新自由主義は1970年代末頃から、もっぱら米国や英国を中心として台頭した。
日本でも1990年代以降、著しく影響力を強めた。現在もなお、経済政策担当者、経済学者、経済界の間では主流の地位を占めている。<例>いま経済財政諮問会議や産業競争力会議などにおいて行われている議論の多くは、この新自由主義によって彩られている。
新自由主義によれば、自由な資本市場は資源の最適配分を実現する均衡点へと向かう原理を持つ。その結果生じた格差は、資源の最適配分の結果なのであって、何ら問題視するようなことではない。むしろ、その格差を是正しようとすることは、経済活動の自由を制限し、市場原理を歪め、資源の効率的配分を妨げることになるので望ましくない。
エマニュエル・トッド(仏、家族人類学者)は、自由貿易やグローバリゼーションに対する批判・・・・とりわけ「新自由主義」のイデオロギー(その発信源である米国)に対する厳しい態度で知られる。
そのトッドが昨年末、米国で世代交代が起きつつあり、それに伴って新自由主義が退潮している予感がすると語った。米国では、新自由主義はもやは老人たちのイデオロギーにすぎず、若い世代は新自由主義に懐疑的になって、影響力を失いつつある兆候が見られる、と。
その兆候の一つは、米国でトマ・ピケティ(パリ大学経済学教授)『21世紀の資本論』が一大センセーションを巻き起こしていることだ。米国で新自由主義が深く信じられていたら、本書が受け入れられることはなかったはずだ。ところが、今年3月に英訳されて以来、米国で異例のベストセラーになっている。
米国は変わりつつある。新自由主義は時代遅れの古臭いイデオロギーとなりつつある。
本書は、難解な用語を一切使わない読みやすい文体であるものの、非常に真面目に書かれた大部の学術書だ。その内容たるや、新自由主義こそが世界の潮流であって日本が進むべき理念だと信じているエリートたち、or主流派経済学の抽象論理に酔いしれる経済学者たちをはなはだ不愉快にさせる。
逆に、新自由主義に対して懐疑的・批判的な直感を抱いている者が読むならば、その直感に歴史的・統計的な裏付けを与えてくれるし、現在の資本主義が抱える問題の本質を鋭く突くものであることが分かる。
『21世紀の資本論』の主張のうち注目すべき第一点は、富の分配の歴史だ。ピケティは、仏国、英国、米国、日本など先進諸国の富の分配の変遷を、過去200年にさかのぼって明らかにした。
そもそも、ピケティの経済学における最大の貢献は、英米の学者と協力して税務統計をもとにして富の分配に関する長期的なデータを整備したことだ。
これまで、格差の歴史的な変遷について、このように確度の高いデータは存在しなかったのだ。ために、以前は経済学会や経済言論において格差が論じられることはあっても、一部の超富裕層による富の独占については、あまり議論されなかった。それどころか、主流派経済学者の中には、格差に係る議論を封じようとする者すらいたのだ。
しかし、今日では「米国の富裕層の上位1%が国富の4分の1を独占している」という事実が一般に知られるようになった。
米国の格差問題を糾弾する「ウォールストリートを占拠せよ」という運動においても、「1%99%」というスローガンが掲げられていた。
このように、超富裕層による極端な富の独占という実態が一般に認知されるようになった背景には、ピケティたちの貢献があったのだ。
ピケティたちが明らかにした富の分配の歴史的変遷は、次のとおり。
(1)19世紀から第一次世界大戦まで、富は資本家に有利に、労働者には不利に拡大し続けた。
19世紀から20世紀初頭までは「ベル・エポック」であった。欧米諸国が繁栄を謳歌した華やかな時代・・・・とされるが、実際には、当時の経済成長率は年間1~1.5%程度にすぎなかった。しかも、極端な格差社会だった。
(2)第一次世界大戦の頃から1970年代初頭までの約60年間は、先進国において格差が劇的に縮小した。
なぜか。それは、資本主義に内在する原理によらず、政治的要因による。
