古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

魏志倭人伝を無視した日本の記紀・古事記

2017-01-03 14:20:50 | 歴史
先の投稿で思い出したので、追記です。
中国の史記 魏志倭人伝については、既に知っていたはずの天皇家
倭人伝に登場する国々 伊都国、奴国など
邪馬台国、卑弥呼、祈祷、ライバル国 狗奴国、卑弥弓呼などすべてが古事記には登場しません。
倭は幾つも登場します。意図的に記述しなかったのです。
日本神話 国生みでも 九州は
筑紫島(つくしのしま)胴体が1つで、顔が4つある。顔のそれぞれの名は以下の通り。
  白日別(しらひわけ):筑紫国
 豊日別(とよひわけ):豊国
 建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよじひねわけ):肥国
 建日別(たけひわけ):熊曽国
氏姓制度、九州には、筑紫氏 と氏名が与えられた筑紫氏の国になっています。
対馬、壱岐も含めて、九州は4世紀の実際の地名で物語がはじまります。
つまり、魏志倭人伝の邪馬台国も奴国も登場できない時代からのスタートなのです。
本州については、大倭豊秋津島 と倭の文字を使いますが、他諸国の名前は出ていません。
その後に、出雲国など国々が出来ていきます。
当たり前ですが、本州の中心、近畿の国造り歴史書なのです。
ましてや、倭王が中国の国に朝貢し、大国から倭王の承認印をもらう等、あってはならない事です。

日本神話の流れは神々が住む 高天原、死者が住む 根の国、その間にある 葦原中国 に分けられています。
葦原中国は、草が茂る高天原と根の国にある国で地上の事になります。
天孫降臨で、アマテラスの孫である瓊々杵尊(ににぎ)が葦原中国平定を受けて日向に降臨します。
日向は、建日向日豊久士比泥別:肥国で、九州の宮崎に間違いありません。
神武東征は、初代天皇カムヤマトイワレビコ(神武天皇)が日向を発ち、大和を征服して橿原宮で即位するまでの説話
東征の道のりも、きちんと九州から瀬戸内海を渡り、紀伊半島から奈良へ進んでいる事がわかります。
天皇家には、ご先祖様が九州から移住した言い伝えがあったのでしょうか?
もし、神武東征が、300年代前半で、氏姓制度が300年代中頃であったなら
言い伝えではなく、ほぼ事実ではないでしょうか。
もし、古くから近畿に住んでいた一族が力をつけて九州の邪馬台国連合を打ち破ったのであれば、
この様な神話は残さないはずです。
氏姓制度の時代には、地方の豪族の名前も把握しており地図みたいなものが出来ています。
天皇家の周囲で働く役職も決めており、文字を書くために渡来人も採用しています。
この時代の出来事は、後の聖徳太子の時代まで、きちんと伝わったでしょう。

古事記の後に書かれた日本書紀の神功皇后のところで
・・・・『魏志』によると、景初3年6月、倭の女王は使いを帯方郡に送り、魏への朝貢を申しでて、洛陽に至ったという・・・・
と卑弥呼を思わせる分註を差し込んでいますが、年代的にも合わないです。
太陽神 天照大神=祈祷師 卑弥呼 高天原の神々が宮殿 邪馬台国の人と考えています。
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