初めて宇宙に物質が作り出されました。

それから98億年たってようやく地球上に植物の登場とともに植物力が誕生したことになります。

そうして動物は10億年前に登場、植物力の登場から30億年かかってようやく動物力が登場です。

さて、最古の人類の登場は650万年まえ、動物力の登場から9.935億年かかっての人間力の登場であります。


これで4つの諸力の地球での年齢が明らかになりました。

物質力・・・138億歳(我々の暮らす宇宙の年齢と同じ)

(太陽系、そして地球の年齢・・・46億歳)

植物力・・・40億歳

動物力・・・10億歳

ユカタン半島に隕石落下、これで恐竜が絶滅・・・0.6億年前)<--リンク

人間力・・・0.065億歳(650万歳)

(ホモサピエンス、我々現生人類の直接の祖先登場・・・0.002億年前(20万年前)

(イエスの誕生・・・0.00002億年前)

まあざっとこんな感じであります。

そうして、このような宇宙の歴史をベースにした見方をすると、「物質は死んだものであるから、進化などしない」などというものの見方はとんでもない見当違いであることがはっきりとするのでありました。

もし物質に進化する能力がなければ、ビッグバンの後の宇宙にはいかほどの時間が経過しようとも、単に水素ガスが濃淡を持って広がっている、限りのない空間がどこまでも続く風景があるだけでしょう。

その世界には光り輝く恒星はなく、銀河系はなく、従って太陽系もなく、地球は存在しません。

現状のような変化にとんだ銀河や、太陽系、地球が存在しているのは、すべからく物質がもつ「進化する能力」のおかげなのでありました。


PS
さて、我々の天の川銀河には2000~4000億個の恒星がある、つまりはそれだけの数の太陽系があるといってもいいでしょう。<--リンク

そうして、すくなくとも一つの太陽系には人類が生息中であります。(我々の事です。)

平均的には銀河系につき1000億個の恒星があるようで、それだけあれば我々と同じような「地球と呼べる惑星」に人類が進化している可能性は大でありましょう。

そうして、地球から見える範囲の宇宙にはおよそ1000億個の銀河系があるようです。<--リンク

さあそうなると、一つの銀河にその銀河に固有の種類の人類が生息しているだけで、1000億種類の人類が地球から観測可能な範囲の宇宙に生息していることになります。

しかしながら、それぞれの銀河の進化レベル、太陽系、地球の進化レベルもありますし、人類固有の寿命(たぶん長くても1000万年程度かと。地球ではすでに650万年は経過。のこりは350万年程度。)もあります。

つまり、もう進化が進みすぎて衰退ーー>消滅した人類もあるでしょうし、戦争その他で自滅した人類も想定できます。<--リンク

あるいは生命環境はOKなのですが、恐竜が全盛期である地球もあるでしょう。

(ちなみに竜種は自然環境を破壊することもなく、地球を何百回も焼け野原にする核兵器開発に血眼にもならず、生存に必要なものを充足させるだけの欲望に従っていたため、その生存期間はおよそ1億年ほどあったと思われます。)

そのようなことをあれやこれや勘案しますと、今、現時点でこの見える範囲の宇宙には2億種類程度の人類が、いろいろな進化レベルで生息中と想定できます。

さて、そうでありますれば宇宙の創造主である「唯一の神」はこの2億種類の人類の面倒を同時に見ることになります。

そうして、この宇宙の大きさは地球から見える範囲を超えて広がっているのはあきらかでありますれば、今、現時点でこの宇宙に生息する人類の数はゆうに4億種類を超えるでありましょう。

そういうわけで、宇宙の創造主たる「唯一の神」はこの天の川銀河の片隅にある、地球という惑星に生息中の人類のみにかかわっている訳にはいかないのであります。

追記
・天文学者の99%「宇宙人いると思っている」

ご参考までに。


PS
上記では「人間を含んで4つの諸力は通常の3次元宇宙に存在し、目に見えます。」と書き出しましたが、正確には諸力そのものは目にはみえません。

目に見えるのは諸力が「依り代」としている巨岩などの物質そのもの、あるいは物質でできたもの、宝石やら短剣(クリス)、御札やら位牌、水(聖水)やら聖灰、植物体、動物体、人体であります。<--リンク

