迷悟在己

痴呆寸前が巷間を漂いながら日々の雑感を書きます

稀代の名機YAMAHA NSー1000

2018-09-30 04:16:19 | 日記
私のオーディオ歴は結構長い。ただ長いだけなのだが(笑 それなりのこだわりもある。

最初に買ったのは日本ビクターのポータブルプレイヤーで、5000円ほどしただろうか。中学生時代、新聞配達を3ヶ月がんばって、近所の電気屋で買った。それまでは自宅にあったラジオで聴いていた。みかん箱の二倍もある大きなラジオで、外枠は木製。頂部にはプレイヤ-がついていて、立派な蓋がついていた。昭和40年ころの話だから、当時としてもいささか古くさいラジオだが、購入した当時は相当高価なものだったろう。プレイヤーの針は金属製で、ネジで止める式。鉄針だから、レコード店で売っている盤はかけられない。それでポータブルプレイヤーが欲しかった。このラジオをあれこれいじって壊してしまって叱られた。

二台目は昭和42年、水沢市内の電気屋で買ったパイオニアのレシーバ。機種名は忘れたが、モノラルだった。当時のステレオはセパレートタイプが流行だった。これで夜な夜な勉強もせずFMなど聴いていた。すでに城達也 の”ジェットストリーム”は放送されていて、これはいかにもセンスのよい番組だった。

社会人になってからは、トリオ(ケンウッド)でコンポを揃えた。オーディオについてはいろいろ本を読んだりして私が得た結論は五味康介の話に行き着いた。つまり、「どんなによい機器を揃えたところで、娘の弾くべーゼン・ドルファーには適わない」という彼の意見に賛同したのだが、これは少し飛躍した妄言と言わねばならない。五味は千万単位でオーディオに財産をつぎ込んだ末の結論なのであって、たかだか10年ほどの駆け出し趣味の域を出ない貧乏人の私と比較にならない。ただ、それほどの金額を投じても結局生の音には敵わないという彼の悟りは大いに参考にはなる。ほどほどで止めておきなさいという助言である。私は結局ほどほどという域に達する前にオーディオに凝るのは止めてしまった。

スピーカーの話だが、昭和45年、桜山の楽器店で聴いたジムランシングが出すパーカッションの音にド肝を抜かれた。実にダイナミックで甲高い音。以来あの音が私の耳を離れない。話は飛ぶが、社会人になってから、当時の友人がヤマハのスピーカーをしきりに自慢するものだから、それならということで、休日、勤務先の広い事務所にお互いのコンポを持ち込んで大音量で鳴らしてみたことがある。驚いたのはヤマハのNSー1000の力量。どれだけ音量を上げても破綻しない。凄い!まるで演奏会の会場にいるようだった。プリメインもヤマハで、カートリッジはオルトフォンだったと記憶してる。いやあヤマハの技術は凄いと思った。8畳や10畳の日本的リスニングルームで聞いていてはあまり差を感じないが、広い部屋では力量の差は歴然としてくる。NS-1000は稀代の名機と言って過言でない。

山羽はオートバイでも世界一、ピアノも一流、レジャーボート、トヨペットの2000GTだって、あれはヤマハ製なのだ。世界に冠たる技術集団である。

飛び出し注意の看板

2018-09-29 04:25:06 | 日記


いつも書こうとして何年も出来なかった記事。

少し前になるが、この看板を製作した老人の特集番組を見た。どこでどなたが作っておられるのか興味があったので、ああこの人が と、少々感慨深いものがあった。無粋な話で恐縮だが、この看板一枚どれくらいの制作費なのかと思っていた。TVではは当時7000円という話であった。う~ん この看板が一枚7000円か。ベニヤ板をくり抜いて色を塗っただけの看板だから、すこし儲けすぎではと思うが、児童の安全に拘る問題は金銭に換えられないだろうね。

そもそもこの看板が出始めたのは昭和59年ころではなかったと記憶している。当時はひと月に一回彦根や八日市に出張に行っていたので、看板が出現した年は大体あっていると思う。場所は今の東近江市で、当時は多賀町や百済寺などのあたりではなかったか。文字で注意書きをしたものはあちこちにあるが、人形で注意を促すのは初めて目にした。これは良いなあと思った。文字はいちいち読まなくてはならないし、第一センスがない。看板を立てたところで停車して読まなければ意味がないし、注意を促すというよりは、取締りの目的のような気もする。子供の絵の看板は一目瞭然で、しかもよく目立ち、集落の大人たちの子供に対する思いということも伝わる。ドライバーも、これを目にすれば実際子供が出てくるような気がして注意するだろう。文字の看板と子供の可愛い絵の違いは、公衆便所で「きれいに使って下さい」というのと「いつもきれいに使って下さってありがとうございます」ほどの違いがある。

当初は限られた地域で見られた看板も、彦根や長浜、湖北地方や、あるいは湖東、湖南と、増えていった。目にした人たちが、これは良いアイデアだと思ったから広がったのだ。これは近江の国の人たちの民度である。

さて こういう良いことは他の地域にも時を経ずして伝わるだろうと思っていたが、一年経っても二年経っても、五年経っても県境の岐阜や、三重、愛知には伝わらなかった。三県のうちでこの看板を取り入れるのが早かったのは三重県だけである。それもおそらく10年以上を経ている。良いことがなかなか伝わらない岐阜や愛知、これが民度である。いにしえの文書にも、悪いことは真似をする気質と、尾張の人間気質が書かれているが、実にその通りだ。岐阜にいたっては尾張のそれ以下だ。



看板は新しいデザインのものが増えて、北勢地方には本当に可愛らしい子供の絵が増えている。高島には忍者に扮した子供の絵や、北勢町には他に老人の絵もある。こうしたたて看板を見れば、注意しながら走ろうという気にもなろうというものだ。

