語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【読書余滴】天下りは年功序列のなれの果て ~『官僚のレトリック』~

2011年08月05日 | 社会


 古賀茂明は、06年12月、渡辺喜美・行政改革・規制改革担当大臣(当時、現・みんなの党代表)から補佐官就任の要請を受けた。折悪しく、その年の7月に大腸ガンの手術を受け、抗ガン剤を服用しつつ闘病中だった。自分の代わりに後輩の原英史を推薦した【注】。
 原は、期待に応えて公務員制度改革に腕をふるうが、安倍政権を引き継いだ福田政権以降、改革は迷走した。原は、退官後、その経緯と原因を綴る。すなわち、『官僚のレトリック』だ。
 その第3章「自民党はなぜ公務員制度改革に敗北したのか」に、次のように記す。

 天下りのメカニズムは、「年功序列のなれの果て」(渡辺喜美)だ。
 Ⅰ種国家公務員試験に合格した「キャリア官僚」は、全省庁で年に約600人。財務省、総務省、経済産業省などの省庁で十数人ずつ採用される。人事は基本的にそれぞれの省内で行われ、横並びで一斉に係長、課長補佐、課長へと昇進していく。
 課長レベルまではともかく、さらに上位の審議官・部長、局長へと上がるにつれ、ポストの数は減る。ために、全員を同列で扱えなくなる。そこで、早い省では50歳前後から、早期退職勧奨=「肩叩き」が始まる。その際、各省の人事当局(役職でいえば官房長など)は、外郭団体などにポストを提示する。本人がそれに応じると(応じなかった例は希有)、「天下り」となる。
 「天下り」OBのいる団体には年間12兆円の予算が注ぎこまれている。

 「天下り」は、年功序列と表裏一体だ。それのみならず、「官僚主導」や「省益優先」と密接に関わる。各省が天下りポストを確保し、退職後の面倒まで見ていることが、本籍(各省)への忠誠心を生む。つまり、総理大臣や大臣より、退職後の面倒を見てくれる「各省」の先輩・同僚に顔を向けて仕事をしがちになる。これが「各省割拠主義」の源泉だ。
 そして、天下りを受け入れる企業・団体に、その見返りに「仕事」を発注する。こうした形で、国民が納めた税金の「無駄遣い」の源泉となる。あるいは、国の借金を増やし、国民に負担をかける元となる。「仕事」の中には、高コスト過ぎるもの、そもそも必要性のないもの、といったものまで紛れこむからだ。
 だからこそ、まず天下りにメスを入れることが官僚機構全体の改革につながる。
 この理解は、決して的外れではなかった。
 安倍晋三・総理大臣(当時)は、国家公務員法改正案を「戦後レジームからの脱却の中核的な改革の一つ」と表明した。
 また、渡辺喜美・行政改革・規制改革担当大臣(当時)は、「1940年体制(野口悠紀雄)からの脱却」という言葉をしばしば使って、改革の意義を説いた。
 「戦後レジーム」と「1940年体制」。多少歴史観にズレはあったものの、両者は共通して、現在の日本を虫食む古き仕組みの“象徴”としての「天下り」に挑もうとした。

 【注】古賀茂明『日本中枢の崩壊』(講談社、2011)の第1章「暗転した官僚人生」に拠る。

【参考】原英史『官僚のレトリック ~霞が関改革はなぜ迷走するのか~』(新潮社、2010)
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