弧考のハイパー哲学

史上最大の哲学  

労働のインセンティブ

2012-07-15 10:28:49 | 日記
 人間個人の思考や行動はインセンテイブを得ることを目的としていると仮定すれば,自分以外の個人との間で行われていることを、さまざまなインセンティブの交換に還元して考えることが可能になります。
 それを前提とすれば、その交換のうち、貨幣を介したインセンティブの交換が貨幣経済だとなります。
 そこから、個人にとっての貨幣の価値は、その貨幣を使うことで、得られるインセンティブ量の期待値となります。
 また、個人にとっての労働のインセンティブは、 (労働によって獲得した金銭を使用した場合に得られるインセンテイブ期待値(金銭が無いため家族等に依存しなければならない等の苦痛・不快の解消も含まれる) + 労働によって獲得できる金銭以外のインセンティブ期待値 - その労働を回避した場合に回避できる苦痛・不快等の期待値) というように考えることができます。
 ニートとして扱われている人々の側から考えた場合、その労働を回避した場合に回避できる苦痛・不快の期待値(苦痛・不快には仕事を探す就活に伴うものも含まれる)
を上回るインセンティブが期待できる仕事が現時点では、見つけられないからニートでいるということになります。
 端的にいうと、ニートが増加していく社会とは、社会が現時点でニートから得ることを期待しているインセンティブ(労働してもらいたい)とニートが得ることを期待しているインセンティブ(が得られる労働)のミスマッチが増加しつつある社会だとなります。
 同様に、経済の停滞・不況・恐慌もインセンティブのミスマッチの増加と考えれば解りやすくなります。
 生活に密接に関わるインセンティブ(衣食住・医療等)をないがしろにして、それ以外の最終的には、娯楽に関わるインセンテイブの増大を経済成長としている経済は、その状態を維持できるバランスを欠いています。
 そのパターンは、ギリシャ神話に出てくる、触れるもの全てを黄金にと願って破滅した王のパターンであり、戦争のインセンティブ優先のパターン(不足すると非常な苦痛が発生する、生活に必要なことがらより、敵対者により与えられた苦痛の解消・軽減を期待して敵対者への攻撃を最優先する)で、生活苦の増加が続けば必ず破綻するパターンと同じ経過をたどると考えます。
 この瞬間のインセンティブだけを優先して情報処理することしかできない者よりは、より広い領域の先々の変化についても予測して、予測した領域で得られるインセンテイブについての情報処理ができる者の方が優れていると考えています。
 以降は後日

















科学的価値観について

2012-07-01 09:31:05 | 日記
 ある時点において、ある物・者・もの・ことがら を手に入れた場合に期待できる、さまざまなインセンティブ(獲得すれば苦痛・不快 の解消・軽減・回避 並びに 喜び・快・満足等 を得ることができるもの) はどれだけの種類が有るか?  それぞれのインセンティブの関係(従属的か相反するか等) はどうか?  それぞれのインセンティブの量はどれだけか? について (人間個人内にある)  情報処理ソフトウェアが働いたとします。そのような処理を価値観による処理だと仮定します。したがって、価値観もまた  その時点までに形成された個人内の情報処理ソフトウェアの一部だと考えることができます。 同じものでも、人によってその価値が違うのは、そういうことです。  また同一人でも、時間がたって、そのソフトウェアが変化したときは違ってあたりまえとなります。
 病気の苦痛や衣食住の不足不備による苦痛が有るときは、その解消・軽減に役立つと期待できるものの価値が圧倒的であり、娯楽が期待できるものの価値はそれと比較して、無きに等しくなるのは当然といったようなことです。
 また、将来おとずれる大きな苦痛を予測できる個人にとっては、その軽減・回避に役立つと期待できるものの価値が大きくなり、現在の瞬間的な娯楽に関係したものの価値は小さくなります。
 価値については、以上のことが基本になると考えます。
 したがって、衣食住・医療等のインセンティブが次第に減少している国民が、 増加しているということがあるにもかかわらず、それ以外のインセンティブ(生存していくための切実度が低く、極端な言い方をするなら娯楽性の大きいもの) の維持を優先できる者たちが支配している現在の経済活動は、必ず破綻すると私は予測します。
 今現在の瞬間的インセンティブを最優先するソフトウェアしか持っていない者と、将来の変化についても予測して長い期間におけるインセンティブを最大にする そのためには、今現在のインセンティブについてはそれを抑制できるソフトウェアを持つ者に分ければ、期間の終わりには、後者がより多くのインセンティブを得ていると私は考えています。
 一国について考えたとき、国民全体の衣食住・医療のレベルを現状維持するために必要不可欠な物・者・もの  のコストが増加(それらについての労働生産性が国民全体としては低下)していくとしか予測できないとき、それらと比較して、切実性の低い それら以外の物・者・もの  の価値を維持し増大させようとするような経済活動は必ず破綻すると私は考えています。
 今現在のこの国の状態を単なるデフレと考えるより、さまざまな物・者・もの  の相対的価値が変動していく過渡期と考えて、これからの変化を予測しなければならないと考えています。経済がグローバル化している現在、世界経済についても同様です。
 生活レベルが現状より低下(インセンティブ減少)する人々が増加しても、より多くの資源(労働資源も含む) を使用して生産された者・もの をより多く所持することをインセンティブとする者が必死になっている gdp成長経済パラダイムはこれから変化していくと私は考えています。
 金融危機・債務危機についても、身も蓋もない、言い方をするなら金貸しは貸金をできるだけ多く回収しようとし、借り手はできるだけ返済をのがれようとする 両者の争いに帰着します。成長パラダイムが信用されなくなったときには、借り手は自己破産しかなくなり、貸し手も回収できずに連鎖倒産が起きて、経済恐慌か、長い退潮が起きると考えます。