語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】原発>反対派と推進派の激突対談 ~小林圭二vs.宮崎憲次~

2011年04月26日 | 震災・原発事故
(1)登場人物
 反対派・・・・小林圭二(元京都大学原子炉実験所講師)
 推進派・・・・宮崎憲次(大阪大学名誉教授・原子炉工学)

(2)概要
 原発の安全について、日本はもう世界に胸を張れない国になった。原発推進派も反対派も、この事態について研究者としての責任があるのではないか。そういう観点から対談が設定された。
 責任は、二人とも認めた。
 また、二人とも、福島第一原発では、事故直後の初動で失敗したのではないか、という疑問において共通する。日本の研究者も業界も「原発の大事故は起きない」とだけ言い続けて、それ以上のことを考えなかった。危機管理能力の欠如を世界にさらけだした。反対派の警告が現実のものとなった。
 だから、原発をいったん止めて地震対策を検証するべきだ。浜岡原発(中部電力)は運転を止めてもらいたい・・・・と小林圭二は主張する。
 しかし、宮崎憲次は意見を変えない。フクシマが起きたにせよ、これからも原発をもっと増やすべきだ、とさえ極言する。
 日本における原発研究者の多くは推進派で、政府と電力業界の方針を支持する。一方、反対派は原発をなくする立場で、両者は議論が成立していなかった。推進派は、議論には目もくれず、力任せに原発建設を実力行使してきた。反対派は、反対意見を言うだけで、現実の原発に反映されることはなかった。
 日本では研究者の影が薄い。大学などの研究者は、推進派であっても実際の原発に関わりが浅い。大学は、研究費や就職で電力会社に弱みを握られている。そして、電力会社は、必要な研究開発を大学ではなく、主に東芝、日立、三菱重工といったメーカーに委託する。
 今後、研究者は、企業と政府から独立して意見を述べることができるか。・・・・研究者の存在意義が問われる。
 そして、日本の社会は、今後、反対派の意見をどこまで汲み上げることができるか。・・・・戦後民主主義は、少数意見の尊重という民主主義の鉄則をついに定着できなかった。その結果、こうして放射性物質は拡散し、それがいまや日本人の身体のみならず精神も蝕みつつある。

(3)対談抄
●科学者の責任
小林 反対派からすれば、電源が「共倒れ」になることを前提にしなければ意味がないとずっと主張してきた。アメリカでは非常用電源を含めた電源が全部なくなった場合のシミュレーションをしている。日本ではその気配もなかった。

宮崎 地震に伴う津波の想定が甘かったのは事実だ。安全設計方針では「長時間にわたる外部電源の喪失は送電線の復旧または非常用交流電源設備の復旧が期待できるので考慮する必要はない」としているが、それは考え直さないといけない。
 ただ 外部電源と非常用電源の両方とも喪失するという事態になっても収束するシナリオは、、安全審査の枠外では整備されていた。それが今回、うまく働かなかった。
 苛酷事故対策は各電力会社ともしていて、代替注水手段を用意していた。今回、消防ポンプで注水したのがそれだ。しかし、原子炉と格納容器の初期の減圧が遅れ、早期の注水に失敗し、事故に至ったと思われる。対策は考えられていたのに、現場に浸透していなかった。

●老朽化していた福島第一原発
小林 福島第一原発に関しては、ある反対グループの名称が「福島老朽原発を考える会」というくらい、老朽化そのものを対象にした運動さえある。同じ原発のなかでも、新型にくらべていかにひどいか、反対派は具体的に指摘している。これが反映されなかったのは、私からすれば「未必の故意」に近い。

宮崎 一般論として、新しい原発は従前の経験をふまえて設計しているんどえ、安全性も経済性もすぐれている。新しいものに切り替えることには基本的には賛成だ。ただ、経営上の理由で古い炉の運転を続けざるをえないことがある。それは電力会社の判断。静岡県の浜岡原発は1、2号機は明らかに古く、廃炉にしたのは適切な判断だった。少し高くついても、安全な炉で安定的な電力供給ができるものをつくってほしいと申し上げてきたが、この際よく検討していただきたい。

●「原子力村」
小林 電力会社と原発メーカー、官庁、そして原子力を専攻する大学の研究者には鉄の団結がある。俗に言う「原子力村」という状況だ。村の利益を最優先することで一貫している。事故が起きて、メディアには何人もの大学の先生が登場したが、少なくとも3月20日くらいまでは、原子力村の方たちがおっしゃることは楽観的で、決していまの原発について批判はしなかった。原子力村総体の利益を守ることに熱心だった。
 そろいもそろって、「ただちに人体に影響するものではない」と言っているが、言い換えれば「ただちにではないが、影響が出る」ということで、がんなど晩発性の影響にふれない。メディアも含めて、みんな同じ表現を使う。それだけ癒着体制の強さがうかがえる。

宮崎 私は文科省から科学研究費などの資金をいただき、苛酷事故の事象や核融合炉冷却の基礎研究ができた。電力会社は当初、こうした研究にお金を出さなかったが、いまは出すようになった。新しい原子炉を考えるときには、安全性の追求のためにも、研究者は電力会社からある程度のお金を得てもいい。

小林 そういうレベルの問題ではない。宮崎先生は研究者と電力会社との関係という意味でおっしゃっているが、国と電力会社が一体化していることが問題。原発はおっしゃるようにお金がかかり、お金が出ないかぎりは研究そのものが成立しない。となると、国策となり、大学の先生といえども逆らえない立場になる。大学の自治を持ち出すわけではないが、大学の先生でも国とは一定の距離を置き、独立した一個人としての主張をしていただきたい。

宮崎 もちろん、原子力の場合は安全審査に携わる先生が多いわけだから、電力会社とは一定の距離を取って、自らを律しないといけないとは思っている。

小林 研究者が自立して、独自の見解を持たないと、原子力に対して批判的な目を向け続けるところがなくなる。保安院でさえも、経済産業省の一機関であり、原子力安全委員会だって委員長の任期が切れたら日本原子力研究開発機構理事長に天下る。原子力村のどこに客観的な視点があるのか。いまはない。それが問題だ。

 以上、小林圭二(元京都大学原子炉実験所講師)・宮崎憲次(大阪大学名誉教授)/聞き手・武内敬二(朝日新聞編集委員)「反対派×推進派が激突対談 反対派:警告は無視された、推進派:それでも原発必要」(「AERA」2011年4月25日号)に拠る。
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