語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】イスラームや中国との「対話」路線 ~バチカン世界戦略(7)~

2017年04月17日 | ●佐藤優
【佐藤コメント】
3-(3)
 では、このような封じ込めは、どのような手段によって可能になるのだろうか。「対話」によってである。ラッツィンガーは、イスラームの文化世界に存在する緊張関係について、次のような認識を示す。
 <ビン・ラディンのような狂信的絶対主義を一方の極とすれば、寛容な合理性に対してオープンな態度を他方の極として、その幅はきわめて広い。>【注3】
 ここから導き出される帰結は、異文化対話を通じてイスラーム穏健派を味方につけて、アルカイダのような過激派を封じ込めることだ。

3-(4)
 ハーバーマスもイスラーム過激派の脅威について危機意識を持ち、次のように述べる。
 <テヘランに行ったときに、かの地の同僚が私に、比較文化や宗教社会学の観点から言えば、ヨーロッパ的な世俗化は本当のところ特別の奇妙な道で、軌道修正の必要があるのではないかという問いを発してきたが、この問いは、ワイマール時代の雰囲気を思い起こさせる。つまり、カール・シュミット、マルティン・ハイデガー、あるいはレオ・シュトラウスを思い起こさせるのだ。>【注4】
 ワイマールの雰囲気から、ナチズムが登場してきた。異文化対話を通じて、宗教がなぜ世俗化した現代においても存続しているかについての哲学は、
 <いわば内部から、知的挑発として真剣に取り上げるべきである。>
 とハーバーマスは強調する。
 実践的帰結として、二人は対話によってイスラーム過激派の脅威を解体していくという選択が現実的であると考えている。

 【注3】前掲書(『ポスト世俗化時代の哲学と宗教』)
 【注4】前掲書


 バチカンにとって、イスラーム過激派に次いで面倒なのが中国だ。中国政府は、国内カトリック教会の高位聖職者の人事権がバチカンにあることを認めない。だから、バチカンと中国の間には、未だ外交関係が存在しない。
 新教皇の下で、バチカンは中国に対しても「対話」を通じたソフトな巻き返し戦略を図るとみられる。カトリック教会は、近代よりも前から存在する。カトリック神学者(ベネディクト16世もその一人)は、プレモダン(前近代的)な思考になれている。だから、近現代的な思考の制約を超えて、人間と社会の危機を洞察することが容易になる。


 ハーバーマスが唱える世俗的合理性も、ラッツィンガーが信じるキリスト教のカトリシズムも、普遍主義に属する。これに対して、ナショナリズムは多元的で、類型的である。キリスト教でも、プロテスタンティズムや正教(オーソドクシー)は。普遍主義を採らない。だから、プロテスタンティズムと正教は、ナショナリズムと親和的だ。ラッツィンガーが唱える「対話」路線は、相手を対等の立場であると認めて、新たな真理を追究するために行う真実の対話ではない。最終的に、カトリック教会の普遍性の中にすべての人類を包摂するという目的を達成するための戦略的対話だ。その同盟軍として、世俗的合理性を信じる人々をカトリック教会側に引き入れようとしているのである。
 ローマ教皇庁は、目に見えない領域で、カトリック帝国を維持しようとしている。

□佐藤優「ローマ教皇ベネディクト16世の生前退位」【「イスラーム過激派に対抗する「バチカン世界戦略」」に対する分析メモ】『佐藤優の10分で読む未来 ~新帝国主義編~』(講談社、2014)
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 【参考】
【佐藤優】ハーバーマスとの討論、過激派封じ込め ~バチカン世界戦略(6)~
【佐藤優】生前退位の理由(その2) ~バチカン世界戦略(5)~
【佐藤優】法王と教皇、その不可謬性 ~バチカン世界戦略(4)~
【佐藤優】対中国、対イスラーム過激派の論理 ~バチカン世界戦略(3)~
【佐藤優】教皇の若返りが必要な理由 ~バチカン世界戦略(2)~
【佐藤優】改革派の教皇、保守派の教皇 ~バチカン世界戦略(1)~




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