そんなこんなでオープンした「食いだおれ」、2期の県会議員の任期も満了して商売に帆走し始めた。
1日通行量30万人の道頓堀。
これまた欧米人はどんなもん食う取るのかと、昭和36年ヨーロッパに視察旅行に出かける。
3000ドル。当時の大卒給料が月給で16000円、そば一杯が40円。
旅行代金は今のお金で100万円。
山田六郎氏の朝は早い。
何時の模様に卸売市場を毎日見ていると、かぼちゃのような肉を見つけた。
なんだっしゃろかとガイド氏に聞くと
「あれはブロイラーと言う、鶏肉です」と応えた。
日本で鶏肉というのは、玉子を産まなくなった老鶏のことで、肉は硬く旨くないもの・・・・そう柏の木の皮をかむような物。
で、鶏の肉のことを「かしわ」というた。
しかしこのブロイラーという肉、やわらかく旨い。
よっしゃこれをわしは日本でやろう。
山田六郎氏、ブロイラーの研究に入り、設備の視察にも行き、ココに誕生しました。
「くいだおれブロイラー株式会社」昭和39年のことであった。
生産は順調、我が世の春よの頂点の時、需要がついてこず、生産過剰による相場の暴落。
最新設備による日本初のブロイラー会社・・・・やむなく昭和42年くいだおれブロイラー株式会社売却。
破天荒の山田六郎氏、その後の昭和45年、大阪万博に「くいだおれ食堂」を8つ、「くいだおれ万博荘」を出店。
1日平均30万人の来場者、期間来場者数6000万人。
またもや山田六郎氏大当たり・・・・・しかし・・・・
沖縄からの修学旅行学生が「くいだおれ万博荘」に泊まっていたその日、
窓の外には万博の会場が見え、そこに雪が降ってきた。
雪を見たことのない沖縄の学生
いっせいに窓辺に取り付いた。
くいだおれ万博荘の窓はぬけてしまった。
これを大手の大新聞が1面トップで、悪徳業者と書きたて「くいだおれ万博荘」は閉めることになった。
3億円の大損になった。
これとは別に食堂のほうでは奇跡が起こった。
この年の夏、猛暑で食堂各店で1杯100円で売り出した「カキ氷」が1日1万3000杯売り上げ、そんの金額には焼け石に水ではあるが、何とか気分も和んだ。
山田六郎氏65歳の時であった。