古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

各地の遺跡を歴史ごとに(弥生時代末期、終末期)

2017-05-28 17:19:02 | 歴史
各地の遺跡を歴史ごとに(弥生時代中期)の続きです。
魏志倭人伝に紹介される倭国大乱から邪馬台国の時代、卑弥呼の死までです。その後を古墳時代と呼びます。
倭国大乱は、著者陳寿が後漢書の記載を参考にしたと思われますが
大国奴国の支配に周囲の国々(多分、伊都国)との争いではないかと思います。
原因はやはり、鉄器などの武器の普及ではないでしょうか。
奴国の丘 須玖岡本遺跡(福岡県春日市) には、その歴史が見て取れます。
更に気になるのが王の墓、大きな石で甕棺へ蓋をしています。遺体と共に埋葬されているのが
剣、鏡、玉 の後の天皇家の三種の神器と同じです。
吉武高木遺跡(福岡市)の様に、伊都国 或いは 奴国に滅ぼされた国もあります。
ここでも、既に剣、鏡、玉が埋葬されています。
鏡は大陸から伝わった三角縁神獣鏡ではなく、裏面に紐を通す穴が開いた突起のある朝鮮半島の物の様です。
さらに、鏡だけが割られた状態で埋葬されるケースも多い事が不思議です。
縄文時代からあった勾玉を埋葬し、朝鮮半島から伝わった鏡を割って埋葬する事がご先祖様信仰に意味がったかもしれません。

邪馬台国、卑弥呼は、魏の国へ朝貢していますし、親魏倭王の金印を贈られて事も記録になったでしょうから事実でしょう。
当時の国を復元しているのが
九州では、平原遺跡 と 吉野ケ里遺跡です。
ここでも吉野ケ里の環濠の入り口にある鳥居があります。神社の始まりの基でしょう。

時代は、卑弥呼の死をもって弥生時代が終わり、古墳時代に突入します。
それだけ卑弥呼は大きな影響力があり、卑弥呼の死で何かが解放されたのでしょう。
既に、出雲や近畿など力のある豪族は古墳を作っています。

第305回 「平塚川添遺跡と邪馬台国」の最後の方に
弥生時代の遺跡の推定分布の地図と邪馬台国時代の遺物の出土状況があります。
伊都国、奴国、不弥国の博多湾の国よりも佐賀の有明海から久留米までの地域に大きな国があります。
これが邪馬台国でしょう。
それ以外にも、北九州から直方までと周防灘側に国がありました。
有明海でも南側(熊本)に大きな国があります。これが卑弥呼のライバル 狗奴国ではないでしょうか。
国と国の境目は背振山の様な大きな山脈に変わります。
例外ですが、有明海の邪馬台国と熊本の狗奴国は山が無く川で国境です。争いが起きやすかった地形でもあります。
北九州市小倉区の城野遺跡も同じ時代でしょう。

卑弥呼が夢見た九州を統一して倭国にする夢は邪馬台国との対立で夢破れます。
古墳時代は、逆に豪族の独立で多国の存在を認める形で時代が流れます。
魏志倭人伝にも卑弥呼の死後、大きな墓を作った事が書かれています。
もし、この墓が前方後円墳の古墳であれば邪馬台国も一豪族国家として古墳時代の流れに沿っていった事になります。
卑弥呼の墓は、卑弥呼の意思ではなく、このされた国の都合だったかもしれませんね。
古墳時代は、九州の銅矛文化圏と中国、近畿の銅鐸文化圏に分けられるようです。
しかし、銅鐸は、吉野ケ里や博多湾の奴国エリアでも発見されています。
古墳の矛を埋葬する九州は争い事が多かったのでしょうか、銅鐸文化圏は、工業国として成長したのかもしれません。
歴史の主導権は、九州から近畿へ移ります。
時は流れて、大和朝廷、聖徳太子の時代には、仏教が伝わり、新仏集合の時代、平安時代には逆に、新仏分離で神社が出来で
古事記・日本書紀が作られます。
数百年の年月が過ぎた時代に、弥生時代の鏡・勾玉・剣が天皇家の三種の神器になり、鳥居が入り口で、内部に祈祷を行う神殿で巫女が
神技を行うのです。
日本で天皇家主導の元、ルネサンス(文芸復興)が起きたのです。
日本神話の神武東征の話など、弥生時代の九州と平安時代の天皇家はやはり関係があるのですね。


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