心霊スポット庭田山

2018-09-28 16:10:51 | 旅行


岐阜県の海津署を過ぎて、国道258号線、通称りゃんう-ぱーを横切り、養老山地を通って関が原に至る道を、薩摩かいこうず腺といって、おそらく木曽三川分流工事で犠牲者を出した薩摩の人たちを顕彰する意味で名付けたものと思う。かいこうずというれっきとした花があり、この路線に植えられているのだが、どういう花かと尋ねられてもはきり記憶していない。昭和61年ころにはすでに立派で快適な広域農道として存在していたが、これが養老公園の手前で途切れており、途中で狭い道を養老駅の方へ回っていかなければならないので、当然大型車は通行できなかったし、そういうことから、この道を走る者は地元の人か、あるいは土地勘のある人に限られていた。私は彦根へ出張のおりにはこの道を利用していたが、行きかう車もまばらで、実に快適な道路だった。それからこの道路は養老公園口まで開通し、その後大型車の引きもきらない煩雑な道路となった。藤原から上石津へ通じる道路と同じ経緯である。



TVのコマーシャルでもお馴染みの円満時霊園を過ぎた次の信号を左折すると、急峻な山道を通って北勢町に至る。25号腺というのだが、これを二之瀬越えという。私はこの道を知らなかったが、友人から教えて貰った。途中普通車でもすれ違うことの出来ぬ箇所が何箇所もある険しい山道だ。これを大型ダンプが上り下りするのには驚くが、当のダンプの運転手は馴れたもので、どこですれ違うのがよいかというのを熟知していて、むしろ興味本位で立ち入って来る下手糞なドライバーがいると、にっちもさっちも行かなくなって、渋滞と相成る。峠には庭田山(にわだという)山頂公園があって、ここには桜、紅葉があり、なかなか良いところだ。いなべ農業園のレストラン”フラール”に行くときなどはこの道を通ったりするし、庭田山へ写真の撮影にも結構利用する。



さらにこの道はサイクリングに格好の場所というので、バイカーのメッカである。稲沢や、東海大橋あたりで格好を決めた自転車を見れば、たいてい庭田山へ行く人である。あの急峻を、一度も降りることなく、頂上まで行くというのだからあきれてしまうが、これは本当である。これが夜になると暴走族のメッカとなる。あの道をドリフトさせながら登って行くのだから、命知らずの若者たちだ。実は頂上から眺める濃尾平野は眺望が素晴らしく、アベックのメッカともなっているのである。そういうわけで週末の山道は暴走車やアベックの車で結構混雑するらしいが、それで谷底へまっしぐらに突っ込む車もいるのである。ここは非常に険しい山道なので、谷に落ちてしまうとクレーン車も立ち入ることが出来ず、車を引き上げることも困難だという。遺体も勿論そのままというのが結構あるという。そのようなわけで、ここを走ってると目の前に急にウサギが飛び出してハンドルを切り損なう(庭田山にはウサギはいない)とか、不思議な話が結構あって、自然”心霊スポット”なる名称がつけられる結果となるが、今のところ私はウサギに出会ったことはない。


追坂峠の朝食セット

2018-09-28 01:24:05 | グルメ
以前にも記事を書いた追坂峠の道の駅。

”おいさか”ではなくって、”おっさか”というらしい。春はここの建物の軒にツバメが巣を作って、子ツバメの可愛い合唱を見ることが出来る。坂を下って海の道を左折すれば、海津大崎の桜並木。道の駅の少し手前を右折すればマキノスキー場、メタセコイア並木に至る。坂の途中には樹齢300年というアズマヒガン桜がある。桜守が手塩にかけた桜に比べれば質素で控えめな立ち姿で、満開の時でも見物客は少ない。このたいそう長い坂は、加賀の前田候が上洛の際通った往還で、その美しさになんども振り返ったというところから”見返りの桜”とも言うらしい。百万石の大名行列はさぞかし華麗で荘厳なものであったろうと想像する。坂を下ってしまえば、あとは海の道沿いは平坦で容易な道で、都まではすぐである。私は冬景色を撮るために行くので、雪の日が多い。どうしてもここのコーヒーとキャベツが食べたくて、長浜あたりにいても、無理をして朝食を食べに行くのだが、残念ながら定休日ということが一度や二度ではない。道の駅だから、無休で営業してほしい。

さてこの朝食セット、11時まで。値段は500円也。コーヒーとトーストは勿論、私が気に入ってるのはキャベツ。ずいぶんな量だが、美味いのでいつも完食です。キャベツほど土壌の水の味を反映するものはない。私のところのものは水が悪いので、ちっとも美味しくない。どうしても土地の持つ臭みなどが濃密に出てしまう。スーパーで売ってるものでも美味いものに当たったためしがない。このおっ坂峠のキャベツはみずみずしくて、しかも水分の臭みもまったくなくて、あんな美味しいキャベツは食べたことがない。それで、家に持って帰って食べたいので、分けてくれと言っても、それは出来ないという。何度聞いても同じ答。ケチです。
湖北で美味いものと言ったらここのキャベツくらいで、もともと滋賀には美味いものがないので貴重ではないかと思う。

ブライス人形

2018-09-27 17:06:38 | 日記
どうしたわけか、突然ブライス人形が好きになった。大スキになった。

ロリコンではない私が なんでかわからない。どう表現してよいかわからん。それで一人欲しいと思ったのだが、2万円もするのであきらめた。大体眺めて悦に入ってれば良いので、画像で十分だし、良い歳をしたじじいがブライス人形に頬ずりをしてる図はどう考えてもゾっとする話ではある。それで、ひそかに画像を集めて楽しんでいるのでやす。