(a)二つの世界大戦によって、富裕層が保有する資産が物理的に破壊された。
(b)戦費を調達するために、相続税や累進的な所得税が導入された。
(c)インフレの昂進により、債券の価値が棄損され、債務者の負担が軽減された。
(d)英仏においては、主要産業が国営化された。
(e)世界恐慌期には、米国では労使協調的なニューディール政策が実行された。
(f)第二次世界大戦後になると、労働組合の力が強まり、より労働者の保護に傾く政治環境となった。そして、資本家に不利、労働者に有利な経済政策や社会政策が採られるようになった。
これら(a)~(f)のいずれの要因も資本蓄積の障害となるものであった。そのおかげで、資本家階級と労働者階級の所得格差は縮小した。しかも、この時期の欧米や日本は、記録的に高い経済成長率をも達成していた。資本主義の「黄金時代」であった。
(3)1970年代後半ごろから、所得格差は再び拡大し始めた。同時に、経済成長率も低調になった。
なぜか。主な要因は、1970年代末から21世紀初頭までに、富裕層や大企業に対する減税など、資本家により有利な政策が採用されたからであった。これは、新自由主義の影響による。
とりわけ、新自由主義の本場=英米においては、21世紀における富の偏在は、100年前に近い水準となった。これに対して大陸ヨーロッパ諸国や日本においては、格差の拡大の傾向はあるものの、英米ほど顕著ではなかった。
しかし、日本でも、新自由主義に傾斜した1990年代以降、格差が拡大し始めている。
要するに、過去200年間を鳥瞰すれば、資本主義は、基本的に、富の格差を拡大させ続ける傾向にあった。
第一次世界大戦から1970年代初頭の約60年間は格差が縮小したが、それは戦争などの政治的要因によるものであって、例外的な現象と見なすべきものだ。
□中野剛志「「21世紀の資本論」 新自由主義への警告」(「文藝春秋」2014年10月号)
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日本でも1990年代以降、著しく影響力を強めた。現在もなお、経済政策担当者、経済学者、経済界の間では主流の地位を占めている。<例>いま経済財政諮問会議や産業競争力会議などにおいて行われている議論の多くは、この新自由主義によって彩られている。
新自由主義によれば、自由な資本市場は資源の最適配分を実現する均衡点へと向かう原理を持つ。その結果生じた格差は、資源の最適配分の結果なのであって、何ら問題視するようなことではない。むしろ、その格差を是正しようとすることは、経済活動の自由を制限し、市場原理を歪め、資源の効率的配分を妨げることになるので望ましくない。
エマニュエル・トッド(仏、家族人類学者)は、自由貿易やグローバリゼーションに対する批判・・・・とりわけ「新自由主義」のイデオロギー(その発信源である米国)に対する厳しい態度で知られる。
そのトッドが昨年末、米国で世代交代が起きつつあり、それに伴って新自由主義が退潮している予感がすると語った。米国では、新自由主義はもやは老人たちのイデオロギーにすぎず、若い世代は新自由主義に懐疑的になって、影響力を失いつつある兆候が見られる、と。
その兆候の一つは、米国でトマ・ピケティ(パリ大学経済学教授)『21世紀の資本論』が一大センセーションを巻き起こしていることだ。米国で新自由主義が深く信じられていたら、本書が受け入れられることはなかったはずだ。ところが、今年3月に英訳されて以来、米国で異例のベストセラーになっている。
米国は変わりつつある。新自由主義は時代遅れの古臭いイデオロギーとなりつつある。
本書は、難解な用語を一切使わない読みやすい文体であるものの、非常に真面目に書かれた大部の学術書だ。その内容たるや、新自由主義こそが世界の潮流であって日本が進むべき理念だと信じているエリートたち、or主流派経済学の抽象論理に酔いしれる経済学者たちをはなはだ不愉快にさせる。
