田中秀臣の「ノーガード経済論戦」

田中秀臣の「ノーガード経済論戦」

教訓を活かせないのはなぜか?

2005-12-29 | Weblog
 先ごろ、次期FRB議長に指名されたベン・バーナンキは日本の長期停滞の教訓から株価や為替レートの動向を金融政策を運営する上での指標にすべきではないとことある機会で発言している。現在のアメリカ経済ではは石油価格の高騰によるインフレ、そして「住宅バブル」が主要な経済問題にあげられている。これらの問題についてバーナンキと共同作業も多いアダム・ポーゼン(米国際経済研究所上級研究員)は、バーナンキが従来から金融政策の舵取りでは一般物価水準の安定を基にすべきであり、資産価格(株価、不動産価格、為替レートなど)の動向をもとに金融政策の方向を決めるべきではない、と考えていると指摘している。ポーゼンはこのようなバーナンキの基本的な姿勢はFRB議長就任後も当然に堅持されるだろうし、目前のリスクが石油価格の高騰によるインフレであればそれを抑制することに勢力を集中するであろうと予測している。そしてこのような物価水準に関心を払うことに集中して、消費や投資活動に影響しないかぎり資産価格の動向に金融政策を左右させないというスタンスは、実は継承を約束したグリーンスパン前議長の政策観とまったく同じである、ともポーゼンは指摘している。

 「実はバーナンキ氏も(グリーンスパン氏と)同じ考えだ。八〇年代に資産バブルへの対処で道を誤った日本の金融政策を反面教師として肝に銘じていると語ってくれたことがある。したがって、住宅価格上昇が今後のFRBの基本政策に根本的な影響を与えるとはまず考えにくそうだ」(「過小評価されるFRB次期議長 政策透明性は間違いなく増す」「週刊ダイヤモンド」2005年11月12日号)。

 またグリーンスパンもバーナンキもまた「バブル」は「バブル」が崩壊してみないとそれが本当にバブルであったかどうか判別することは非常に困難だとも述べている。そしてこのバブルの判定が難しいこと以上に深刻な問題は、株価などの資産価格「バブル」を潰すために行われた金融政策の積極的運営が、その後の経済を非常に困難に直面させてしまっている、という歴史的な証拠があまりに豊富なことである。そして(そのような積極的な金融政策の運営の有無にかかわらず)仮に「バブル」が崩壊したときには予防的なデフレ回避策が重要であったことも日本の失敗の教訓や、またアメリカのITバブル崩壊後の経験から得ることができる。このようなグリーンスパンやバーナンキらの金融政策運営の智恵は積極的に活用しなくてはいけないだろう(詳細は近刊予定の田中秀臣『ベン・バーナンキ 世界経済の新皇帝』(講談社、2006年)を参照いただきたい)。

 しかしいま経済論壇でヒートしているのは株価「バブル」への懸念とそれを予防するために日本銀行の金融政策レジーム転換への期待である。いわゆるエコノミストの中前忠・斎藤明子「経済教室 消費主導へ構造転換 金利と日本経済 上」『日本経済新聞』12月26日、菅野雅明・加藤出「経済教室 金利の正常化を急げ 金利と日本経済 下」『日本経済新聞』12月28日 などはその典型的な意見を表明している。菅野・加藤論説では、現行の金融政策がマイナスの実質金利を実現しているのでそれが「劇薬」として資産価格の高騰を招くと書いている(もっとも両氏は「バブル」とはせずにバブル手前?のユ―フォリア(陶酔)」状況であると評している)。また中前・斎藤論説は独自の新解釈であるゼロ金利が家計から企業への所得移転を生むという議論の延長として、過剰流動性が不動産投機の形で資産インフレを招くと警鐘を発している。両者の論説は切り口は違うが、株・不動産の資産インフレやバブル一歩手前の状況を改善するために日本銀行に金融政策の転換を促している点ではまったく同じである。簡単にいうとデフレやインフレといった物価水準への配慮よりも資産価格の動向を重視した金融政策の転換を金利水準の上昇を中心とした政策で達成しようというのがその趣旨であろう。

 これらの政策提言はバブルが事前に判定することが困難であることに加え、さらに目標インフレ率やGDPギャップといった通常の政策目標に比較してこれらの資産価格の“最適”水準がどこにあるのか理論的にも経験的にも不明であろう。例えば中前・斎藤論説は「預金金利が3%になれば、家計の一兆円の純金融資産は30兆円の利子所得を生み出す。20%の源泉税、6兆円(税収増)を払った後でも24兆円残る。これは帰属家賃を除いた個人消費240兆円のちょうど10%に相当する」として、3%の利上げを主張しているようである。しかしバーナンキらが指摘しているように家計の消費動向をみる際に名目利子率に注目するのは正当化されない。デフレとデフレ予想が継続している状況での名目金利引き上げは、むしろ実質利子率を上昇させることで消費を抑制させてしまうだろう。彼らの机上の計算では純金融資産の増加が単純に消費支出増に向かっているがそんな保証はどこにもない。また経済全体でみて彼らの主張は資産価格や不動産価格の低下に主眼があるのであるからこの側面から家計の純金融資産は減少するだろう。なぜなら中前・斎藤論説とは異なり家計は企業の株や社債や土地を保有している主体だからだ。

 実はこのような資産価格の現状の動向を「バブル」あるいはそれに近似した状況として認識した上で、金融政策の運営を見直せ(=事実上の金融引き締めスタンス)という主張はエコノミストばかりではなく、政治家、財界人、そして立花隆氏のようなジャーナリストなどにも顕著に見られるようになってきた(http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/051226_kouboh/)。

 しかしバブル崩壊とその後の長期停滞はまさにバブル潰しという資産価格をターゲットにした金融政策の失敗に基づくものではなかったのか? そしてこの15年にわたる大停滞というのはデフレとデフレ期待の定着による消費や投資の伸び悩み、それによる失業や倒産の累増ではなかったのか? なぜ停滞の真因に目を背け、「バブル」懸念論者は目前の資産価格の動向ばかりに目をむけてしまうのだろうか? ひょっとしたらそれは単に理論的心情だけではなく、資産保有のアンバランスを異常に気にするアンバランスな価値観や、または特定のポジショントークがからんでいるのかもしれない。それは今後、興味深い経済思想上のテーマを提供するだろう。