語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【大岡昇平ノート】『野火』とレイテ戦(5) ~注(3)~

2010年07月17日 | ●大岡昇平
【注】
(41)「国道は闇の中に、白く左右に延びていた。固い砂利に肱をつき、銃を曳きずって横切る時、私はその道の白さが、蟻のように匍う黒いもので埋められているのを認めた。犬の声がまた耳について来た。/対面の草の斜面を素速く滑り降りた。水がそこに音を立てて流れていた。音を聞きながら跨いで越した先の泥は、昼間見知らぬ兵士が予言したように、踝までしか入らなかった。何気なく立ち上って歩こうとすると、/「馬鹿、匍え」と声がかかった。/我々は匍って行った。前方には黒々と林の輪郭が見えた。あそこまで行けばよい。肱と膝を用いる中腰の匍匐の姿勢で、早く進んだ。/周囲の闇が私と同じ方向に進む、兵士の群で満ちているのを私は感じた。私は再び私ではなく我々になった。/チッとその群の中で、金属が金属に当る音がした。途端に前から光が来た。同時に弾が来た。「戦車」と二、三の声が叫んだ」(「25 光」)

(42)「そこで暫く休んだ後、私は再び泥を渡り出した。銃はいつか手になかった。そのためか、帰路は往路より、よほど楽なような気がした」(「25 光」)

(43)「ここに私の最も思い出し難い時期が始まる。それからなお幾日か、私が独りで歩いた時間は、暦によって確認されるが、その間私が何をし、何を考えたかを思い出すのに、著しい困難を感じる」(「27 火」)

(44)「「パロンポンはこっちですか」と彼は喘ぎながらいった。/「こっちには違いないが、米軍がいて通れやしねえぜ」」(「27 火」)

(45)「少し前から、私は道傍に見出す屍体の一つの特徴に注意していた。海岸の村で見た屍体のように、臀肉を失っていることである。/最初私は、類推によって、犬か烏が食ったのだろうと思っていた。しかし或る日、この雨季の山中に蛍がいないように、それらの動物がいないのに気がついた。雨の霽れ間に、相変らずの山鳩が、力無く啼き交すだけであった。蛇も蛙もいなかった。/誰が屍体の肉を取ったのであろう――私の頭は推理する習慣を失っていた。私がその誰であるかを見抜いたのは、或る日私が、一つのあまり硬直の進んでいない屍体を見て、その肉を食べたいと思ったからである」(「28 飢者と狂者」)

(46)「生きた人間に会った。彼の肉体がなお力を残していることは、その動作で知られた。立ち止り、調べるように私の体を見廻す彼の眼付を、私は理解した。彼も私を理解したらしい。/「おう」/と気合に似た叫びが、その口から洩れた。そして摺れ違って行った。/林の中に天幕を張り、眼を光らして坐っている、四、五人の集団を見た。/「おう」/と、今度は私の方から、声をかけて通過した」(「28 飢者と狂者」)

(47)「雨が来ると、山蛭が水に乗って来て、蠅と場所を争った。虫はみるみる肥って、屍体の閉じた眼の上辺から、睫毛のように、垂れ下った。/私は私の獲物を、その環形動物が貪り尽すのを、無為に見守ってはいなかった。もぎ離し、ふくらんだ体腔を押し潰して、中に充ちた血をすすった。私は自分で手を下すのを怖れながら、他の生物の体を経由すれば、人間の血を摂るのに、罪も感じない自分を変に思った。/この際蛭は純然たる道具にすぎない。他の道具、つまり剣を用いて、この肉を裂き、血をすするのと、原則として何の区別もないわけである」(「29 手」)

(48)「私は誰も見てはいないことを、もう一度確めた。/その時変なことが起った。剣を持った私の右の手首を、左の手が握ったのである。この奇妙な運動は、以来私の左手の習慣と化している。私が食べてはいけないものを食べたいと思うと、その食物が目の前に出される前から、私の左手は自然に動いて、私の匙を持つ方の手、つまり右手の手首を、上から握るのである。/私が行ってはならないところへ行こうと思う。私の左手は、幼時から第一歩を踏み出す習慣になっている足、つまり右足の足首を握る。/そしてその不安定な姿勢は、私がその間違った意志を持つのを止めたと、納得するまで続くのである」

(49)「そして遂に彼が現われた。萱を押し開いて、そこに立ち、私を見下した。/蓬々と延びた髪、黄色い頬、その下に勝手な方向に垂れた髯、眠たげに眼球を蔽った瞼は、私がこれまでに見た、どんな人間にも似ていなかった。/その人間が口を利いた。しかも私の名を呼んだ。/「田村じゃないか」/声は遠く、壁の向うの声のように耳に届いた。届くより先、私は彼の口が動き、汚れた乱杭歯を現わすのを、見知らぬ動物の動作でも見るような無関心で、見ていた。/「田村じゃないのか」とその口は重ねていった。/私は見凝めた。見凝めると、却って霞んで行くその顔貌を、私は記憶を素速く辿った。いや、私はこの老人を知らなかった。彼は「神」だろうか。いや、神はもっと大きいはずであった。/ぼろぼろに破れた衣服が、日本兵の軍服の色と形を残していた。/「永松」/と、遂に病院の前で知った、若い兵隊の名を呼ぶと、目先が昏くなった。(「32 眼」)

(50)「足の先まで冷さが走るのを感じ、私は我に返った。傍に永松の顔があった。彼の手は私の首の下にあり、水が私の顔を濡らしていた。彼は笑っていた。/「しっかりしろ。水だ」/私はその水筒を引ったくり、一気に飲み干した。まだ足りなかった。永松はじっと私を見ていたが、雑嚢から黒い煎餅のようなものを出し、黙って私の口に押し込んだ。/その時の記憶は、干いたボール紙の味しか、残していない。しかしそれから幾度も同じものを食べて、私はそれが肉であったのを知っている。干いて固かったが、部隊を出て以来何カ月も口にしたことのない、あの口腔に染みる脂肪の味であった」(「33 肉」)