そうすると物質そのもの(原子、アトム)が諸力の元になるもの、3次元世界をこえた諸力が存在する次元をもっている、というふうに考えられます。

そうであればこそ、物質がそれらの諸力(ロホ、roh)によって「依り代」として使う事ができるのでありましょう。

さて、そのようでありますれば、地球が存在しただけでは地球上には物質力があるだけでした。

そこに植物体が登場してようやく植物力が安定的に存在し機能できるようになります。

同様に動物体が登場して動物力が働けるようになり、人体が登場して人間力が作用し始めたことになります。

このように地球上での目に見える存在としての「依り代」の登場をもってその力が登場したと考えることで、上記の数値が諸力の地球上における年齢となる訳であります。

(あるいは、諸力の登場が先に在って、それに合わせる形で物質、植物体、動物体、人体が現れたと考える事も可能であります。

そうして実はそのように考えるのが存在一性論の考え方であり、それを発展させたマルタバト・トゥジュ Martabat Tujuhの考え方になるのでした。)<--リンク


PS
上記で述べました様に「今、現時点でこの宇宙に生息する人類の数はゆうに4億種類を超える」でありましょうが、その中で我々と同等以上の科学レベルに到達している人類は我々が観測しているのと同じこの宇宙を観測しているでありましょう。

そうなりますと、銀河の後退速度の観測結果からおのずとビッグバン理論に到達することになります。

さらには重力の観測と考察から一般相対論にたどりつきます。

自分たちの太陽を考察すれば、核融合にたどり着き、ビッグバン理論と合わせ考察することで物質の恒星内部での進化に行き当たります。

他方で自分の周りの自然観察から光学理論、電磁気学、量子論、放射性同位体から核理論に到達します。

こうしてこの物質宇宙を支配している諸法則の理解に到達するのは必然の道のりなのであります。

さて、そのようにして発展してきたもう一つの地球には唯一神を信仰するような宗教は存在するのでしょうか?

あるいは、そもそも宗教なるもの、物質以上の霊的存在を認めるものは存在するのでしょうか?

もう一つの地球と通信が可能であれば確認できることではありますが、なにせ距離が離れすぎておりますので、このことはたぶん永遠に不可能でありましょう。<--リンク

そうして、そのようにもう一つの地球に暮らす人類も考えているものと思われます。

追記

人類と呼べるほどに自我が発達してしまった存在はどこの惑星にいようと生と死の疑問からは逃げられそうもありません。

たとえば、「スティーブン・ケイヴ: 死について私達が信じる4つの物語」を参照してみて下さい。<--リンク


PS
地球型惑星の数は、それこそ天文学的だ<--リンク

・NASA、地球に似た7惑星発見 水存在の可能性 <--リンク

39光年の距離に発見した模様です。

電波が行って帰って78年。

まあ2~3回ぐらいは通信が可能でありましょうか。

PS
・NASAの系外惑星探索衛星、地球よりも小さな惑星を発見。
http://archive.fo/RIxQ2

地球型惑星を求めての探査が続いております。
そのうちに我々の銀河系内で「海がある惑星」が発見されるのも時間の問題である様に思われます。

さてそうでありますと、他の銀河系の事を考慮に入れる事によって、明らかにこの宇宙には我々以外の知生体が存在する、と言う事は相当な確率を持つものと予想できます。

さてそうなりますと、「バパの銀河を超えた旅行でたどり着いた場所」が地球文明にのみ対応していた、という事実、あるいは記述には少々とまどいを覚える事になります。

以上の事を、まあ一応思いつきましたので、覚書として記録しております。19年7月


連載「スシラ ブディ ダルマ」にはこちらから入れます。<--リンク


PS
文字サイズはページ右上で変更できます。

ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク

記事内容についてのコメント、ご感想などは
記事テーマを添えてこちらまでお願いします。
<--リンク

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バパの魂(jiwa)あるいはロホの概念・/2 物質の魂(物質力)-3

2016-08-06 | 日記
バパの観点は(それは今までの引用から明らかであろうが)イスラムの観点というよりもアニミズムの観点により近いと言えそうです。

そして、汎神論のチャンピオンであるイブン・アル・アラビー(1165- 1240)(注1)でさえも、断固として物質や材料内部の魂の存在を信じていません。<--リンク

