(1)「幸せの国」ブータンは、人口70万人の小国ブータンで、かつては王国だったが、前国王の提唱で立憲君主制に移行した。国王は政治的権限を持たず、国民の選挙で選ばれた議員の中から首相を選出する議院内閣制になった。
当初は、国王の意向にもかかわらず国民たちが「国王に引き続き統治してほしい」と懇願したが、国王は権力を放棄した。
(2)そのブータンで政権交代が起きた。現政権に対する国民の不満が高まった結果だ。
今回の国民議会の国民議会の総選挙は、前回2008年に次いで2回目。47の小選挙区から計47人の議員を選出した。
前回の総選挙では、ブータン調和党(DPT)が45議席を占める圧勝で、野党の人民民主党(PDP)が獲得できたのはわずか2議席のみ。
ところが今回は、与党DPTが15議席と惨敗。代わって野党PDPが32議席を獲得する圧勝となった。
小選挙区だと極端な議席の変動が起きる。これは日本と同じだ。
(3)ブータンは、国の豊かさ(国の発展の指標)をGDPではなく、独自のGNH(国民総幸福量)に置いている【注】。GNHは、4つの柱から成り立つ。
(a)持続可能で公平な社会経済開発・・・・経済成長一辺倒ではない思想を示す。
(b)環境保護
(c)文化の推進
(d)良き統治
(4)王政から立憲君主制へ移行後、与党DPTは、それまでの計画経済から市場経済へ舵を切った。
ブータンは電気のない地域が多かったため、水力発電所を各地に建設し、町と町とを結ぶ道路網を整備した。こうした公共工事によって、経済が発展した。2011年、GDPの成長率は8.5%と南アジアで1位に躍り出た(2位はスリランカ)。同年の経済成長率は12.5%に達した、とされる。
GDPを国の発展の指標にしない国でGDPが急成長するという皮肉な事態となった。
この結果、電気の普及率は95%以上に上昇した(王政時代は65%)。
(5)すると、各家庭がテレビを購入し始めた。
ブータン国営放送は、国営放送の常に漏れず退屈な番組が多いのだが、ブータンではインドのテレビ放送も見ることができる。
豊富な商品のCM放送を見たブータン国民の間で、消費ブームが起きた。
欲しい商品を買うには、現金収入が必要だ。仕事を求めて首都に出て来る若者が増え、住宅不足を解消するためのマンションやアパートの建設ラッシュが起きた。
昨夏、首都ティンプーでは、田んぼが埋め立てられ、5~6階建てアパート群が続々と建設される模様が観察された。
経済が発展しても、首都に多数の若者が流入すると、失業率が高まる。
加えて、消費ブームに火がついても、これまで鎖国同然だったブータンには工場がほとんどない。
需要が増えても供給が追いつかない。インフレ発生は必然だった。激しい物価上昇が起きた。
これに追い打ちをかけたのが、インドからの援助削減だ。
ブータンは、インドからの援助によって国家財政がかろうじて成り立っている。中国の影響力が自国に及ぶのを恐れて中国とは国交を結ばず、インド軍駐留により自国の安全保障を確保している。インドにおんぶだっこの政治経済なのだが、ブータンに輸出する灯油に対して出ていた補助金が打ち切られ、家庭の燃料代支出が急増し、家計が苦しくなった。その不満が与党に向かった。
(6)国民の不満は、かかる経済状態に対するものだけではない。
急激な経済成長は伝統文化の破壊につながる。
農村地帯では、子どもに対する教育熱が高まり、子どもたちが都会に出ていくようになった。彼らは都会で就職し、農村には戻ってこない。農村部での高齢化と過疎化が進行し始めている。日本の1960年代と同様に。当時の日本農家は、とうちゃんは都会で出稼ぎ、かあちゃん、じいちゃん、ばあちゃんの「三ちゃん農業」だった。
(9)これまでの「幸せの国」ブータンは、単に経済が遅れていただけの開発途上国にすぎなかったのか。
経済が発展すれば、さまざまな問題が噴出し、国民の不満が高まる、というごく普通の国になってしまったのではないか。
・・・・ところが、政権交代により次期首相に就任予定のツェリン・トブゲイ・PDP党首は、国是であるGNHは今後も引き続き追及していく、とメディアのインタビューに答えている。大方針は変わらない、というのだ。
ユートピアは存在しない。その現実の中で、国の理想をどれだけ貫けるか。日本がブータンに学ぶべきことは、まだまだある。
【注】「【社会保障】日本で暮らすブータン人も幸せか ~国民総幸福~」
□池上彰「普通の国になった「幸せの国」 ~池上彰のそこからですか!? 128~」(「週刊文春」2013年8月1日葉月特大号)