(51)「肉はうまかった。その固さを、自分ながら弱くなったのに驚く歯でしがみながら、何かが私に加わり、同時に別の何かが失われて行くようであった。私の左右の半身は、飽満して合わさった。/私の質問する眼に対し、永松は横を向いて答えた。/「猿の肉さ」」(「33 肉」)

(52)「明方から雨になった。永松の造った萱の屋根は、巧みな勾配を持ち、周囲に雨溝も掘ってあったので、雨は中に入っては来なかった。/「雨か」と舌打ちして、永松は起き上った。「さあ、行こう」/「火は大丈夫だろうか」/「心配するな。火の番は安田の商売だ」/いかにも、安田は工夫していた。燠を飯盒に入れ、火が消えない程度に隙間をあけて、蓋をしていた。ただ炉は使えなかったので、朝食は干肉のままかじった。/「雨が降ったじゃないか」/と安田は、永松を睨んだ。/「それが、俺のせいかね」/「猿が獲れねえじゃねえか」」(「35 猿」)

(53)「「今日、幾日だろう」/「そいつは俺がちゃんとつけてる」と安田が答えた。「二月の十日だ。月末にゃ、レイテの雨季は明けるはずだ」/私は驚いた。私が三叉路を越せなかったのは、たしか一月の初めであったから、あれから私はひと月、一人でさまよっていたのである。/しかし雨はなかなか止まなかった。永松は猟に出ず、肉の割当も一日一片に減った。我々はもう安田のテントへ行かず、火種を持って来て別に火を起し、永松と差向いで、一日膝を抱いて坐っていた。彼の私を見る眼は険しくなった。/「お前を仲間へ入れてやったのは、よっぽどのこったぞ。よく覚えとけ」と彼はいった。肉はもうなくなっていた」(「35 猿」)

(54)「その時遠く、パーンと音がした。/「やった」と安田が叫んだ。/私は銃声のした方へ駈けて行った。林が疎らに、河原が見渡せるところへ出た。一個の人影がその日向を駈けていた。髪を乱した、裸足の人間であった。緑色の軍服を着た日本兵であった。それは永松ではなかった。/銃声がまた響いた。弾は外れたらしく、人影はなおも駈け続けた。/振返りながらどんどん駈けて、やがて弾が届かない自信を得たか、歩行に返った。そして十分延ばした背中をゆっくり運んで、一つの林に入ってしまった。/これが「猿」であった。私はそれを予期していた。/かつて私が切断された足首を見た河原へ、私は歩み出した。萱の間で臭気が高くなった。そして私は一つの場所に多くの足首を見た。/足首ばかりではなかった。その他人間の肢体の中で、食用の見地から不用な、あらゆる部分が、切って棄てられてあった。陽にあぶられ、雨に浸されて、思う存分に変形した、それら物体の累積を、叙述する筆を私は持たない。/しかし私がそれを見て、何か衝撃を受けたと書けば、誇張になる。人間はどんな異常の状況でも、受け容れることが出来るものである。この際彼とその状況の間には、一種のよそよそしさが挿まって、情念が無益に掻き立てられるのを防ぐ。/私の運の導くところに、これがあったことを、私は少しも驚かなかった。これと一緒に生きて行くことを、私は少しも怖れなかった。神がいた。/ただ私の体が変らなければならなかった」(「35 猿」)

(55)「永松の銃は土にもたせて、そこへ照準をつけてあった。銃声と共に、安田の体はひくっと動いて、そのままになった。/永松が飛び出した。素速く蛮刀で、手首と足首を打ち落した」(「36 転身の頌」)

(56)「私は立ち上り、自然を超えた力に導かれて、林の中を駈けて行った。泉を見下す高みまで、永松が安田を撃った銃を、取りに行った。/永松の声が迫って来た。/「待て、田村。よせ、わかった、わかった」/新しい自然の活力を得た彼の足は、私の足より早いようであった。私は辛うじて、一歩の差で、彼が不注意にそこへおき忘れた銃へ行き着いた。/永松は赤い口を開けて笑いながら、私の差し向けた銃口を握った。しかし遅かった。/この時私が彼を撃ったかどうか、記憶が欠けている。しかし肉はたしかに食べなかった。食べたなら、憶えているはずである」(「36 転身の頌」)

(57)「次の私の記憶はその林の遠見の映像である。日本の杉林のように黒く、非情な自然であった。私はその自然を憎んだ。/その林を閉ざして、硝子絵に水が伝うように、静かに雨が降り出した。/私は私の手にある銃を眺めた。やはり学校から引き上げた三八銃で、菊花の紋がばってんで刻んで、消してあった。私は手拭を出し、雨滴がぽつぽつについた遊底蓋を拭った。/ここで私の記憶は途切れる……」(「36 転身の頌」)

(58)「「私が比島人に捕えられた地点は、俘虜票にオルモック附近とあるのみで、正確な証言を欠いているが、私の記憶に残る最後の地点は、たしか海岸からはかなり隔った山中で、ゲリラの来そうなところではなかった。してみれば、私が行ったのでなければならぬ」」(「39 再び野火に」)

(59)「あれから六年経った。銃の遊底蓋を拭ったままで、私の記憶は切れ、次はオルモックの米軍の野戦病院から始まっている。私は後頭部に打撲傷を持っていた。頭蓋骨折の整復手術の痛さから、私は我に返り、次第に識別と記憶を取り戻して行ったのである」(「37 狂人日記」)
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