だからと言って、バパの見解はインドネシアでは一般的であるアニミズム的観点と同じかといえば、それらに対しても非常に異なっています。(注3

というのも、物質にも魂が宿ると信じている者達は、通常は犠牲をささげ礼拝することによってそのような存在を喜ばせ説得しようとするのであります。
P101

一方バパは物質内部の魂の存在を信じているにもかかわらず、これらの魂を崇拝する事を彼の弟子たちに禁止します。

そして反対に、それらの魂がバパには人間の情熱の主なゼンマイ(動力源:訳注)であると見えているので、「ラティハンに従う者達はそれらの魂を適切に制御するように」と主張しています。
・・・・・

我々は以前にも、この様な概念はイスラム教の基礎を持っているようには見えないということを指摘しているが(注4)、しかし我々は「すべての賢明なものが ruh(ルーフ)を持つ」という見方をする少なくとも二人の著名なスーフィーを知っています。

アブドルKarfmアルJilani(Abd al-Karfm al-Jilani (al-Jilly))(1366-1424)は彼の本(アル・インサン アル・カミル al-Insan al-Kamil)の中で言います、<--リンク

すべての賢明なものは、創造されたルーフ(ruh)を持っており、それによってその形態(surah)が存在し、そしてその形態のルーフ(ruh)は言葉(lafz)の意味(ma'na)の様なものです。

ーー訳注:ma'na マナ ー>原始宗教に広くみられる、超自然的で畏敬 (いけい) の対象となる非人格的な力。生物・無生物を問わず転移・伝染して力を発揮するとされる。(注3


またシャムスディン パサイ(Shamsuddin Pasai)(?-1630)(注2)はほぼ正確にバパが使う魂についての専門用語と一致する魂の一連の用語を説明しています。

シャムスディン パサイ(Shamsuddin Pasai)は言う、「神への道を示す以外の目的を持っていない専門用語の長いシリーズがあります。」

すなわち、Ruh idofi(イドフィ)はムハンマドの魂(haqiqa= njawa)です。

Ruh rohani(ロハ二)はムハンマドの身体の本質です。

Ruh Djusmani(ジャスマニ)は、人体の本質です。

Ruh hajawani(ハジャワニ)は、動物の体の本質です。

Ruh Nabati(ナバティ)は、植物の体の本質です。

そして、Ruh Djamadi(ジャマディ)は、不動体(自分では動かない物)の本質です。

P102
このような比較から、バパは「自分の枠組みにアニミズムの教義と呼ばれるようなものを導入し、そのためにシルクを犯した」と簡単に非難することができる、ただ一人のムスリムではない事は明らかです。

引用注:シルクを犯すーー>イスラム教ではアッラー以外のものを崇拝するという、偶像崇拝や多神崇拝の罪の事をさします。
・・・・・
物質力はここまで、英文はこちらを参照願います。<--リンク


注1イブン・アル・アラビー (Ibn al-'Arabi)(1165年7月25日- 1240年11月8日)<--リンク
日本語Wiki イブン・アラビー <--リンク


アラブの アンダルシア地方 イスラムの学者 、 スーフィーの 神秘的な詩人 、そして哲学者 。

彼は幾人かの実務家によってスーフィズム 「最大のマスター」として、また、本物の聖人として有名である。


「ゼロからの世界の創造」を示す5段階のレベルをもつ「存在一性論」を唱える。

それは「世界は唯一神からの流出である」という汎神論でもありました。

詳細は「イスラーム哲学の原像 井筒俊彦 岩波新書」を参照願います。

参考:ロホとナフスの物語(その3、7つのロホ)<--リンク

このイブン・アル・アラビー の世界のとらえ方、「存在一性論」が基礎となり、そこから下記シャムスディン パサイも含めて初期のイスラムの教師達が教え広めた「マルタバト・トゥジュ( Martabat Tujuh )」が派生し、そうして発展しながらインドネシア国内に拡散していくのでありました。<--リンク