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当初は、国王の意向にもかかわらず国民たちが「国王に引き続き統治してほしい」と懇願したが、国王は権力を放棄した。
(2)そのブータンで政権交代が起きた。現政権に対する国民の不満が高まった結果だ。
今回の国民議会の国民議会の総選挙は、前回2008年に次いで2回目。47の小選挙区から計47人の議員を選出した。
前回の総選挙では、ブータン調和党(DPT)が45議席を占める圧勝で、野党の人民民主党(PDP)が獲得できたのはわずか2議席のみ。
ところが今回は、与党DPTが15議席と惨敗。代わって野党PDPが32議席を獲得する圧勝となった。
小選挙区だと極端な議席の変動が起きる。これは日本と同じだ。
(3)ブータンは、国の豊かさ(国の発展の指標)をGDPではなく、独自のGNH(国民総幸福量)に置いている【注】。GNHは、4つの柱から成り立つ。
(a)持続可能で公平な社会経済開発・・・・経済成長一辺倒ではない思想を示す。
(b)環境保護
(c)文化の推進
(d)良き統治
(4)王政から立憲君主制へ移行後、与党DPTは、それまでの計画経済から市場経済へ舵を切った。
ブータンは電気のない地域が多かったため、水力発電所を各地に建設し、町と町とを結ぶ道路網を整備した。こうした公共工事によって、経済が発展した。2011年、GDPの成長率は8.5%と南アジアで1位に躍り出た(2位はスリランカ)。同年の経済成長率は12.5%に達した、とされる。
GDPを国の発展の指標にしない国でGDPが急成長するという皮肉な事態となった。
この結果、電気の普及率は95%以上に上昇した(王政時代は65%)。
(5)すると、各家庭がテレビを購入し始めた。
ブータン国営放送は、国営放送の常に漏れず退屈な番組が多いのだが、ブータンではインドのテレビ放送も見ることができる。
豊富な商品のCM放送を見たブータン国民の間で、消費ブームが起きた。
欲しい商品を買うには、現金収入が必要だ。仕事を求めて首都に出て来る若者が増え、住宅不足を解消するためのマンションやアパートの建設ラッシュが起きた。
昨夏、首都ティンプーでは、田んぼが埋め立てられ、5~6階建てアパート群が続々と建設される模様が観察された。
経済が発展しても、首都に多数の若者が流入すると、失業率が高まる。
加えて、消費ブームに火がついても、これまで鎖国同然だったブータンには工場がほとんどない。
需要が増えても供給が追いつかない。インフレ発生は必然だった。激しい物価上昇が起きた。
これに追い打ちをかけたのが、インドからの援助削減だ。
ブータンは、インドからの援助によって国家財政がかろうじて成り立っている。中国の影響力が自国に及ぶのを恐れて中国とは国交を結ばず、インド軍駐留により自国の安全保障を確保している。インドにおんぶだっこの政治経済なのだが、ブータンに輸出する灯油に対して出ていた補助金が打ち切られ、家庭の燃料代支出が急増し、家計が苦しくなった。その不満が与党に向かった。
(6)国民の不満は、かかる経済状態に対するものだけではない。
急激な経済成長は伝統文化の破壊につながる。
農村地帯では、子どもに対する教育熱が高まり、子どもたちが都会に出ていくようになった。彼らは都会で就職し、農村には戻ってこない。農村部での高齢化と過疎化が進行し始めている。日本の1960年代と同様に。当時の日本農家は、とうちゃんは都会で出稼ぎ、かあちゃん、じいちゃん、ばあちゃんの「三ちゃん農業」だった。
(9)これまでの「幸せの国」ブータンは、単に経済が遅れていただけの開発途上国にすぎなかったのか。
経済が発展すれば、さまざまな問題が噴出し、国民の不満が高まる、というごく普通の国になってしまったのではないか。
・・・・ところが、政権交代により次期首相に就任予定のツェリン・トブゲイ・PDP党首は、国是であるGNHは今後も引き続き追及していく、とメディアのインタビューに答えている。大方針は変わらない、というのだ。
ユートピアは存在しない。その現実の中で、国の理想をどれだけ貫けるか。日本がブータンに学ぶべきことは、まだまだある。
【注】「【社会保障】日本で暮らすブータン人も幸せか ~国民総幸福~」
□池上彰「普通の国になった「幸せの国」 ~池上彰のそこからですか!? 128~」(「週刊文春」2013年8月1日葉月特大号)
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