(1)佐藤優『功利主義者の読書術』は、人口に膾炙した本の独特の読み方を披露する。石原真理子『ふぞろいな秘密』(双葉社、2006)および酒井順子『負け犬の遠吠え』(講談社文庫、2006)には喧嘩の手法を読みとるのだ。
(2)『ふぞろいな秘密』からは、標的をしぼる(具体的には玉置浩二)こと。そして、事実のみを記し、ひと言も非難しないこと。
『負け犬の遠吠え』からは、アリストテレス論理学を徹底すること。
(3)ここで佐藤の注釈にしたがえば、アリストテレス論理学では同一律、矛盾律、排中律の3つを満たせば論理整合性が崩れない議論を組み立てることができる。酒井の議論における同一律は、「負け犬」は「負け犬」、「勝ち犬」は「勝ち犬」、というもの。矛盾律は、「負け犬」かつ「勝ち犬」であることはない、というもの。排中律とは、世の中の女性を「負け犬」と「勝ち犬」に二分し、それ以外はいないという定義をしたことだ。
そして、酒井は、「負け犬」と「勝ち犬」とは内在的論理を異にする世界を形成していくという作業仮説をたて、議論を展開していく。
(4)佐藤優は、外務省との「全面戦争」においても、鈴木宗男との共著『反省 私たちはなぜ失敗したのか?』(アスコム、2007)においても、『ふぞろいな秘密』および『負け犬の遠吠え』のテクニックを援用した、という。
敵を外務官僚だけに絞りこみ、事実を淡々と書いて打撃をあたえ、<口先だけで「四島一括返還」を唱えるが、いつまでも領土問題が解決せずに外務省からカネや情報をもらうことに活路を見出す「北方領土ビジネスパーソン」の論理破綻を徹底的に追求した>。
『ふぞろいな秘密』や『負け犬の遠吠え』を読まなくても、「全面戦争」「追求」は佐藤たちがやったとおりに「戦争」し、追求したことだろう。したがって、この書評は石原真理子および酒井順子にいくぶん阿諛している・・・・とまで言わないまでも、リップサービスしている気配がある。ただし、そうであっても、独特な読み方であることには変わりはないし、佐藤が石原真理子と酒井順子から拾い出した論争術は、読者が応用して有益なのは確かだ。
□佐藤優『功利主義者の読書術』(新潮社、2009/後に新潮文庫、2012)
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(2)『ふぞろいな秘密』からは、標的をしぼる(具体的には玉置浩二)こと。そして、事実のみを記し、ひと言も非難しないこと。
『負け犬の遠吠え』からは、アリストテレス論理学を徹底すること。
(3)ここで佐藤の注釈にしたがえば、アリストテレス論理学では同一律、矛盾律、排中律の3つを満たせば論理整合性が崩れない議論を組み立てることができる。酒井の議論における同一律は、「負け犬」は「負け犬」、「勝ち犬」は「勝ち犬」、というもの。矛盾律は、「負け犬」かつ「勝ち犬」であることはない、というもの。排中律とは、世の中の女性を「負け犬」と「勝ち犬」に二分し、それ以外はいないという定義をしたことだ。
そして、酒井は、「負け犬」と「勝ち犬」とは内在的論理を異にする世界を形成していくという作業仮説をたて、議論を展開していく。
(4)佐藤優は、外務省との「全面戦争」においても、鈴木宗男との共著『反省 私たちはなぜ失敗したのか?』(アスコム、2007)においても、『ふぞろいな秘密』および『負け犬の遠吠え』のテクニックを援用した、という。
敵を外務官僚だけに絞りこみ、事実を淡々と書いて打撃をあたえ、<口先だけで「四島一括返還」を唱えるが、いつまでも領土問題が解決せずに外務省からカネや情報をもらうことに活路を見出す「北方領土ビジネスパーソン」の論理破綻を徹底的に追求した>。
『ふぞろいな秘密』や『負け犬の遠吠え』を読まなくても、「全面戦争」「追求」は佐藤たちがやったとおりに「戦争」し、追求したことだろう。したがって、この書評は石原真理子および酒井順子にいくぶん阿諛している・・・・とまで言わないまでも、リップサービスしている気配がある。ただし、そうであっても、独特な読み方であることには変わりはないし、佐藤が石原真理子と酒井順子から拾い出した論争術は、読者が応用して有益なのは確かだ。
□佐藤優『功利主義者の読書術』(新潮社、2009/後に新潮文庫、2012)
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