(1)茨城県東海村には、①日本原子力研究開発機構(原研)と②高エネルギー加速器研究機構(高エネ研)があり、①と②が運営する原子核素粒子実験施設「J-PARC」もある。
そのJ-PARCから、2013年5月23日11時55分頃、放射性物質が施設の外に漏れた。研究者らが被曝し、最大被曝量は1.7mSvとなった。
陽子ビームを金にあて、素粒子を発生させる実験中に、装置が誤作動し、陽子ビームが通常の400倍の出力で金にあたった。ために「出ないはず」の放射性物質が漏れたのだ。
研究者らは、建物内の放射線量が上昇したため、線量を低下させようよ、排気ファンを作動させ、放射性物質を外部へ漏出させた。この排気扇には、放射性物質を通さないフィルターが付いておらず、危険な実験設備の完全密閉化も行われていなかった。
(2)原研は、事故の翌24日21時40分になって、ようやく県、村へ通報した。事故発生から33時間以上が経っていた。
ちなみに、J-PARCでは、事故の際に通報する「安全協定」は原研のみと締結されている。原研と高エネ研の共同運営であるにも拘わらず。
(3)今回事故を起こしたのは、原研ではなく、高エネ研の施設だ。原研が幅広く原子力を扱うのに対し、高エネ研は事故を起こした加速器のみを扱う。
原研に比べ、高エネ研は放射性物質漏洩などについて考えが甘い。にも拘わらず、事故の通報は原研の原子力科学研究所が行うことになっている。今回、双方の意思疎通がうまくいっていないことが露呈した。【J-PARC関係者】
じつは、J-PARCは放射性物質漏洩の可能性すら考慮されていなかった。そのため、排気ファンにも漏出を抑えるフィルターがついていなかった。これまえ、フィルターがついていなくても許認可上の問題は「なかった」のだ。
放射性物質漏洩は「想定外」だった。そのため対応が遅れた。事故が起きた際のマニュアルも十分でなかった。【J-PARCセンター広報セクション担当者】
要するに、原子力に関わる研究者や専門機関の「危機感の欠如」と「想定外」が、「放射性物質漏洩」と「公表遅れ」を引き起こした。
(4)日本原子力研究開発機構(JAEA)を「魔窟」と呼ぶ人もいる。
JAEAは、「もんじゅ」に係る昨年の調査で1万個もの点検漏れが発覚し、原子力木瀬委員会から「もんじゅ」試験運転再開の停止命令が5月15日に出て、その2日後、鈴木篤之・JAEA理事長は辞任に追い込まれた。
「もんじゅ」でこのような事態が起きていること自体、JAEAの組織の安全文化の欠如を示し、科学者、技術者としての倫理観が問われる。【2012年12月12日、規制委の会議】
こういう組織の存続を許していること自体が問題だ。【島田邦彦・規制委委員長代理、2013年5月15日の規制委の会議】
(5)2005年、(a)核燃料サイクル開発機構(旧動力炉・核燃料開発事業団【注1】)と(b)日本原子力研究所がJAEAに一本化された。茨城県東海村の本部、東京事務所、多数の研究センターから成る職員4千人、支出規模2,100億円(2011年度決算)の事業体へと肥大化した。
ところが、機構の中枢部すら「管理不能」となってしまった。加えて、(a)動燃派(現行の原発と核燃料サイクル路線を推進し、「もんじゅ」をその要に位置づける)と、(b)原研派(放射能の出ない核融合エネルギーの可能性を追求する)の「水と油」的両者が一緒になったため、(a)と(b)のいずれから見ても組織の一体的使命感が消えてしまった。気質的にも(a)は現場的、(b)は「象牙の塔」的だった。
田中俊一・規制委委員長は、実は(b)の出身で、原研韜晦研究所長、国の原子力委員会委員長代理を歴任。その間、終始「もんじゅ」。核燃料サイクル路線への疑問をあらわにしてきた。
J-PARCを原研につくることを主張し、建設費1,500億円をかけて実現させたのが、原研時代の田中委員長だった。
原研派は、「もんじゅ」の冷却材ナトリウム漏れ事故(1995年)を撮ったビデオテープを(被害を小さく見せるため)改竄【注2】するなど不祥事続出の動燃派の安全意識を原研派は批判してきた。しかし、図らずもこのたび、原研派もまた、(1)で見られるように安全問題に無頓着だったことが露呈された。
【注1】動燃
「【原発】プルトニウム輸送船の「日米密約」 ~原子力ムラの極秘工作~」
「【原発】NHKに対する「やらせ抗議」 ~科学技術庁~」
「【原発】動燃の組織ぐるみの選挙~「西村ファイル」~」
「【原発】動燃の裏工作部隊 ~「洗脳」と「カネ」~」
「【原発】動燃による反対派つぶし「工作」の記録 ~「西村ファイル」~」
【注2】動燃の隠蔽工作
「【原発】動燃の隠蔽工作 ~「もんじゅ」事故~」
□長谷川煕(ライター)「翻弄され続ける東海村/こんな組織必要なのか」(「AERA」2013年6月10日号)に拠る。