注2シャムスディン パサイ(Shamsuddin Pasai)(?-1630 年)<--リンク

王国の支配者に関連する4つの最も著名な聖職者の一人。

イブン・アル・アラビーの思想を発展させたマルタバト・トゥジュ( Martabat Tujuh )の教えをアチェで教えた。<--リンク

彼が影響を与え、17世紀およびそれ以前の数十年の範囲内のアチェにおけるイスラム知的の形成と発展の歴史の中で大きな役割を果たしました。

アチェ州
サムドラ・パサイ王国やアチェ王国の時代からイスラーム教学の拠点としての歴史があり、インドネシアの中でもイスラーム信仰が強い地域である。


以下、シャムスディン パサイの用語 と バパが使った用語の比較です。

Ruh idofi(イドフィ)はムハンマドの魂(haqiqa= njawa)です。<ーー>Roh ilofi(イロフィ)諸生命力の王。

Ruh rohani(ロハ二)はムハンマドの身体の本質です。<ーー>Roh rohani, 聖者の生命力。(perfect man or Insan Kamil)

Ruh Djusmani(ジャスマニ)は、人体の本質です。<ーー>Roh jasmani, 人間の生命力。

Ruh hajawani(ハジャワニ)は、動物の体の本質です。<ーー>Roh hewani(へワ二)動物の生命力。

Ruh Nabati(ナバティ)は、植物の体の本質です。<ーー>Roh Nabati, 植物の生命力。

Ruh Djamadi(ジャマディ)は、不動体(自分では動かない物)の本質です。<ーー>Roh Rewani(レワ二、ライワニ), 物質の生命力


注3)ma'na マナ:日本人になじみのあるのは、お寺や神社からもらう「お札」や「お守り」であり、それはまさにそのような「霊力がものに込められていること」を期待したものであります。

またインドネシアではクリスと呼ばれる短剣がそのような「霊力をもつお守り」として認められており、あるいは「お札」に相当するものがラジャと呼ばれる「紙に書かれた霊力をもつとされる模様(パターン)」であるように思われます。


(注4)物質の内部に魂、あるいはある種の生命力が存在するという考え方は基本的にはアニミズムのものでありましょう。

イスラムの中にはそのような考え方は存在せず、そうしてスーフィーズムの中においてでさえまれなものであります。

そうして、バパの指摘の独創的な事は「古くからあるアニミズム的なもの」としての物質の魂、あるいは物質の中にある生命力、を主張したのではなく、物質と人の頭脳が相互作用をする、物質と人の思考が結び付いている、という事を主張した点にあります。

この事実が人が宇宙を、そうして自分の周りの環境を理解できることに結び付き、そうして科学上の発見と発明に結び付きました。

その結果が今日のものすごい物質文明の到来であります。

つまり、本当に今日的なテーマとして「物の魂、物質力というもの」を再定義しなおしたのがバパなのでありました。

そうして、Kafrawiさんのこの「THE PATH OF SUBUD」は全般的によくまとまっており、大変に参考になるのでありますが、「何故にバパがこのタイミングで物質力をもってきたのか」という点についてはさすがに推察するまでには至らなかった模様であります。

追伸
ジャワイスラムの9つのロホの中の9番目に Roh Rewaniがあるのでは?」という質問がありそうです。<--リンク

確かに Roh Rewaniという名称は使われていますが、その働きはバパが説明しているものとは基本的に異なり、「人の脳をコントロールして、人の目を覚ましておくもの、意識を覚醒させておく働き」というのがメインの様です。

そしてバパが主張されている「物質と頭脳を結び付ける働き」についてはジャワイスラムの中では言及はなさそうです。

そういう訳で、結局バパは「Roh Rewaniという名称を借りて物質力を説明した」、ということになりそうです。

追伸
物質力の性質、働き、ナフスとの関係については以下の様な記事もあります。
・スシラ ブディ ダルマ・2章 物質力の性質と働き<--リンク
・スシラ ブディ ダルマ・2章 物質力とナフスamarah<--リンク

以上、原典はこちら、THE PATH OF SUBUD (1969) Author: Drs Kafrawi : Kafrawi McGill University Montreal.<-- Link

PS
「バパの魂(jiwa)あるいはロホ(Roh)の概念」一覧にはこちらから入れます。<--リンク

PS
文字サイズはページ右上で変更できます。

ラティハン日記 目次 にはこちらから入れます。<--リンク

記事内容についてのコメント、ご感想などは
記事テーマを添えてこちらまでお願いします。
<--リンク


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする