語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【原発】10万人集会とウォール街占拠 ~メディアのあり方~

2012年08月16日 | 震災・原発事故
 政府のつまらぬ弥縫策には騙されない地点に、「霞が関占拠」の人々は立つ。
 ウォール街占拠の遠いこだまが、確実に届いている。

 世界金融の中心、ウォール街を若者が占拠しはじめたのは、2011年9月17日だ。東日本大震災と福島第一原発事故の半年後のことだ。日本でも、同時並行的に若者たちが音楽を演奏しながら街頭に繰り出した。
 Occupy Wall Street の合い言葉は、「“1%”の利益を追求するために“99%”が犠牲になっている」だ。集まってきた人々は、「われわれ99%」という自己意識を持っていた。
 「われわれ99%」というフレーズは、あっという間に世界に広がった。彼らが目指しているのは、「水平につながる直接民主主義」だ。

 その始まりからウォール街占拠をずっとフォローしてきたのは、お膝元の独立系メディア「デモクラシー・ナウ!」だ。
 新しい動きが生じたときのメディアのあり方を考える上で、「デモクラシー・ナウ!」の一連の報道は参考になる。

 昨年4月7日、福島第一原発事故から1ヵ月後、「デモクラシー・ナウ!」は、リスク分析の事例として、米国および世界中に起こりつつある金融危機を取り上げた。ゲストは、ジョゼフ・スティグリッツ(ノーベル経済学賞受賞者)だ。
 聞き手のエイミー・グッドマンは切り出した。「日本の原子炉のメルトダウンは、金融派生商品CDSのメルトダウンだ」
 スティグリッツいわく、「ほとんど起きないとされ、発生確率の低い事象について金融業界の人々が言うには、今回のは千年に一度の大暴落だ。・・・・原子力業界は、リスクはまったくない、心配ない、と言ったほうが有利だ。金融業界も同じだ」。

 「デモクラシー・ナウ!」は、ウォール街占拠を報道し続け、同時にそれを世界的な出来事と結びつけていった。
 スティグリッツが語る主題は、むろん米国の金融危機だが、そのために用いられる比喩は、ただの比喩にとどまらず、リアリティをもって迫ってくる。ジャーナリズムが国境を超える契機は、世界の同時性を前提としている。

 スティグリッツは続けた。「原子力発電は営利事業として決して成り立たない。政府の保護を前提としてのみ存在してきた。私たちの税金で支えられている。日本でも同じことをしてきた。その結果がこれだ。社会全体が、膨大なコストを被ることになる。米国でも起こり得る」

 9・11後の米国で、メディアが国家に総動員されていったときに、「デモクラシー・ナウ!」はブレることなく米国の戦争を批判し続けた。
 3・11後の日本のメディアに期待されるのは、目の前で起きている原発惨事をナショナルな視点から解放することだ。

 以上、神保太郎「メディア批評第57回」(「世界」2012年9月号)の「(1)情報は「拡大」から「拡散」の時代に」に拠る。

 【参考】
【原発】「さようなら原発」17万人集会の記録
【原発】情報は「拡大」から「拡散」の時代に ~金曜日の人々~
【原発】遅れてやってきたマスメディアの人々 ~NHKとテレビ朝日~

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