弧考のハイパー哲学

史上最大の哲学  

自分とは なんなのかについて

2022-02-23 14:37:12 | 日記
 自分が、なんなのか、誰もわからないなどと言っている者は、存在しているとはどういうことか、考えるとはどういうことか、なぜ自分が考えることができるのか について 仮定・推定・予測・選択 する能力を持っていないから だと 自分には能力が無いとはっきり認識しなければ、そこまででの者で終わる。
 最初に、全ての存在は物理学的変化の 重ね合わせ・組み合わせ だと仮定してみると 今までの哲学が問題としてきた 矛盾・パラドックスは 全て解消される。
 なぜなら、既存の哲学は、無限に有る物理学的変化の組み合わせの極々一部についての哲学でしかない だから、それぞれが依存している言語で表される領域外について、なにか語ろうとすると、矛盾する。
 物理学的変化は伝播し、連鎖し、フィードバックし、ある変化は循環する変化となる。循環する変化は、無限に生成されるが、ほとんどは、すぐに淘汰される。ほんのわずか淘汰されなかった存在は蓄積される。 ( 消去法的自然淘汰 )
 そういうわけで、心とか精神とか思考とか言われているものも、全て物理学的変化、で説明できる。ただし、ある程度の物理学の知識が無い者には全く理解できないかもしれない。
 人間が考えて選択するというのは、考え始める時点までに形成された、仮定・推定・予測・選択 能力で、 快・満足・苦痛不快の回避・苦痛不快の軽減等が、期待できる行動を選択するということだ。
 従って、身体的に特段の苦痛不快がない時には、その者に形成されている能力の範囲で他人と比較して優位に向かうことが期待できる選択をする
 以上です。