古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

国名 日本になるまで

2017-01-03 14:01:53 | 歴史
お正月です。日本と云う国名について
やはりこの人、聖徳太子が影響しているようです。
607年に派遣された小野妹子を大使とする遣隋使は、隋の煬帝宛ての国書を持参していた
作成したのは、聖徳太子
「日出ずる処の天子、日没する処の天子に書をいたす。つつがなきや・・・・
自国の事を、日出ずる処 と表現しています。隋の煬帝を 日没する処の天子 と書いたことで反感を食らいます。
まだ、日本とは名乗っていません。
701年 大宝律令 が完成します。
702年に、第7次遣唐使に「この歳、日本国その大臣朝臣真人を遣わし、方物を貢ぐ。日本国は倭国の別名なり」
と記述されて、自国の事を 日本 と表明します。そして、日本国は倭国の別名なり とも加えています。
それまでは、倭国と云う名前を受け入れていました。
大陸からは、 ワ国 で 国内では ヤマト国 と呼んでいたと思われます。
この大宝律令が、近畿のヤマト朝廷から実質的な全国統一を完了し、日本が大きく変わった事を表しています。


紀元前57年 委奴国王印
西暦238年 親魏倭王の金印 海外から付けられた 倭国
古事記・日本書紀では天皇家の皇子、皇女の名前に 倭 がよく使われています。
倭建命(ヤマトタケル)、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)など
日本神話 国生みで出来た 八つの島(大八島)
1.淡道之穂之狭別島(あはぢのほのさわけのしま):淡路島
2.伊予之二名島(いよのふたなのしま):四国
 胴体が1つで、顔が4つある。顔のそれぞれの名は以下の通り。 愛比売(えひめ):伊予国
 飯依比古(いひよりひこ):讃岐国
 大宜都比売(おほげつひめ):阿波国(後に食物神としても登場する)
 建依別(たけよりわけ):土佐国
3.隠伎之三子島(おきのみつごのしま):隠岐島
4.筑紫島(つくしのしま):九州
 胴体が1つで、顔が4つある。顔のそれぞれの名は以下の通り。 白日別(しらひわけ):筑紫国
 豊日別(とよひわけ):豊国
 建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよじひねわけ):肥国
 建日別(たけひわけ):熊曽国
5.伊伎島(いきのしま):壱岐島
6.津島(つしま):対馬
7.佐度島(さどのしま):佐渡島
8.大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま):本州
本州が大倭 秋には豊かな実りとなる島 という事でしょうか。

仏教の伝来と共に漢字が伝わったとされていますが、氏姓制度で既に漢字を使っていたと思います。
氏姓制度の 姓 に
史(ふひと)    渡来人の子孫で、文筆の職能に優れた氏族に与えらた姓。 があります。
自国の名前に 倭 と云う漢字が使われた事を中国の史記(魏志倭人伝など)から、この時代に知ったでしょう。
紀元前に大陸が付けた、倭の意味を知らずに 約400年
その意味を知り、改名するまでに 更に 約400年 とかなり長い期間を必要としました。


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