異次元いいちこ日記

いいちこ片手に今日もいくつもの扉をあけます。
トワイライトゾーン(llllll゜Д゜)ヒィィィィ

山田 六郎伝

2008-01-08 15:24:12 | Weblog
尊敬してやまない 山田 六郎氏。
この名前だけで誰か解る人は居ないだろうと思います。
ボクも知らなかったから・・・・



昔は五座(ござ)というてな。
道頓堀は芝居の本場やったンや。
後年の、山田六郎氏の口癖だった。

なにわ座、べんてん座、なか座、角座、あさひ座とな、
おおきな小屋がいつつ、あったのや。
それがめいめいに高いやぐらをたててな、
太鼓たたいて客寄せを競うとったのや。

道頓堀はながいことな、
にっぽん一の芝居町やったんやで。




道頓というお人がつくったから、
道頓堀という。
江戸時代がはじまった年だった。
大阪冬の陣、あけて元和元年。
お城の堀が埋められたところに、
道頓堀が完成した。

船場の町ができたのは秀吉の仕業だった。
お城のまわりの町屋をつぶして、
河の中のよし島に引越しさせた。
堺の商人も、伏見の商人も
みんなこのよし島によんで町をつくらせた。

よし島は舟場といった。
お城の向かいの舟だまりだった。

町ができると、舟場は船場になり、
船場の南の水路が道頓堀になった。

道頓堀繁栄策というてな、
芝居小屋が船場から道頓堀に移されたんや。

なんでやいうたらな、そのころはな、
道頓堀の南側にあったんは
墓場と刑場や。
田んぼにもならん、畑にもならん、
墓場にしかならんような所が
道頓堀のこっち側の土地やったンや。

芝居小屋が道頓堀に移されて
天下泰平になると
大衆は娯楽を求めた。

道頓堀は昼となく夜となく
歌舞音曲の音がたえることがなくなった。

人がようけあつまるとな、
つぎは食いもん商売や。
夜店の屋台のようなもんからはじまるのんや。
道頓堀は食いもんの町になったんや。

朝田さんが土地を買わんかと言うた時
戦争あとの焼け野原
人の背の高さほどの草が一面に生えて
その中から追いはぎがでていた

戎橋の上からはお城の天守閣が見えてた。
昼日中でも歩くのが恐ろしい所やった。

どこかというと、
浪花座と中座の間
表から裏通りまで抜けた土地
間口3間半、奥行き30間
しめて111坪。

山田六郎氏父親に相談します。
父曰く
道頓堀ならうどん屋でもやっていける
山田六郎氏買いました。

そうそれが
「くいだおれ」です。

山田六郎氏は食いだおれを創業しはった人なんです。
山田六郎氏の波乱万丈の半生をこれから皆さんと見ていこうと思います。


大好きで、尊敬してやまない山田六郎氏を紹介できることに喜びを抑えることが出来ません。

まずはプロローグでした。