昭和22年、山田六郎氏42歳。
この年山田六郎氏「兵庫県議会 県会議員」になる。
婦人服も戦争でどもならん時、山田六郎氏は県議会委員になっていた。
心斎橋では商売を始める家が増え
道頓堀にもボツボツ家が建ちだした。
しかし山田六郎氏の土地だけは相変わらずほったらかしだった。
ある日巡査がやってきて
「何でもいいから商売してくれはりませんか?」
山田六郎氏の土地はうっそうと草が生え
すりやら泥棒の格好の逃げ場になっていたから・・・
ほったらかしにしていたのは、忙しいだけやなく
建物が15坪しか建ててはいけないという制度があったから。
100坪に15坪の建物ではどもならん
商務省に相談したら
「15坪の家を、4つ5つくっつけて建てればよろしい」
これで規則に背反しないと言う
で、何の商売されますか?
「食いもんやでんね」
古今東西の書物を読み漁り
「食いだおれ」に決めるも、賛成してくれる者がいなかった
倒産しそうやな
食中毒みたいや
でも嫁さんはこういった
何百年の間、くいだおれの名前は誰も付けませんでした
この屋号はわたしたちの為にとってあったようなものやおまへんか
「大阪名物 くいだおれ」がここにはじまった。
この年山田六郎氏「兵庫県議会 県会議員」になる。
婦人服も戦争でどもならん時、山田六郎氏は県議会委員になっていた。
心斎橋では商売を始める家が増え
道頓堀にもボツボツ家が建ちだした。
しかし山田六郎氏の土地だけは相変わらずほったらかしだった。
ある日巡査がやってきて
「何でもいいから商売してくれはりませんか?」
山田六郎氏の土地はうっそうと草が生え
すりやら泥棒の格好の逃げ場になっていたから・・・
ほったらかしにしていたのは、忙しいだけやなく
建物が15坪しか建ててはいけないという制度があったから。
100坪に15坪の建物ではどもならん
商務省に相談したら
「15坪の家を、4つ5つくっつけて建てればよろしい」
これで規則に背反しないと言う
で、何の商売されますか?
「食いもんやでんね」
古今東西の書物を読み漁り
「食いだおれ」に決めるも、賛成してくれる者がいなかった
倒産しそうやな
食中毒みたいや
でも嫁さんはこういった
何百年の間、くいだおれの名前は誰も付けませんでした
この屋号はわたしたちの為にとってあったようなものやおまへんか
「大阪名物 くいだおれ」がここにはじまった。