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そのJ-PARCから、2013年5月23日11時55分頃、放射性物質が施設の外に漏れた。研究者らが被曝し、最大被曝量は1.7mSvとなった。
陽子ビームを金にあて、素粒子を発生させる実験中に、装置が誤作動し、陽子ビームが通常の400倍の出力で金にあたった。ために「出ないはず」の放射性物質が漏れたのだ。
研究者らは、建物内の放射線量が上昇したため、線量を低下させようよ、排気ファンを作動させ、放射性物質を外部へ漏出させた。この排気扇には、放射性物質を通さないフィルターが付いておらず、危険な実験設備の完全密閉化も行われていなかった。
(2)原研は、事故の翌24日21時40分になって、ようやく県、村へ通報した。事故発生から33時間以上が経っていた。
ちなみに、J-PARCでは、事故の際に通報する「安全協定」は原研のみと締結されている。原研と高エネ研の共同運営であるにも拘わらず。
(3)今回事故を起こしたのは、原研ではなく、高エネ研の施設だ。原研が幅広く原子力を扱うのに対し、高エネ研は事故を起こした加速器のみを扱う。
原研に比べ、高エネ研は放射性物質漏洩などについて考えが甘い。にも拘わらず、事故の通報は原研の原子力科学研究所が行うことになっている。今回、双方の意思疎通がうまくいっていないことが露呈した。【J-PARC関係者】
じつは、J-PARCは放射性物質漏洩の可能性すら考慮されていなかった。そのため、排気ファンにも漏出を抑えるフィルターがついていなかった。これまえ、フィルターがついていなくても許認可上の問題は「なかった」のだ。
放射性物質漏洩は「想定外」だった。そのため対応が遅れた。事故が起きた際のマニュアルも十分でなかった。【J-PARCセンター広報セクション担当者】
要するに、原子力に関わる研究者や専門機関の「危機感の欠如」と「想定外」が、「放射性物質漏洩」と「公表遅れ」を引き起こした。
(4)日本原子力研究開発機構(JAEA)を「魔窟」と呼ぶ人もいる。
JAEAは、「もんじゅ」に係る昨年の調査で1万個もの点検漏れが発覚し、原子力木瀬委員会から「もんじゅ」試験運転再開の停止命令が5月15日に出て、その2日後、鈴木篤之・JAEA理事長は辞任に追い込まれた。
「もんじゅ」でこのような事態が起きていること自体、JAEAの組織の安全文化の欠如を示し、科学者、技術者としての倫理観が問われる。【2012年12月12日、規制委の会議】
こういう組織の存続を許していること自体が問題だ。【島田邦彦・規制委委員長代理、2013年5月15日の規制委の会議】
(5)2005年、(a)核燃料サイクル開発機構(旧動力炉・核燃料開発事業団【注1】)と(b)日本原子力研究所がJAEAに一本化された。茨城県東海村の本部、東京事務所、多数の研究センターから成る職員4千人、支出規模2,100億円(2011年度決算)の事業体へと肥大化した。
ところが、機構の中枢部すら「管理不能」となってしまった。加えて、(a)動燃派(現行の原発と核燃料サイクル路線を推進し、「もんじゅ」をその要に位置づける)と、(b)原研派(放射能の出ない核融合エネルギーの可能性を追求する)の「水と油」的両者が一緒になったため、(a)と(b)のいずれから見ても組織の一体的使命感が消えてしまった。気質的にも(a)は現場的、(b)は「象牙の塔」的だった。
田中俊一・規制委委員長は、実は(b)の出身で、原研韜晦研究所長、国の原子力委員会委員長代理を歴任。その間、終始「もんじゅ」。核燃料サイクル路線への疑問をあらわにしてきた。
J-PARCを原研につくることを主張し、建設費1,500億円をかけて実現させたのが、原研時代の田中委員長だった。
原研派は、「もんじゅ」の冷却材ナトリウム漏れ事故(1995年)を撮ったビデオテープを(被害を小さく見せるため)改竄【注2】するなど不祥事続出の動燃派の安全意識を原研派は批判してきた。しかし、図らずもこのたび、原研派もまた、(1)で見られるように安全問題に無頓着だったことが露呈された。
【注1】動燃
「【原発】プルトニウム輸送船の「日米密約」 ~原子力ムラの極秘工作~」
「【原発】NHKに対する「やらせ抗議」 ~科学技術庁~」
「【原発】動燃の組織ぐるみの選挙~「西村ファイル」~」
「【原発】動燃の裏工作部隊 ~「洗脳」と「カネ」~」
「【原発】動燃による反対派つぶし「工作」の記録 ~「西村ファイル」~」
【注2】動燃の隠蔽工作
「【原発】動燃の隠蔽工作 ~「もんじゅ」事故~」
□長谷川煕(ライター)「翻弄され続ける東海村/こんな組織必要なのか」(「AERA」2013年6月10日号)に拠る。
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