逆に、新自由主義に対して懐疑的・批判的な直感を抱いている者が読むならば、その直感に歴史的・統計的な裏付けを与えてくれるし、現在の資本主義が抱える問題の本質を鋭く突くものであることが分かる。
『21世紀の資本論』の主張のうち注目すべき第一点は、富の分配の歴史だ。ピケティは、仏国、英国、米国、日本など先進諸国の富の分配の変遷を、過去200年にさかのぼって明らかにした。
そもそも、ピケティの経済学における最大の貢献は、英米の学者と協力して税務統計をもとにして富の分配に関する長期的なデータを整備したことだ。
これまで、格差の歴史的な変遷について、このように確度の高いデータは存在しなかったのだ。ために、以前は経済学会や経済言論において格差が論じられることはあっても、一部の超富裕層による富の独占については、あまり議論されなかった。それどころか、主流派経済学者の中には、格差に係る議論を封じようとする者すらいたのだ。
しかし、今日では「米国の富裕層の上位1%が国富の4分の1を独占している」という事実が一般に知られるようになった。
米国の格差問題を糾弾する「ウォールストリートを占拠せよ」という運動においても、「1%99%」というスローガンが掲げられていた。
このように、超富裕層による極端な富の独占という実態が一般に認知されるようになった背景には、ピケティたちの貢献があったのだ。
ピケティたちが明らかにした富の分配の歴史的変遷は、次のとおり。
(1)19世紀から第一次世界大戦まで、富は資本家に有利に、労働者には不利に拡大し続けた。
19世紀から20世紀初頭までは「ベル・エポック」であった。欧米諸国が繁栄を謳歌した華やかな時代・・・・とされるが、実際には、当時の経済成長率は年間1~1.5%程度にすぎなかった。しかも、極端な格差社会だった。
(2)第一次世界大戦の頃から1970年代初頭までの約60年間は、先進国において格差が劇的に縮小した。
なぜか。それは、資本主義に内在する原理によらず、政治的要因による。
(a)二つの世界大戦によって、富裕層が保有する資産が物理的に破壊された。
(b)戦費を調達するために、相続税や累進的な所得税が導入された。
(c)インフレの昂進により、債券の価値が棄損され、債務者の負担が軽減された。
(d)英仏においては、主要産業が国営化された。
(e)世界恐慌期には、米国では労使協調的なニューディール政策が実行された。
(f)第二次世界大戦後になると、労働組合の力が強まり、より労働者の保護に傾く政治環境となった。そして、資本家に不利、労働者に有利な経済政策や社会政策が採られるようになった。
これら(a)~(f)のいずれの要因も資本蓄積の障害となるものであった。そのおかげで、資本家階級と労働者階級の所得格差は縮小した。しかも、この時期の欧米や日本は、記録的に高い経済成長率をも達成していた。資本主義の「黄金時代」であった。
(3)1970年代後半ごろから、所得格差は再び拡大し始めた。同時に、経済成長率も低調になった。
なぜか。主な要因は、1970年代末から21世紀初頭までに、富裕層や大企業に対する減税など、資本家により有利な政策が採用されたからであった。これは、新自由主義の影響による。
とりわけ、新自由主義の本場=英米においては、21世紀における富の偏在は、100年前に近い水準となった。これに対して大陸ヨーロッパ諸国や日本においては、格差の拡大の傾向はあるものの、英米ほど顕著ではなかった。
しかし、日本でも、新自由主義に傾斜した1990年代以降、格差が拡大し始めている。
要するに、過去200年間を鳥瞰すれば、資本主義は、基本的に、富の格差を拡大させ続ける傾向にあった。
第一次世界大戦から1970年代初頭の約60年間は格差が縮小したが、それは戦争などの政治的要因によるものであって、例外的な現象と見なすべきものだ。
□中野剛志「「21世紀の資本論」 新自由主義への警告」(「文藝春秋」2014年10月号)
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